瑠璃青の竜胆【前編】
瑠璃
今回はあまり奈落は出てきません。利一の過去回です。
彼はあまり本編で動き回る人物ではないのですが、個人的お気に入りキャラなのでつい書いてしまいました。
ところでこれは年齢指定を付けたほうがいいのかどうか、非常に悩ましいです。
運悪く、その時は風邪を引いていた。鼻水が止まらないし、腹も下していた。非常に最悪な気分だった。
とはいえ、診療所に行くほどのことでは無いと思った。何より、面倒臭い。下宿している長屋には幸いまだ蓄えがある。気分が優れるまでこのまま布団の中で転がっていようと思っていた。
飼い猫が死んだ、と妹の鼓梅が長屋を訪れたのは、そんな折だった。
妹と言っても、腹違いだしつい数年前まで顔も存在も知らなかった少女だ。だけどまぁ、家にいた頃は別に嫌とも思わなかったし、向こうもそれなりに距離を詰める努力はしてくれていたので、辛うじて兄妹のようにはしていた。ともかく、その妹がそう言ってわざわざ足を運んで来たので、否応無くあの気が重い生家に顔を出すことになった。
宝生家。自分の生家であり、都市開発の影響で成り上がった大地主。まるで絵に描いたような金持ちの家だった。
「…あの狸親父が死ねば良かったのに」
「滅多な事を言うものではありませんわ、お兄様」
利一の悪態に、鼓梅が窘める。白いワンピースを着た見るからにお嬢様然としている鼓梅に対し、どう見ても貧乏書生にしか見えない利一は宝生家の中でも浮いていた。
「俺は家を追い出されているから関係ないよ」
「それでも、お兄様はまだこの家の長子ということになっていますし、まだこの家を継ぐ権利をお持ちです」
「妾腹の子でも?」
そういって利一はへらりと笑う。利一の自嘲に鼓梅は眉を潜めた。
「…私たちも大差ありません。母様が本妻だったのを知ったのは、ここに来た時でしたから」
十にも満たないこの妹は、やたらと大人びていて聡明な少女だ。恐らくは複雑な生育環境によるものなのかもしれないが。
珍しくもない話だった。地主の妾の下で生まれた利一は、男児の後継ぎがいない宝生に母と共に引き取られた。宝生にはあまり仲の良くない本妻がいて、同居はしていない。だがその本妻との間に男児を含む子ども、鼓梅と虎徹の双子が生まれたのでそちらが後継ぎ候補として同居することになった。利一は素行の悪さもあり、やがてある理由のため家から追い出された形だった。今はまだ利一に相続権があったが、やがて弟の虎徹がそれなりの年齢になればそちらに相続する手続きが進むだろう。本当に、金持ち連中の中ではありふれたどこにでもある話だ。
「あらやだ、坊ちゃんじゃないですか!」
階段を登りきったところで、利一は下働きの女に声を掛けられた。利一よりは年上だが、そこそこに若い見目のいい女。如何にも宝生が好きそうな女だった。この家にはそういった女が多く働いている。
利一は女と目が合うと、またへらりと笑ってみせた。
「やあ、姐さん。久しぶりですね、会いたかったです」
「まあ嬉しい。でも坊ちゃんは女に不自由なんかしないでしょう?外に沢山いい人がいるんじゃないですか?」
「いやぁ、僕なんか全然ですよ。若輩者ですからね、世間は厳しいものです。またここに戻ってきたいなぁ、姐さんが優しくしてくれるのに」
利一は微塵も表情を変えずに心にも無いことを言う。小さい頃から擦れた女に囲まれて育ったせいだろうか。相手がどんな言葉を望んでいるのかが大体わかるので、人当たりの良さは周りに引けを取らなかった。
「やあだ、坊ちゃんたらお上手なんだから」
「いや、本当ですって…そうだ、僕風邪を引いちゃったんですよ。今晩姐さんのところに行ってもいいですか?あの長屋は寒くって」
「大人をからかうもんじゃありませんよ、坊ちゃん!」
