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楠先輩の不思議な園芸部  作者: ひょうたんふくろう
楠先輩の不思議な園芸部
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78 勉強の後のおたのしみ


 そして勉強会は進み、お昼の時間……にはちょっと遅いかな、と思えるくらいの頃合いになって唐突にその時間はやってきた。先程から華苗もひそかに気になっていたおいしそうな香りはよりいっそう強くなり、視界の端々では出来立てほやほやなご馳走が輝いている。


 すでに宿題を片付け終えた者はその時を今か今かと待ち構え、まだ終わってない者──具体的には秋山や桜井だ──は午後に本気を出すと決めたのだろうか、筆記用具をいそいそと片付けだした。


 そんな様子をおじいちゃんがにこにことしながら見つめ、合図を待っていた調理部長の青梅とお菓子部長の双葉にこくりと頷く。


 午前の勉強会が終わった事の、合図であった。


「それじゃあ、お昼ご飯兼試食会を始めるよー!」


「ご飯もお菓子も早い者勝ち! ただし、必ず感想は述べること! あと独り占めはダメだかんね!」


 園島西高校における勉強会のメインが始まる。わざわざ調理室で勉強を行うのは、ひとえにこの試食タイムがあるゆえだ。もちろん、勉強中だって軽く何かをつまんでいることが多いけれど、本気を出して作られたそれらとは比べられるはずもない。


「…俺たちも何か適当に貰うか」


「ですね」


 一緒に勉強している中で、調理部でもお菓子部でもないのは華苗と楠だけだ。よっちゃんも清水も佐藤も、立場としては提供する側となる。シャリィという例外こそいるものの、こちらもやっぱり提供する側としての面が強い。


「あ、華苗たちはそのまま座ってて大丈夫だと思うよ~?」


「うん。楠先輩なら向こうの方から──」


「楠くんお腹空いてるよね! 今日もいっぱい食べてって!」


「食べきれないなんて言わせないぞぉ!」


 清水が言い終わる前に、青梅と双葉が満面の笑みを浮かべてやってくる。楠にぞっこんな二人がこのチャンスを逃すはずもない。二人ともさっさと勉強を切り上げ、この瞬間のために腕を振るっていたのだ。大半の調理部やお菓子部がそうであったとはいえ、やはりこの二人の熱意は別格だったといっていいだろう。


「じゃあ、まずは私からね! すっごく熱いから気を付けて!」


「わあ!」


 どどん、と前に差し出されたのは見事なグラタンだった。大きな大きなグラタン皿にミートソースだろうか、赤いそれといい感じに溶けているチーズが見受けられる。ちょっぴり茶色い焦げ目のところがまたなんともおいしそうで、華苗の胃袋を容赦なく刺激した。


 ただし、このグラタンの本質はそこじゃあない。チーズよりも焦げ目よりも、さらに大きくその存在を主張しているヤツがいる。


「…これは──」


「名づけるならナスとコーンのミートソースグラタンってところかな!」


 そう、そのグラタンには贅沢にナスが使われていた。輪切りにされたそれはチーズを纏ってなんともおいしそうな仕上がりになっているし、時折見える濃く深みのある紫は赤と白のグラタンにアクセントとして良く映えている。散りばめられたコーンはさながら黄色い星のようで、見ているだけで楽しくなってくるくらいだ。


「一応聞くけど、食べてみたい人手ぇあげて!」


「「はぁい!」」


 無論、その場のみんなが手を挙げた。具体的には、華苗、よっちゃん、清水、シャリィ、佐藤である。青梅はそれを見て満足そうにうなずき、机の端に置いてあった取り皿を使って少しずつグラタンを取り分けていく。


 元よりみんなで分けるつもりで大きなグラタンを作ったのだろうが、そうでなかったとしても、楠ならば一人で食べきることが出来ただろう。いいや、華苗だって一人で食べきれるんじゃないかと思えるくらいに、そのグラタンはビジュアルだけでその美味しさを伝えていた。


