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八 .火急

 雪原の元に火急の知らせが飛び込んで来たのは、ほどなくしてからである。


 その内容は、出兵の兆し有りと言うものではなく、すでに、旧都近くまで進軍しているというものだった。


 それも、「開世隊(かいせいたい)」がではなく「(はぎ)」が。

 正確には、萩と開世隊の連合軍が、だ。


「なぜ今まで気が付かなかった!」


 雪原は珍しく荒々しい声を上げ、城内、陸軍本部内は一瞬にして静まり返った。

 だが、雪原が感情的になったのはほんの一瞬だけ。

 答えは、すぐに雪原自身の中に湧いた。


「いや、すまない。続けなさい」


 雪原は促したが、報告の隊員は言葉に詰まっている。

 雪原の剣幕に気圧されたからではない。

 ぐっと奥歯を噛みしめると、意を決したように口を開いた。


「敵の総大将は…、冨康(とみやす)様です」


 室内の空気が揺れた。

 一同どよめく中、雪原は一人、冷静だ。


「やはり、そうか」


 今まで疑念だったものが、事実に変わった。

 冨康は萩に、いや、楠木(くすのき)の元にいる。


 保身の気持ちの強い萩国主、実盛(さねもり)のことだ。

 開世隊を認めても、萩の軍まで動かすことにはしり込みしただろう。

 それを楠木は、冨康を総大将にすることで、実盛を安心させ、萩の軍を動かしたのだ。


 それだけではない。

 萩進軍の知らせを発したのは、旧都に設置されている中央政府直属の機関、旧都(きゅうと)見守職(みまもりしょく)だった。

 それはつまり、進路にある国は、萩の進軍を黙認している、ということだ。


 もはや形ばかりではあるが、現将軍は冨康である。

 その冨康が総大将となれば、国主たちはその軍を止めることはできない。


 だが、問題もある。


 帝の許可を得ていない萩は、たとえ将軍の冨康を擁していても賊軍ということになる。

 この戦に勝利したとしても、帝から諸国に対し、萩討伐の勅令(ちょくめい)が下るだろう。


 どう転んでも、萩に勝利はない。


 他国が黙認するのみで、我も、と参加しないのはそのためだ。

 誰も賊軍に堕ちてまで、この国の変革を望みはしない。


 逆にいえば、萩は、いや、楠木は、そうまでしてこの国を変えようとしている。

 正確には、乗っ取ろうとしている。


 雪原はすぐに横浦(よこうら)に向かった。

 横浦には、海外から取り寄せた武器を保管している。

 それらを都に運び、さらに、滞在している諸外国の外交官たちに警戒を呼び掛けると同時に、横浦に一斉調査を入れた。


 敵の潜伏を警戒してのことだ。

 だが、開世隊員、萩の者、またそれと思われる人も武器の(たぐい)も発見されなかった。


 雪原はとって返すと城に赴き、もろもろの手はずを整えると、今度は本宅に向かった。

 雪原には、もうひとつ、果たすべき責任がある。

 玄関を入ると、息子、章太郎(しょうたろう)が飛び出してきた。


「父上! おかえりなさい。章太郎は手習(てなら)いが随分上達したのですよ。ぜひ見てください!」


 雪原が履物を脱がないうちから袖を引いている。

 なかなか会えない父の帰宅に、喜びが止まらないといった様子だ。

 それを、遅れて出てきた妻、節子が止めた。


「章太郎、お父様はお疲れなのですよ」

「えええ」


 隠そうともせず、全力で不服そうだ。

 雪原は微笑んだ。


「すぐ行くよ」


 その一言に、章太郎の不服に満ちた顔は、一瞬で満面の笑みに変わった。


「待っていますね」


 そう言って、元気に廊下を駆けて行く。

 その後姿を、夫婦で見守った。


「申し訳ございません。私のしつけが甘いばかりに」

「いや、元気があって、なによりだよ」

「もう(とお)になるのに、幼くて」


 節子の眉が困ったように垂れた。


 ――もう十歳か。


 雪原は息子の年さえはっきり覚えていないことに気づき、わずかに自責の念がわいた。

 それと同時に、柚月はあの年で親を亡くしたのだなと思うと、今、自分が死んだら、あの子はどうなるのだろうと頭をよぎる。

