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値札なき商会  作者: 熾火
不死鳥の産声

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6/22

第5話:摩擦の対価と、最初の一手

帝都の冬の夕暮れは早い。

 橙色の太陽が尖った屋根の向こう側に沈むと、街には湿り気を帯びた冷気が立ち込める。俺はヴァーンの工房を出て、人々の活気に溢れる中層区の「屋台通り」へと足を運んでいた。


(……見えてきたな)


鼻を突く油の匂い、スパイスの香り、そして喧騒。

 ここには帝都の「胃袋」がある。日銭を稼ぐ労働者から、小綺麗な身なりの市民までが、安くて温かい食事を求めて集まる場所だ。


俺の目的は、市場調査だ。

 前世の俺なら、デスクに座ってクリック一つで膨大な統計データを呼び出していただろう。だが、この世界にデータはない。自分の足と目で、「不満」という名の金脈を探すしかない。


俺は一軒の串焼き屋台の前に立ち、店主の動きをじっと観察した。

 恰幅の良い男が、客の注文を受けてから火床を弄っている。


「チッ、また消えかかってやがる。湿気てんのか……?」


男は悪態をつきながら、火打ち石のような魔道具を何度もカチカチと打ち鳴らした。数秒、十数秒。火花は散るが、なかなか炭に火が移らない。

 その間、客は寒そうに肩をすくめ、イライラと足音を鳴らしている。


(摩擦だ……)


俺は心の中で呟いた。

 ビジネスにおける「摩擦」とは、目的を達成するまでに生じるあらゆるストレスのことだ。火をつけるのに十秒かかる。その十秒が客を不機嫌にし、店主の回転率を下げ、機会損失を生んでいる。


俺は通りの角にある、タバコに似た嗜好品「煙草草(けむりぐさ)」を売る露店へ視線を移した。

 そこでも同じ光景が繰り返されている。客が火を求めて店主に声をかけるが、店主は面倒そうに火種の入った箱を差し出す。風が吹けば消え、そのたびに火を熾し直す。


「……決定(フィックス)だ」


ターゲットは「煙草草」の愛好者、そして回転率を重視する小規模な屋台主。

 彼らにとって、火は単なる道具じゃない。作業を中断させる「呪い」だ。


俺は路地の影に戻り、懐に手を突っ込んだ。そこにはヴァーンが徹夜で仕上げた、まだ一つしかない「フェネクス」の完成品がある。

 装飾を削ぎ落とした黒い直方体。指先でスリットを跳ね上げれば、内蔵された魔導回路が最短距離で魔力を熱に変換し、青白い火柱を形成する。


これをどう売るか。

 いきなり「高価な道具です」と言って売り込んでも、慎重な商人は財布の紐を緩めない。

 彼らが求めているのは道具ではなく、「快適な日常」だ。


俺はわざとらしく、煙草草を燻らせている一人の男に近づいた。

 男は風に吹かれ、何度も火種を消しては舌打ちをしている。


「……あんた、いい『煙』を持ってるな」


俺は努めて穏やかに、しかし知的な響きを持つ声で話しかけた。15歳の子供が発するには不釣り合いなほど落ち着いたトーン。男が驚いて俺を見る。


「あ? なんだ、小僧」

「その煙草草、香りがいい。……でも、火が死んでいる。せっかくの贅沢が、台無しじゃないか?」

「余計なお世話だ。風が強いんだから仕方ねえだろうが」


俺は無言で、懐から「それ」を取り出した。

 夕闇の中で、漆黒の筐体が鈍く光る。


――カチリ。


乾いた音が響いた瞬間、風を切り裂くようにして、鋭い火種が立ち上がった。

 男の目が、吸い寄せられるようにその火に固定される。


「貸しなよ。その最高の煙、俺が目覚めさせてやる」


男は呆気に取られたまま、口に咥えた煙草草を差し出した。

 俺がフェネクスを近づけると、一瞬で火が移り、豊かな紫煙が立ち上る。


「な……なんだ、こりゃ。今の魔道具か? 魔法使いが使うような高いやつじゃ……」

「魔法? そんな仰々しいものじゃない。これはただの『スマートな解決策』だ」


俺は蓋を閉じ、男の目の前でフェネクスを指の上で転がしてみせた。

 

「……興味があるなら、明日、三ブロック先の工房に来るといい。ヴァーン・バウアーの店だ。そこで、あんたの人生から『火の悩み』が消える瞬間を見せてやる」


俺は名前だけを残し、男の返事を待たずに人混みへと消えた。

 これがマーケティングの第一歩。「認知」と「関心」。

 商品を説明して売るのではない。喉から手が出るほどの「飢え」を自覚させ、向こうから歩かせるのだ。


背中で、男が「ヴァーン・バウアー……?」と呟くのが聞こえた。

 泥を啜った夜から二日。

 不死鳥の小さな火種が、帝都の夜に初めて放たれた。

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