お菓子の街
「……どこに行くって?」
「菓子の街だ」
エミリアは至極真面目にそう言った。がたごとと揺れる馬車の中で。街並みはだんだんとその色を変え、青果の並ぶ市場から、住居の密集している地域へと突入していた。
菓子の街だ、と再度エミリア。彼女の言葉を理解しているのか、お菓子しか食べない手乗りドラゴン樹海ちゃんは「きゅきゅ!」と鳴いた。
「ええと。それは道中にある街なの?」
「いや、寄り道だ。旅にはおやつが必要だろう」
きりっとした顔でエミリアは言いきる。可愛いよりも凛とした美しさを誇っているエミリアに、その表情は似合っていた。ただし、言動と顔が一致していればの話だが。
というか、昨日あれほど買い込んでいたお菓子はどうしたのだろう。一日で食べたのだろうか。……エミリアなら食べかねない。
「とにかく有名な街でな。菓子屋で溢れているらしい。鼻の尖ったあのばあさんも、その街出身だ。ばあさんの菓子があの街で生まれたのならば、うまい菓子が山のように……!」
「きゅうっ、きゅきゅ!」
「うむ、ジュカイよ。お前もいいと思うだろう」
エミリアの目は輝いていた。口の端はだらしなく緩んでいる。いつもより声のトーンも高いし、細い肩はゆらゆらと上下左右に揺れていた。
つまり、樹海ちゃんよりもエミリアの方が明らかにテンションが高かった。
「……もしかしてエミリア、その街に行ったことないの?」
「ない。あの街にばあさんの店があるうちは、それで充分だったからな。しかし今となっては、新しい菓子に巡り合う必要がある。あたしは自分で菓子を作れないのだ。料理というものをしたことがなくてな、レタスとキャベツの区別もつかん。ブロッコリーとカリフラワーも、十回のうち四回ほど言い間違える」
結構重症ですよねそれ。十七歳がそんな真剣に言う話じゃないです。
「故に、菓子を作ろうとは思わん。……ナシロは甘いものが苦手だったか」
「いや、むしろ好きだけど」
「ならば付き合え。栄養補給は必要だ」
メールで使っていた顔文字を思い出すような、きりっとした凛々しい顔でエミリアは言いきる。同調するように「きゅう!」と樹海ちゃん。
がたた、ごとと。馬車は順調に、見える景色を変えていく。
緑と土と水の匂いが、甘ったるい焼き菓子の匂いに変わったのは、屋敷を出発してから五時間ほど経過した頃だった。途中休憩したことも含めると、馬車に揺られていたのは四時間ほど。それでもかなり腰に来ている。エミリアは慣れているのか、愚痴のひとつも漏らさなかった。
最初は甘くていい匂いだと思っていたそれは、徐々に『甘すぎる』という印象に変わった。チョコだのクッキーだのケーキだの、とにかく色々混ざった匂いが充満している。
いつか、お父さんが車用の芳香剤に『バニラ&チョコチップクッキーのかおり』なるものを買ってきて、それが原因で酔ったのを思い出した。ついでに言うと、友達と学校帰りに立ち寄ったインド雑貨店であらゆる種類のお香を嗅ぎまくり、最終的に鼻が麻痺したのも同時に思い出してしまった。
けれども、エミリアは嬉しそうだ。それを隠せていない。馬車の揺れでもごまかせないくらいに身体が揺れている。それから、ぱんつの時ほどではないけれど顔が紅潮している。
エミリアも女の子だなあ、となんとなく思った。もちろん、スイーツ好きの男性を否定している訳ではない。付き合うならむしろ、スイーツ好きの男性の方がいいと思っている。エミリアも誰かと付き合うのなら、スイーツ好きの方が話が合うだろう。
「…………」
本当に結婚には興味なかったの? とは訊けなかった。彼女は、他人を愛せる人間だ。もしかしたら、人としてではなく恋愛対象として誰かを好きになったことも、あったのかもしれない。けれど。
彼女の数字がひとつずつ減っていく様子を、私はしばらく見つめていた。
街の手前で馬車をとめてもらい、御者のおじさんに料金を払う。やっとの思いで馬車から降り、身体を思いっきり伸ばそうとして、樹海ちゃんが肩に乗っているのを思い出した。ちょっとごめんねと樹海ちゃんを地面におろし、両手を空に向けて伸ばしたり腰を捻ったりする。
ばきばき、ぐきょっ!
