第九章 金襴の契り
杏一郎は、その場に解かれた晒しを手に取ると、転がした鶴千代の膝を折り赤子にむつきを当てるような格好をさせた。
鶴千代の喉元からふと、嗚咽が漏れる。
裏腹に、杏一郎の手の中に在る前部は、再び熱を持とうとしている。鶴千代の指が捕まえた敷布をきゅと握りしめたのを認めた。
「鶴千代さま。お辛いですか?」
「違う。辛くはない。鶴は心地よかったが、杏一郎はここがまだ凝っておる。果てなくとも良いのか?鶴に出来ることが有るなら……」
手を伸ばしてそっと杏一郎に触れようとする鶴千代を愛おしく思う。
先ほど熱を吐き出したばかりだと言うのに、若い体は再び朱に染まっていた。
「鶴千代さまの肌はすべすべとして、まるで絹布のごとき心地がいたします」
「……そのような……」
伸ばした腕が緩く揺れた。
思えば幼いころから常に、他の誰でもないこの優しい兄分の腕だけを求めていた鶴千代であった。
二人で過ごす至福の時間に鶴千代は浸り、杏一郎もかけがえのない絆を感じていた。
下から見上げる鶴千代の顔がふいに歪み、ほろほろと透明な涙が目尻を伝う。
腕を伸ばし、ひしと首に縋った鶴千代を、兄分はただ慈しみを込めて骨も折れよと抱いた。
流れる涙を舐め取り、杏一郎は耳朶にささやく。
「殿が……いつか、おっしゃっておりました。杏一郎はそれを鶴千代さまにお伝えしたかった」
「……父上が……なんと?」
「鶴千代さまと杏一郎が結ぶのは、「金襴の契り」だと仰せでございました」
「金蘭の……契り?」
「はい。固く美しい真の友情のことでございます。互いの心を合わせれば、その絆の固さは金をも断ち切るほど強く、その美しさは香りの高い蘭花のようになるそうです」
「……杏一郎……鶴も、杏一郎とそうなりたい」
「さすれば、これより先、鶴千代さまは常にご家名を第一にお考えなさいませ。肝胆を照らす仲の者ができましても、これまでのように決して杏一郎の事だけを見てはなりませぬ。凛々しく雄々しく、中道に立つ類いまれな人物におなり下さいませ」
決意を込めて、こくりと鶴千代がうなずいた。
「さすれば杏一郎は命ある限り、全てをなげうって、どんな時も鶴千代さまのお傍に馳せ参じまする」
「きっと、約束する。鶴は誰でもない、いつでも杏一郎に褒められたいのじゃ……」
「鶴千代さま。杏一郎は存じておりますよ」
「好きじゃ……心の内で慕うのは良いか?この先、二度と口には出さぬから」
「では、杏一郎も打ち明けまする。御伽小姓としてお城に上がった時から、鶴千代さまを愛おしく思っておりました。この気持は終生変わりませぬ。鶴千代さまの御代がある限り、二心無く藩内一の忠臣としてお仕え致します。生涯、鶴千代様と結んだ金襴の契りをお誓いいたします」
うん、うん……と何度も、鶴千代が嬉し気に小さく肯いた。
その様子に、ふとあの幼き頃の赤い牛の玩具を思い出し、杏一郎はまだ前髪の小さな頭を抱いた。
背骨を弓なりに反らして、羽二重の海に沈んだ鶴千代は、この上なく満ち足りた安息感に包まれていた。杏一郎の武骨ではあるけれど、優しい労わりに満ちた指が触れる傍から、柔らかく溶けてゆく気がした。
逞しい二の腕に思わずきゅとしがみつけば、唇から零れた甘い吐息が胸の上を転がってゆく。
静寂な時間だけが流れる寝間で、杏一郎は鶴千代の早鐘のような鼓動を聞いた。
やがて、絵襖に長い影が伸びて、主従は一つになり互いの欠けた部分を埋めあうように抱きあった。
求め合う魂が、一つに溶け合う美しい光景であった。
< 完 >




