EP 5
牛丼の虜と、ナイアガラの滝(大暴落)
「……ふん。こんな下民の食い物、帝国の査察官たる私の舌に合うわけが――」
『特盛牛丼(温玉乗せ)』を前に、銀縁眼鏡の査察官は訝しげに割り箸を割った。
そして、甘辛い醤油の匂いに抗いきれず、薄切りの牛肉と玉ねぎを、白米ごと口に掻き込んだ。
その瞬間。
「…………っ!?」
査察官の瞳孔が、極限まで見開かれた。
ルナミス帝国の宮廷料理のような、上品で薄味のオーガニック素材ではない。
牛の脂、強烈な化学調味料の旨味、そして甘辛い特製タレ。それが、絶妙な炊き加減の白米に染み込んでいる。
さらに彼は、無意識のうちに中央の『温泉卵』を箸で崩した。
黄金色の黄身がトロリと流れ出し、肉と米をコーティングする。
「な、なんだこれは……ッ! 肉は紙のように薄いのに、タレの旨味を完璧に吸い上げている! そしてこの卵のまろやかさが、ジャンクな暴力性を優しく包み込み……気付けば次の一口を求めてしまうッ!」
「紅生姜と七味をたっぷりかけるのが、通の食い方だ」
俺が小袋を差し出すと、査察官は狂ったようにそれを振りかけ、もはや言葉も発さずに丼に齧り付いた。
ズルズルッ! ハフッ! むぐむぐ……ゴクンッ!
「……お、おかわりだ! あと三杯!!」
ものの数十秒で丼を空にしたエリート査察官は、血走った目でカウンターを叩いた。
「毎度あり。一杯につき、3PGになります」
俺がレジを叩くと、査察官はハッとして我に返り、懐から魔導通信石(L-Pay端末)を取り出した。
「わ、私は帝国の……」
「おっと。うちはL-Payは非対応でね。支払いはPGのみだ」
俺が冷酷に突き放すと、査察官はワナワナと震え……そして、懐から『裏金』として貯め込んでいた帝国の金貨袋をバンッと叩きつけた。
「りょ、両替だ! 私の全財産をPGに替えろ! 牛丼を、もっと牛丼を寄越せぇぇッ!!」
「フフッ。毎度ありがとうございます、査察官殿」
リバロンが優雅に一礼し、金貨を回収してPGメダルを渡す。
かくして、ルナミス帝国が誇る第一級査察官は、完全にヨシマーソンの『牛丼の虜(犬)』へと堕ちたのだった。
***
査察官が店の隅で四杯目の牛丼を啜っている頃。
ウィーン。
♪ファミファミファ〜、ファミファミッファ〜。
「ここかぁっ!! 私の愛しの月人きゅんを彷彿とさせる、伝説の地下アイドルがいるっていう店はぁぁっ!!」
入店音と共に突如乱入してきたのは、目深に被ったローブの下に『絶対無敵☆リーザ』と筆文字で書かれたハッピを着込んだ、不審すぎる少女だった。
永遠の17歳を自称するアバロン魔皇国のトップ、魔王ラスティア(お忍びの姿)である。
「お、お客様! 落ち着いてくだ……ひぃっ!?」
レジにいたルナが、彼女から漏れ出す異常な魔力(とオタク特有の早口の圧)にたじろぐ。
「おい金庫番!! 両替じゃ! これを全部PGに替えろ!! 推しに赤スパ(最高額スーパーチャット)を投げるんじゃあああ!!」
ドゴォォォォンッ!!
ラスティアがカウンターに叩きつけたのは、アバロン魔皇国の国庫から(勝手に)持ち出してきた、莫大な量の『純金のインゴット』だった。
「ひぃぃぃぃっ!? き、金塊の山や!! 店長はん、これアバロンの国家予算の数パーセントに匹敵しまっせ!?」
ニャングルの目が¥マークになり、狂ったように算盤を弾き始める。
俺はバックヤードの影から、その光景を冷静に見つめ、コーヒーキャンディを噛み砕いた。
(……来たか。莫大な実体経済の流入。ルナミス帝国の裏金に続き、アバロンの金塊。これだけの実弾が手に入れば、もう『PGの価値を不自然に釣り上げておく』必要はない)
俺は懐の魔導通信石を取り出し、ニャングルに目配せをした。
「ニャングル。買い支え(買いオペ)を全解除しろ。溜まりに溜まった売り玉を、一気に市場に放出する」
「へっへっへ……! 了解や、店長はん。バブル崩壊のカウントダウンやで!」
俺たちの極悪な裏工作により、異常な高騰を続けていたPG為替相場。
その下支えが、今、完全に消滅した。
***
同じ頃。
店の休憩室のソファで、リーザは『トレードボーイ』の画面をうっとりと見つめていた。
「おほほほ! ラスティア様(太客)の爆買いのおかげで、PGのレートがさらに上がっておりますわ! わたくしの含み益は、もう金貨五千枚を突破……これなら、すぐに借金も返せますし、ヨシマーソンを買収することも――」
――その時だった。
ピコン。
画面のチャートが、わずかに揺れた。
「あら? 少し調整の下落ですの? まぁ、すぐにまた『パンプ』しますわよ――」
ギュルルルルルルルルゥゥゥゥゥッ!!!!
「……え?」
リーザの目の前で。
さっきまで天高くそびえ立っていた緑色のチャート(陽線)が。
真っ赤な、極太の、絶望的な長さの棒(大陰線)となって、画面の底を突き破る勢いで垂直落下を始めた。
いわゆる『ナイアガラの滝(大暴落)』である。
「な、ななな、なんですのこれ!? ま、待って! 止まって! 止まりなさい!!」
リーザはトレードボーイをバンバンと叩いたが、赤い滝は止まらない。
義正が相場操縦を止めたことによる、パニック売り。
レバレッジ100倍を掛けていたリーザの口座は、わずかな下落でも致命傷になる。
『ピロリロン♪ 証拠金維持率が低下しています』
「あ、あああああ!? 利益が! わたくしのケーキが! お城が!!」
『ピロリロン♪ 強制ロスカット(損切り)を実行しました』
『現在の口座残高:-150(金貨)』
相場のあまりの急落にシステムの決済が追いつかず、いわゆる『スリッページ』が発生。
利益がゼロになったどころか、借金だけが残るという、FXにおける最悪の現象(ゼロカットなしの追証)が発動した。
「あ……あ……」
リーザの顔から、一切の表情が消え去った。
手からトレードボーイが滑り落ち、カラン、と虚しい音を立てて床に転がる。
ニャングルから借りた、金貨100枚(約百万円)。
さらにマイナス残高の、金貨150枚(約百五十万円)。
アイドルがパンの耳をかじって返せる額では、到底ない。
「い、いやあああああああああああああああああっ!!!!!!」
深夜のポポロ村に、絶世の人魚姫の、魂の底からの絶叫が響き渡った。
彼女の強欲の夢は、一切の慈悲もなく、資本主義の滝壺へと飲み込まれていったのである。




