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楠先輩の不思議な園芸部  作者: ひょうたんふくろう
楠先輩の不思議な園芸部
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76 浮かれた茶色、疑惑の金色、まっすぐな橙色


 ちゅんちゅん、と小鳥がさえずる爽やかな朝。オーバーオール、麦わら帽子のいつものスタイルで華苗は園芸部への畑へと足を動かす。太陽はまだそれなりに低い位置にあるというのに今日もしっかりと暑く、遥かなる青い空はどこまでも高くて、白い雲は力強さに満ちていた。


 こんな時間に華苗が学校に来ているのは、もちろん部活をするためだ。それも、ただの部活じゃない。文化祭の出し物に必要な材料──クラスのみんなから調達を任されている、ニンジンの収穫を行うのである。万が一にも、失敗することは許されないと言えるだろう。


 幸いと言うべきか、華苗のお願いは楠にあっさりと受け入れられ、こうしてニンジンの収穫のチャンスが巡ってきたというわけである。朝早くに呼び出されたのは、ただ単にそれだけたくさん収穫する必要があるってだけだ。


「よっちゃんたちも呼べばよかったかなぁ……」


 生っているものをただもいでいくだけの果物と違い、根菜の収穫は重労働だ。どうしても中腰で作業する必要が出てくるし、あれで案外引っこ抜くという動作は筋力も体力も使う。一回二回ならともかく、それを何十回と行うとなれば、人手が欲しくなるのも無理はないだろう。


「どうせ今日も誰かがいるんだろうけど……」


 手伝わされる人も大変だよね、なんて思いながら華苗は畑へ至る角を曲がる。


 予想通り、畑のど真ん中にその人たちはいた。


「…おはよう」


「おはよーございます」


 放たれた底ごもった低い声に、華苗は気軽に返事した。


 色黒の目つきの悪いおっかない大男。今日もその瞳はしっかりと濁りきっており、虚空を睨んでるんじゃないかってくらいに光が無い。筋骨隆々の体格と相まって、誰彼構わずガンを飛ばしているような、何ともデンジャラスな迫力を放っている。


 オーバーオール、麦わら帽子、そして傍らのスコップが無ければヤクザと遜色ないだろう──と華苗はひそかに思っている、我らが園芸部長の楠だ。


「おっはよう、華苗ちゃん!」


「……あり?」


 そして、もう一人。


 明るめの茶髪。爽やかなにこにこ笑顔。ほっそりとしていて高めに見える体格に、いかにも優しそうな雰囲気。見るからに端正な顔立ちは物語の王子様が絵本から飛び出してきたかのようで、モデルとして雑誌に載っていてもおかしくないくらいのもの。


 おまけに性格もよくて料理の腕もあってさらにはお菓子作りまで得意としている……と、ケチのつけようのない完璧超人。楠とはいろんな意味で正反対の、お菓子部兼調理部兼文化研究部副部長の、楠の親友でもある佐藤がそこにいた。


「いやぁ、今日もいい天気だね! 絶好の収穫日和ってやつかな!」


「……んんん?」


「…………」


 が、そんな佐藤の様子がなんかおかしい。


 妙にテンションが高いというか、はっきりとわかるほどに浮かれている。ものすごく機嫌よさげに鼻歌なんか歌っちゃってるし、今にもスキップしそうな有様だ。


 華苗は未だかつて、これほどまでに浮かれた佐藤を──否、浮かれた人間を見たことが無い。


「先輩先輩、佐藤先輩どうしちゃったんですか?」


「…知らん。朝来た時からこうだった」


「ニンジンの収穫、そんなに楽しみだったとか?」


「…手伝えって伝えたとき、キレる一歩手前だったと思うぞ」


「なにやらかしたんですか、あなたって人は」


「…キレるのは冗談として、最近コイツ全然手伝ってなかったからな。戒めとして一人だけ早朝に呼び出してやった」


「あらら……でも、それじゃあどうしてこんなに機嫌がいいんだろう……」


「…さぁな」


 華苗たちが話している間も、佐藤はそのにこにこ笑顔を崩さない。全身で幸せを感じているようで、時折思い出したかのようにふにゃりと笑っている。ここではないどこか遠くに思いを馳せているらしく、その瞬間だけ、華苗でもドキッとする表情を浮かべていた。