女は大げさにそう言ったが、満更でもないのがありありとわかった。女は利一の頬に接吻すると、手を振って仕事に戻って行った。
隣にいた鼓梅は、あからさまに嫌そうな顔をしていた。
「よくもまぁ、いけしゃあしゃあと…」
「体に染みついた癖って怖いなぁ…。糞。あの女、紅を引いてやがった」
利一は手拭いを出して、頬についた紅を拭ったついでに鼻をかんだ。
「…あの人は、お兄様の噂をご存知ないんでしょうか」
「多分、知ってると思うよ。でもほら、女性って危険な若い男に惹かれるらしいから」
「自分でいいます?」
呆れたように返す鼓梅に、利一は鼻をかんだ手拭いを懐にしまってどうでも良さそうに答えた。
「顔の作りが整ってんのは親父似なんだろうな。それだけは感謝してるよ、色々と便利だから」
そう。とても便利だ。だが、利一がこの家で苦しんできたのも、その整った容姿が原因だった。
元は利一が暮らしていた部屋で、猫はまだ埋められずに寝床の上に丸まっていた。真っ白で、耳や手足などの末端だけ茶色いシャム猫のような毛足の長い雑種だった。
「…ああ、実際目にするときついものがあるな。本当に死んじまったんだな」
「お兄様に懐いてた猫でしたから…虎徹とも相談したんですけど、埋める前にお兄様を呼ぼうって」
「うん、ありがとう」
そう言うと、利一は鼓梅の頭を撫でた。鼓梅は撫でられた頭に触ると、少し照れたような複雑な顔をした。
「後は俺がやっておくよ。気を遣わせて悪かったな」
「…いえ」
そう言うと、鼓梅は少し利一を見上げて、また目を伏せて部屋を出て行った。同じ年頃の子どもはもっと溌剌としているものだが、鼓梅には覇気がない。はぁ、と利一は溜息をつくと、座り込んで猫の亡骸を撫でた。
額の上から後頭部のあたりを撫でると、擦り寄ってくる猫だった。玩具で遊んでやると、遠くに投げた玩具を咥えて持ってくる犬のような仕草もした。大家が動物を嫌ったので置いて行ったのだが、此処を出る時に連れて行ってやればよかったと、利一は少し後悔した。
「下女たちが浮き足立っていると思ったら、お前か」
利一は声のした方に目を向けると、ドアの前に宝生、利一の父親が立っていた。宝生は猫の亡骸に目を向けると、ふん、と鼻を鳴らした。
「その猫には、随分と部屋を荒らされた。大して鼠も取ってこなかったな」
「貴方には懐いていなかったのでご存知無いだけですよ。ちゃんと役目を果たす可愛い子だったのですが」
猫は金にはなびきませんからね、という嫌味は胸の内ににしまい込んだ。別に敢えて喧嘩を売る事も無い。
「此処にくるならもう少し身なりを整えて来い。なんだその貧乏たらしい服は」
「少し哀れっぽいほうが、女性の憐憫を誘うんですよ。食事に困らないので、助かります」
そう言って利一は、またへらっと笑う。その利一の表情を見て、宝生は眉を顰めた。
「…またあの悪癖が出てはいないだろうな」
「なんのことですかね?」
「あれは、何故か女からあまり文句が出ないのだが、表沙汰になると揉み消すのが厄介だ。悪い遊びは程々にしておけ」
吐き捨てるようにそう言うと、宝生は部屋に入る事もなくその場を去った。
利一は浅く溜息をつくと、猫の亡骸に顔を埋めた。
「冷たいなぁ…」
『うふふ、ほぉら可愛くなった』
『よく似合うわ。まるでお人形さんみたいね』
『ほら、お洋服を脱いで。あら、駄目よ全部よ』
『可愛いわ。次は何を着せましょうか』
『このまま着せないでおくのも可愛らしいわね』
『あら、それは素敵ね。可愛らしいわ』
『可愛らしいわ、坊ちゃん』
「やめろっ…!!!」
うなされて目を覚ますと、元の部屋だった。
利一はいつのまにか眠っていたようだった。やはり、体調が良くないせいだろうか。しばらくあんな夢は見ていなかったのに。
動悸が止まらない。呼吸が早くなっている。女たちの声が耳にまだ残って離れない。利一は小さく舌打ちした。
