11話 『日常に潜む』
薄暗い路地を一人の若い女がだらだらと歩いている。
身長は5フィートと少し、顔立ちから推測できる年齢は十六か十七といったところ。
フレンドリア国立魔法学校の制服である短めの紺のローブを着込み、四角い荷物を背負っている。
容貌はそれなりに整っており美人の範疇だが、鋭い目つきと薄い唇のせいで、美しいというより恐ろしい印象が強い。
フレンドリア城下町外周、南西地区に位置するこの路地周辺はあまり治安のいい場所ではなく、身奇麗な人物、それも少女が日常的に通行するにはいささか危険である。
しかし、彼女だけは話が異なる。
元は北東地区の住宅街に住んでいて、金に困って家を売り払ったという噂だった彼女の家族が南西地区に引っ越してきたのは七年ほど前。
最初こそ落ちのびてきたよそ者と舐められていたが、半年も経たぬうちにその評価は逆転した。
いまやこの栗毛で痩せぎすの女は、一帯のならず者達にとって恐怖の象徴なのだ。
顔役や警備兵どころか、保安官や宮廷魔道士よりもずっと危険な存在として周知されており、地区一番の荒くれ者すらも決して手を出さない。
屋台の軽食を二人分購入し、ついでにたむろしている柄の悪い連中を視線のみで追い散らした彼女は、軽く伸びをすると路地を曲がって少し奥にある小さな一軒家へと消えた。
「帰ったわよ」
返事はない。
少女はそれを気にするでもなく戸締りを済ませ、棚に軽食を置いた。
安物の魔法灯の淡い光に照らされている少女の影が不自然に伸び、泡立つ。
無造作に抛った荷物と、脱ぎ捨てた制服ローブが影に吸い込まれて消えた。
さらに変化は続く。
少女の輪郭が揺らぎ、モザイクがかかったように点滅しながら歪んでゆく。
ノイズが晴れると、そこには先ほどの栗毛のハイティーン少女とは似ても似つかぬ、半袖にショートパンツという格好の子供が立っていた。
七歳児ほどの体格で、滑らかなプラチナブロンドのショートヘアと青い宝石のような瞳が印象的だ。
いささかサイズが合わなくなった靴から横の小さなサンダルに履き替えた子供は軽食を回収し、少し歩いて二つ並んだドアのうち奥まった方を開けた。
室内には木の机が一つと、ペラペラの布団が乗った古びた寝台が置いてある。
子供が机を軽く蹴った。
「認証を行います――確認されました」
ボロ家には不相応な、大型建造物用セキュリティ魔法じみたメカニカルな低い声が響く。
直後、ガコンと音を立てて床板ごと机が滑りはじめ、妙な文様を掘られた石の階段が現れた。
子供がそこに滑り込むと机が再び動き出し、入り口が閉じられる。
後には今ひとつ生活感に欠ける無人の部屋が残された。
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「……ううむ、第五百三十回路が」
「全くの馬鹿だなリッチモンド、そうじゃない外から回せ。
それより問題は外付けの……」
広大な地下室が、魔法の灯りに照らされている。
その奥、様々な機構や実験器具や書物に囲まれた岩の机で、栗毛の中年男性が何やら設計図のようなものと格闘していた。
男の肩からは、小さな男の幻影が生え、助言や罵倒を行っている。
「む、早かったな」
男がペンを置き、幻影を叩き潰すように体内に収納して肩をごきごきと鳴らす。
振り返ると、軽食が入った箱を抱えたプラチナブロンドの少女が肩をすくめていた。
「食事よ。
それにしてもさ、研究もいいけどたまには外に出て働くとかどう」
「金に困ってからで良い。
そして、グレアがおるからわしが金に困る事は決してないな、うむ。
つまりわしが働く必要は無いのだ、セレストよ」
「グレアさんに日銭稼ぎさせるのいい加減やめたら?