「……何かいいことあったのかなぁ?」


「…使いもんになるかどうか、だな」


 ともあれ、人が集まったのなら作業をしない道理はない。浮かれた佐藤をよそに、楠は麦わら帽子のつばをくいっと直し、目の前一面に広がる緑──ニンジン畑をあらためて見渡した。


 青々とした植物らしい緑は、高さにして華苗の膝小僧に届くか否か、といったところだろう。意外ともっさりとしていて見かけ上のボリュームがあり、ちょっとした芝生のようになっている。


 が、肝心のニンジンのオレンジは、ここからだと全く見えない。


「もう収穫できる感じですか?」


「…近づいて、よく見てみろ」


 相変わらず言葉の少ない楠に促され、華苗はとてとてとそこへと近づいた。近づいただけではよくわからなかったのでちょこんと座り、緑のヴェールをがさりとかき分け、大いなる秘密を覗き込むように──地面に顔を近づける。


「お邪魔しますっと──わぁ」


 ちらほらと見えた、鮮やかなオレンジ。ほんの少しだけ土から顔を出したそれが、みっしりとそこら中に生えている。ちょこんと飛び出た橙色はいくらか土にまみれていて、さらにはそこから思った以上に緑の葉っぱが飛び出ていた。


 華苗はなんとなく、それがかくれんぼのへたっぴな妖精であるような印象を受けた。上手く説明できないけれど、愛らしいかんじがするのだ。


「わぉ! これは立派なニンジンだね! あああ、今から何を作ろうかすっごく悩むなぁ!」


「……ほんっとに今日はテンションおかしいですね、佐藤先輩」


「そうかなぁ! 僕はいつもこんな感じだと思うけど!」


「…………」


 顔に土が着くのも構わずに、佐藤もニンジンを覗き込んでいた。やっぱりかなりご機嫌なようで、いつものにこにこ笑顔は十倍増しで眩しい。いけめんだと顔に土がついていても格好いいんだな──と、今の華苗にさえそんな感想を抱かせるほどだ。


「…とっとと収穫するぞ」


「あり、今日は育て方の説明しないんですか?」


「…収穫の後だ。根菜は採ったらそれで終わりだからな」


「果物だって普通は採ったらしばらくは収穫できないけどね!」


 そんなわけで、早速三人は収穫作業へと入る。それぞれ畑の端へと並び、めぼしいものをターゲットにすれば準備は完了。華苗は中腰になり、青々としたそいつの葉っぱの根元──葉っぱの生え際をひっつかんだ。


 ──意外とつかみ応えにあることに、内心でちょっとだけ驚く。


「このまま適当に引っこ抜いていいかんじです?」


「…ああ、優しく、傷つけないようにな」


 両手でしっかりとそれを持ち、えいや、と華苗は後ろに倒れ込むようにして力を入れていく。最初はやや重い手応えだったものの、やがてずずず、と何とも言えない振動が伝わってきて、唐突にそれはすぽっと抜けた。


「わぉ」


 ぱらぱらと土を落としながら、オレンジ色の宝剣が姿を現した。根本は太く、先端はしゅっとしていて、どことなくエレガントでスタイリッシュである。大きさとしては普通のニンジンより一回り大きいくらいだろうか。筆箱にある定規じゃあ、測るのはちょっと難しいかもしれないくらいのサイズだ。


 そして、茶色い土に塗れる鮮やかなオレンジがなんとも眩しい。逆に作り物とさえ思えてしまうくらいにそれは鮮やかで、大地の恵みと言うよりも、太陽の恵みをぎゅっと詰め込んだかのような印象を受ける。


