また見てないのか? ~始業前のメール
私の上司は、時々、始業前にメールを送ってくる。
最近では、勤務時間外の連絡について問題視される事も増えたと思う。
仕事とプライベートを分ける。それ自体は、当然の話だ。某投資会社のように、年収で高級車や高級腕時計が買えたりするような給与が貰えるなら、話は別だが。
始業時間になったら仕事を始める。
それまでは、自分の時間。
ただ、それだけの事だと思う。
ところが、私の会社では、まだその境界がずいぶん曖昧らしい。
昭和の24時間働けますか♪ 状態。・・・いや、あれも毎年確実に給与が上がり、普通に働けば、30歳過ぎくらいには郊外に中古の一戸建てが買えるような給与が貰えていたから、やっていた事だと思う。
そこから情報が更新されていない。
先日も、私が会社に到着した瞬間だった。
「おはようございます」
そう挨拶すると、上司がこちらを見る。
そして第一声。
「メール見たか?」
・・・は?
「今朝送ったやつ」
「まだ見てませんけど」
すると上司は、少し呆れたような顔をした。
「また見てないのか?」
この時点で、私はかなり納得がいかなかった。
いや、またって何だ。始業前なのだから、見ていなくて当然ではないのか。そう思ったが、口には出さなかった。
「出勤前に○○へ寄って欲しかったんだが」
私はスマートフォンを取り出し、メールを確認した。
受信時刻は〇時〇分。
その時間、私は出勤するための車の中だ。運転手付きの車ではないので、当然・・・運転中。
上司は私がどこに住んでいるか知っている。車でどのくらいかかるのかも知っているはずだ。
つまり、そのメールが届いた時に私が何をしているのかくらい、想像できるはずだ。
それでも、「また見てないのか?」なのである。
まさか、通勤途中の車内でメールを確認しろという話ではないだろう。
だったら、それは仕事の話以前に、安全の話である。
私はスマートフォンをしまった。
「じゃあ、今から行ってきます」
すると上司は言った。
「今から?」
「はい」
「今から××さんが来るんだけど、その対応はどうするんだ?」
・・・。それを先に言ってくれ。
というか、それを考えてから連絡してくれ。
「では、××さんの対応が終わり次第、○○さんのところへ行ってきます。お昼前には行けると思います」
「それだと遅くならないか?」
「なるべく早く行きます」
「うーん・・・」
上司は少し考えた後、「仕方ないな」と言った。
そして、そのまま離れていった。
私は、その背中を見ながら思った。
・・・仕方ないなと言いたいのは、こっちだ。
そもそも始業前にメールを送っておいて、それを私が確認していない事を問題にする。
そのうえ、私が今から対応しようとすると、別の予定を持ち出す。
そして最後に、「仕方ないな」。
一体、私は何を間違えたのだろう。
メールを無視したわけではない。始業前、それも運転中のため、見ていなかっただけだ。そして、見た後はちゃんと対応すると言っている。
むしろ私は、かなり素直に予定を組み直している。それなのに、何故かこちらが仕方なく対応してもらっている側のような扱いになる。
このあたりが、私はどうにも気に入らない。
勿論、急ぎの仕事なら分かる。
本当に朝一番で必要な用件なら、始業前に連絡する事自体もあるだろう。
問題はそこではない。
始業前に送った事を理由に、始業後すぐに確認していなかった人間を責める感覚である。
そして、その感覚から始まった仕事の段取りを、何故こちらが尻拭いする?
これは、ずいぶん都合のいい仕組みだ。
自分のタイミングでメールを送る。
相手が見ていなければ、また見てないのかと言う。対応しようとすれば、今度は別の予定をぶつける。
そして、予定がずれれば、「仕方ないな」である。
いや。仕方なくなった原因は、どこにあるのだろう。
少なくとも、私ではない。
私は会社に来て、挨拶をして、メールを確認して、指示された仕事をやろうとしている。
それだけだ。
なのに、いつの間にか私が対応の遅い人になっている。
こういうところが、実に巧妙だと思う。
明確に命令されるわけではない。
「始業前にメールを確認しろ」とは言われない。言えば、仕事になるからだ。時間外労働。給与を払う必要が出てくる。
ただ、「また見てないのか?」と言われる。
たったそれだけ。
でも、それだけで、「次からは始業前に確認した方がいいのかな」という空気が生まれる。そうやって、ルールには書かれていない仕事が、少しずつ社員の生活に入り込んでくる。
誰も命令していない。
だから問題にもならない。
でも、やらなければ「また見てないのか」と言われる。
ずいぶんよくできている。
命令書もない。
勤務時間にも含まれない。
なのに、やらなかった人間には、ちゃんと嫌な顔をする。
そして、その結果生じた不都合については、「仕方ないな」で終わる。
私は、この言葉が一番嫌だ。
「仕方ない」のではない。
あなたが勝手に早く始めた仕事を、私が始業後の時間で処理しているだけだ。
それを、まるでこちらの不手際のように言わないでほしい。
多分、こういう事は大した問題ではないと思う人もいるだろう。
メール一本。
数時間の予定変更。
上司の一言。
そんなもの、いちいち気にするな、と。
確かに、一件だけならそうかもしれない。
でも、こういう「大したことのないもの」が積み重なって、職場の当たり前になる。
「メールくらい見ておけばいい」
「少しくらい早く対応してもいい」
「仕事なんだから、それくらい」
そうやって、最初はお願いだったものが、いつの間にか当然になる、始業前の仕事が。いや仕事ではない。給与はもらえないので、ボランティアだ。
そして、当然になった頃には誰も疑問を持たない。
だから私は、始業前のメールを見るたびに思う。
仕事なのに、ボランティアをさせられている、と。
そして、そのメールを見ていない事を責められたら、多分こう思う。
仕方ないな。
こちらがそう言ってしまえば、きっと丸く収まる。
「仕方ないので、今からやります」と。
便利な言葉だ。
誰かの都合で境界線を動かされても、誰かの段取り不足を押しつけられても、最後に「仕方ない」と言ってしまえば、それで済む。
ただし。
その「仕方ない」を言う側が、いつも同じ人間である必要はないと思う。
少なくとも私は、他人が勝手に始めた仕事の時間まで、自分の時間をタダで差し出すほど親切ではない。
そして、もしそれを「仕方ない」と言われるのであれば、こちらも、いつか同じ言葉を返すだけだ。
・・・ああ。それは、そちらの都合ですから。仕方ないですね、と。
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