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楠先輩の不思議な園芸部  作者: ひょうたんふくろう
楠先輩の不思議な園芸部
54/129

53 真夏の砲弾


「あ゛ー……」


 華苗の口から漏れ出たのはそんな音。さんさんと輝く太陽が華苗の剥き出しの腕を容赦なく焦がし、むわっと暑いその空気は華苗の気分をさらに急降下させる。


 華苗はちらりと視線を運動場のほうへと移す。あまりの熱気に陽炎が起き、運動場全体がゆらゆらと揺らめていた。


 その陽炎の真ん中には、陸上部の生徒がいる。女の華苗でさえちょっとドキッとする大胆なユニフォームに身を包んだ陸上部の女子生徒の足は、吹き出た汗によりてかてかと輝いており、男子生徒の腕はその汗すら消え失せ塩だけがキラキラと反射していた。


 当然のことながら両者とも暑さに辟易とした顔をしている。そして、それを眺めている華苗も全く同じ表情をしていた。


 雲一つないよく晴れた午後。風も吹かず、文字通り日陰も存在しない。


 まさに灼熱地獄に等しいただろう。華苗は麦わら帽子の存在にこれほど感謝した日はない。


「あっつぅい……」


 愚痴っても解決するわけはないが、それでも愚痴らずにはいられない。しかしそれでも、園芸部であるだけ華苗はまだマシなほうだったりする。


 華苗は文化祭での話し合いの時に、柊の所属する合気道部の練習は炎天下が天国と思えるほどにきついと言う話を聞いた。練習がつらいというのではなく、武道場の風通しが悪くとにかく蒸し暑いのだそうだ。


 しかも、たくましい漢たちの汗の染み込んだ道着がいくらか放置されているらしい。洗濯機をフル稼働させても処理が追いつかないとのこと。


 そのままなぁなぁになって……そして、生物兵器が誕生するというわけである。もちろん、その処理を決行しようとする勇気ある人間はいない。


「きょーはなにかなー」


 ふらふらになりながらも華苗は畑へと赴く。いつも通り、仁王立ちしている大柄な色黒の男がいた。


 手には鍬。頭に麦わら帽子。オーバーオールを身にまとい、戦闘準備はばっちりだ。


「今日はなにするんですかぁ」


「…収穫だ」


 華苗の問いに、楠はあごを動かして足元のそれを示す。暑さで朦朧としながらも華苗が視線をそこに向けると、蔦や葉っぱに抱かれるように、緑と黒の縞々の大きな太陽──スイカがあった。









 スイカはもともとアフリカ原産だ。暑い環境が大好きであり、比較的乾燥を好む。


 暑い環境であるのに、いや、暑い環境で育ったからこそかもしれないが、ともかくその九割が水分であり、夏の思い出としてよく冷えたスイカで喉を潤した人も少なくないだろう。


 その豊富に含む水分といくらかの栄養素により利尿作用が強く、また疲労回復効果もあるとされているため、夏の健康管理にはなかなか優秀だったりする。夏バテしていてもスイカなら大丈夫という人はきっと多いはずだ。


「よく育ってますねぇ……」


「…夏だからなぁ」


 さて、華苗の足元に転がるスイカはものすごく大きい。お店で売られている中でも特に大きい奴と勝負できるほどのものだ。華苗がようやく抱えられるかどうか、といったところだろう。


 ぐるりとあたりを見渡せば、つるや葉っぱに隠れてそこかしこに大きな大きなスイカが横たわっている。


 まごころをふんだんにこめられたのか、どれもこれもがまるで悠久の時を過ごした巨石のような貫禄を持っており、なんとなく華苗を懐かしい気分にさせた。


「今日、収穫だけだったりします?」


「…ああ、面倒なのは午前中にやっておいた」


「ありがとーございます」


 実は、今日は華苗は午前中の活動に参加していない。来るべき文化祭についての話し合いをクラスでやっていたのである。さすがにそちらをサボるわけにもいかず、そもそも楠一人でもある程度はどうにかなるため、こうして暑い午後から畑に顔を出すことになったというわけだ。


 本当だったら暑くない午前中に作業を終わらせ、午後はエアコンの効いた調理室などでゆったり勉強するのがベストだったのだが、予定が入った以上はしょうがなかったのである。


「…軽く手順を説明する。頭に叩き込んでおけ」


「はぁい……」


 汗をぬぐいながら、楠は語りだす。


 前述のとおり、スイカは暑い地方が原産であるため、日当たりが良くて水はけのよい場所を好む。ほかの作物と同じく、植える二週間ほど前に肥料をまき、一週間ほど前に畝をたてれば下準備は終了だ。