「…それでは、さっそく」


 もちろん、最初の一口は楠である。その辺はみんな、わきまえていた。


「──!」


 楠の目から一筋の涙が流れる。美味しかった証拠だろう。


「……ねえ、おいしい?」


「…ええ、とても」


 青梅は花が咲いたような笑顔を浮かべた。女の華苗でもドキッとするような、そんな笑顔だ。黙々とグラタンを食べる楠をずっとにこにこと見つめていて、それ以上の言葉を発しない。きっと、発する必要もないと思っているのだろう。


 さて、そんな様子を見せられては華苗たちもたまったものじゃない。お腹の虫はずっとうるさく騒いでいるし、そうでなくとも目の前においしそうなグラタンがあるのだ。


 スプーンを使い、華苗はそうっとグラタンをすくう。ほんわりとした熱気と共に、ナスとトマトの香が華苗の顔を撫でた。


 ぱくりと一口。


「……おいしい!」


 ナスの香が素晴らしい。ミートソースを引き立て役にして、その存在を大きく主張している。ナスらしい瑞々しさはグラタンの中でも健在で、一口ごとにナスの旨味が口の中にあふれだしてくる。


 チーズと焦げ目のついたところなんて、もう言葉にできないくらいに最高だ。チーズの濃い味と深みが、焦げ目の香ばしい香りが、ナスのおいしさを何倍にも引き立てている。熱いおいしさとでも形容すべきそれが口いっぱいに広がって、華苗は心の底から楽しい気分になった。


「はっ、ふっ!」


「熱いから、気を付けて食べてね? ……慌てなくても、お代わりはまだあるから!」


 青梅のそんな言葉を聞いて、華苗もほんの少しだけ安心することが出来た。しかし、それでも食べるスピードはまるで落ちない。自分でももっとゆっくり味わって食べるべきだと思っているのだが、体のほうが言うことを聞かないのだ。


「グラタンなんて贅沢なもの……! まさかここで食べられるとは……!」


 慎重にふうふうと息を吹きつけながら、シャリィは夢心地でグラタンを食べていた。ほんのちょっぴり口の端を赤くしているところがなんとも可愛らしく、華苗は思わず、その口を拭ってあげたい衝動に駆られる。


「うふふ、確かにお家で作るってかんじの料理じゃないかもね。……佐藤くんはお家じゃ作ってくれないのかな?」


「家にちゃんとしたオーブンは無いですし、あったとしても電気代が怖くて……家計を預かる身としては、わざわざグラタンにする必要もないかなって」


「……その割には、新作のゲームとかついつい買っちゃってますよね? あたし、知ってるんですから」


「な、なんのことかわからないなあ?」


「佐藤くん……ちゃんと、シャリィちゃんに食べさせてあげなきゃだめだよ?」


「いや、それに関しては本当に問題ないです。むしろ、食べ過ぎを心配するくらい……」


「おにいちゃん、余計なことは言わなくていいんですっ!」


 兄妹の戯れを横目に、華苗は黙々とグラタンを食べ進める。ちらりと隣を見てみれば、よっちゃんも清水も余計な口は一切叩かずグラタンを食べていた。


 やはり、三人とも思うことは同じらしい。


「……ねえ、よっちゃん」


「……私も、思ったんだけど」


「…………うん、ちょっとまずいかも」


 文化祭において、華苗たちはナンを提供することが決まっている。そのレパートリーはオーソドックスにカレーと、そしてよっちゃん考案の【ミートコーン】の二つだ。


 そして、青梅が作ったこのグラタンは──ナスが使われているという一点を除けば、まさにミートコーンらしい仕上がりをしているのである。


「トマトの酸味とコーンの甘さ……思っていた以上に使いやすくておいしい組み合わせ……まさか、ここに来て部長に先を越されるなんて……」


「ん? どうしたの、よっちゃん?」


「な、なんでもないですヨ?」


 突然声をかけられて、よっちゃんの声は少し上ずった。どこからどう見ても不審な感じだが、青梅は少し首をかしげただけでそれ以上言及することはしない。


 このままじゃ余計な情報を与えただけで終わる──そんなことを考えたのだろうか、清水が口を開いた。


「青梅先輩! ずばり、このグラタンのポイントは!?」


「んー? やっぱり一番は園芸部のまごころがたっぷりこもったお野菜かなあ。ナスとトウモロコシっていう二つの夏野菜に、大地の恵みがたっぷり詰まったトマト。ミートソースとナスの組み合わせはよく知られているけど、コーンもここまで相性がいいのはちょっと予想外だったよ!」


