第一章 推参
夜のない現代にも、人の目に触れぬ闇はある。
ふとした拍子に迷い込む“裂け目”。
そこでは、人の理など通じず、古くから生きる物の怪たちが息を潜めている。
これは、外法師の血を引く青年・蛭間柘榴と、彼に憑く菅原道真が、現代に潜む怪異と向き合う物語である。
「ねえ、知ってる?4組のあの子、学校来なくなったんだって!」
騒がしい雑多の中で聞こえる会話。
神隠し?確かに有り得るかもしれない。
時代はちがえど、私が生きていた時代と変わりは無い。
ただ今は夜がない、正確に言えば夜も眠らない現代だが。
「さっきから、何をぶつぶつ言ってるんだ?」
男が話しかけてくる。
この男、顔はまあまあだが、如何せん冴えない。
そこら辺にいる一般大衆に混ざれば馴染むような男だ。
「ただの独り言だ」
そうかよ、そう男は返す。
「しかし柘榴、どこに行くのだ?用事などないだろう」
私の疑問に男、柘榴は鼻で笑い、返事を返す。
「用事はある、いや、見つけた」
言葉が少ない、というより、説明が面倒なのだ、この男は。
男の歩む速度は変わらない。
しかし同時に流れる景色は早くなる。
なるほど、やはり、か。
男は視線を巡らした。
さっきまでそこに存在していた人々がすっかりいなくなっている。
「入ったな」
私の言葉に、ああ、と返す。
「裂け目、よく見つける」
私が感心していると、面倒な顔で答える。
「見つけたくはないな」
それはそうだろう、この『裂け目』は入ってしまったら容易には出られない。
まず時間の感覚が狂う。
それが時計、あるいは別のものでも正確に示すことはない。
そして景色は、今まで歩いていた場所と変わらない。だが、実際には人はいない。普通であれば気づくものなのだが、今の人々は下を向いて何かを見ている。
気付いた頃には、既に遅いのだ。
さきほどの神隠し、あれはこの裂け目に入ることを言う。
現代には全く認識はされていないが。
「これは…また美味そうな人間がやってきたねぇ」
どこからか女性のような声がした。
何か楽しむような、それでいて不快な声だ。
よく見ると周りは蜘蛛の糸が張り巡らされている。
塊が幾つか見える。形を見ただけでわかる、人だ。
「随分と趣味が悪い場所だな、この裂け目は」
柘榴は淡々と、かつ口悪く罵った。
「そうかい?あたしは快適さね」
そう言うと、その姿を見せる。
綺麗な顔だが、それは一瞬にして不気味に感じることとなった。
暗がりから出てきたのは巨大な蜘蛛の体。
まあ、予想の範疇か。
「顔だけはイケるが、体が趣味じゃないな」
くだらないことを言ってる場合ではないだろう。
「ふん、あんた、女に惚れられたことないんじゃないかい?」
ほら、言われた。
相手は一応女だぞ、そういうところが女にモテぬ原因だというのに。
「全部聞こえてるぞ、悪口は心の中で言ってろよ」
そうか、声に出してたか。
まだまだ修行が足らないな、私も。
「おい、聞くまでもないが、そこに巻かれてるのはなんだ?」
柘榴の聞き方は慇懃無礼だが、それも仕方あるまい。
相手は人、ではなく、物の怪なのだから。
「そうさね、人であるのと同時に食事さね」
綺麗な顔がニヤリと歪む。
普通の人間であれば、恐怖で動けなくなるような表情だ。
その結果が、あの糸に巻かれた人、か。
「女のくせに随分大食らいなんだな」
私は呆れて、
「大食らいに男も女も関係あるまいよ」
そう言った。
「どうでもいいことだけどな」
「なら何故それを話したんだ、お前は」
なんとも緊張感のない会話だ。
それもそのはず、緊張などしていないのだ。
しかし、私たちの態度が気に入らないのが蜘蛛女だ。
見る見る表情が変わっていく。
それは般若を思わせるようなものだ。
「小僧、他に誰かいるのかえ?」
おっと、そうだった、私は姿を見せていないのだった。
「声は聞こえるみたいだな、さすが年の功」
柘榴の態度は変わらない。
「姿をお見せよ」
仕方ない、確かに隠れる必要はないのだから。
すうっと姿を見せた。
蜘蛛女の表情が驚愕へと変わる。
「ま、まさか菅原道真!?」
そう、それが私の名だ。
「有名なんだな」
柘榴は疑問しかない言いようで聞いてくる。
学がないにせよ、私の名ぐらい知っててもおかしくないはずなのだが。
「昔、少しばかり名を馳せてな」
ふーんと興味がないような生返事だ。
「名を馳せた?よく言うよ、怨念のかたまりが」
