第13話――「ベルの音、東口の湯気」
尚人は順子を連れて品川を発ち、小田原へ向かう。道中の沈黙と東口のざわめきの中で、2人は町の表情を自分の目で確かめ、買うべき区画を少しずつ絞っていく。机の上の地図は、ここでようやく土と建物と人の流れに結びつく。
(1986年4月6日日曜日正午。品川・早乙女不動産㈱)
尚人と順子は、早乙女不動産のフロアから廊下へ出て、同じ階にある喫茶店の扉を押した。小さなベルが鳴り、外の乾いた空気が、店の中の温かさに押し返された。コーヒーの苦い香りが先に来て、続いてバターの甘さと、鉄板の油がはぜる匂いが鼻の奥に残った。窓際の席には白い光が落ち、ガラス灰皿が薄く光っていた。スプーンがカップに触れる音が一定に続き、ラジオの声が低く混じっていた。
ウェイトレスが近づいてきた。朝倉澪〈19〉だった。メモ帳を胸の前で支え、目はよく動いた。尚人の顔を一度見てから、順子〈43〉のほうへ視線を移し、興味が隠しきれない様子で、ほんの少しだけ見つめる時間が長くなった。順子は表情を変えず、背筋を立てたまま、静かに頷いた。
尚人はランチを2つ頼んだ。澪は復唱し、鉛筆の先を紙に走らせた。紙をこする音が小さく鳴る。尚人はその場で言った。倉田順子だ。今日から来てもらう。「新入社員のひとりだ。よろしく頼むよ」澪は「はい」と返し、視線を順子へ戻して、口角だけを少し上げた。順子にも尚人は告げた。今の子は朝倉澪で、「都内の大学2回生だ」。
料理が運ばれてくると、湯気がテーブルの上でほどけた。皿の熱が指先へ伝わり、焼けたパンの表面がぱり、と小さく割れた。フォークが皿に当たる乾いた音がして、コーヒーは黒く、口に含むと舌の奥がじんと熱くなった。順子は手早く食べた。噛む音を立てずに飲み込み、ナプキンで口元を押さえる動きも切れがいい。澪は配膳のあとも、店の奥へ引かず、何度か視線を順子へ向けたが、順子はそれに構わず、時計を確かめるだけだった。
30分ほどで席を立った。会計で硬貨が皿に触れる音がして、レジの引き出しが軽く鳴った。店を出ると、廊下の空気は少し冷たく、さっきまでのコーヒーの匂いが背中にだけ残った。
2人はエレベーターで下り、地下の駐車場へ向かった。蛍光灯の白い光が車の屋根に反射し、床は油の匂いとコンクリートの湿り気が混じっていた。ワゴン車のドアを開けると、シートの布の匂いが立つ。尚人がキーを回すと、エンジンが低く鳴り、排気の匂いが一瞬だけ鼻を刺した。
高速へ上がるまでの道は信号で細かく止まり、車の列が切れたり詰まったりした。合流すると、タイヤの走行音が一定になり、窓の外の景色が滑るように流れ始めた。標識の緑が視界の端で続き、車内には空調の乾いた風が薄く回った。順子は地図を膝に置き、指先で折り目を押さえた。紙の端が指に引っかかる感触があった。
最初のパーキングに入ると、走行音が切れ、代わりに人の声とドアの開閉音が近くなった。アスファルトは陽を含んでいて、降りた瞬間に足裏へ熱が返る。排気の匂いが風に混じり、遠くでトラックのエンジンが低く唸っていた。自販機の前でコーヒーを買うと、缶が冷たく、指がきゅっと縮んだ。紙コップのほうは湯気が立ち、掌に温かさが残った。
◇ ◇ ◇
「社長。少し休憩していきませんか。急に環境が変わった所為で、私少し疲れました」と順子が言う。無理もない。平和にホーチミンで暮らしていたのに、尚人の無理な頼みでガラッと環境が変わったのだから。