苛つきを抑えられないまま、部屋に置いていった洋服箪笥を力任せに開ける。中から出てきたのは夥しい数の、女物の服だった。ワンピース、スカート、ブラウスなどの洋装から、真っ赤な襦袢や花の散らされた可憐な着物まで。それは、夢の中に出てきた女たち…この宝生家に勤めていた下女たちが、利一に着せていたものだった。
宝生家に引き取られてからは、利一は部屋を与えられて教養を身につける機会を得る事が出来たが、母親は違った。無学で身分も無かった母は、下女たちに混ざって働く事になった。一度でも宝生に見染められ、子宝にも恵まれた母は下女たちの羨望と嫉妬を一身に受ける事になった。口にするのも憚られる程の仕打ちを彼の母は受けていた。その母の息子である利一も下女たちに目を付けられた。幼い頃から顔立ちが整い、少女と間違われることもあった利一は下女たちの格好の玩具だった。年端もいかない少年が、嫉妬に狂った女たちの欲望の吐け口になったのだ。
女の欲望とは複雑怪奇で、単純明快な男のそれとは一線を画するようだった。ただひたすら擽られ続けることもあったし、犬皿から食事を取らされたり、未発達の体で自慰を強要させられたり、服を取り上げられて粗相させられたりと、幼い利一にとって屈辱的な諸々を強要された。その中でも女たちが特にお気に入りだったのは利一に女の格好をさせる事で、これは利一が相当の年齢になるまで続いたし、なんならそれらの仕打ちは女の格好の状態で行われる事が多かった。
いつからか、利一は心を殺す事を覚えた。抵抗しても女たちを悦ばせるだけだった。母は心労が祟ったのか早逝した。
利一は洋服箪笥の中の服を掴むと、力任せに引き裂いて投げ付けた。そのまま座り込んで、荒くなっている呼吸が整うのを待った。
やがて、呼吸が落ち着くと、利一は冷静さを取り戻した。
「…墓、作りに行かなくちゃ」
利一は、動物が好きだった。
きちんと面倒を見ていれば彼らは懐いてきたし、母親が動物好きな人間だったので、この家に来る前は常に何某かの動物が身の周りにいた。
だが、ここに来て飼い始めたこの猫には随分と苦労をかけた。利一親子の飼い猫となったこの猫は、随分と下女たちの餌食になった。それでもすばしこく、時には凶暴に時には可愛らしく、したたかに生き抜いた猫だった。利一は随分この猫に気持ちを和ませてもらったものだった。
利一は猫の亡骸を布で包み、宝生家を後にして弔えそうな場所を探していた。なんとなく、宝生家の庭に埋めたくはなかった。
町外れまで歩くと、田畑が広がり始めて視界を遮るものが減ってきた。もう日がかたむきそうな頃なのがわかった。空がうっすらと色付き始めている。
また、鼻水が垂れ始めた。本当はこんな時に出歩きたくは無かったのだが仕方がない。利一は一旦猫を足元に置いて、手拭いを取り出して鼻をかんだ。
「よぉ、酷そうだな」
突然、背後から声を掛けられて利一はびっくりした。振り返ると、紺の着物と羽織を纏った、黒い中折れ帽の老人が立っていた。
「えっ…?はあ…?」
声を掛けられたので知人だろうかとも思ったが、全く心当たりがない。利一はこれでも比較的人の顔を覚える方だが、覚えが無かった。
「ああ、儂ゃ通りすがりの薬屋だ。なに、お前さんの鼻が酷そうだったもんでな。ちょいと気になっただけだ」
そう言うと老人は、懐に手を突っ込んで巾着袋を取り出し、中を覗き込んだ。だが、すぐに顔をしかめて巾着を閉じた。
「…駄目だ、手持ちの薬はねぇな。おいお前さん、今暇か?暇なら儂の店まで来い。そこなら薬を調合してやれる」
それは、利一にとっては有難い申し出だったが、少し困った。出来れば先に猫を弔ってやりたかった。
「あの…すみません。ちょっと先に、やらなければならない事があって…」
「…あ?」