……嫌な音がした。将来、腰痛持ちになるかもしれない。
「きゅう、きゅー、きゅきゅきゅ!」
樹海ちゃんは、今までで一番大きく、そしてせわしなく鳴いた。早く街に行きたいのだろう。「ごめん、もうちょっとストレッチしたい」と言おうかと口を開きかけた時、樹海ちゃんの小さな顔は私の眼前にあった。黒くてつぶらな瞳が、こちらを見ている。
「……え?」
全長十センチの樹海ちゃんが、どうして私(身長百五十七センチ)の目の前にいるのだろう。
――樹海ちゃんが飛んでいる、と気づいたのはそれから二秒後だった。
「エ、エミ、エミリア!」
思わず叫んだ。私と同様に身体をほぐしていたエミリアが、なんだとこちらを振り向く。私は眼前の樹海ちゃんを指さした。
「飛んでる! 樹海ちゃんが飛んでる!」
「ドラゴンだから飛ぶ。当然だろう」
そりゃ日本でも、ドラゴンは飛ぶイメージがあったよ。イメージはあったけど樹海ちゃん、全長十センチに対して、片翼二センチくらいしかないじゃないですか。退化したんじゃないかと思えるくらいに小さな羽じゃないですか。なのにどうして飛べているのですか。なにこれクマバチ理論? 飛べると信じたら飛べるの?
しかも樹海ちゃんは、クマバチのような「ぶーん」という羽音を立てていなかった。ちたちた、だ。ちたちたと拙く、両翼を動かしている。いやおかしい、重力無視してるの? ドラゴンの周りには重力がないの?
前足は相変わらず『古き良きお化け』のごとく前に出し、手の甲をこちらに向けたポーズで、けれども飛んでいる樹海ちゃんは
「きゅきゅきゅー!」
私にせがむように鳴いた。あ、もう逆らえない。そんなつぶらな瞳でこっち見られたら無理。
「よし。ナシロ、行こう! 菓子だ、菓子の匂いがする!」
あ、もう逆らえない。そんな綺麗な笑顔で言われちゃったら無理。
そうして踏み込んだお菓子の街は、街のすべてがお菓子でできているのではないかと思えるくらいにメルヘンチックだった。街灯はロリポップの形をしているし、壁はチョコレートを模していたり、窓の形はドーナツだったりする。お菓子のためのテーマパークみたいな場所だ。さすがに、街の人は普通の恰好をしているけれども。
もしかしたら本当にお菓子でできている建物なのではと思い、壁の匂いを嗅いでいる私に、通行人とエミリアが気持ち悪そうな顔をしてみせた。
「……ナシロは何をしている」
「いや。これ、もしかしたら本物のお菓子かと思って」
「そんなわけなかろう」
ですよねー。
「しかし確かに昔、この街は菓子でできていたそうだ」
「え、そうなの?」
「ああ。しかしある日、この街出身の魔女が、山に菓子の家を建てたんだ。菓子で子供を引き寄せて、食べるつもりだったらしい」
なんか聞いたことがある、気がする。
「しかし、魔女の家に訪れた子供二人は、魔女ハンターで有名かつ有能な兄妹だった。子供二人はお菓子の家を気が済むまで食べたうえ、魔女をかまどに入れて焼き殺したらしい。しかも、魔女の財産すべてを盗み出したそうだ。以降この街では、菓子で建物を作ることは禁じられている」
やっぱり聞いたことのある話だ。子供たちが魔女ハンターだったかどうかは知らないけれども。
「ええと……それ実話?」
「実話とも言われているが、まあ童話だろう」
「ちなみに、その童話のタイトルは?」
「ヤンデルとグレテル」
ネガティブとヤンキーがコンビ組んだみたいな名前じゃないですか。
私たちがそんな話をしている間も、樹海ちゃんはちたちたと空を飛んでいた。一軒一軒丁寧に確認し、ひとつの店でとまり「きゅーきゅー」と鳴く。エミリアはそれに大きく反応した。
「あの店がうまい! 間違いない!」
「え、なんで分かるの」
「ドラゴンがあそこまで鳴いているのだ、あやつらの嗅覚と味覚を舐めてはいかん! こと菓子に関して、ドラゴンの右に出られる人間はいない!」