「な、なるほど……」


「あ、あとね……こ、これが一番重要なんだけど……」


 青梅の顔がかあっと赤くなり、はっきりわかるほどにもじもじと照れだした。


「あ、愛情をたっぷりこめることかな!」


「……」


「ああ、やっぱり! 愛情って本当に重要ですよねぇ……! あたしも、いっつも愛情込めるようにして料理作ってます!」


 本気で言っているからタチが悪い、と華苗はぼんやりと思う。愛情だけで何もかも片付くなら、世の中の大半の女性は料理上手だし、華苗だって世界で一番のシェフになれるはずだ。というか、今現在の段階でそうなっていないとおかしい。


 園島西高校の調理部を除けば、愛情だけじゃ料理は出来ないのだ。


「……ちなみに、その心は?」


 秘蔵のレシピの一端を解き明かそうと試みたのか、よっちゃんが続きを促す。


「ほら、ちょっと不思議に思わなかった? どうして夏なのにグラタンなのかって。どうせなら冬のほうが良くない?」


「あ、たしかに! おいしいけどさ、このめちゃくちゃ暑い中でわざわざ食べるものでもないよね!」


 同意をしながら、双葉はぱくぱくとグラタンを食べている。言葉と行動が一致していないのは、それだけそのグラタンが美味しいという証拠であった。


「実はね……去年、楠くんにナスの料理を出そうとして言われたの。ちょうど秋ごろだったかなあ。いつもは全然そんなこと言わないのに、『先輩はナスを食べないでください』って。秋山くんとは普通に焼きナスとか食べてたのにね」


「へ? そりゃまたどうして?」


 楠は基本的に、自分が育てた野菜を食べてもらうことに喜びを感じる人間である。そんな楠がわざわざ青梅だけに名指しでそんなことを言うとは、華苗には到底思えなかった。


「後からおじーちゃんに教えてもらったんだけど……」


「ふむふむ?」


「【秋ナスは嫁に食わすな】って言葉があるんだって! わかる!? 嫁だよ嫁! ナスは体を冷やす食べ物だから、大事なお嫁さんに食べさせるべきでないって言葉! 悪い意味って解釈もあるんだけど、それにしたって嫁だよ!?」


 それはもう、嬉しそうに青梅は語る。


「それを聞いたらもう、感極まっちゃってぇ……! もう、なんて言えばいいのかなぁ……!」


 夢見る乙女という言葉を体現するかのように、青梅はうっとりとしていた。それは双葉に肘で小突かれるまで続く。もし誰もが触れずにいたのなら、きっと青梅は夕方になってもうっとりしたままであっただろう。


「……と、ともかく。体を冷やすからダメって言うのなら、熱々のグラタンならいいかなって。……で、グラタンを作ってたら、どうしても嫁って言葉を思い出しちゃってぇ……!」


「きゃーっ! すっごくすっごく青春してるじゃないですか!」


 ともあれ、そんな感じで愛情を込めたからこそおいしいのだと青梅は言いたいのだろう。この不思議な学校の不思議な部活の話なのだから、今回のケースに限って言うのならば、ある程度納得できる部分も存在しないわけじゃなかった。


「……で、楠先輩。何かコメントはありますか?」


 華苗はこっそりと机の下で楠の足を蹴る。ここまでの姿を見せつけられてなお動じない朴念仁なのだ、これくらいは許されるべきだ──という、華苗の中の天使と悪魔が協議した結果の行動であった。


