命日、人は居るか ※今回より前書き内容を必ずご確認ください
ここまで読んでくださりありがとうございます。
EP.10より【死】【葬儀までの流れ】【縁者問題】について触れていきます。
今話前半は【如月の死生観】、後半は【逝去当日から手続き】になります
重苦しくならないよう配慮しますが、取り上げる内容的にどうしても避けられない表現などを用いる場合があります。
また、当時投げられた言葉もそのまま書くため、別の意味で嫌悪感を覚える可能性も考えられます。
生理的嫌悪感・恐怖心を感じた場合は、閲覧中止または休憩を取るなどをお願いします。
読者様の精神面を第一にお考え頂けますと幸いです。
祖父逝去の一報を聞いてから寝付けなくなってしまった私は、これまで葬り出してきた人たちについて考えていた。
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祖母は優しい人だった。
病気の種類や詳細は伏せるが、国指定の血液系難病を患い、それは祖母を変貌させる程の激痛を与えていたらしい。
苦しみ続けた祖母は、父と曾祖父そして祖父が見守る中、60歳を迎えるより早くに命を綴じた。
ただ、自宅に知る人知らない人が入れ替わり立ち替わりしていた記憶はあるので、今思えば多くの人に好かれていたのだろう。
曾祖父は強くて厳しくて、でも可愛がってくれた。
自身の死期を知っていたのか、小学校の卒業式を過ぎて間もないある日に「俺は5月ぐらいまでしか保たねえ」と言い、告げた月の初旬に旅立った。
実娘に先立たれた時は、如月を自室に連れて面倒を見ていてくれたそう。
「親不孝な子供の葬儀には出ない。巽は俺が見てるからお前らでやれ」と言っていたそうだが、おそらくは私に最期の顔を見せたくなかったのかも知れない。
「金がないから墓は作らない」といった祖父に首を振り、「あんなのでも婿だから」と祖父の名義で墓を建ててくれた。
最期の日、曾祖父にとっての孫 ─ 父と妹達、祖父、そして如月の母が立ち会った。
おそらく彼の場合は「天寿の全うした」と言っても過言ではない。
80歳を過ぎても東京方面へ仕事に行っていた曾祖父の葬儀には、やっぱり沢山の人が訪れていた。
歯に衣を着せず、芯一本貫いて生きてきた彼が多くの人に好かれていたことを感じた。
身内だけではなく、自分がお世話になった人を見送った時も、その殆どは遺族が看取ったと聞いている。
そして、晩年まで我を通していた祖父。
命を綴じる瞬間、彼の傍に居たのは当直医と看護士だけで、実子も血縁者も誰一人として居なかった。
帰宅した父から聞いた話では、日付が変わって程なくに容体が急変し、当直医が処置を行なうも悪化の一途。
医師の指示で連絡をすぐに入れたが、その時点で既に心肺停止状態だった、とのことだった。
臨終を迎えてから約30分後、実子三人は無口となった父親と対面。親の逝去という事実に妹達は涙を流したが、息子である父は何も思うことはなかったらしい。
怒りも呆れもなく、かと言って落胆もない。つまり、無関心。それが自分の父親への答えだったようだ。
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某感染症が猛威を奮って以降、病院は院内感染対策の一環として、付添人が病室に泊まることを断っている事が多く、祖父の最期でお世話になった所も例に漏れずその対策をとっている。
後付けの言い訳と思われても仕方ないが、血縁者がその場に誰もいなかったのは、そもそも病室に付添が入ることが出来なかった、という理由がある。
平成と令和での違いはある、と言ってもいいのだが、今まで見届けた人の旅立ちとは違いが大きい祖父の旅立ちに、正直少しだけ驚いた部分はあった。
人に囲まれて看取られるのも、誰知らぬ間に命を綴じるのも、今の自分次第、ということかもしれない。
病や天寿で命を終える時、その傍らに知人は居るだろうか。
「カミサマは行いを見てるんだ」なんて事は言わない。
因果応報は本当の最期に解る物、と思う方が私には良いかも知れない。
そんな事を思いながら、布団を抜けて着替えに向かった。
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「親父を家に上げるつもりはない」
父の強い意向があり、診断書を書いていただいている間に兄妹で相談。
病院の安置室で寝かせてもらえるのは大体2〜3時間程度なので、自宅への引取が難しい場合は速やかに葬儀場の手配が必要になる。
地元の斎場は待機期間が長く掛かるとのことで、その結果、上叔母の義母がお世話になった隣市の斎場を利用する事に決め、【式の形式も決めた】。
その後、斎場の担当さん達によって祖父は病院から斎場の霊安室へ搬送。見送った兄妹三人は帰宅して家族に改めて報告する運びとなった。