これまた失礼な言われようだが、これはよく言われるので流すとしよう。
しかし、何故私が怨念のかたまりなのか理解ができない。
誰がそう伝えたのか?いや、まさか…
「どうでもいいだろ、それよりぶつぶつ言う癖をまず直したらどうだ?」
む、また心の声が出たか。
「済まんな、1人の時間が長かったものでな」
と、肩をすくめながら視線を蜘蛛女に移した。
「そうだ、あんたの傍にいた飛梅はどうしたんだい?」
「呼べばいつでも来てくれるが、今は必要ないことなのでな」
飛梅、私が太宰府に送られた際、梅の句を詠んだ時に飛んできてくれた梅の精だ。
東風吹かば匂いおこせよ梅の花、あるじなしとて春な忘れそ
しかし現代から遠く離れた時代の話が伝わることがあろうとは考えていなかった。
「さて、そろそろ話は終わりにするか」
柘榴は1枚木札を取り出した。
口に近づけ呪を唱える。
すると木札は形を刀へと姿を変える。
刀身は鈍く光る紅、まるで血で染めたような色をしている。
「なんだい?あたしを切るとでも言うのかい?」
蜘蛛女は嘲るように言う。
「真っ二つにな」
柘榴は短く、かつ鮮明に死の宣告をした。
「人がわたしを切るだって?やってみてもらいたいねぇ」
刹那、私の隣にいた柘榴が動く。
日頃の緩慢な動きからは思いもよらない速度だ。
既に蜘蛛女の背後に立っている。
驚愕の顔が突然苦痛へと移り変わる。
蜘蛛女の足元には、切り落とされた前足が落ちている。
あの一瞬ですでに斬っていたか。
「こ、このガキがぁっ!」
蜘蛛女は絶叫する。
口元が裂け、ずらりと並んだ鋭い牙が見え始める。
顔ですら人ではなくなった。
蜘蛛の尻から糸を出す。
柘榴は横に避け、蜘蛛女に肉薄する。
しかし残った前足が鋭い爪とともに、柘榴に迫った。
刀で弾く、耳を劈くような激しい音がなり響く。
ただ衝撃までは逃せなかったのか、柘榴は壁に激しくぶつかった。
「大丈夫か?」
私の問いに、
「なんともない」
短く答える。
蜘蛛女が柘榴に向かって液体を吐き出した。
横に避け、距離をとる。
液体がかかった壁はみるみる熔けていく。
酸性の液体だ。
骨なども溶かしてしまうのだろう。
「汚いな、唾は吐かずに飲み込めよ」
柘榴の悪態は止まらない。
唾ではないのだろうが、そこは黙っていよう。
「一つ聞きたいのだが、そこらにある塊はまだ生きてるのか?」
「呼吸はできるようにしているさ。生きてなきゃ美味くないんだよ」
要するに生きたまま食べるのだろう。
残酷なものだ。
「おい、人間を何人食った?」
柘榴が聞く。
「覚えてないさ、昔のことなんざ」
確かに私を覚えていて、かつ現代まで生きているということは犠牲になった人間は何人、いや、何百人といるはずだ。
「ただ、子供は美味いねぇ、やっぱり。柔らかい肉だったよ」
蜘蛛女は笑いながらそう言った。
子を食べたのか…
私は表情を歪める。
いつの時代も子が犠牲になるのは心が痛い。
柘榴に目を移す。
表情が見えない。
ただ今まで抑えていたものが噴き出している。
殺気だ。
怒りが混ざっている。
子といってもいつの時代の誰の子などわからない。
しかし、柘榴はそのようなことは関係ない。
子を殺す、それを許す男ではないのだ。
ゆっくり刀を上段に構える。
蜘蛛女は殺気を感じたのか、柘榴へ体を向けた。
その瞬間、柘榴は姿を消した。
いや、見えない速度で移動しているのだ。
蜘蛛女の眼前に柘榴は迫った。
同時に刀を振り下ろす。
刀身は先ほどの長さより、二回り長くなっている。
形を変えるのだ、あの刀は。
一瞬にして蜘蛛女は真っ二つに割れた。
顔はまだ笑っている。
おそらく斬られたのもわからないはずだ。
斬られた体からまだ溶けていない骨が出ている。
見たところ子供のような骨はない。
それがよかったのかどうか、わかりはしない。
「終わったな」
私は柘榴に声をかけた。
表情は変わらない。
ただあの怒りに満ちた殺気はおさまっている。
何故そこまで子供に対して情があるかはわからない。
ただ、だからこそ私はこの男を選んだのだ。
蜘蛛女を倒したあと、私たちは糸に巻かれた人らしきものを開いていた。
ほとんど息はなく、死にかけている。
おおよそ10体近くあった。
「この者たちはどうするのだ?」
柘榴の答えは簡単だ。
「置いていく。いくらここの主がいなくなったといっても裂け目がなくなるわけじゃないからな」
人々は残酷だと思うだろうか?
