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その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第二章
10/33

アルバートの願い

「危ないので、足元にお気を付けください」


 星空を眺める私に、アルバートは優しい声色で言った。庭にはいくらかの照明があって、明るいわけでも暗いわけでもなく、適度な光で花々を浮かび上がらせていた。夜にしか咲かない花もあるのだろう。

 こちらです、とアルバートは歩き出す。屋敷の奥――というか裏だ。庭は屋敷の手前にあるのに、それに背を向ける形で歩く。私は戸惑った。


「ええと、庭を散歩するんじゃ?」

「裏庭もあるんです。……道が暗くて不安になりましたか」

「だ、大丈夫」

「もしよろしければ、手を繋ぎますか?」


 アルバートは恥ずかしがりもせずにそんなことを言って、手を差し伸べてきた。これが恋愛ファンタジーなら、私は迷わずその手を取っていただろう。けれど私は、ドナドナ状態の泥沼ファンタジーを満喫中だ。思わず首を振ったけれど、アルバートは気を悪くした様子も見せずに笑った。


「姉さんとはよく、夜中に屋敷を抜け出して、裏庭に行ったものです」


 なつかしそうに微笑みながら、アルバートは先を行く。百七十センチあるかないかの彼は、私を先導しながら、ゆっくりと歩いた。時折私の方を振り向くので、気を使ってくれているのが分かる。屋敷はやっぱり大きくて、裏庭も一、二の、三で到着できる場所ではなかった。


「ここが裏庭です」


 アルバートが嬉しそうにそう言って、私は思わず感嘆の声を漏らした。

 そこは、ぼんやりとした光を発する花々で埋め尽くされていた。見た感じ、彼岸花に似ている。蛍光塗料のような柔らかい光を発しているのは、花の部分だけ。けれどその淡い光が、周囲一面を覆っていた。


「――ホタルバナ、という花です。初夏にだけ発光するのですが……。そちらの世界にもありましたか」

「ううん、なかった。すごい」


 私の返事を聞いたアルバートが、子供のような笑顔を見せた。


「一般的に、庭にわざわざ植える花ではないと言われています。根には毒がありますし、花自体が『魔界の使い』という別名を持っています。しかし、わたくしも姉さんも、この花が好きなのです。ですから、無理を言って裏庭にホタルバナ専用の畑を作っていただきました。――よければこちらにお座りください」


 花畑を一望できる場所にベンチがあって、私とアルバートは並んで腰かけた。ホタルバナは本当に綺麗で、日本にあったならここは絶対に名所になっていただろうと思う。初夏にしか光らない花。細い花弁には儚さも感じられて、私は某戦争アニメ映画の、超有名台詞を思い出していた。この花もすぐに、光らなくなってしまうのだろうか。


「……本当はすぐにでも、ナシロ様とお話したかったのですが。留守にしている間に転移者が来るとは思ってもみなかったので、対応が遅れてしまいました。申し訳ありません」


 そういえば、パパも「留守を頼んで」と言っていた。


「二人で、旅行かどこかに行っていたの?」

「いえ。……縁談をまとめに」


 アルバートの言葉に、私はぎょっとした。だって、彼は十五歳だったはずだ。

 私の異変に気付いたのか、アルバートは苦笑した。


「この世界では、貴族は十五歳で結婚するんです。男性も女性も。生まれた時から、いいなずけがいるんですよ」

「えっ……」


 私の頭は真っ白になった。だって、エミリアは十七歳だ。つまり、結婚しているのだろう。

 そんな思考回路を見抜いたかのように、アルバートは首を振った。


「姉さんは結婚しておりません。本人もする気がないと。嫌な言い方になりますが、相手も見つかりませんでした」

「なんで」

「――……寿命が」


 アルバートはそこで言葉を切った。私は俯く。

 生まれた時から、エミリアの寿命は十七年だったはずだ。そんな『未来のない人間』を、誰が迎え入れるだろう。仮に男が言い寄ってきても、フロディーテ家の財産目当てに見えてしまう。