 スイカは種から育てることもできるが、苗から育てるほうが一般的であり、そして失敗も少ないだろう。種はある程度温度が高くないと発芽せず、ものにもよるが春に蒔くものが多いため、園芸として楽しむなら少々面倒であると思えなくもない。


 さて、畝をたて終えたなら、肩幅二つ分ほど開けて浅めに苗を植える。スイカの根は浅く張っていくため、あまり深く植えてしまうととよく育たないのだ。


 なお、植えつけるのはよく晴れた暖かい日がおススメだ。子供のうちからスイカは暑い環境を好むため、生育初期の保温は立派に育つための秘訣と考えてもいいかもしれない。


「じゃ、麦わらも敷くんですね」


「…まぁ、そうだな」


 乾燥を好むとはいえ、やはり程度問題であり、植えつけた直後はたっぷりと水をやらなくてはならない。また、地中の保温と泥はねを防ぐため、わらを敷くのも推奨される。


 ホットキャップと呼ばれる個人用(?)ビニールテントを使って高温を保つこともあり、この場合は本格的に暑くなるころには取り外さないと、暑くなりすぎてダメになってしまうこともあるので注意が必要だ。


 ちなみに、ホットキャップはまだか弱い苗を強風から守る効果もあるため、使いこなせるならすごく頼りになったりする。


「麦わらとホットキャップ使えば最強ですね!」


「…まぁ、苗の様子を見て程度を考えねばならんがな」


 ある程度成長し根ついてくると面白いようにつるが伸びていく。このころにはホットキャップを取り外さないとならないだろう。


 畑で育てる場合は水やりはしなくてもよく、あまりにも乾燥が続くときは適宜水やりをする。いずれにせよ、苗の様子を見て判断することが重要だ。


「…このころになると樹勢も強くなってきてだな」


「わき芽とりですね。いらないつるも全部とるって感じですか?」


「…そうだ。わかってるなら飛ばすぞ」


 スイカも他の作物と同じく、成長してきたら仕立てたり摘心したりといくらかやることがある。


 とはいえ、もう何種類もの作物を育ててきた華苗にはそれはわかりきったことであり、今更確認する必要もない。どうせ、しなくたってまごころでおいしく成長するのだから。


「ウリですし……花は黄色ですかね?」


「…おまえも成長したなぁ」


「人工授粉は?」


「…必要だ。もちろん済ませてある」


 仕立てたりしてなんのかんのとしてるうちには小さな黄色い花が咲く。植えつけてからおおよそ一か月ほどくらいだろうか。実とは対照的に手のひらにちょこんと乗る程度の大きさの花であり、咲いているのを見つけたのなら人工授粉に入る。


 やっぱりほかの作物と同じく、おしべを見つけてめしべとこすり合わせればいい。スイカの場合、がくの膨らんだものがめしべ、そうでないものがおしべである。


 開花の直後が一番受粉しやすいため、この時期になったら早起きして花が咲いたかこまめにチェックしないとならない。朝早くでないと受粉率はどんどん低下してしまうので、日が昇り切る前──具体的には朝の九時までに作業を終わらせたい。花は前日、もしくは当日に咲いたものでないとダメだ。


「咲いてるの、見落としてたらどうするんです?」


「…見落としてたならいつ咲いたかなんてわからないだろ? 失敗して初めて見落としてたって気づくんだろうな」


 また、受粉後すぐに雨が降るとダメになってしまう確率が強くなるので、お天道様のご機嫌もうかがわないといけない。花の咲くタイミングと天候とで運任せになることもある。


 なお、収穫時期の予想をするために、人工授粉した花には日時を記録したラベルをつけることが推奨される。種類にもよるが受粉後およそ四十日前後が収穫時だ。


「…ただ、最初にできた実は小さいうちに採ってしまうことが多い」


「ま、そのへんも鉄板ですね」


 そのほか実は一株につきいくつ……などと細かい決まりもあるが、まごころあふれる園島西高校のスイカはその定石を無視して一株にいくつもの実をつけている。


「で、諸々あってできた実がこれですか」


 さて、手間暇かけてようやくの収穫を迎えるわけだが、ここでもまた少し問題が出てくる。


「…熟してないのが混じってることがある。見極めろ」


「えええ……」


 楠はずんずんと畑に入り、軍手を外してそのどっしりと構えたスイカに触れる。なぜだか、華苗にはそのスイカが楠を挑発しているように見えた。


「…おまえも適当に見繕え」


「うーぃ」


 華苗も軍手を外し、一番近くにあったスイカに触れる。近くで見ると思っていた以上に大きく、鮮やかな緑が少し目にいたい。表面はつるっつるであり、黒い縞々がどぎついコントラストを醸し出している。