ドラゴンのイメージがどんどん崩れていく。
私とエミリアが樹海ちゃんの鳴いているところまで行くと、そこは特別変わった様子のない焼き菓子専門店だった。焼き菓子というか、クッキー限定で販売されている。じろじろと中を覗いていた私は、やがてその異変に気付いた。
――樹海ちゃんの鳴き声が増えている。というか、足元からやたらと「きゅーきゅー」聞こえる。
私は何事かと下を見て、色んな意味で悲鳴を上げた。
私の足元にいた赤色と青色の小さなドラゴンたちは、一斉に首を傾げた。
「えっ! ちょ、何これ多っ!」
「野良ドラゴンだろう」
一刻も早く店に入りたいとドアノブに手をかけているエミリアが、どうでもよさそうに言った。
「なんでこんなに集まってるの!?」
「菓子の匂いにつられて来たのだろう。この街は、野良ドラゴンが多いことでも有名だ」
ラメのような光沢あるうろこで覆われたドラゴンたちが、つぶらな瞳でこちらを見ている。ぼくたちも連れて行ってという声が聞こえる気さえする。
「うう……」
「言っておくが、ジュカイ以外のドラゴンを連れていくつもりはない。キリがないからな」
エミリアに釘を刺されて、私はうなだれた。赤色と青色のドラゴンたちは、一斉に俯く。やはりドラゴンは、人間の言葉が分かっているのだろう。樹海ちゃんは申し訳なさそうに「きゅう……」と一声鳴いた。その声に、ドラゴンが一斉に首を振る。「気にするな」というジェスチャーのように見えた。
こうやって見ると、本当にドラゴンは赤色か青色しかいない。サンゴ色の樹海ちゃんは、やっぱり赤の色素が薄かったのだろうか。
「おい、入るぞ」
エミリアに急かされて、私はクッキー屋さんに入った。鼻が馬鹿になったせいか、クッキーの匂いはさして気にならなかった。
「いらっしゃい」
ふくよかなおじさんが素敵な笑顔で出迎えてくれて、私はようやく思い出した。
「あ、ドラゴンを店内に入れても大丈夫ですか」
「野良かい?」
「いえ」
「ならいいよ。……それ、君のドラゴン?」
私の肩に乗っている樹海ちゃんを見て、おじさんは眉間にしわを寄せ、更には目を細めた。それは不快感を示しているのではなく、樹海ちゃんの身体をじっと見つめるための行為だった。
「……ピンク色の絵の具でも塗ったのかい」
「いえ、もともとこの色で」
「へえ。変わったドラゴンだね」
私たちが会話をしている間も、節約という言葉を知らないエミリアは、次から次へとクッキーをかごに入れていった。店内のクッキーを全種買うつもりなのではないだろうか。おじさんに賞味期限を訊ねてみたら、一週間はもつよと言われた。ただ、封を切ったら三日くらいで食べきってねとも。
「ナシロ、お前は欲しい菓子がないのか」
店内を一周したらしいエミリアに言われて、私は戸惑った。どれがおいしいのだろう。
「……樹海ちゃん、何か欲しいものある?」
訊ねると、樹海ちゃんはぱっと私の肩から飛び降りて、ちたちたと飛び始めた。そして一つの商品の前できゅうきゅうと鳴く。見てみると、丸いクッキーの中央に、赤いジャムの塗られた商品だった。日本でも見たことのあるお菓子だ。主に、缶入りクッキーに同封されているものとして。
「じゃあこれ……」
と私が言うのとほぼ同時に、エミリアはそのクッキーをありったけ、かごに入れていた。私は慌てて制止する。
「いやいや、そんなに食べきれないでしょ!」
「ジュカイも食うのだ、すぐになくなる」
エミリアの目は真剣だが、希望と期待と焦りと緊張とわくわくを抑えきれていなかった。
……樹海ちゃんよりもエミリアの方が多く食べるのではないだろうか。
お会計の際、エミリアは一枚のカードを出した。クレジットカードのようなものらしく、請求が自動的にフロディーテ家へと回るシステムらしい。