「…………うっかりほったらかしにして、ちょっと痛んでいたかもしれないナスがあってだな」


「……それを、秋山先輩には食べさせたんですか?」


「…火は通したぞ?」


「あなたって人は……」


 やはりというか、楠にそういった気持ちは一切なかったらしい。何もかも青梅の盛大な勘違いである。おまけに、【ちょっと痛んでいるかもしれないナス】を躊躇いなく秋山と食べている辺り、楠の秋山に対する扱いが見て取れる。


「…男の胃袋と女の胃袋を一緒には出来ん。俺も食べたし先輩だって喜んで食べていた。何も問題は起きなかったんだから、それでいいじゃないか」


「あとで秋山先輩にいってやろーっと」


 そんな軽口を叩いている間には、グラタンもすっかりみんなのお腹の中に収まった。まだまだ食べたり無い気もするが、辺りにはまだたくさんの料理がある。ここでお腹をいっぱいにしてしまうのはあまりにもったいなく、同時にお腹いっぱいになるまでグラタンを食べたいという気持ちもあり、みんなの心を大いに悩ませた。


「んじゃあ、ちょっと変則的だけど次はあたしのお菓子を食べてもらおうかな!」


 ででん、と前に置かれたのは見事なタルトだ。ほんのりと淡い黄色が特徴的で、甘くて幸せな香りを放っている。先程のグラタンと同じくそれにはちょっぴりの焦げ目がついており、高級なお菓子特有の光沢を放っていた。


 もちろん、これだけだったらただのタルトだ。そして、園島西高校のお菓子部長がただそれだけのものを出すはずがない。


「う、わあ……! これ、もしかして梨のタルト……!?」


「すっごぉい! タルトがバラの形をしてます!」


 双葉が用意したのは梨のタルトだった。それも、はなびらに見立ててカットされた梨が、一輪のバラのようにタルトの上に配置されている。


 タルトの上に咲いた梨のバラは、バラとして見るならばかなりの大振りだ。タルトの端から端までを贅沢にはなびらで埋め尽くしたためだろう。それは美術館で飾られているレリーフのようにも見えて、ある種の芸術性すら感じさせるものであった。


「どうよ! 名づけるなら【梨のタルト~ブロッサムを添えて~】ってところかな!」


 ネーミングセンスはともかくとして、華苗は目の前の梨のバラに釘付けになった。梨の一つ一つをここまで丁寧に美しく配置することがどれだけ大変なのか、華苗にはまるで想像がつかない。美味しく作れるだけでもすごいことなのに、一流の芸術品みたいな見た目まで兼ね備えているなんて、これを最高のお菓子言わずしてなんと言えばいいのだろうか。


「ただ梨を贅沢に使うだけでなく、ここまで見た目にこだわるとは……しかも、たぶんバランスもいい……」


「ふみちゃん、それだけじゃない……梨は一緒に焼いてあるのと、コンポートして後から乗せたもの……ナパージュもしてあるのか……ともかく、その二つがある。見た目の立体感と光沢を出すとともに、味や食感にも変化をつけてきているよ」


「……下手したら喧嘩しちゃいますよね、それ」


「だけど、部長はうまく調和させてる」


 お菓子に対する造詣の深い二人は何やら真剣な顔で相談し、意見を述べている。華苗には難しいことなんて全然わからないので、右から左に聞き流した。そんなことよりも早くこのタルトを食べさせてくれと、華苗の中の天使も悪魔も囁いている。


「ほい、楠。……ちゃんと味わって食べてね?」


「…頂きます」


 もちろん、最初の一口は楠のものだ。双葉は形を潰さないようにタルトに切れ目を入れ、梨がたっぷり乗ったそのひときれを楠の皿へと取り分ける。バラの花が切り分けられる様子を見て、おそらくこの場にいた全員がもったいないと思ったことだろう。