 アルバートはホタルバナを眺めたまま、続けた。


「姉さんは昔からあの調子で。飄々としていて、泣いているところすら見たことがありません。結婚に関しても無関心だったんです。束縛されなくてむしろよかった、と……。けれどやはり、わたくしは思うのです。姉さんの寿命があと十年でも長ければ、もっと違う道を進めたはずだと。恋を知ることができたかもしれないですし、もしかすれば我が子をその腕に抱く時があったかもしれません。そうすれば、子の教養のためにと女性らしい言葉遣いをしていたかもしれませんし、髪型や服装にももっとこだわっていたかもしれない、と」


 姉さんがそれを望んでいなくとも、勝手に夢を見てしまうんです。アルバートは照れたように笑った。


「今の姉さんを否定している訳ではないのです。わたくしは、姉さんのことを慕っております。姉さんは何かあるごとに「お前は何でもできる」と仰ってくださいますが、本当は姉さんの方がずっと優れているのですよ。けれど……だからこそ、もっと時間が欲しかったと思うのです」


 ――無言の時間が続いた。少し湿り気のある風が吹いて、ホタルバナを揺らす。淡く光る花は、ライブのペンライトのように、一斉にその身を左に傾けた。


「……姉さんは、あなたの余命を貰うつもりがないのでしょう?」


 アルバートが囁くように、けれどはっきりと聞こえる声で言った。思わずアルバートの方を見ると、彼もまたこちらを見ていた。群青色の瞳は夜に紛れ、それでもなお光っていた。ホタルバナよりも、力強く。

 私の沈黙の意味を悟ったアルバートが、ふっと目を伏せた。


「……やはりそうでしたか」

「なんで分かったの」

「きょうだいとしての勘です。伊達に、あの人と十五年近く暮らしてきたわけではありません。姉さんの性格を考えるのなら、あなたの余命を貰うことはまずしないでしょう。旅に出るのも、魔導士の元に向かうのではなく別の理由ですよね?」


 父は姉さんの言い分をすべて信じ込んでいますが、とアルバートは苦い表情をした。


「姉さんがあなたに何を言ったのか。そして、これからどこに向かうつもりなのかはあえて聞きません。ただ……エミリア・フロディーテの弟であるアルバート・フロディーテとして、ナシロ様にお願いしたいことがあります」


 アルバートはやはり苦しそうな表情で、それでも懸命に言葉を繋げた。


「わたくしは……姉さんのことが好きなのです。もちろんそれは恋愛対象としてではなく、家族としてですが。失いたくないのです。物心ついたころから、頭上の『数字』の意味は理解していました。ですから、姉の死は受け入れています。しかし、もしもできるのであれば、…………」


 言葉が途切れた。ホタルバナは光り続ける。

 最低なことを申し上げますが、とアルバートは呟いた。


「わたくしにとっては、三日前にこの世界に来たナシロ様よりも、姉さんの方が大切なのです」


 それはある意味当然で、最低ではないだろうと思った。けれどアルバートは、最低なお願いをしますと立ち上がると、そのまま地面に膝をついた。両手を前につき、頭を下げる。

 ただの転移者である私に、公爵家の嫡男が土下座をした。そして、かすれた声で懇願する。


「ナシロ様。――どうか、姉さんを助けてください……!」


 エミリアを助ける、の意味を私は知っていた。

 それをすることで、自分がどうなるのかも。

 もちろんそれは、アルバートも知っているはずだった。すべて知ったうえで、最低だと言いながらも、彼はそれをはっきりと私に伝える。貴族ならば一生知らなかったかもしれない土下座までして、かすれた声で。


 分かりました、と素直に言えない自分がいた。

 けれど、嫌です、とも言えなかった。


 どうか顔を上げてくださいと差し出す私の手も、やはり震えていた。




 翌朝。私はエミリアとアルバート、それからパパと一緒に朝食を摂った。

 パパは髪の毛の半分ほどが天井を向いている、寝癖の酷い頭を隠そうともしない。「エミリアたんがエミリアたんが」と泣きながら、あれこれと食べものを口に運んでいる。口およびひげのまわりにソースやらマドレーヌやらをべったりと付けながら、それはもう無我夢中で。パパはエミリアのような、痩せの大食いではない。そのお腹はメタボのCMに出られそうな程度に出っ張っていた。