そう言うと、利一は包んだ猫を抱え直して、少し布をめくって老人に見えた。老人は猫を覗き込んで、ふむ、と口の中で呟いた。
「死んだのか」
「先に埋めてやりたいんです。その後でもいいですか」
「…じゃあ儂も付き合うかの。こっちがいいぞ、広いし春には白詰草が咲く」
そう言って、老人は先に歩いた。なんだか奇妙な事になったな、と思いながら、利一は老人の後ろを歩いていった。
猫を埋葬してやると、利一は老人の案内で商店街の一角にある薬屋に来た。
「極楽堂鉱石薬店…?」
「ああ。儂が営んでる石薬の店だ。孫が下働きをしていてな…奈落。おい、奈落?」
「奈落?」
「孫の名前だ。極楽院 奈落。洒落とるだろ、儂がつけたんだがな」
そういうと、老人は中に入って孫を呼び続けた。だが、何も音沙汰は無いようだった。
「ふむ…おらんな。茶でも出してもらおうと思ったんだが、また本でも読み耽っておるのかもしれん。仕方のない。…おい、何をしてる。中に入れ」
老人に呼ばれて、引き戸の中に足を踏み入れた。入口の近くにはテーブルと寝椅子、薬棚が何個も並び、そこには薬瓶に入れられた色鮮やかな鉱石や粉末、用途のわからない器具などが置かれていた。
利一は、その奥に飾られていた一枚の絵に目を奪われた。日本画風の絵で、金地に鮮やかな青い竜胆が群生している。手前に一株だけ、透明感のある白い鈴蘭。絵としての技巧が素晴らしい、というわけでもないのだが、妙に利一の心に刺さるものがあった。
「鼻水だけか?熱はどうだ」
老人の声に、利一は我に返った。
「ええと…どうでしょう。鼻が酷くて頭もぼんやりするんですけど、熱はわからないです」
「ふむ、ちょいと失礼」
そう言うと、老人は手の甲を利一の額やうなじに押し当てた。老人の少しざらついた手の感触に、利一は少し気まずさを覚えた。そんな利一の違和感を察したのか、老人はニヤリと笑って手を引っ込める。
「若いおなごだったらよかったの、お互いにな」
「…はあ」
「体温計もあるにはあるが、まぁ熱は問題ないだろう。風邪というよりは鼻炎かもしれんな。まぁ、医者ではないから断言はできんが…ふむ。瑠璃あたりか?」
そう言うと、老人は店の奥へ戻っていった。しばらくすると、なにかを砕くようなガリガリという凄い音が響いてきた。
利一はぼんやりと店の中を見回していると、後ろで店の引き戸が開く音がした。振り返ると、長い髪をひとつに結っただけの簡素な姿をした女が麻袋をいくつか持って立っていた。薄汚れた白い浴衣に股引を履いて前掛けをしているその姿は一瞬女性と認識できなかったが、豊満な胸部の自己主張が激しかったため女性と認めざるを得なかった。
女性は利一を見て少し頭を下げると、そのまま店の奥に入っていった。ちょうど何かの作業が終わったのだろう、先ほどの大きな音はやんでいた。
「じい様、帰ってたんですか」
「なんだ奈落。どこをほっつき歩いてた、店番もせずに」
「散歩してたのはじい様でしょう。また客を拾ってきたんですか?素石の行商が来るのは今日だったでしょう、買い付けに行っていたんですよ」
「おお、そうかすまんな…お前、またそんな格好で外に出たのか。もう少し恥じらいというものをだな…」
「戻られたなら、もう店番はいいですよね。少し休んできていいですか、本が読みたい」
そう言うと、女は階段を上って上に行ってしまった。
会話の内容から察するに、今の女が老人の孫であるらしい。下働きをしていると聞いたので男かと思っていた利一は、呆気にとられた。そしてあまりの素っ気なさにも意表をつかれた。
老人は水の入った器と、いくつかの包み紙、謎の器具を盆に入れて携え、利一のところまで戻ってきた。
「まぁ、椅子にでも座ってくれ。すまんな、愛想の悪い孫で」
「いえ…」