尚人は頷き、「そうだな。後にベッドがあるし、そこでしばらく仮眠を取るか。小田原では一泊するから余裕もあるしな」と答え、窓ガラスに黒いカーテンを掛け、二人でベッドに寝転んだ。ワゴン車は改造したおかげでダブルベッドくらいの空間は楽々作ることが出来た。
尚人は自覚していなかったが、かなり疲れていた。ここ数日で様々なことがありすぎた。一番大きかったのは、送信機〈リモコン〉の作成だろう。起動キーも幸い、真理子のおかげで入手することが出来たが、それまでは20桁の数字などどうやって見つけたら良いのかと考えあぐねていた。いわゆる神経疲労というやつかな。肉体にいくら自信があっても神経ばかりはどうしようもない。
尚人は、知らないうちに寝入ってしまい、気が付いたときには順子を抱きしめており、ふたりとも全裸になっていた。順子も尚人の上で無我夢中になって腰を大きく振っており、尚人も汗だくになりながらも、一生懸命に彼女の動きに応えて大腰を合わせていた。
二人の熱狂はしばらく続いたが、収まる時が来た。尚人が辛うじて外に出し終わると、ふたりは黙々と後始末をして衣服を身にまとった。
このことについては沈黙を守り、口には出さないようにしようとお互いの心の中で決心した。しかし、パーキングを出て車を走らせていると、順子が我慢しきれず言葉に出した。
「社長。このことは二人だけの秘密にしましょう」
尚人は、順子に謝罪し、「順子さん。俺が悪かった。心の中でだけ思っておけば良かった」と言った。
「良いのよ。私も受け入れたんだから同罪だわ。でも尚人さんが私のことをそんなに好きだったとは知らなかったわ」と応じた。
更に順子は、「こうなったら、私は横須賀を出て品川の家族と一緒に暮らすわ。尚人さんもその方が良いでしょ」と言い、尚人の許しを求めた。
尚人も、「勿論だ。横須賀で一緒に暮らすとどうなってしまうかも分からない。品川の持ちビルにはまだ部屋が余っている」と答えた。
◇ ◇ ◇
尚人と順子は、多少の気恥ずかしさを抱えたまま、高速の流れに車を乗せ、小田原を目指した。車内はさっきまでの缶コーヒーの匂いが薄く残り、エアコンの乾いた風が指先の汗を奪っていった。順子は助手席で背筋を伸ばし、窓の外に視線を逃がした。尚人も前だけを見て、ハンドルを握る手の力を少しだけ強めた。会話は途切れがちで、代わりにタイヤの走行音が一定のリズムで続いた。
料金所が近づくと、車列がいったん詰まり、ブレーキの赤い灯が連なった。窓を少し開けると、排気ガスとアスファルトの熱の匂いが混じって入り、遠くでトラックが低く唸った。尚人は硬貨を指先で探り、金属の冷たさを確かめてから投入口へ落とした。カタン、と乾いた音がしてゲートが上がり、また風景が流れ出した。西日が傾き、標識の緑が鈍く光る。山の稜線は少し霞み、谷の影が濃くなっていった。
インターチェンジを降りると、速度が落ち、街の匂いが戻ってきた。信号待ちの車の間から、商店の油の匂いと、どこかの畑の湿った土の匂いが混じって鼻を掠める。小田原の東口に着いたのは午後4時半だった。駅前は人の動きが多く、バスの排気が白く漂い、制服姿の学生がまとまって歩いていた。アナウンスが風に乗って聞こえ、改札口のほうから人波が吐き出されるたび、足音が一段大きくなった。
順子が予約したホテルは東口の近くにあった。自動ドアが開くと、外の匂いが切れ、ロビーのカーペットの埃っぽさと、消毒液の匂いが鼻に残った。フロントのカウンターには鍵札が並び、ボールペンの先が伝票をこする音が静かに響いた。順子は手際よく名前を書き、尚人は隣で必要なところだけ答えた。鍵を受け取ると、金属の重さが掌に沈み、エレベーターの箱の中は少し蒸した空気だった。部屋に入ると、シーツの糊の匂いがして、窓の外から車の走る音が遅れて届いた。2人は荷を置き、とりあえず上着だけ整えて外へ出た。