 私とアルバートは朝、軽く会釈をした程度で、それ以上の会話をしなかった。アルバートがどう思っているのかは分からないけれど、私は彼と話せそうにない。

 昨日の朝と同様に、食パンにバターを薄く、それはもう薄く塗っているエミリアは、時折パパの方を見て鬱陶しそうな顔をした。


「泣くか食べるか、どちらかにしろ」

「だって……エミリアたんとしばらく離ればなれになるかと思うと」

「お前はいい加減に子離れすべきだ」

「――帰ってきますよね?」


 最後に言葉を発したのは、アルバートだった。彼は真剣な目で、エミリアのことを見つめている。


「ちゃんと、ここに帰ってきますよね?」


 その言葉は私にも向けられているのだということに、エミリアは気づいたのだろうか。彼女は食べかけの食パンを皿に置くと、大袈裟に溜息をついた。


「当然だろう。あたしにも最低限の帰巣本能はある」

「ならば、この場でわたくしと約束をしてください」


 アルバートは右手の小指を立て、エミリアの前に持って行った。


「ここに帰ってきてください、必ず」


 エミリアは右手の小指を服で拭って、何のためらいもなくアルバートの小指に絡めた。


「約束しよう、必ず帰ってくる」


 その様子を見ていたパパがまたもやぐずぐずと泣いて、エミリアは「まったく仕方のない親だ」と呆れたように笑った。



 忘れものがないかどうか客室をチェックしているところに、ノックもせずに入ってきたのは当然のようにエミリアだった。彼女は相変わらずラフな格好をしている。ユニグロに近いファッションセンスだ。ユニグロの服は、スタイルのいい人が着ると見栄えがいいと言うかかっこいいのだけれど、私のような人間が着ると何故か野暮ったく見える服だとも思う。彼女はそれを完璧に着こなしていた。ちなみに私は昨日、街で買ってもらったばかりの白のカットソーにジーンズをあわせている。旅に出るならばスカートよりもズボンだろうと、エミリアが勝手にチョイスした代物だった。


「もうすぐ出るが、準備はできているか」

「うん」


 私は樹海ちゃんに、朝食から拝借してきたあんぱんを渡す。樹海ちゃんは短い後ろ足を前に伸ばして座り、前足であんぱんを握りしめてかじかじとし始めた。


「……エミリア」

「なんだ」

「ここから樹海まで、どれくらいかかるの?」


 エミリアは斜め上を見る。何か計算しているようだった。


「――……三か月もかからないだろう。途中でいくつかの街を覗くつもりだが、その寄り道を含めても三か月だ」


 片道三か月。なら、私が樹海で『元の世界に戻る方法』を手に入れて転移したとしても、残りの三か月でエミリアは家に帰れる。寄り道せずに帰れば、最後はここで過ごせるだろう。必ず帰る、という約束は果たせることになる。それを計算したうえで、エミリアは約束をしたんだ。私は少しだけ安堵した。けれど、

 ――どうか、姉さんを助けてください。

 脳裏をよぎる声は、いまだにその淡い光を失ってはいなかった。


「準備ができたなら、そろそろ行くぞ」


 エミリアはそう言って私に背を向け、かと思いきやすぐにこちらを向いた。若干顔が紅潮していて、しかも何故か挙動不審だ。左右にさまよう視線は、ビームを放つロボットのごとく、ぎくしゃくとしていた。


「エミリア? どうしたの」

「あの……」

「なに」

「その、なんだ。…………あのエロいぱんつはちゃんと鞄に入れたか?」


 この世界に来てから、ぱんつという単語の使用頻度がかなり酷い気がするんですけど気のせいですか。

 エミリアはますます顔を紅潮させ、あわあわと言い訳した。


「も、もしもあんなものが屋敷に落ちていたら、あたしのものだと思われかねんだろう。それはならん。断じてならんぞ。だ、だだだだってあのような、白だのピンクだの水色だのと、あのようなエロい色を私が身につけていると思われたら、その、なんだ、……あたしの心が潰れてしまう」