 太陽の光を浴びるのは初めてのはずなのに、まるでそれが当たり前だと言わんばかりに、ニンジンはキラキラと光を受けて輝いていた。


「いいね! すごく立派なニンジンだ! 色つやもいいし、発色も鮮やか!」


「…まごころを込めたからな」


 楠と佐藤もまた、華苗と同じようにニンジンを収穫していた。それぞれ片手でむんずとそいつをひっつかみ、特に手こずることなく引っこ抜いている。佐藤がニンジンを持っている姿はいかにも畑作業に勤しむ好青年っぽいのに、楠がニンジンを持っている姿は貫禄がありすぎるというか、仕留めたイタズラウサギの首根っこをひっつかんでいる様に見えるから不思議なものである。


「…手を止めるな」


「はぁい」


 そして、収穫作業は続いていく。一本抜いて、二本抜いて、三本抜いて。慣れてくると抜き方のコツがわかってくるというか、面白いようにすぽすぽ抜くことができて、華苗はちょっと楽しい気分になった。


 こう、下手に力任せに引っ張るのではなくて、根元をしっかりとつかみ、ついでに足で地面をしっかりと押さえ、腰を使って真っすぐ引き抜くと上手くいくのだ。たしかになかなかに下半身の筋肉を使う作業ではあるのだが、逆にそれがいい運動になると思えなくもない。連続で引き抜けたときの爽快感は凄まじいし、下手に腕の力だけで引き抜くよりかは体力の消耗も抑えられる。


「……」


 ちら、と華苗は近くで作業しているはずの二人を見ようと、視線を横にずらした。


 なんかすでに、ニンジンでいっぱいの籠が五つもあった。


「ニンジン取り放題~♪」


 佐藤がものすっごい勢いでニンジンを引っこ抜きまくっている。気分よく鼻歌なんか歌っちゃって、ものすごくノリノリだ。その腕さばきは熟練を通り越してバケモノ染みており、右手と左手が別々の生き物かのように素早く動いている。


「……」


 一方、楠は楠で普通に無慈悲に引っこ抜きまくっていた。地中に隠れるオレンジを一つとして見逃すことなく、ただただ機械的に、ただただ冷静にその作業を続けている。無機質な冷たさとでも言うのだろうか、ニンジン引っこ抜きマシンと化している楠は、当のニンジンから見れば天災以外の何物でもないだろう。


 パッと見る限りでは、そこに収穫物に対する愛情など欠片も見受けられない。


「……なんか、すっごいペース速くありません? 楠先輩はともかくとして、佐藤先輩もそっちの人間でしたっけ?」


「なんだかね! 今日は体がすっごく軽いんだ! 今の僕なら空だって飛べる気がするよ!」


「わーお、本格的にトんじゃってますね」


「…朝からずっとこんな調子だ。何度か叩いたんだが、一向に直る気配がない」


 楠にしては珍しく、ちょっとふざけてニンジンで佐藤の頭を軽く小突く。いつもならガチギレ(?)するであろうその行為にも、しかし佐藤はにこにこ笑顔を崩さない。


「やだなぁ、何するんだよ! 親友じゃなきゃ必殺の一本背負いを食らわせてたぞー?」


「…………な?」


「ここまでくると意外を通り越して不気味ですね」


 ともあれ、そんなこんなと話している間に収穫作業は終わる。収穫量としては、大きな籠十五個分くらいだろうか。これだけあれば調理室や古家にもっていってなおお釣りが来るし、華苗が文化祭の練習で使う分も十分に確保できたといえる。


 それにたとえ足りなかったとしても、また作ればいい。というか、まさにこれからその作り方のレクチャーに入るのだ。


「…さて、それじゃあ始めるぞ」


 そうして楠がポケットから暗めの梔子色っぽいような、言葉で表現するのが酷く難しい絶妙な色合いの、どことなくゴマっぽい印象を受ける粒粒を取り出した。


 まずまちがいなく、これがニンジンの種なのだろう。


「…ニンジンは種を直接畑に蒔く。別にプランターでもいいが、いずれにせよ苗から育てるということはない」


 多くの作物と同じように、ニンジンは日当たりのよく、水はけのよい場所に植えるのが良いとされている。また、種まきの時期は品種や地域にもよるものの、春撒きであれば三月の温かくなってきたころから五月の暑くなり始めてきたくらいまで、夏蒔きであれば夏休みの始まる七月の中盤から宿題の悪夢が襲い掛かる八月の終わりくらいまでとされている。