そんな訳で父がようやく帰ってきたのは、午前7時少し前くらいのこと。
スヨスヨ眠るチビらぎを悠遊さんに任せて、その日の予定をざっくりと聞きながら先に朝食をとり、上司に直接忌引き休暇の申請連絡を入れる。
ハイ、文章の流れの変なトコに【 】が現れましたね。
今後、この括弧達が不自然な場所に付いた場合は、血縁者間の諍いが起きる前兆を現している事になります。
他者から見たら「そんなことで?!」と思うかもしれないですが、縁者同士が不仲だと揉め通します。
事実、この日から通夜式当日の午前中まで毎日毎日何かしら揉めてました。
金銭が絡むこととはいえ、めちゃくちゃ揉めてました。
大事なことなので4回目をお伝えしますがマジで揉めます。
今後のためを思って読んでくださっている方がいらしたら、「ここはきっちり決めたほうがいいんだな」と思っていただけると嬉しい。
……告別式でも別意味で大変な目にあったんだけど、それはその回で。
なお、ここから先はあくまでも如月家で行った順序なので、参考程度に読んでもらえれば。
ネット検索で表面上解るような内容はやや端折っているのをご了承ください。
では、本題に戻ります。
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過去にも遺族として何回か送り出しているが、年齢的には子供だった時代の話。
なので、手続き関係には一切関わったことはない。
とはいえ、まだ小さい娘がいるので父にずっとついて回る訳にもいかない。
「ここまでやってくれたから、お父さんと一緒に手続き関係はやるよ」と母が言ったので、今回は両親は手続き・如月は家事・悠遊さんはチビらぎの遊び相手と分担。
予約していた打ち合わせ時間に両親が斎場へ向かうと、上叔母と運転手係の従弟が既に到着済で、担当者さんと話をしていた。
「あ、お兄ちゃんやっと来た。この人が担当さんですって」
「この度、如月様の御父様の御式を担当させていただきます、湖野と申します。よろしくお願い致します」
「宜しくお願いします。つか遅刻してねぇぞ」
「なに言ってんの?お父さんお願いしてるんだから早く来るべきでしょ。それと、従弟も一緒に同行するから。私、この辺の道知らないから乗せてもらわないと困るし」
「はァ…?」
ちょっと何言ってるのかよくわからない、と言いそうになったが自分を抑えた二人。
上叔母は自分の免許を持っているが、何年前からかは従弟に運転してもらっているという話は如月も聞いていた。だがこの日も連れてくるとは予想していなかったそうだ。
流行病禍以降、家族/親族葬の形を執ることが増えてきている。
如月の親族も関東圏内に細々散々としていて、遠方も多いので《家族葬》の形式をとる事に……していた…筈だった。
「お父さんだからちゃんと送り出さないといけないし、一つ上のグレードに変えたから」
「……はぁぁぁあ?!」
先程の【 】を覚えているでしょうか。
【式の形式も決めた】のに、誰に相談する事なく、到着前に変えられていた、のである。
家族葬という形は守られていたものの、葬具などの価格帯が上がるわけで。
仔細は伏せるが、かなり揉めたようだ。従弟と母で頑張って止めたらしい。
まぁ、そりゃ勝手に高額にされたら怒るよね……。
仲裁二人にお互い宥められ、結果的には元のプランに戻してもらったらしい…やれやれ。
葬儀を依頼するにあたり必要なことは親族への連絡や会場日取りだけじゃない。重要要項の一つとして言えるであろうことは《僧侶の手配》だろう。
そんな訳で市役所での手続きを済ませた両親が次に向かったのは、隣県にある如月家の菩提寺。
菩提寺というのは、檀家としての所属させてもらっている寺院のこと。
先祖が元々住んでいたのが隣県なので、今もそこにお世話になっている。
ここ数年で猫寺となった。猫いっぱい。
祖父の逝去を告げ、通夜・告別式の読経依頼。
本来であれば、戒名や位牌型の相談などもするのだが、住職さんの位が結構高くて、この日はめちゃくちゃ忙しい日だったそうで。なので他の相談は翌日に持ち越しになり、そのまま帰宅。
流石に睡眠不足だったため、その後は夕飯までぐっすり寝ていた。
ちなみにその頃の如月。
睡眠不足の眠さと戦いながら家事を倒し、チビらぎと悠遊さんの昼食を作り。
そして昼寝を始めたチビらぎの隣で気絶に等しい昼寝。
起きたら夕方だった。
はみ出し人物紹介
【従弟】
上叔母の息子で三姉弟の末っ子
上叔母に溺愛……執着されており、事あるごとに手伝わされている苦労人
晩年の祖父の移動足として遣われていたが、「それくらいなら」と言って面倒見役を担ってくれた
この日から告別式・納骨が終わる数日間、上叔母の歯止め役と仲裁役として間に立ってくれていた
彼に対しては両親も私も悪い感情はもっていない
それどころか、感謝の気持ちの方が強い