東口周辺を歩くと、夕方の街は忙しない音で満ちていた。横断歩道の信号が切り替わるたび、靴底が白線を擦る音が重なり、遠くで踏切の警報機が細く鳴った。屋台の湯気が漂い、醤油の焦げる匂いが腹を刺激する。魚の練り物を売る店先では、甘い出汁の香りが立ち、紙袋を抱えた客が次々に出入りした。駐車場の係員が笛をひと息鳴らし、車がゆっくり角を曲がるたび、エンジン音が建物の壁で反射して戻ってきた。
順子は地図を取り出し、折り目を指で押さえながら周囲を確かめた。紙が湿気を吸って少し柔らかく、指先に繊維の感触が残った。尚人は駅前の流れを見て、東口の店並みと人の集まり方を頭に入れた。気恥ずかしさはまだ胸の奥に残っていたが、歩くうちに靴の感触と街の匂いがそれを薄めていった。2人は言葉を急がず、店の看板、路地の暗さ、駅前の明るさの差を確かめながら、東口の周辺を一つずつ見て回った。
◇ ◇ ◇
東口に出ると、バスの排気が白く漂い、制服の学生がまとまって歩いていた。改札の放送が風に乗り、足音が一段大きくなる。屋台から湯気が流れ、醤油の焦げる匂いが腹に来た。練り物屋の甘い出汁が鼻に残り、紙袋が擦れる音が途切れず続いた。
順子は地図を膝の高さで広げ、折り目を指で押さえた。紙が湿気を吸って少し柔らかく、繊維の感触が指先に残る。尚人は駅前の店並みと、人の集まり方を見てから、順子の手元へ視線を落とした。
尚人が言った。「順子さん、東口は今の見た目で判断すると誤ってしまう。だからこそ未来を知っている俺たちだけが拾える。俺たちは2026年から来ているから、先の流れを知っている。ここは昭和61年〈1986年〉3月に駅周辺の整備の基本計画が固まって、そこを土台に動く。さらに平成元年〈1989年〉3月には、東口のお城通り地区で再開発準備組合が立つ。話が形になると、権利が面倒な区画でも、まとめて買いたい側が必ず出る」
順子は地図から目を上げた。「すみません。私はそういう計画の順番が、よく分かっていません。駅前はいつも人が多い、くらいの認識です」
尚人は歩く速度を落とし、言葉を区切った。「順子さんは、それでいい。俺が順番を教える。まず、計画ができた段階では、現場はすぐ変わらない。看板や図面だけ先に出る。次に、準備組合が立つ段階で、関係者が動く。店子、地主、借地、相続。まとまらない所ほど、動かせる人間に価値が出る。俺たちは、その『まとまらない所』を先に押さえる。これが東口の狙いだ」
順子は小さく頷いた。「はい。つまり、見栄えの良さではなく、面倒の中身を買う、ということですね」
尚人は頷いた。「そう。今から、買う候補を7つに絞る。全部、現場の看板と表札の名前で呼べるようにする。後で登記の地番と権利者を当てるときも、その呼び名があれば迷わない」
◇ ◇ ◇
1つ目は、駅東口ロータリーの裏へ入った場所に立つ、古い3階建てだった。外壁はくすみ、窓枠のアルミが黒ずんでいる。入口の上に、色が抜けた看板が残っていた。建物名は「栄町スズランビル」。1階は文房具と雑貨の小店で、紙と洗剤の匂いがガラス戸の隙間から出ている。階段は角が丸く削れ、手すりに汗と錆の匂いが混じる。
尚人は立ち止まり、順子に言った。「ここは借地が絡んでいる可能性が高い。古いビルほど、土地と建物の名義がずれている。敬遠されるが、整理できれば話が早い。再開発の話が進んだとき、まとめ役が一番欲しがるのは、こういう『話が進む札』だ」