 ただし、ニンジンは他の作物に比べ、種まき前後の作業が多少面倒くさいという特徴があったりする。


「…タネを蒔く前に、畑をしっかり耕さねばならん。畝を立てるときも、ちょっと高めに」


「へぇ。それまたどうして?」


「…ニンジンは地中に向かって深く伸びる。だから、地面に障害物があると問題が起こる」


 例えば大きめの石や硬くなった土の塊、あるいは何かの根っこなど、そういった地中の障害物にニンジンは酷く弱い。具体的には、成長途中の先端がそういったものに触れると、先端が割れて又になったり、奇妙に曲がりくねったりしてしまうのだ。


 味そのものには変わりないのかもしれないが、見た目がこうではせっかくのニンジンが台無しだ。個人で使う分にはいいじゃないか……と思わなくもないけれど、それにしたって調理の手間もかかる。


 畑をしっかり耕し、ふかふかの土にしてあげれば解決できる問題なので、その手間を惜しむべきじゃないだろう。


「それじゃ、しっかり耕して高めに畝を立ててあげればいいんですか?」


「…それだけでもなくてな」


 実は、ニンジンの種はある程度の気温が無いと発芽しない。気温が低いと種の成長が止まってしまうためである。それなりの温かさが無いと、例え他のコンディションがどんなによくともダメなのだ。


 そもそもの発芽率も比較的低く、ちゃんと植えても芽が出ないことだってあり得る。おまけに乾燥に弱く、水をたっぷりやらないと条件が良くても発芽しなかったりする。


「うげ。それって結構面倒臭い感じじゃないですか」


「そもそも発芽しないってなると……どうすればいいんだい?」


「…なに、“数を打てば当たる”ってやつだ」


 そういって楠は自前の鍬を肩に担ぎ直す。華苗も佐藤もそれに釣られ、それぞれ鍬の準備をした。相変わらず楠は口が少なく説明不足感が否めないが、こと園芸に関しては間違ったことが無い。二人とも、それを知っているからこそ黙ってその背中についていくことができるのだろう。


「…飛ばすぞ」


「えっ」


 楠が鍬を振りかぶり、ドスッと重い音を立てて地面へと突きつける。


 あっという間に立派な畝が出来上がった。


 それはもう、見事なまでにフカフカで、柔らかそうな畝だった。


「大概非常識ですよね、先輩も」


「…園芸部だから普通だろ? いい加減、くどいぞ」


 お約束のやり取りをしつつ、華苗と佐藤は次の作業は何だと楠に視線で促した。二人とも、鍬の担ぎ損をしたことなんてすっかり忘れている。


「…畝に小さく、溝が出来ているだろう? そこにこいつを……指の太さくらいの間隔をあけて蒔いていけ。ただし、一か所に多めに……そうだな、五、六粒はやれ」


「わぉ、結構気前良いじゃないか! 数打てば当たるってのはこういうことか!」


「……佐藤先輩、それってつまり、後で間引くってことですよ?」


「……えっ」


「…お前もわかってきたな」


 ニンジンはその発芽率が低いが故、一か所に複数の種を蒔くことが推奨されている。こうすることでその場所に対する発芽の期待値をあげるわけだが、もしそこから複数発芽してしまった場合、当然のごとく間引きしてあげなければならない。


