まだ入るんで ~ごみ捨ての流儀
掃除の流儀は、人それぞれだと思う。
几帳面に角を揃える人もいれば、とりあえず見えなければいいとする人もいる。どちらが正しいかなんて、正直どうでもいい。私もそこまできっちりしているわけではない。
問題は、それが職場で発揮される時だ。
私の働くフロアには、幾つかのごみ箱がある。
大企業ではないから、清掃は外注ではなく、日常業務の延長線上にある。ごみ箱がいっぱいになれば各自でフロアの大型ごみ箱へ。そこもいっぱいになれば、当番が一階の集積場まで運ぶ。単純で、合理的で、誰でも理解できる仕組みだ。
理解できるはず、なのだが。
ある日から、妙な光景が目につくようになった。
大型ごみ箱から、いっぱいになった四十五リットルの袋が取り出されている。そこまではいい。問題はその先だ。袋は縛られず、ぽつんとごみ箱の横に立っている。中途半端に口を開けたまま、まるで、まだ終わっていませんと言いたげに。
終わっていないのは、どちらだろうか。
気になって、当人に声をかけてみた。
「これ、どういう状態なんですか」
「まだ入るんで」
一拍、間が空く。
「・・・じゃあ、なんで出したんですか」
こちらを見た顔は、僅かに不思議そうだった。
そのまま、答えは曖昧に濁された。
なるほど、まだ入るらしい。
四十五リットルの袋は、限界までその可能性を信じられているらしい。
だったら、なぜ出した。
まだ入ると思うなら、そのままごみ箱に入れておけばいい。
容器とは、本来そういうためにある。袋を保護し、形を保ち、そしてここに捨てていいという合図を明確にするために。
それをわざわざ取り出し、床に近い位置に自立させる。
誰かがうっかり蹴れば倒れる高さで、口を開けたまま置かれている。衛生面の配慮も、視覚的な整頓も、そこにはない。あるのは、まだ入るという言い訳と、ここまでやったという区切りだけだ。
随分と都合のいい中断だと思う。
その中断は誰のためのものなのか。
少なくとも、次にその光景を見る人間のためではない。
袋を縛るかどうか判断させられ、運ぶのかどうか迷わされ、結局どこかで尻拭いをする羽目になる誰かがいる。
ゴミ箱から取り出した事はただ、ここまでやったと自分に言い聞かせるための行動に思える。
完了していない作業に、勝手に区切りを与えるための、個人的な都合。
仕事というのは、往々にしてこういう小さな綻びでできている。
誰かが少しだけ手を止め、別の誰かがその続きを引き受ける。その繰り返しは、やがて名前のつかない負担として積もっていく。
ごみ袋の口を縛るかどうか。
たったそれだけの事なのに、不思議なほど、その人の輪郭がにじむ。
今日もまた、口を開けたままの袋が、そこに立っている。
まだ入るのだと言わんばかりに。そして何も決められないまま、次の誰かの手を待っている。
先に限界を迎えるのは・・・その袋か、それとも。
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