「おっも」


 少しだけ持ち上げてみるが、どうしてなかなか腕にずっしりとくる。本当に果物かと疑いたくなるばかりの重量であり、入学当初の華苗なら転がすことですら不可能だったはずだ。


 華苗はなんとなく、そのスイカをぽんぽんと叩いてみた。スイカの判別法はこれくらいしか華苗にはわからない。固いそれから帰ってくる手ごたえはどこまでもたくましいものであり、たぶん華苗の拳骨ではヒビ一つはいらないだろう。


 だがしかし、だ。


「……先輩」


「…どうした?」


「叩いたんですけれども、どれも同じ感触で判別がつきません」


「……」


 スイカを叩いて良し悪しを判別するなんて特殊スキル、華苗が持ってるはずもない。そもそも、スカスカのものといいものとの具体例がないものをどうやって判別するというのか。


「…いいものが弾むようなボンボン。スカスカは鼓のようなポンポン。熟れ過ぎたのはずっしりと腹に響く感じだ」


「いや、わかるわけないでしょうよ」

 

 しかも、試しにほかのものを叩いてみてもどれも同じ感触である。


 どのみち園芸部のスイカなのだ。ダメであるはずもないと華苗は無い胸を張って開き直った。


 楠は若干の呆れ顔をしたのち、自分のスイカを叩いて見せる。なるほど、たしかにボンボンとした音だ。いいスイカなのだろう。こうしてみると、どこにでもある普通のスイカも、緑と黒の縞模様をした楽器に見えないことも無い。


 少しだけ口をゆがめで笑った楠を見て、だからどうしたと華苗は突っ込みたくなる。


「…目で判別する方法もある」


「先それいってくださいよ」


 スイカの収穫の時期を見極める方法としてスイカの縞模様のコントラストを見るというものがある。


 緑と黒がはっきりと分かれていれば収穫時だ。頭からお尻のほうまできっちりとみて、どこもくっきりとしていればほぼ合格である。


 また、その実がついている周辺の葉っぱや巻きひげが枯れてきているかどうかで判別する方法もある。枯れているということはつまり、それ以上実に栄養を送る必要がない、すなわち熟しているという証拠であり、巻きひげがしっかりと濃い茶色になっているのが目印である。


 音やコントラストと比べて判別しやすいため失敗する可能性も少ないが、これはあくまで収穫するときにしか使えないので、スーパーなどではこの方法を用いることはできない。


 スイカのお尻の部分を見るのも一つの手だ。ヘソのようなものが白く、茶色い傷のようなものがついており、かつ大きくなっていたら収穫ができるというサインである。


「…他にもいろんな方法があるが、実際は開けてみないとわからん」


 華苗は汗拭きタオルで軽くスイカの表面を拭い、その色艶をよく見てみる。お店で売っているものよりもはるかに出来が良く、夏の力強い生命力にあふれている気がした。


 手触りもいいし、みずみずしい感じもする。これでダメなら世界中のスイカが未成熟になるだろう。


 鋏でつるを切り、持ち上げる。やはり見た目以上に重く、まるで土嚢を持ち上げたかのようだ。腰を入れていなければ持ち上がらなかったに違いない。


 たぶん、米袋と同じかそれ以上の重さがあるだろう。いや、その丸みを鑑みれば、砲弾だとたとえるべきだろうか。


「…上出来だ」


 華苗だと抱え込むようにしなきゃいけない大きさのスイカでも、楠は軽々持ち上げてしまう。やっぱり無駄に力だけは強いらしい。


「…リヤカーに積むぞ」


「へーぃ」


 よっこいしょ、と持ち上げて華苗は大きなリヤカーにスイカを載せる。あらかじめ麦わらが中に敷いてあり、転がり出すことはなさそうだ。


 華苗は畑でスイカを収穫してはリヤカーにごろりと載せていく。傷つけないように、重いのを我慢してそうっと載せなくてはいけない。その分腕に負担がかかり、華苗のオトメな細腕は悲鳴を上げた。