 一応、この間引いたものもサラダなどに使えなくもないが、ニンジンとしてその強みを活かせているのるか……と聞かれれば、首をひねらざるを得ないだろう。


 ちょっと残酷なようにも思えるが、美味しいものを作るためにはしょうがない。自然界はいつだって弱者には厳しいのだ。


 また、今回楠が指示した方法は俗にいうすじ蒔きと呼ばれる手法である。基本的に小さな溝を作ってそこに種を蒔くという方法であり、主に根菜類の栽培でよく使われるものだ。


 メリットとして、他の蒔き方に比べて間引きがしやすいということがあげられるあたり、それが適用される作物の運命は、ある程度決まっているといっても過言じゃない。


「こんなにたくさん植えるのに、後で間引くのか……」


「まぁまぁ。他の植物だってそうですもん。そこはすっぱり諦めましょうよ」


「…話しているところ悪いが、種は浅めに植えとけよ」


「浅めって、どれくらいですか?」


「…ほんのちょっと土をかぶせる程度で良い。…光がないと発芽しないんだ」


「またなんともワガママな……」


 実は、ニンジンの種は好光性種子と呼ばれるタイプのもので、お日様の光が無いと発芽しないちょっぴりワガママな性質を持っている。当然のごとく、深く植えてしまうと光を感じずに発芽しないという事態に見舞われてしまうが、さりとて地表で丸裸で育てるわけにもいかない。


 結果として、なるべくお日様の光を感じられるように浅めに植える……という対処しかできないわけだが、それでもやっぱり問題があった。


「…さっきもチラッと言ったが、ニンジンの種にはとにかくたっぷりと水分が必要だ。そもそも水が無いと発芽しないんだからな。水はけのよくて保水力のある土を選ぶのはもちろん、種まきだって雨の日の翌日が良いとさえ言われている。…植えたばかりの時なら、なおさら水は必要だ」


「……で、土が乾いて来たらたっぷりと水を、夏場だったらそうでなくとも水をやれ、ですか? なんでわざわざ今更そんなわかりきったことを?」


「…浅く植えるから、下手すると灌水で種が流れる」


「……」


 そう、好光性種子である故にニンジンの種は浅く植えねばならないが、同時にまた水を非常に好み、たっぷりと水をやらねばならないため、そのせいでせっかく植えた種が水やりの際に流れてしまいかねないのだ。


 この二つの性質を同時に宿してしまったことも、ニンジンの発芽率が低い要因の一つなのかもしれない。


「そんなのどうすりゃいいんですか……」


「…土をかぶせた後、強めに叩いて固めておけ。あとは、水やりを優しくすることだ」


「じょうろでさーっとやればいいのかな?」


「…まぁ、流れなければなんだっていい。…乾燥を防ぐために藁をしいたりもするが、今回はいいだろう。種が流れるのを防ぐ効果もあるから、一応覚えておけ」


 そんなわけで、華苗と佐藤はぞうさんじょうろを装備してニンジンに水をやる。華苗のお気にの赤いぞうさんじょうろは優しい慈雨のように、その潤いの恵みをニンジンに惜しげなく注いでいく。


 佐藤だって負けていない。ウキウキと弾み上がって喜ぶ様子を隠そうともせず、眩しいにこにこ笑顔と共に優しくニンジンに水をあげていた。絵になる光景ではあるのだが、いつもとの違いを知っているだけに、華苗と楠の目にはただただ不気味に映っている。


 そして。


「わぁ! あっという間に立派なニンジンになったじゃないか! さすがはまごころってやつだね!」


「……嘘……だろ……!?」


 めずらしく、楠が口をあんぐりと開けて驚愕をあらわにしていた。


 そう、まだ楠が何もしていないのにもかかわらず、佐藤が水をあげたニンジンはすくすくと育ち、楠が育てたそれと遜色ない姿を晒しているのだ。


 これには百戦錬磨の楠だってびっくりで、華苗も呆然とするしかない。よもや園芸部でもない人間が、こうも見事にまごころを扱えるなど、一体誰が思ったことだろう。


「…お前、こんなにまごころこめられたのか?」


 ぽつりと漏れた楠の本心からのつぶやきに、佐藤はちょっとはにかみながら答えた。


「いやぁ、まごころじゃなくて……しいて言うなら、愛情ってやつかな! ……って、恥ずかしいこと言わせるなよ!」


 ほんのちょっぴり顔を染め、ケラケラ笑いながら佐藤は楠の背中をばんばんと叩く。普段のイケメン具合からはとても想像できないようなうかれっぷりに、再び二人は驚愕した。


「……ホントに、何かいいことあったんですかね?」


「…こいつがここまで機嫌よくなることなんて……うん?」


 ちょうと良い角度だったのだろうか。鬱陶しそうに佐藤を追い払っていた楠の視界の片隅に、なにやらきらりと輝く一条の光が入り込む。それはちょうど、佐藤の肩口当たりにひっついていた。