 自然、顔が曇った。

 その顔を、節子が心配そうに見つめている。

 雪原は安心させるように微笑んだ。


「変わりないか。すまない。何もかも任せきりで」

「いえ、お仕事、大変でございましょう」


 節子は、世の状態をおおよそ把握している。

 そして、雪原が帰ってきたわけも。


 節子は武家の妻として、申し分の女だ。

 家を取り仕切り、跡取りである章太郎の教育にも熱心で、夫の愛人である鏡子のことも承知しているが、何も言わないときている。


 武家の男に、側室、妾、愛人の類はつきもの。

 そういうものだと教えられて育ち、節子自身、そう思っている。

 唯一、あまり笑わないのが、玉に(きず)といったところだろう。


 雪原が部屋に行くと、待ち構えていた章太郎は、夢中であれこれ話した。

 この顔。

 幼い頃の自分を見るようだ、と雪原は思う。


 ますます似てくる。

 周囲が笑うほどに。


 ただ、麟太郎のようにすさんだ目をしていない。

 これも節子のおかげだと、雪原は思っている。


 節子も加わり、親子団欒(だんらん)の時間をすごした。

 久しぶりの、そして、これが最後になるかもしれない。

 そうと知らない章太郎だけが、終始、無邪気な笑顔を見せていた。


 そして夜、雪原は節子と並んで床に就いた。

 横になってしばらくして。


「明日、出陣する」


 雪原が口を開いた。

 静かな声だ。

 節子は天井を見たまま、ただ、


「はい」


 とだけ答えた。

 またしばらく間をおいて、


「もし、私が戻らなかったら」


 と、雪原が言いかけると、


「あなたはお戻りになりますよ」


 節子は遮った。


「そのために、帰って来られたのでしょう。」


 静かな声には、確認に満ちた芯がある。


 節子は嫁いですぐ、夫の腹のうちに気づいた。

 一見穏やかなようで、その内には黒い、憎しみを抱いている。

 恐ろしい人だと思った。


 だが、一緒に日々を過ごすうち、雪原の生い立ちを、そして何より、雪原麟太郎という人間を知るうちに、恐れる気持ちは和らぎ、そればかりか、その願いを守ってやりたいとさえ思うようになっていた。


 だから、雪原が出世の道から外れる外務職を選んだ時も、何も言わず、表情さえ崩さず、ただ、


「あなたの御心のままに」


 とだけ言った。

 そして今、その思いを遂げるため、満を持して帰ってきた。

 雪原の願った通り、兄たちを超える地位を得て。


 今や、政府の誰もが雪原を頼っている。

 参与(さんよ)の長兄さえ、苦々しい思いを噛み殺しながら、この五番目の弟に願いを託している。


 この争いを納められるのは、麟太郎しかいないと。


 雪原はちらりと節子を見た。

 よくできた妻だ、と、思っている。

 自分には、もったいないとも。


「お前も、もっといいところに嫁げばよかったのに」


 本音が漏れた。

 節子はふふっと微笑む。


「あなた以上の方は、いませんよ」


 雪原は知らない。

 節子は、いやいやいるのではない。

 しっかり雪原に惚れている。


 良いも悪いも、すべて飲み込んで。

 雪原が、まだ誰も知らない、雪原家の五男坊だった頃から。


 翌朝、いつものように章太郎も玄関に見送りに来た。


「今度はいつ、お戻りになるのですか?」


 寂しそうに聞く。

 この子供は、世の中の事情など知らない。

 ただただ大好きな父に会えず、寂しがっている。

 その顔を見ながら、大きくなったな、と雪原は改めて思った。


「お父様を困らせるものではありませんよ」


 節子に制され、ふてくされる章太郎を見て、雪原に笑みが漏れた。


「すぐに戻るよ」

「本当ですか!」


 章太郎の顔が、ぱっと明るく咲く。

 その後ろで、節子が複雑な笑みを浮かべている。

 雪原はその節子に微笑みかけた。


「行ってきます」


 玄関を出た。


「いってらっしゃーい!」


 章太郎の明るい声が背中を押す。

 雪原麟太郎の、初陣である。


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