いや、仮に助けたとしても、現世に戻ったら柘榴が疑われる。
それに戻ったところで正気は保てはしないだろう。
情だけでは助けられることはできない。
「そうか、では私たちはここから出るとするか」
…何か柘榴の様子がおかしい。
探るような目付きで周囲を見渡している。
「どうかしたか?」
「ちょっと黙ってろ」
黙れと…気にかけてやっているのにその言い草か。
全く可愛げがないものだ。
「だからぶつぶつ言うな」
愚痴というのはどうしても口から出てしまうものなのだな。
やはり人は常に学ぶものだ。
「おい、そこに隠れてるんだろ?出てこいよ」
とある暗闇が広がる小道に柘榴は声を投げかけた。
しばらく反応がなかったが、少しずつ姿が見え始める。
女子だ。
現代でいえば女子学生というものか。
柘榴と年は大して変わらぬだろう。
「なんでこんな所にいるんだ?」
それがわかればここにいるわけなかろうよ。
もう少し声の掛け方があるだろうに。
「あ、あの蜘蛛が他の人を襲ってる間に隠れて…」
顔が整っている女子だ。
しかし血の気がなく、震えている。
むしろ正気を保っているほうが珍しい。
「その制服、御笠高校だな」
「…は、はい」
「とりあえず俺についてこい、ここから出してやる」
柘榴はぶっきらぼうに言い、歩いていく。
女子はそのあとに続いて歩き出す。
しばらく歩くと路地裏に入る。
人目につかない、いや、裂け目には人はいないのだが、現世に戻るとき同じ場所に出ることになるので、人がいない場所が最適なのだ。
「おっさん、ここでやってくれ」
「今に始まったことではないが、人に頼む物言いではないな」
「へえ、人なのか?」
ふむ、憎たらしい。
確かに人間ではないが、元人間ではあるからな。
「あの、誰と喋っているんですか?」
「気にするな、ただの独り言だ」
女子の疑問にさらっと柘榴は答える。
訝しげな表情を見せているが、今はそれ以上のことは聞かないようだ。
とにかく出ねばなるまい。
私は壁に手を当てる。
すうとあちら側の景色が浮かび上がる。
「柘榴、通れるぞ」
私の言葉と同時に歩き出した。
女子も続いて行く。
「これで元の世界だ、あっちのことは忘れろ」
忘れることなぞ、無理に決まっているだろうが。
「あ、ありがとうございます」
流石に戸惑っていたが、女子は柘榴に礼を言う。
裂け目から出られるだけでも御の字なのだ。
運が良いとしか言いようがない。
「まあ、気をつけて帰れよ」
柘榴にしては優しい物言いだ。
私に対してはぶっきらぼうなのにな。
「な、名前と連絡先を聞かせてもらえませんか?今度お礼を…」
「いや、礼はいらない。ついでだったからな」
「いえ、お礼をさせてください!」
この女子、よくよく考えればあの状況下で逃げおおせ、しかも柘榴を怖がりもしない。
度胸というのか、いつの時代も強い女子がいるものだ。
「わかった、わかった。名前は柘榴。蛭間柘榴だ」
このままでは埒が明かないと見たのだろう。
名前、そして連絡先を教えている。
「私の名前は、楓、夕凪楓です!」
楓は名前を告げ、また夜の街に戻って行った。
「ついにお前に春が訪れるかな?」
「今は夏だ、春は終わったばかりだろ」
そういう意味じゃないだろうに…
頭が悪いのか、ただ単に照れてるのか。
いや、頭が悪いのだろうな。
「おい、また独り言が聞こえてるぞ」
「ほう、これは聞こえてもいいことだからな」
チッと舌打ちをして柘榴もまた夜の街へ戻って行った。
初投稿です。
まだまだ読みづらいですが、読んでやってください。