「……ふむ」


「うおっ!? な、なにするんだよ?」


 楠はかばりと佐藤を後ろから羽交い絞めにする。元々の体格差、さらには園芸で鍛え上げられた筋肉もあって、佐藤にはそれから逃れる術はない。ただなされるがまま、体を拘束されるのみだ。


「…八島、こいつの肩口」


「はいはい、ちょーっと失礼しますよっと」


 先輩と後輩の、以心伝心のアイコンタクト。何やら面白そうな予感がした華苗は素直に指示に従い、羽交い絞めされた佐藤の肩口を背伸びしてのぞき込む。


 そこにあったのは。


「……なんですかね、これ。……金色の糸?」


「え゛ッ……」


 細くて長い、綺麗で艶やかな金色の糸だ。どこかで見たような色合いだが、はて、どこで見たのだろうと華苗は記憶を遡る。割と最近見たように思えなくもないが、しかしこんな糸を使うようなお高い装飾品に触れた記憶もない。


「…やっぱり、か」


「どういうことです?」


「なななな、なんでもないんだよ! そう、なんでもないんだ!」


 しかし、楠と佐藤にはそれに心当たりがあるらしい。楠は見るからに恐ろし気な笑みを浮かべ、そして佐藤は先程までが嘘だったかのように狼狽えている。


「…なんで、そんなものがあんな場所についていたんだろうなあ?」


「な、なんのことかさっぱりわからないなあ!」


「…ネタはあがっているんだ、キリキリ吐け。二度目だぞ。八島にもバラしてやろうか?」


「もしかして、シャリィちゃんと一緒に寝ていることですか? あの歳なら、まだそれくらいはセーフなんじゃないですかね」


「いや、それ以上の──」


「そ、そんなことより育て方の続きを教えてくれよ! どうせまた、いろいろやることはあるんだろ!?」


「「……チッ!」」


「……あれ、なんかユニゾンしてなかった?」


「気のせいじゃないですかねー?」


 さて、佐藤の予想外の行動によりすっかりすっ飛ばされてしまったが、種まきが無事に済んだ後もいろいろと考慮しなきゃいけない点はある。間引きをしなきゃいけないのもそうだが、やはり一番気を付けなければいけないことと言えば、土寄せだろうか。


「土寄せっていうと、ジャガイモの時にもやったあれですか?」


「…ああ。成長するにつれて、ニンジンの頭……でいいのか? ともかくオレンジ色の部分が土から顔を出すんだが、こいつは光に当たると緑化する」


 ジャガイモと違い、緑になってしまった部分は別に食べても問題ないが、それがニンジンとして相応しい姿かと聞かれれば、答えは否だろう。ニンジンはニンジンらしいオレンジ色だからこそニンジンであるわけで、緑色のニンジンではその素晴らしさも半減だ。


 そうでなくとも、土寄せをすることで土の水はけと通気性が良くなり、腐ったり病気することなくニンジンを育てることができる。健康のためにもやっておいて損はない……というか、確実にやっておくべき事柄だろう。


 ちなみに、ちゃんと土寄せしたのにもかかわらずオレンジ色でないニンジン──具体的には、白いニンジンができることがあるらしい。これはいわゆる先祖返りの一種、あるいは野生のニンジンの花粉により出来た種によって生まれたものらしく、美味しく品種改良された現代のニンジンとは違い、弱肉強食の野生の世界に生きていた原種ニンジンの特徴を色濃く反映しているとのことである。当然、味はお察しとのことだ。


