第三章 赤べこと約束の指切り
杏一郎は話をしながら、布団の中から鶴千代を引っ張り出し、しっとりと濡れた夜着を脱がせた。
行李に入れてある着替えを取り出し、何事も無いように下穿きも素早く取り換えてしまう。
手慣れた行為だった。
「寒くはありませんか?」
「……あい」
「ちょっとお待ちになってくださいね」
そっと触れてみても、たいして濡れていない。恐らく部屋の外が暗くて厠に行けず、我慢しきれずにほんの少し失禁しただけなのだろう。
僅かに濡れたふとんをひっくり返して、鶴千代を入れようとしたとき、布団の中から何やらころりと足元に転がり出てきた。
「あっ……」
初めてお目見えしたときに、杏一郎は自分のお気に入りのお古のおもちゃを、鶴千代に持って来た。
赤い牛の頭が揺れるのを幼い鶴千代は気に入って、飽きもせず一人で遊んでいると、大分前に守り役に聞いて居た。
「もう、壊れてしまっていたのですね。それに、すっかり赤い色も剥げている……」
「……す、捨ててはならぬっ!」
「これは、鶴のじゃ……」
鶴千代は壊れた赤い牛のおもちゃを、奪うように胸に抱いた。
「若さま……」
杏一郎の目頭がふと熱くなった。
大切な赤牛を抱えて丸くなった鶴千代が、哀れで愛おしくてならなかった。
厳しく躾けられて、四歳になってからは、お一人で寝間にお行きなさいと言われた鶴千代には、きっと杏一郎に貰ったこの小さな赤牛だけが心の拠り所だったのだ。
「さあ、お寝間にお入りください、鶴千代さま。今日は杏一郎がずっと、お傍に居りますからね」
「……ほんとう?杏一郎……帰らないで鶴の傍に居るの?」
「鶴千代さまが眠るまで、襖の向こうに居られるように、乳母様にお頼みしてみます。鶴千代さまの夢の中に入って、杏一郎が魔物をやっつけて差し上げられるように」
「……杏一郎が一緒にいてくれるのなら、鶴も泣かずに退治する……」
「では、げんまんしましょう。武家の子は強くあらねば」
「……げんまん……」
懐の中で杏一郎を見上げて、濡れた頬でにっこりと笑った。
おでこをくっつけて小さな小指を絡め、鶴千代と杏一郎は約束の指切りをした。
忠義な国家老の子息の申し出に、話を聞いた藩主は異例の許しを与え、廊下ではなく寝間の中に衝立を置き、それからしばらくの間、杏一郎は鶴千代が一人で眠れるようになるまで傍で宿直した。
二人の絆は、鶴千代が藩主となり杏一郎が国家老となっても、揺らぐことはなかった。
藩主の居室には今も、色の剥げた赤い牛の玩具がある。
不器用な子供の手で修繕した赤い牛は、元通りにはならなかったが、触れるとぎこちなく首を振った。