「あれでも少し前まで女学生だったんだがな。何かあったようで、それから全く着飾らなくなってしもうた。仕事や商いの勉強はしっかりやるのだが、身なりに全く気を使わん。たまに寝間着のまま店に出てしまう。なんとかしてやりたいんだがな」
老人が、本心で孫を心配しているのが見て取れた。
利一としては、今まで遭遇したことのない女だった。利一の周りにいた女は実家の下女のように、下心を隠すこともなく媚びたり支配してくるものが殆どだった。
「さて、お前さんだ。鼻が酷いんだったな。他に気になるところはあるか?」
「…腹が下ってるんですよね」
「ああ、それはこまめに水を飲んでおけ。こういう時は無理に薬で止めると良くない。酷いようなら診療所に行くんだな」
薬屋なのに特に薬を勧めるわけでもないのが、利一はなんだか妙におかしかった。老人は手際よく器の水の中に、持ってきた包みの中の粉を入れて混ぜた。薄い橙色の粉と、鮮やかな青い粉だった。
「それは?」
「瑠璃の粉だ。こっちは岩塩。塩を入れないと、酷い目に合うからな」
「…?」
そういうと老人は、その水を謎の器具の中に入れた。先端に柔らかくて細い管が付いている。
「ほれ、鼻を出せ」
「鼻?」
「洗浄だ。鼻炎にはこれが一番効く」
「えっいや洗浄?」
「こう、鼻の穴から水を流してだな」
「いやいやいやいやいや冗談…」
「冗談なものか。ほれ、大人しくせい」
利一は老人に頭を抱えられて片方の鼻の穴に管を突っ込まれた。本能的に、これは暴れるとヤバいと思ったのか途中から利一は大人しくなったが、その絵面はとても酷いものだった。
…
「…」
「どうだ、スッキリしただろう」
「…ええ、まぁ」
不本意ながら、利一の鼻は本当にスッキリしていた。片方の鼻の穴から入れられた管から先程の水が注がれ、もう片方の鼻の穴やら口の中に流れてきた。口の中に入ったものは飲み込んでも構わないとのことだったので、多少利一はそれを飲み込む羽目になった。
鼻が痛くなるかと思ったが、不思議と痛くはなかった。「塩を入れておかないと大変なことに…」というのは、この事だったのだろう。浸透圧とかいうやつだ。
「薬と言うから飲み薬か何かだと思ってました…」
「飲み薬とは一言も言っとらんな」
「そうですね…」
利一はどっと疲れた表情をした。痛くは無かったし、確かに良くなっている。だが、なんだろう。納得できない。これで症状が改善している自分の体が腹立たしい。
「洗浄すると一時的に爽快感が得られるから、酷い時はそれが一番だ。中に瑠璃を混ぜておいたから、鼻炎もじき落ち着くだろう」
「瑠璃に、そんな効能があるんですか?」
「耳鼻咽喉や、風邪の症状に効くな。血の巡りも良くするぞ。粘膜から摂取すれば効きも早い」
「そうなんですか…」
石薬、いわゆる鉱石薬。利一はあまり利用したことが無かったが、そう言うものがあるということは知っていた。
「瑠璃は…青い石でしたね。金の混じった深い青色の…」
「ほお、良く知っとるな」
「…母が後生大事に持っていたネックレスが瑠璃だったんです」
「ああ、宝生は女にそういったものを与えて手篭めにしていたな」
「!?」
不意に、老人から宝生の名前が出てきて、利一は目を見開いた。老人は悪びれることもなく、鼻洗浄の道具を片付けながら話を続けた。
「何を驚いておるか。儂が何も知らんで声をかけたと思ったか?お前の事もよく知っているよ、宝生利一。…いや、『宝生の吸血鬼』とでも呼ぼうかの?」
「…何故、ご存知で」
「あれを揉み消したの儂だもん」
こともなげにそう言う老人に、利一は酷い目眩を感じた。何故、それを知りながら自分に近付いたのか。この老人は、一体どこまで知っているのか。
「貴方は、一体…」
「儂は、極楽院恭助。ただの薬屋の爺いだ」
そう言うと、恭助と名乗った老人はにやりと笑ってみせた。
後編に続く
続きます。