 また、土寄せ以外に注意することの一つとして、芽が出た後の温度管理があげられる。というのも、幼いうちに低温にさらされてしまうとニンジンにある種のスイッチが入り、花芽が咲いてとう立ちしてしまうのだ。


 とう立ちというのは、簡単に言えば植物が次の子孫を残すための準備をすることである。これが果物だったり、トマトやナスといった花から生まれる果実を食すものであるのなら問題ないのだが、ニンジンをはじめとしたキャベツやネギといった野菜においてはとう立ちすることで生育が止まり、作物として美味しく頂くことは叶わなくなってしまうのだ。


「…まぁ、基本的にとう立ちは植える時期を間違えなければ避けることが出来る。だから、どちらかというと気を付けるべきは土寄せだろうな」


「……あれ? でも、低温でとう立ちするってのはちょっと不思議だな。なんかニンジンって一年中収穫できるようなイメージがあるんだけれど」


「…食べごろになった後に寒さで葉が枯れた場合、それ以上成長しようがないからな。食べる部分である根っこは気温の影響を受けにくいから、うまく収穫時期をずらすことで一年中収穫できるんだ」


 ちなみに、冬に収穫できるニンジンは夏蒔きのニンジンだ。尤も、これを行うのは園芸というよりも農業レベルでの話なので、普通に園芸としてニンジンを楽しむ分には、特別気にする必要もないことだろう。


「…いろいろ言ったが、ニンジンはなんだかんだで発芽さえすれば虫も着きにくく育てやすい部類に入る作物だ。…手間らしい手間も、振り返ってみるとそんなになかっただろう?」


「確かに……植えた直後がデリケートなのは、どんな作物も一緒ですもんね」


「ちなみに、普通だったら種まきからどれくらいで収穫できるんだい?」


「…場合にもよるが四か月もあれば十分だろう。…ニンジンの首のオレンジの部分が、親指と中指で作った輪っか程度の大きさになっていれば、収穫の頃合いだ」


 えいや、と華苗は言われたとおりに輪っか──デコピンの直前みたいな形だ──を作ってみる、もちろん、両手じゃなくて片手で、だ。


 作ったそれを今なお生命に満ち溢れるニンジンにあてがってみると、なるほどたしかに、華苗の右手で作った輪っかより二回りほどそれは大きかった。このニンジンが立派なのもそうだが、おそらく華苗の手が小学生サイズであることもその一因なのだろう。


「…そうそう、発芽してしまえば育てるのが楽というのは本当だが、さっさと収穫せずにほったらかしにしていると裂根れっこんして味が落ちる。頃合いになったのなら、下手に焦らさず収穫するべきだろうな」


「れっこん?」


「…実割れ、裂果と言った方がわかりやすいか? さくらんぼにもあっただろ?」


「ああ、なるほど」


 ちなみに裂根は成長のし過ぎ、あるいは成長バランスが崩れることで起こるとされている。障害物による又根が生じたりと、意外とニンジンは形の影響を受けやすい作物だったりするのだ。


「まっすぐでおいしいニンジンを育てるのって、意外と気を使うんですね」


「…それだけに、うまく収穫できた時の喜びも一入だ」


「今日は生でむしゃむしゃしないんですか?」


「…土くれがついている」


「ついていなければ皮ごとかじりついていた、と」


 ちなみに、ニンジンは皮のすぐ近くに栄養がたくさんあると言われているため、気にしないのであれば皮ごと食べるほうが栄養がたくさんとれてお得と言えるかもしれない。また、ニンジンの生食は体に悪い……なんて言われることもあるが、実は全然そんなことはないというのが最近の研究で判明しているらしい。確かにビタミンCを破壊する酵素が含まれてはいるのだが、そもそもニンジンの含まれているビタミンCなんて大した量ではない、というのが大きな理由だ。


「佐藤先輩、先輩ならどうやって調理します?」


「そうだねえ……! サラダはもちろんだけど、素材の良さを活かしたキャロットグラッセもいいし、天ぷらにして揚げるのも、卵と一緒に炒めてにんじんしりしりにもしてみたいなあ!」


