148 トビー
翌日、街を歩いた。
衛兵詰所で一通りの聞き取りに付き合った後、午後はバザールに出た。「街を見たい」と、リンが言った通りに。
ユミルは、ずっと考え事をしていた。ティルスの解析の話を、何度か頭の中で整理しているらしかった。歩きながら、時折、口の中で何か呟いていた。
ファーファは、人化したまま、リンの横を歩いた。
クラケンは、宿で留守番。
バザールの裏路地に、入り込んだ。
リンがわざとそうした。
表通りは商売の顔だ。裏路地に街の素顔がある。経験で、リンは知っていた。
裏路地は狭かった。
両側の建物の隙間に、ゴミと洗濯物と子供たちが詰まっていた。獣人の子供が何人か、地面で遊んでいた。子犬、子狐、小柄な猫獣人。
通り過ぎようとしたとき、横の影から声がかかった。
「よお、見ない顔だな」
声の主は路地の壁にもたれていた。
灰色の毛並みの猫獣人の若い男。
歳は十八くらい。少し痩せ気味。だが、姿勢はしっかりしている。目が大きく、よく動く。観察と、好奇心が、両方混じっている目。
服は薄汚れているが、生地そのものは悪くない。袖口の縫製、革の靴の質。路地の若者の身なりにしては、整っている。
軽口だった。
「お前、強そうだな」
若者は、ファーファを見ていた。
ファーファは少し首を傾げた。
「**……ニャ**」
短く応えた。
若者は少し驚いた顔をした。
それから笑った。
「お前、ニャって何だよ」
「**……ニャは、ニャ、ニャ**」
「分かんねえよ」
若者は、地面を、軽く蹴った。スリの真似のような、軽い動き。だが、足の運び方は、しっかりしていた。
リンは、ファーファの後ろからその若者に近づいた。
「お前、何用だ」
リンがその正面に立った。
若者は首をすくめた。
「**ただの、挨拶だよ**」
軽く言った。手の中には何もない。スリの真似だけだった。
「挨拶か」
「**ああ。お前ら、よそ者、だろ。荷物、軽いし、目立つし。歩き方が、街の人間と違う**」
よく見ていた。観察眼がある。
——路地の若者にしては、見すぎだ。
リンは、それを思った。
だが、口には、出さなかった。
「お前」
リンが言った。
「お前、街、詳しいか」
「**詳しい、ぜ**」
若者が胸を張った。
「**バザールも、路地も、裏もな。何でも聞きな**」
「そうか」
リンは若者を改めて見た。
姿勢、観察眼、足運び。
ただの路地の若者ではなかった。
だが、まだ、踏み込まなかった。
ファーファが腰の袋からジャーキーを一本、出した。
若者に差し出した。
「**……食べる、ニャ?**」
若者が目を見開いた。
「**マジ?お前、気前いいな**」
「**……ニャ**」
若者はジャーキーを受け取った。包み紙を解いて一口齧った。
噛み締めた。
しばらく、何も言わなかった。
それから、ぐっと飲み込んだ。
「**……うまいな、これ**」
声が少し低くなっていた。
「**……お前、こんなもん、いつも食ってるのかよ**」
「**……ニャ**」
「**……毎日?**」
「**……ニャ**」
若者はもう一口齧った。今度はゆっくり噛んだ。味を覚えるみたいに。
「**……俺、トビー・グレイ。よろしくな**」
若者が自己紹介した。
ファーファが頷いた。
「**……ファーファ、ニャ**」
「**……ファーファ?変な名前だな**」
「**……ニャ**」
「**……いい名前だな**」
トビーが、笑った。
ファーファは何も言わなかった。
トビーがリンの方を見た。
「**お前は**」
「リンだ。こっちは、ユミル」
ユミルが軽く頭を下げた。トビーは口笛を吹いた。
「**お前らの、連れ、変だな**」
「だな」
リンは少し笑った。
トビーはジャーキーを半分残して、布に包んだ。腰のポケットにしまった。
「**……後で、食う**」
短く言った。
ジャーキーを残す動作が、丁寧だった。
腹が減ってない、というわけではなさそうだ。だが、その場で全部食わない。何か、別の事情がある——とリンには見えた。
だが、追及はしなかった。
「お前、街、案内できるか」
リンが言った。
「**できるぜ**」
「明日、頼みたい」
「**いいぜ**」
「銀貨、二枚、出す」
トビーが息を呑んだ。
「**……二枚?お前、太っ腹だな**」
「いい案内、頼むぞ」
「**……任せろ**」
トビーはまた笑った。
「**……明日、朝、ここで、待ってるぜ**」
「分かった」
トビーが踵を返して、路地の奥に消えていった。
ファーファがトビーの背中を見送った。
リンはファーファを見下ろした。
「お前、また、変なやつ、拾ったな」
「**……拾ってない、ニャ**」
「拾ったろ」
「**……拾ってない、ニャ**」
ファーファは頑なに首を振った。
ユミルが横で言った。
「**……リン様**」
「ああ」
「**……トビー様、観察します**」
「観察」
「**……身体、栄養不足、観測。指先、震え、観測**」
「腹、減ってんだろ」
「**……それだけ、では、ありません**」
ユミルが声を低くした。
「**……中毒性、検出**」
「中毒性」
「**……微量、です。例の、闇にゅーる、可能性、高い**」
リンは立ち止まった。
「あいつ、やってんのか」
「**……可能性、高い、です**」
ユミルが頷いた。
「**……ですが、まだ、軽度。判断、力、保持。意思、保持**」
「軽度か」
「**……はい**」
リンはファーファを見た。
ファーファは、トビーが消えた路地の奥をまだ見ていた。
「**……主**」
ファーファが低く言った。
「ああ」
「**……トビー、助ける、ニャ**」
短く言った。
ジャーキーを口にくわえ直した。腰の袋から出して、新しい一本を。さっきまで仕舞っていたやつだ。
「**……あいつ、痩せ、すぎ、ニャ**」
「だな」
「**……ジャーキー、足りない、ニャ**」
「ジャーキーで、解決すんのかよ」
「**……ニャ**」
ファーファは当然のように頷いた。
リンは肩をすくめた。
「明日、ジャーキー、多めに、持ってけ」
「**……ニャ**」
ファーファは満足そうに頷いた。
「**……主、ありがとう、ニャ**」
「ああ」
リンはファーファの頭を、軽く叩いた。フードの上から。
ファーファは目を細めた。猫っぽい、嬉しいときの目だった。
【了】