イートインスペースがあるとのことなので、私とエミリアは向かい合って座った。テーブルの中央にクッキーを広げる。よくよく考えてみたらずっと馬車で移動していたので、まともに昼食を食べていない。……エミリアは恐らく、このクッキーを昼食にするつもりなのだろう。
おじさんがアイスコーヒーを持ってきてくれて、私たちはクッキーだらけというかクッキーしかない昼食を摂った。樹海ちゃんは自分が選んだ赤いジャムのクッキーを、短い前足でしっかりとホールドし、少しずつかじっている。ピンク色の樹海ちゃんに、赤色のクッキーはよく似合っていた。
エミリアは「うまいうまい」と言いながら、次から次へとクッキーを食べ、ふと深刻な顔をした。
「……この街の菓子屋をすべて回るのに、何日かかるだろうか」
私はむせ返った。八割くらいがお菓子屋さんで構成されているこの街を、エミリアは制覇するつもりでいるらしい。糖尿病まっしぐらの生活だ。
私の視線に気付いたらしいエミリアは、慌てて手を振った。
「も、もちろんお前を帰す方法は探す! アオキ・ガ・ハラ・ジュカイにももちろん行く。だからその、少しくらい寄り道してもよかろう、と、思って、だな……」
どんどん歯切れの悪くなるエミリアの声。いや、そこを心配した訳じゃないんだけど。
「私はいいけど。お菓子ばっかり食べるつもりでしょ、エミリア。身体壊すよ」
この発言は、実に軽率だった。エミリアは少し困ったように笑って、クッキーをかじる。私は自分の頭の悪さを呪った。
六か月と少し。エミリアの頭上の数字は一秒ずつ確実に減っていく。これが例えば日本で、寿命の見えない世界だったなら、諦めないでと言えたかもしれない。身体を大切にして、とも。
けれど、この世界でその数字は絶対だった。数字がゼロになった人の最期を、私は目の当たりにしている。
……最後に好きなことをしなよ、と言うべきなのだろうか。
言葉に詰まっていると、店主であるおじさんが「甘いものばかりだと舌が麻痺するだろう」と、こふき芋らしきものを持ってきてくれた。エミリアは軽くお礼を言って、そうだと手を叩く。
「このあたりに、宿はあるか?」
「ああ。ここの大通りをまっすぐ行ったところに、この街唯一の宿があるよ」
「宿泊先も決まったな、ナシロ」
エミリアはふふ、と笑って、こふき芋に手を出した。私もそれに倣う。
彼女の青い瞳には、雲一つなかった。
クッキーバイキングのごとくクッキーを食べ、外に出た。とりあえず宿をとろうと、エミリアはおじさんに教えてもらった大通りを歩く。彼女は軽々とトランクを持っているけれど、私はそれを両手で持ち上げ、よたよたと歩いているものだから酷くみっともなかった。まるで上京してきた田舎者のような光景だ。事実、日本でも田舎者だったけれども。
特別ロマンを感じさせない、すなわちごくごく普通の外観を持つ木造の宿屋は、思っていた以上に宿泊客がいた。フロントのお兄さんが渋い顔を作る。
「申し訳ありませんが、広い部屋は既に埋まっておりまして」
「狭い部屋ならあるのか?」
「シングルなら……。しかし、ベッドもお一人様用でして」
「構わない」
エミリアの言葉に、私とお兄さんは同時にぎょっとした。そこは構ってほしい。是非とも構ってほしい。私たちが樹海ちゃんくらいの大きさならともかく、十六歳と十七歳の人間がシングルベッドで眠るのはかなり苦しいだろう。
フロントのお兄さんは私の顔を確認し、エミリアの顔を確認、そして再度私の顔を見てから、羨ましいですと小声で呟いた。見目麗しいエミリアに、その声は届いていなかったらしい。
――私とエミリアの関係を、完全に勘違いされている。
顔を真っ赤にして否定しようとする私に、エミリアは「何をぶつぶつ言っている」と眉をひそめた。フロントで受け取ったキーを手の中でもてあそびながら、ほら行くぞと恥ずかしげもなく歩き出す。
私は、笑顔で見送ってくださる受付のお兄さんともう二度と顔を合わせませんようにと、心の中で祈った。