 フォークを使うのもまどろっこしかったのが、楠は大きな手でそれをむんずとつかみ、大きく大きく口を開けてそいつにかじりついた。


「──!」


 楠の目から一筋の涙が流れる。美味しかった証拠だ。


「おいしい、かな?」


「……ええ、すごく」


 双葉はほっとしたように笑顔を浮かべた。いつもの賑やかな感じではない、ちょっぴりの恥じらいと甘酸っぱさが混じった笑顔だ。ギャップというのだろうか、関係ないはずの華苗でさえ赤くなってしまうような笑顔である。


 さて、ここまで来たらもう我慢なんて出来るはずもない。華苗も楠を見習い、そのタルトを手づかみで頂くことにする。手が汚れることも気にせずに、その夢の欠片に齧りついた。


「──ふぁ」


 言葉が出ない。甘くておいしくて、夢でも見ているかのようだ。


 強くはっきりと感じる梨の甘さ。果物の中ではあまり強くないほうの甘さであるはずなのに、もうそのことしか考えられなくなるくらいに梨の風味が体中を駆け巡っていく。何か特別な調理でもしてあるのか、ナマの梨にかじりついた時とは比べ物にならないくらいに豊かな味わいだ。


 とろっとした梨の食感が素晴らしく、タルトのどこか香ばしい香りが華苗の脳を揺さぶる。クリームの甘さと梨の甘さの奇跡的なコンビネーションが、華苗を夢の世界へと誘った。


「すっご……! 本格的すぎるお菓子じゃん……! お店でだって食べられないレベル……!」


「よっちゃんてば、おだてても何も出ないぞー?」


「いやでも、本当にすごいって思ったんですもん!」


 どんな高級なデパートでも、どんな高級な喫茶店でも、それどころか本場でさえ──いいや、お菓子の大会であってもこれほど見事なタルトは食べられないだろうな、と華苗は夢心地の中で思う。お菓子の甘さと素晴らしさ、言い換えればお菓子のお菓子足り得るそれらがあまりにも飛びぬけていて、華苗の貧弱な語彙ではこれ以上にこのタルトの素晴らしさを言い表すことは出来そうにない。


 とにかく、おいしい。華苗が言いたいのはそれだけだ。


「ちなみに双葉先輩、このお菓子にはなにかエピソードとかあったりするんですか?」


 ちょっぴり悔し気な、それど幸せそうな顔をした佐藤が双葉に話を振る。しかし、双葉は悪戯っぽく笑うだけで、はっきりとは答えようとしなかった。


「あるといえばあるけど、あえて言うほどのことでもないかなぁ? わかる人だけわかればいいって感じ? ま、渚みたいな直接的な感じではないかな?」


 ちらっちらっと双葉は意味ありげな視線を楠に送る。しかし、楠は黙々とタルトを平らげるばかりで、双葉の視線には気づかない。もしかしたらあえて気付いていないふりをしているのかもしれないが、その真意を知るものはここにはいない。


「むー……」


 はっきりわかるほど、双葉はしょんぼりした。


「……あ! あたしってばわかっちゃいましたよぉ……!」


 楠を除く全員の視線がシャリィに集まる。それに満足したのか、シャリィは口の端をちょっぴり汚したまま語りだした。


「双葉おねーちゃんは梨を使ってバラの花を見たてました! 重要なのはわざわざ花になぞらえたということ! つまり! これは花であることに意味が有る──花言葉を伝えるためのものだったのですよ!」


「なるほど!」


 しかし、華苗に花言葉の知識なんてあるはずがない。とりあえず返事をしただけである。


「一つ一つ行きましょう。バラの花言葉は色によって異なります。今回はなびらとして使われたのは梨です。まず、この梨の花言葉が──【愛情】」


「わお!」


「そして、梨の花は真っ白です。となると、このバラの花びらは白い色をしている、と考えるのが妥当でしょう。白いバラの花言葉は──【私はあなたにふさわしい】」


「ほお!」


「それだけじゃありません。バラは渡す本数によっても意味が変わってきます。こんなに大きなタルトに複数のバラではなく、あえて大きな一つのバラを作ったことから、これは一本のバラを意識したものだと考えるべきです。一本のバラが持つ意味は──【一目ぼれ】、【あなたしかいない】」