 エミリアも心が潰れる時があるのか。私は違うところで感動した。


「異世界の人間からのプレゼントとして、ピンク色のやつあげようか?」

「ばっ……! い、いらん! そんな代物っ……、あ、あのようなっ、あのようなエロティックな色彩の……」


 このネタで、しばらくからかえそうだ。

 意味を理解していない樹海ちゃんだけが、あんぱんをかじりながら、「きゅう?」と首を傾げた。



 坂道を下ったところから出ている馬車に乗り込むとのことで、私とエミリアは鞄を抱えて屋敷の外まで歩いた。

 見送りはアルバートとパパだけでなく、執事さんたち全員が集まってきた。料理人や掃除夫なんかもいるらしく、パッと見ではその人数を把握できない。私が知っているのは、カムパネルラさんとセバスチャンさんくらいだった。


「あっ」


 私は思い出して、カムパネルラさんの元へ向かった。


「すみません、ハンカチ……」


 この屋敷に来る道中、私の涙と鼻水を拭いた、金糸の刺繍つきハンカチの存在をここで思い出してしまった。どうしよう、洗濯できていない。

 けれど、カムパネルラさんは首を振った。


「差し上げますよ」

「でも、あんな高そうなの……」

「いいのです。そのかわり」


 カムパネルラさんは、困ったような表情で微笑んだ。


「お嬢様のことを、どうかよろしくお願いいたします」



 屋敷にいる人間全員に見送られながら、エミリアと二人、並んで坂道を下る。エミリアは「行ってくる」以外、特に何も言わなかった。まるで登校する高校生のような軽い口調と足取りで、どんどんと前へ進む。私は無言で、そんな彼女の後ろを追った。樹海ちゃんは私の肩の上にちょこんと座っている。


 ――お嬢様のことを、どうかよろしくお願いいたします。


 歩けば歩くほど小さくなっていく屋敷は、何故か小さくなるほどその存在感を増しているような気さえした。


 坂道を下ってすぐの所に、馬車が停まっていた。私とエミリアは馬車の行き先を訊ね、それに乗り込む。エミリアは「北の方角へ行きたい」としか言わなかった。恐らく、アオキ・ガ・ハラ・ジュカイという森は、旅行としては素敵な場所でもないのだろう。

 私たち以外の乗客はなく、馬車はやがて走り出した。目隠しされた栗毛色の馬二頭が、ぱかぱかと石畳を踏む。思った以上に硬い座席と揺れに、私は辟易した。恐らく、そのうち腰痛になるだろう。

 しばらく走ったところで、見覚えのある小さな路地が見えた。エミリアは御者のおじさんに叫ぶ。


「ここで一度停めてくれ。すぐに戻るから」


 おじさんは特に嫌がるそぶりも見せずに手綱を引く。エミリアに続き、私も馬車を下りた。

 狭い路地は湿気が強く、お世辞にも清潔とは言えなかった。昨日も歩いたその道を、私とエミリアは今日も歩く。明日はもう、歩かない。

 甘ったるい匂いを発していた店は、その匂いをかすかに残しているだけだった。棚にはお菓子のひとつも残っていない。もちろん、鼻のとがったおばあさんが私たちを出迎えてくれることもなかった。

 ただ、扉に一枚の張り紙と、小冊子のようなものがあった。


「……ばあさんらしい」


 エミリアが微笑んで、私は少しだけ泣いた。




 長い間、本当にありがとうございました。当店は閉店いたします。

 

 最後の最後に完成させたクッキーは、店主にとって一番の自信作でした。

 もちろん他のお菓子たちも、店主にとっては子供同然です。

 焼き加減で苦戦したり、様々なスパイスを試してみたり、水分量を調整したり……。

 そうして生まれた子供たちが、このままこの店と朽ちてしまうのは、とても惜しく思います。

 

 そこで、勝手ではありますが、ここにお菓子のレシピを書き残しておきます。

 誰かひとりでも、どれかひとつでも、またこの世界に私の子供を生み出してくださりましたら、それに勝る幸せはございません。

 そしてそのお菓子で、ひとりでも笑顔になれますよう、心の底から願っております。


 それでは皆様、どうか一日一日を大切にお過ごしください。

 泣いたり怒ったりする時間より一秒でも長く、あなたが笑顔で過ごせますように。


 店主 パティ・ゴールド


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