たまには大悪魔らしい仕事回さないと、ぶち切れるわよ」
「……何だその、わかった、うむ、考慮はする、考慮は。
でだ、首尾の方はどうなった」
挨拶代わりとなりつつある耳の痛い言葉を聞き流し、滑らかに話題を切り替えたリッチモンドがセレストから食事を受け取った。
薄焼きのパンで肉を巻いた屋台の味であり、リッチモンドの好物だ。
「宮廷付属魔法研究所に決まったわよ。
教職方面も面白そうだったけど、やっぱり最新知識の方が憧れるわ。
ただ、魔法学自体は高祖父様の時代からそんなに変わってないみたいで、新理論となると大体結晶技術関連なのよねえ。
結晶はどちらかといえば高祖父様より……」
セレストの口から外見に似合わぬ言葉が次々と出てくる。
それもそのはず、彼女がリッチモンド式魂魄格納型強化精神不滅体となってから既に十年近く経過しているのだ。
三年前にサーディアンで因縁の相手と戦い、変化魔法を手に入れたセレスト達はフレンドリア人の戸籍を買い、魔力紋と外見を偽装して城下町外周に居を構えた。
そして変化魔法により擬似的に成長しつつ、フレンドリアの中枢に食い込む下地を作るため国立魔法学校に通っている。
回りくどい方法をとっている理由は非常に単純で、単にセレストが学校に行ってみたり友達を作ったりしてみたかったからだ。
ただし、六年間の学校生活そのものは満喫したものの、今のところ親友と呼べるほどの友人はできていない。
別にセレストのコミュニケーション能力に問題があるわけではなく、引っ越した当初、自宅周辺を制圧する際に生まれた人間関係と恐ろしい評判のせいだ。
荒事にあまり縁のない城下町の学生が、名だたる悪漢と交友のあるセレストを見て震え上がったとしても無理からぬ事であろう。
「今の研究室はどうなっておるやら」
「あ、そういえば所長のアラビアータって人が高祖父様の弟子の孫らしいの。
接触してみたらどうかしら」
「わしは別に人と喋りたくはないのだ」
これである。
リッチモンドは肉体を得たにもかかわらず、決して外出しようとしない。
本に憑依していた頃の方がまだしも外気に触れていたぐらいだ。
最初の頃はセレストも、変化魔法で偽装しているとはいえ魔力紋を暴かれる事を恐れているのだと思っていた。
だが、そうではない。
リッチモンドという男は根本的に引き篭もりであり、食事と研究の他は、誰かにものを教える事ぐらいにしか興味を示さない。
そして、どんな難解な知識も一瞬で吸収できるセレストと、それに順ずる高い情報処理能力を持つスナッチのせいで教えたい欲求は完全に満たされ、消滅していた。
今や彼が地下室から出るのは排泄と、セレストが留守の時の食事に限られる。
それらすらも代謝を落としているせいで数日に一回程度だが。
いくら天才学者で講義の依頼も受けていたとはいえ、こんな高祖父がどうやって子孫を残したのかはセレストにとって最大の謎の一つだ。
「……はあ。
ところで、ちょっと問題が発生したんだけど」
「む?」
「魔法研究所は、職場振り分けの時に魔力紋と固有形質のチェックがあるみたいで。
魔力紋はどうだってなるわ、でもわたしの身体、形質検査するとどんなふうに見えるのかな」
渋い顔をして腕を組むセレストのプラチナブロンドが不機嫌そうに揺れた。
固有形質は魂が持つ遺伝情報の一種であり、肉体や魔力の伸びしろと特殊能力の発現可能性などに影響する。
ごく最近まで占いや身体的特徴、魔力量などから漠然と推測されていた固有形質だが、魔法研究所が最近開発した大掛かりな機械により、ある程度詳しく計測できるようになったのだ。
今のところセレストの正体を確定させるような情報はこの世にないため、少なくとも何かと照会されて妙な話になる可能性はない。
しかし、人間でないどころかまともな生物ですらないセレストを調査した場合にどういう結果が出るかが全く未知数である。
騒ぎにならないとは言い切れぬ。
「ふうむ、要は結果に関係なく問題が起こらなければいいんだろう。
スナッチを使って魅了と精神操作で黙らせてしまえ」
「高祖父様、スナッチは今使えないわ、リンちゃんと一緒にサーディアンに潜入させてるから。
そりゃ従者召集で呼び戻せない事もないけど」
「サーディアンはまだ落ち着かんのか」
「フハハ、俺がいなくては今のあの国は成り立たんからな、当然ぞ。
つまり貴様は俺に身体を返すべきだ」
「黙れセヴァン」
セレストが昔住んでいたサーディアン王国は、この大陸ではフレンドリアの次に大きな国だが、現在極度の混乱状態だ。
主な原因はセレスト達が変化魔法を手に入れる際に、サーディアン王国の国務大臣で議会の調整役だったナーベク・ベルトルッチを倒したことにある。
ナーベク大臣こと狂気の研究者、多相生物セヴァンがその知識と変身能力でもってサーディアンを半私物化していたのは事実。
しかし、実際問題その運営はセヴァンとグレアの能力にかなり依存していたのだ。
あれから七年、権力闘争と経済崩壊により荒れ果てたサーディアンは周囲の小国家からの略奪により何とか生きながらえていた。