「なんと!」


「まだまだです! 双葉おねーちゃんは、あえて焼いたものとコンポートしたものの二つではなびらを構成しました! ……不自然に思いませんでしたか? この勉強会でこれを用意するならば、あらかじめタルトを焼いておいて、あとからコンポートを乗せるだけのほうが確実だし手軽なんですよ?」


「そ、そう言われてみれば確かに……気合が入りすぎているというか、前の勉強会じゃここまではやってなかったような……」


 夏休み前の勉強会において、華苗は双葉が作ったベリータルトを食べている。そのベリータルトはあらかじめ焼いておいたタルトに対し、採れたてのブルーベリーやクリームを飾りつけしたものであったはずだ。もちろん一概に比べられるものではないのかもしれないが、明らかに今回の梨のタルトは手間がかかっているといえるだろう。


「どうしてこんなことをしたのか? ……そう、双葉おねーちゃんにとっては【梨を焼いている】という事実こそが重要だったのですよ!」


「焼いているのがそんなに重要なの?」


「ええ。梨を焼く……はなびらを焼くというのが重要なんです。これがはなびらになぞらえられているのなら、焼かれた花ってどんな状態を表しているのでしょう?」


「どんなって……」


 さすがにそのまま燃やされた花、というわけではないだろう。それじゃああまりにもひねりが無さすぎる。かといって、焼かれたというそれにいいイメージがわくはずもない。嘘偽りなく真情を述べるとしたら、それはおそらく──。


「焼かれたってことは燃え尽きるかんじ……枯れたってこと?」


「その通りです! まさにこれは【白い枯れたバラ】を表しているんです! そしてバラには、状態で定義され得る花言葉も存在しています! 【白い枯れたバラ】のそれは──【生涯を誓う】!」


「おおお!?」


「梨の【愛情】! 白バラの【私はあなたに相応しい】! 一輪のバラの【一目ぼれ】! 【白い枯れたバラ】の【生涯を誓う】! ──そう! この梨のタルトにはこんなにもたくさんの愛の言葉が隠されていたのです!」


「くっそぉぉぉ! 枯れバラまで見抜かれたあああ!」


 シャリィの言葉はすべて真実であったらしい。双葉は耳の端から首のほうまで真っ赤になって、照れ隠しをするかのようにシャリィの頭をわしゃわしゃと撫でた。


「いやぁ、前に楠からバラのうんちくを聞いてね? そのときに『こういったさりげないところで想いを伝えるのもロマンティックではないでしょうか』……なぁんて言われちゃってね!? これはもう、やるしかないって思っちゃったよね!」


 とはいえ、それをお菓子にアレンジし、かつ何重にも意味を込めるのなんて並大抵のことではない。楠が教えたのはあくまで花言葉だけであり、それをどう使うかなんて──ましてやお菓子の花に使われるだなんて、想像だにしていなかったことだろう。


 どうしたらそんなすごい発想ができるのか──と、華苗は双葉のことを羨ましく思った。もし華苗が双葉と同じ腕前を持っていたとしても、同じことが出来るとは到底思えないのだ。


「……楠先輩、コメントをどうぞ」


「……花言葉を教えたのはなんとなく覚えている。でも、ロマンティック云々は全く覚えていない」


「でしょうね」


「……そもそも、説明しただけだよな? なぜ双葉先輩は……」


「その質問が来る時点でもういろいろアウトです」


 楠はそういう人間だ。きっといつもと同じように解説して、いつもと同じように何となく自分の考えを述べただけなのだろう。野菜や果物にはやたらとまごころを振る舞うくせに、人間関係……いいや、恋愛ごとに関しては壊れたリモコン以上に反応が悪いのだからタチが悪い。野菜や果物に向ける気持ちを、ほんの少しでいいからこの二人にも向けてくれと、華苗はいつも思っている。


「……こいつ、いつかこの二人から刺されるんじゃないかって僕は思ってるんだよね」


 しみじみと、どこか納得のいった様子で佐藤が呟く。さすがにちょっとカチンときたのか、楠は佐藤だけに見せる──親友だけに見せるちょっぴり強めの語気で、反撃の言葉を紡いだ。