順子は入口の掲示板を見た。紙が何枚も貼られ、端が湿って波打っている。「空室あり」の札が、細い針金で止められていた。電話番号の紙は黄ばみ、下のほうが破れて、数字の一部が読めなかった。
隣の小さなタバコ屋から、年配の女主人が顔を出した。女主人は尚人たちの視線を見て、低い声で言った。「そこ、空いたままよ。大家さんが表に出なくなってね。家賃は甥っ子が取りに来るけど、建物の話は進まない。売るって噂だけはあるよ。看板も、誰も替えないから、ああしてボロボロ」
順子は掲示板をもう一度見た。紙の端が湿気で巻き、針金の跡だけが妙に新しく見えた。
順子は言った。「売る噂があるなら、こちらから確かめに行けますね。誰が話の窓口か、先に見つけられます」
尚人は頷いた。「明日は、ここを最初に片づける。役所で地番を割り出して、法務局で登記を取って、権利者を確認する。誰に話を通すのが早いかも、先に決める」
2つ目は、お城通りへ向かう入口の角にある、小さな角地だった。商店の光が強く、歩道を行く人の足音が乾いて響く。角に立つ建物の名は「城見会館」。だが尚人が見ているのは建物そのものではなく、その脇に細く残る2つの敷地だった。間口は狭いのに奥が深く、奥のほうに古い物置が見える。湿った木の匂いと、灯油の匂いが混じっていた。
尚人が言った。「こういう2筆に割れた土地は、片方だけだと使いにくい。だから安い。だから拾える。順子さんは、片方だけ先に買える筋も残しておく。相手が動くまで待てるようにだ」
順子はメモに書いた。「城見会館脇、2筆。片方先行可。相続止まり注意」
3つ目は、駅前東通りに面した木造の並びだった。通りには惣菜の匂いが流れ、揚げ油の熱が鼻に来る。店先のトレーが光り、呼び込みの声が短く飛ぶ。軒先に掲げられた木札に「東通り柳屋長屋」とあった。入口の敷居は黒く磨耗し、奥から畳の埃っぽい匂いが押し返してくる。
尚人は順子に説明した。「ここは、土地や建物の権利が何人かに分かれている可能性が高い。1人だけに話をしても、売買が決まらない形になりやすい。だから、この物件だけを買って終わりにしない方が良い。隣の持ち主にも順番に連絡して、最後はまとめて動かせるように段取りを作る」
順子は頷いた。「分かりました。最初から、隣に話を回してまとめるやり方と、全体をまとめて買うやり方の2通りで整理します。誰から声をかけると話が早いかも、順番にしてメモします」
4つ目は、お堀端へ向かう通りの途中にある雑居ビルだった。水の匂いが風に混じり、車の音が壁で跳ね返って丸くなる。ビルの名は「お堀端ミナトヤビル」。1階は食堂が入り、出汁と焼き魚の匂いが外へ漏れている。だが2階と3階の窓は暗く、ガラスに埃が薄く積もっていた。階段を上がると、湿った壁紙の糊の匂いと、古い蛍光灯の熱の匂いが混じる。
尚人は踊り場で立ち止まった。順子にも分かる言い方を選んだ。「ここは、上だけ買って終わりにする物件じゃない。上だけだと、あとで売るときに買い手が少なくて値が上がりにくい。だから狙いは1棟だ」
順子は1階のほうへ視線を落とした。食堂の戸が開くたび、湯気が漏れてくる。「1階の店は、どうするんですか」
尚人は首を振った。「手を出さない。追い出さない。店は今のまま営業してもらう。俺たちは建物を買って、契約は引き継ぐ。家賃の振り込み先だけが変わる形にする。揉めないまま1棟を持てれば、屋上も共用部も直せるし、最後に売るときも1棟で出せる」
順子は壁の染みを見た。指で触れない。触れなくても湿りが見える。「雨漏りですね」