「ほおお……!」


「もちろん、お菓子としても……キャロットケーキなんて最高じゃない? うまく使えばプリンにも、マフィンにも出来るかもしれない!」


 佐藤の言葉を聞くだけで、自然と華苗の口の中にはつばが湧いてくる。目をキラキラと輝かせてあれを作りたい、これを作りたいと語っているだけのはずなのに、その背後に食卓に豪華に並ぶニンジン料理のフルコースが幻視できるから不思議なものである。


「そ、それってば、私もご相伴にあずかれたり……?」


「そりゃあね! 園芸部がいなきゃこんな立派なニンジン手に入らなかったわけだし、出来たあかつきにはぜひとも声をかけさせてもらうよ!」


「やったあ!」


「まぁ、しばらく後になっちゃうだろうけれど……前に収穫したもので作りたいのはたくさんあるし、何より文化祭が控えているから! ウチのところは特に──!」


「……そこまでだ、この裏切り者め」


「むぐぐっ!?」


 先ほどと同じように、楠が佐藤を羽交い絞めにしてその口元を押さえた。顔が顔なだけに、あとその眼光の鋭さもあり、本物のやくざと遜色ないほど様になっている。たとえ楠がこの後に佐藤をハイエースに連れ込んで拉致したとしても、あるいはそのままスパイ映画よろしくぽっきりと首をひねったとしても、華苗は特別驚かないことだろう。


「…浮かれ過ぎだ、他クラス()に内情を教えてどうする」


「ええ……華苗ちゃんなら別にいいじゃないか。それに、もう教えたところでどうにかなるわけでもないだろ?」


「…そうとも限らん。文化祭には魔物が潜んでいる。毎年番狂わせがあるって話だろ? …だいたい、これだけでもう、ウチのクラスでニンジンを使うということがバレたじゃないか」


「……あっ!」


 意外な盲点。思わぬところで敵の内情を知れたことに、華苗は内心でほくそ笑む。


「そりゃそうだけどさ……こっちだって華苗ちゃんのところがニンジン使うって知ってるわけだし、お互いさまだろう? だいたい、この時期に僕を呼び出してまで収穫してるんだから、それくらい華苗ちゃんも予想ついてたと思うけど」


「…………予想、ついてたか?」


「ひゅ、ひゅ~♪」


 目を反らし、華苗はへたっぴな口笛を吹く。答えはそれだけで十分だった。


「…………」


「…………」


 はぁ、と楠はため息をつく。


「…こいつなら、バレたところで問題ないか」


「ちょっとぉ!? 先輩、それってどういう意味ですかぁ!?」


「…そのままの意味だが」


「あえて言うなら、大根役者ならニンジン役者かな! 同じ根っこだし! あっ、僕いますごくうまいこと言ったんじゃないかな!?」


 怒り狂って真っ赤になった華苗が全力で拳を振るっても、巨漢の色黒男には一切通用しない。どっこいせ、と籠を背負って、華苗を片手であしらう始末である。


 もちろん、浮かれて頭のふわふわしている優男の発言なんて、誰も聞いちゃいなかった。


「…バカなことしてないで、さっさと動くぞ。…お前のところも、もっとあったほうが都合がいいだろう?」


「ぜぇったい、ぜぇったい覚えてろよぉ……!」


「ウチのレシピはほぼ決まっているからいいとして……。このニンジン、何に使おうかなぁ! すっごく悩むなぁ! せっかくだし、今日の夕飯は豪勢なニンジンフルコースにデザートもつけちゃおっかな!」


 すまし顔の大男と、浮かれ顔の優男。暑い暑い真夏の太陽の下で、華苗は文化祭でこの二人を打倒することを固く固く心に誓った。

 なんでそんなところにそんなものがついているんですかね。いったいいつそんなものがついたんですかね。


 スウィートドリームファクトリーも見るとよくわかると思うよ(露骨な宣伝)

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