「…お前に言われたくないぞ、稀代のタラシ野郎が」


「なん……っ!? た、タラシはやめてくれよ! こっちから声をかけたことなんてないだろう!?」


「でも、誰にでも優しくにこにこと笑いかけますよね? 思いっきり勘違いさせちゃってますよね? この前だっていろんな女の人に詰め寄られて仲良くお話してましたよね?」


「ちょっとぉ!?」


 慌てた佐藤がシャリィの口をふさぐ。しかし、紡がれた言葉が口の中に戻ることなんて決してあり得ない。すでにその衝撃情報は華苗たちの耳までしっかり届き、きゃあきゃあと色恋沙汰で盛り上がっていた部長二人が佐藤をロックオンした。


「…………吐け」


「くっそ!」


 もちろん、アイコンタクトを受け取った楠が佐藤を羽交い絞めにする。こうなったらもう、佐藤に逃れるすべはない。


「シャリィちゃん、その話詳しく!」


「もうだいぶ前になるんですけどね、あたしとおにいちゃんとじいじでアイスキャンデーの屋台の真似ごとをやってたんですよ。ボランティアと言いますか、そこではその手の屋台がなかったもので」


「ほほぉ……なかなか面白そうなことをやってますなあ」


「で、おにいちゃんがイケメンなものですから、屋台の珍しさも相まって恋多きおねーさんがいっぱい集まってきたんですよね」


「確かに……観賞用としてはまたとないイケメンだもんね~」


「い、言っとくけど本当になにもないからね? お客さん相手に社交辞令でお話ししてただけだからね?」


「……でも、それに嫉妬したアミルさんが次回の屋台のお手伝いを熱望しました」


「ひゃあああ……! 嫉妬されるくらいに囲まれてたってことなんだね……!」


「…学外でもそんなことをしているとは」


「屋台が珍しかっただけだから! ホントにそれだけだから!」


 無論、楠たちは知っている。ビジュアル的にもスペック的にも百点満点な佐藤は、校内では結構な人気を誇っていることを。調理部やお菓子部の中には佐藤に憧れているものは少なくないし、そうでなくとも端正な顔立ちをしているのだ。他クラスや別学年にも告白して玉砕した女子がいるくらいである。


「あたし、本当に心配なんです。いつかおにいちゃんが大変な目に遭うんじゃないかって。……もう、フリーじゃない(●●●●●●●)んですからね?」


「「え゛ッ……!?」」


 悲鳴にも似たその声は、誰が発したものだったのだろうか。華苗たちのまわりがしん、と静まり返って、その場の時間が確かに止まる。


「今までのままじゃあ、いつか本当におねーさんに背中刺されますよ?」


「ちょっと待ってシャリィ、いったい何を……!? というか、まさか見てた……!?」


 シャリィがさらりと言ってのけた言葉。しかし、花も恥じらう女子高生には聞こえなかったらしい。青梅も双葉も自分のことなんてすっかり忘れて、鼻息を荒くして佐藤に詰め寄っていた。


「フリーじゃない……!? ってことは!? アミルさんと正式にお付き合いすることになったのっ!?」


「吐け、夢一ぉ! ど、どこまでいったんだぁ!? ままま、まさかもう、ちゅーとかしちゃったり!?」


「黙秘権! 黙秘権を行使します!」


「…黙っててもいいが、体に聞くまでだぞ?」


「いってぇ!?」


 楠がその鍛えられた肉体を使って佐藤を締めあげる。充分に加減はしているのだろうが、もともとが細い佐藤にとってはそれでなおキツイものがあっただろう。


「ふみちゃん! 助けて!」


「後学のために是非お話を……!」


「う……よっちゃん! お菓子作ってあげるから!」


「お菓子より、あまぁいお話を希望します~♪」


「くっ……華苗ちゃん!」


「ど、どっちから告白したんですか? あ、ああ、あと、初めてのちゅーはどんなシチュエーションで……?」


「嘘だろ……ッ!?」


 試食会はすでに尋問へと変わっていた。みんながわいわいと料理やお菓子に舌鼓を打っている中で、華苗たちの周りだけが一種独特の緊張感を孕んだ空気になっている。佐藤が逃げ切れないのをいいことに、恋する乙女たちは大好きなコイバナを根掘り葉掘りと聞き出していく。


