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値札なき商会  作者: 熾火
不死鳥の産声

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第9話:市場の熱狂と、冷徹な分析

銀鱗商業ギルドへ百個の『フェネクス』を卸してから、わずか半日。

 帝都の中央通りにあるギルド直営の売店では、前代未聞の事態が起きていた。


「……レン、見てみろ。あの人だかりを」


俺とヴァーンは、工房から少し離れた通りの角から、ギルドの売店を遠巻きに観察していた。

 そこには、昨日の労働者たちとは明らかに身なりが異なる、小綺麗な外套を羽織った市民や商人が、我先にと店へ詰めかけている。


「完売だ……。一つ、5銀ソルドなんて値段がついていたのに、たった数時間で棚が空になった」


ヴァーンの声が、興奮と困惑で震えている。

 俺がギルドに卸した価格は1個あたり2銀。ギルドはそこに、倍以上のマージンを乗せて販売した。それにもかかわらず、市場はそれを「安い」と判断したのだ。


「当然の結果だ、爺さん。あの5銀ソルドは、道具への対価じゃない。彼らが今まで『火を熾す手間』に支払っていた目に見えないコストの、ほんの一部を回収したに過ぎない」


マーケティングにおいて、価格とはコストの積み上げで決まるものではない。「客がその価値をどう認識するか」――それだけで決まる。


「5銀ソルドを払えば、今後一生、湿った火打ち石を叩く屈辱から解放される。その『未来の快適さ』を買えると考えれば、5銀なんてのは端金だ」


俺は冷静に分析を続ける。

 だが、この熱狂には必ず「副作用」が伴う。


「……おい、レン。あっちを見てみろ」


ヴァーンが指差した先。ギルドの売店の少し手前で、数人の怪しげな露天商が、何やら人々に声をかけていた。


「火打ち石はいらんかね! フェネクスと同じくらいよく付いて、たったの50銅ソルドだ!」


彼らの手には、フェネクスに似せた、黒く塗られた武骨な箱が握られていた。

 

(……模倣品か。思ったより早いな)


ビジネスにおいて、成功は常に影を引き連れてくる。

 この世界に特許法などという便利な盾はない。機能が優れていればいるほど、資本力のある既存の工房が模倣品を作り、安価で市場を塗り潰そうとするのは、歴史が証明している。


「……あいつら、俺たちの真似を! 許せねえ、あんな粗悪な回路をフェネクスと同じだなんて……」


「放っておけ。怒るだけ時間の無駄だ」


俺はヴァーンの肩を叩き、再び歩き出した。


「いいか、爺さん。模倣品が出るのは、俺たちが『市場』を作ったという確固たる証拠だ。そして、模倣品が出ることで、逆に『本物』の価値は高まっていく」


「どういう意味だ?」


「安かろう悪かろうの偽物が市場に溢れれば、やがて人々は気づくはずだ。『やっぱり、あの翼の刻印があるものじゃないとダメだ』と。……俺たちは、価格競争には参加しない」


俺は工房へと戻る道すがら、次の戦略を頭の中で組み立てる。

 フェネクスという「火種」は、十分に街へバラ撒かれた。

 人々の心に「不死鳥のブランド」が刻まれた今こそ、本命を市場に投入する時だ。


「爺さん、あの『黒いヒーター』の最終調整に入るぞ。……ただし、デザインを少し変える」


「デザイン? 機能はもう完璧だと言っただろう」


「機能を売る段階は、フェネクスで終わった。……今度のターゲットは、金が余っていて、同時に『退屈』に飢えている連中だ」


俺は作業台の上で、一枚の図面を広げた。

 これまでのヒーターのような武骨な鉄の箱ではない。

 

 装飾を極限まで削ぎ落とし、あえて漆黒の石材を磨き上げたような、静謐な佇まい。

 無駄な文字も、過剰な装飾もない。

 ただ、その正面に一つだけ、鈍く輝く銀で『不死鳥の翼』が刻まれている。


「これを『静寂の炉(サイレント・ハース)』と名付ける。……値段は、最低でも20金ソルドだ」


「2、20金……!? さすがに正気か!?」


「正気だ。……20金のヒーターを買う人間は、暖かさを求めているんじゃない。その『美しい沈黙』を所有しているという特権階級の証を求めているんだ」


火種を売って、火を熾す習慣を変えた。

 次は、冬の夜の「過ごし方」そのものを贅沢な体験へと変える。


不死鳥の羽ばたきは、スラムの泥水から、帝都の最上階へとその狙いを定めていた。

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