そんなこんなで多少の引け目もあり、セレストは工作員としてスナッチとリンガーリングを送り込み、情報収集と気休め程度の治安維持にあたらせている。
「いいんだけどね……それでどうしよう」
「グレアに魅了を使わせてもよいが、奴は壁の中に潜めんから現地待機が難しいのよな。
精神操作の性能自体はスナッチよりずっと上なのだが」
「グレアさん連れていったらいったで面倒が起こりそうだし。
力押しはやりたくないけど、やっぱり何かあってからその時に検査役を脅迫して黙らせるしかないかなー」
「検査役の自宅が割れておるなら、前もってグレアに操らせておくというのは」
「ダメよ高祖父様、見学に行ったとき確認したけど物凄く繊細な機械なの。
最初から精神操作してたら他の人の分も含めて、検査自体がまともに行えないわ」
「確実な処理は諦めるしかないな、まあ力押しでどうにかなるならそれはそれで良い。
サーディアンの件は放置するわけにもいかんだろうしのう」
「そっかー……じゃ、わたしはもう休むわ」
「うむ」
少しばかり落胆したセレストが非物質化で床に潜った。
研究地下室のさらに下には、通路で繋がっていない地下室がある。
リッチモンドは非物質化が使えないため、セレスト専用の個室だ。
地中で埃を落としたセレストが羽根のようなスローモー落下で天井から現れ、サンダルを部屋の隅に投げ捨てる。
柔らかく巨大なクッションの上に着地したセレストは、明日以降の予定を軽く諳んじて目を閉じた。
彼女の身体に睡眠の必要はないが、娯楽だ。
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丸い大部屋の中で、白塗りのなにやら大掛かりな機械が唸りを上げている。
宮廷付属魔法研究所が開発した光学式魂形質調査機の試作品だ。
全体的な印象はドアが無い歪な魔道車といったところで、そこから大量のパイプが伸びて部屋の隅の大型結晶炉に接続されていた。
赤青黄色の光に照らされた座席部分、つまり調査台には紺のローブを着た栗毛の若い女が一人。
しばらくの後、停止のアナウンスと共に光と駆動音が消えて女が立ち上がる。
大部屋のドアが開き、白い長袖の上下に片眼鏡をかけ、何やら書類を小脇に抱えた中年女性が入室してきた。
白い中年女性が複雑な表情を浮かべ口を開く。
「お疲れ様、あー、セアラさんは計測エラーがでているんですねえ。
魔力紋の方は問題なかったので、魂形質調査機の不具合か、それとも数値が測定範囲外か……。
ま、こいつはまだ完全じゃないんで出ないなら出ないで問題無いです。
適性不明って事でそのまま本部研究所になると思いますわ。
本日はお忙しい中ありがとうございました、では来期から勤務お願いするということで」
セアラ、というのはセレストのフレンドリアにおける偽名だ。
正確には購入した戸籍の名前であり、全くのでっち上げではない。
この名前で既に六年半を過ごしているセレストの応対は完璧である。
“セアラ”はその鋭い容貌を意識して緩め、柔らかな営業スマイルを浮かべた。
「あ、そうなんですか……いえ、特に不満などは。むしろ嬉しいです。
どうもお世話になりましたパトリスさん、それでは失礼いたします」
嬉しい、というのは決して配属の話のみのことではない。
通常の生物ではないセレストの固有形質測定結果が、妙なものではなく単にうまく測定できないだけで終了してくれて助かった部分だ。
いくらかの準備が無駄になりはしたが、何事もなく通るならそれがベストである。
もちろん、それを検査者であるパトリスに伝える事はないのだが。
「お疲れ様」
結晶炉関連の担当で、魂形質調査機開発主任でもある研究魔道士パトリス他数人に見送られ、“セアラ”は宮廷付属魔法研究所を後にした。
研究所が見えなくなるまで歩いた辺りで、彼女は大きく溜め息をついた。
“セアラ”の身体は少なくとも外見上は代謝があり、呼吸ができなくなったり通常死ぬような怪我をするとセレストの姿に戻ってしまう。
演技は完璧でもやはり多少気を使うのだ。
“セアラ”は少し先の屋台で氷菓を買おうとしている、同じく宮廷付属魔法研究所内定者のグループに視線を向けた。
同じものを買って話に加わるかどうか少し悩んだが、別に知り合いでもないことを思い出してやめにする。
彼女は水と氷の魔法において並ぶものなき腕を持ち、それゆえに氷菓はあまり好きではない。
金を払うのが馬鹿らしいと思ってしまうのだ。
それに、どうせ年が明ければ研究所内で嫌というほど顔を合わせることだろう。
今挨拶するほどのこともない。
「いや、うん、怖がられるのが怖いとか、そういうことじゃないのよ」
自分をごまかすように呟いた“セアラ”が再び歩き出す。
横を通っただけで丁寧なお辞儀と共にできたての串焼肉を差し出してくる、明らかに堅気でない屋台の男に定価の倍額を握らせて何事かを囁いた“セアラ”は、肉を美味そうに齧りながら雑踏の中に消えた。
“セアラ”は“セレスト”と違って平和主義者です。
殺しなんてとんでもない。
次は9月5日か6日になります。