「そーいえば、島祭の時にいちゃいちゃしていたって噂を聞いたんだよね……!」


「あっ! あたしもそれ聞いた! なんか暗がりの方で抱き合ってたって!」


「わ──っ!?」


 雉も鳴かずば撃たれまい……とはちょっと違うが、ともかく真っ赤になった佐藤が発した大声は、調理室中の人間の注目を引きつけるには十分すぎるものであった。


「え、じゃあ、そのとき?」


「佐藤先輩ってば、意外と大胆なことしてたんだね~!」


「…いや、そこはあくまできっかけだな」


「うん、この前のご機嫌な日がそうだったんだ……! そうじゃなきゃ説明がつかない……!」


「ご機嫌な日、ですか? ああ、うちにおねーさんがお泊まりに来た日のことですね!」


「「お泊まりぃ!?」」


「わぁぁ──っ!?」


 叫んだところで、彼らの勢いは止まらない。


「…やっぱアレ、あの人の金髪か」


「ふむ? よくわからんが再現性が取れたってことだな」


「まさか、キャンプの時の話は全部ガチだったのか……? ジャージフェチも、冗談なんかじゃあないってことなのか……?」


「そーいえば、何回かおねーさんに自分のジャージ着せてましたね!」


「……えっマジなん?」


「吃驚仰天、驚天動地。……それはもう、普通に彼女だな」


「なんだい、ちゃんと仲良くやってんじゃないか! あんないい人、絶対離すんじゃないよ!」


「えっなに? 佐藤くんとうとう彼女出来たの?」


「もうお泊まりデートまで済ませちゃったの?」


「女の子に興味ないんじゃなかったの!?」


「小さい子にしか興味ないって話じゃなかった?」


「……熟女好きって聞いたような」


「ちょっとぉ!? 僕は普通の男子高校生だからね!? 普通の女の子が好きだからね!? 誰だよ変な噂流したの!?」


「……普通の女の子、でいいんですか? そこは最愛の人の名前を言うべきじゃないんですか?」


「本当にそれで、後悔はしないのかねェ?」


「う……! わ、わかったよ! 言えばいいんでしょ!」


 いつのまにか、おじいちゃんまでシャリィと一緒ににやにやと笑って佐藤を見ている。


 観念したのか、それとも開き直ったのか、佐藤は調理室にいる全員に囲まれた中で、大きな声で言い切った。


「僕は──アミルさんが好きなんだよ! これでいいだろ! はい! この話はもうおしまい!」


「「きゃあーっ!」」


 女子の黄色い悲鳴が響く。当然、話がこれで終わりになるはずもない。みんなすっかり夢中になって、ここぞとばかりに普段は聞けないアレコレを聞き出そうとしていた。もう誰も、勉強会のことを覚えている人はいない。


 甘い香りと、おいしそうな香りが漂う調理室。まだまだ暑いが、夏休みももう終わる。終わりがもたらすほんのちょびっとの寂しさは、それ以上に楽しい出来事でかき消された。夏休み最後の思い出としては、なかなか悪くないのかもしれない。


「自分以外のコイバナって、本当に楽しいよね……!」


「うふふ? 今度は華苗ちゃんのコイバナを聞かせてもらうからね?」


「一人だけ何も言わないってのは無しだかんね! ……文化祭、気合入れろよぉ!」


「……ぜ、善処します」


「言質、取れたね!」


「あ」


「夢一レベルとまではいわないけど、ドキドキエピソードの一つくらいは頼むぞぉ!」


 園島西高校文化祭──【ガーデンパーティ】開催まで、残り数日。

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