尚人は頷いた。「そう。直す場所が見えるのは強い。明日はまず、登記で『持ち主が1人か』『権利が分かれているか』を確認する。持ち主が1人なら最初から1棟で交渉する。もし権利が分かれているなら、誰が話の窓口かを先に決めて、順番にまとめる」
5つ目は、通りから1本入った袋小路の砂利の駐車場だった。砂利を踏むと乾いた音がし、砂埃が靴に付く。木の看板に「城下第2パーキング」と書かれている。車は3台しか入らない。端に古いブロック塀があり、塀の向こうは空き地同然で草が伸びていた。
順子が言った。「小さすぎませんか」
尚人は答えた。「単体では弱い。だから安い。だが、後でまとめるときに効く。計画が形になって、周りが動き出すと、こういう小さな駒が『ここだけ残っている』になりやすい。そうなる前に買う」
6つ目は、駅から海側へ下る坂の途中にある古家だった。表札の横に、錆びた金属板で「潮見坂の家」と打ってある。外壁は粉を吹き、玄関の木が湿って黒い。中に覗くと、畳のカビ臭と、古い味噌の匂いが混じった。道は狭く、車が入りにくい。
尚人が順子へ言った。「ここは建物で稼ぐ発想を捨てる。更地にして小さな駐車場にする。観光地そのものを買わない。観光へ流れ込む車と人が通る帯の内側を買う。派手な旅館より、受け皿のほうが回しやすい」
順子は坂を見下ろし、足元の傾きを確かめた。「車の出入りは難しいですが、逆に借り手が限られて値切れますね」
7つ目は、踏切の近くの倉庫付き小ビルだった。警報機が細く鳴り、遮断機の音が乾いて響く。シャッターに白い文字で「富士見倉庫ビル」と書かれている。中は油と紙の匂いがこもり、床に細かな鉄粉が落ちていた。小さな事務室には古い机が残り、引き出しの金具が鈍く光る。
尚人は言った。「ここは借り手の契約が癖を持っている可能性がある。買う前に、今の借り手の素性と支払いを確認する。順子さん、聞き取りはできるか」
順子は即答した。「はい。相手の言い分と、こちらが譲れない線を、先に揃えます」
◇ ◇ ◇
7つを見終えるころ、空は少し暗くなり、練り物屋の湯気が風にちぎれて流れた。横断歩道の信号が切り替わるたび、靴底が白線を擦る音が重なり、駅前の明るさと路地の暗さの差がいっそうはっきりした。
尚人は順子へ念を押した。「順子さん、7つの候補の名前をそのまま台帳の見出しにしろ。栄町スズランビル、城見会館、東通り柳屋長屋、お堀端ミナトヤビル、城下第2パーキング、潮見坂の家、富士見倉庫ビル」
そのまま段取りを確認した。「明日は法務局と役所を回って、7つの候補を全部、地番と権利者まで突き止める。役所で住所と地番を照合して、法務局で登記を取って権利関係を確定させる。回る順番と確認の手順は俺が決めて教える。順子さんは現場で見た看板、表札、入口、掲示板の癖を同じ基準で揃えて記録してくれ。違和感だけ拾えばいい。そこだけ頼む」
順子は地図を畳み、折り目を指でなぞってから鞄に入れた。「分かりました。私は現場の違和感を拾ってメモします。社長は、先の筋と手順を教えてください」
尚人は頷き、駅のほうへ一度だけ目を向けた。人波が吐き出され、足音がまた大きくなる。その音の中で、尚人は次の手を静かに決めていた。
この回では、品川を出た2人が、小田原東口を机の上の地図ではなく、自分の足と目で確かめるところまで進んだ。道中の沈黙、駅前の湯気、古い建物の匂い、掲示板の紙の傷み、女主人のひと言。そうした細部が、尚人の知っている未来の情報と重なって、買うべき7つの候補に具体的な輪郭を与えていく。次は、看板の名で呼んだその候補を、地番と権利者の名へ変えていく段になる。