 楠でさえも少し息を上げるような重労働だ。とてもか弱い女子高生にさせる仕事ではない。


「疲れた……」


 全部終わったころには華苗の腰はすっかり痛くなってしまっていた。収穫数は少なめに見積もっても五十はあるだろう。リヤカーの中は圧巻であり、総重量なんて考えたくもない。


 大ぶりのスイカがごろごろと転がっている様は、まさに海賊が砲弾を積み込んでいる光景のように見えた。


 華苗の気分は海賊のしたっぱである。もちろんこの場合、おっかない船長は楠だ。体格もいいし健康的に焼けていることから、麦わら帽子のかわりにキャプテンハットを被ってもキまりそうである。


「こんなにいっぱいどうするんです? 調理室とおじいちゃんのとこ、職員室まで持っていっても余りますよ」


 船長に怯えながらひいこらと砲弾を積んだ華苗はちょっとだけ気になった。


 スイカに調理方法なんてないようなものだし、いささか採りすぎだと思ったのである。だが、そんな華苗の予想を裏切り、楠は涼しい顔して告げる。


「…こいつは卸さない」


「え? 食べないんですか?」


「…いや、もちろん喰う」


 そう言うと楠は物置小屋からやたら清潔そうな鉈もどきを持ち出しリヤカーに積む。そのままリヤカーを引っ張り体制に入った。


「…運動場に行くぞ」


「……」


 歩き出すのも嫌だった華苗は、楠が前を向いたのを見計らってこっそりとリヤカーの荷台に飛び乗った。気分は大海に繰り出す女海賊である。


 えっちらおっちらとリヤカーを引く楠がそれを確かめる術もない。がたごとがたごととリヤカーの中でスイカが転がる音がし、それが本来華苗がたてるべき足音を消してしまっている。


「ふぃ~」


「…じじくさいな」


 楠が漏らした大変失礼な言葉を無視し、華苗はスイカを押さえつつ寝そべる様にして大空を仰ぐ。


 力強い真夏の白い雲がどことなくおいしそうだ。真っ青な空はいっそ飛び込んでしまいたくなるくらい魅力的だ。真夏の太陽も、瞳に映る雄大な空と合わさると途端にステキなものとなる。


 海原と大空。一体どっちが広いのか。


 華苗は一瞬だけ気になり、そしてすぐにどうでもよくなった。


 がたごと、がたごと。


 リヤカーの上に乗る麦わら帽子の少女が空を仰ぐ。華苗はその牧歌的な雰囲気になんだかとっても気分がよくなった。


「こーいうのもいいですねぇ……」


「…おい、何してる」


 ごろりと寝転がりながらつぶやいたからか、とうとう楠にばれた。


「いーじゃないですか。どうせ私一人分増えたところで大して変わりませんよ」


「…まぁ、スイカ五、六個くらいか?」


 それくらいならほぼ誤差の範囲だ。楠は再び全身に力を入れてリヤカーを引っ張り出す。


 楠の背中はみるみる膨れ上がり、滴る汗がぽつぽつと乾いた道に標をつけていく。先輩がそんな重労働をしているのに、華苗は麦わらのベッドに揺られながらスイカを押さえるだけ。これぞ適材適所というものだろう。


 がたごと、がたがと。


 ぼーっとそれを楽しんでいるうちに校庭の端へとたどり着いた。


 園島西高校は施設が充実しているから、サッカー部はここではなく芝生のサッカーコートで練習している。すなわち、今この校庭で練習しているのは野球部と陸上部だけだ。無駄に土地もあるからこそ、二つの部活が一緒でも十分に活動できる広さがあるのである。


「運動場、つきましたけど?」


 さて、わけもわからずついてきた華苗にはこれから楠が何をするのかの予測ができない。いや、正確にいえばわかってはいるのだが、楠がどう動くのがわからなかったのだ。


「おいっ! 園芸部来たぞ──っ!!」


 だが、楠が口を開くまでもなく陸上部の一人が華苗たちに気づき、そしてその知らせがあっという間に反対の野球部にまで伝わっていく。


「マジで!?」


「やっときたぁ……!」


「今年初じゃん!」


「死ぬかと思ったぞ!」


 知らせを聞いたものはみな顔をぱぁっと輝かせ、そして運動場の隅っこのリヤカーに視線を定める。陸上部の面々はクラウチングスタートの態勢を取り、そして野球部はバッドやグローブをベンチに放った。


 その目は血走っているようにも見える。


「……あの、先輩」


「…なんだ?」


「すっごい、睨まれているように見えるんですが」


「…衝撃に備えろ」


「きゃぁっ!?」


 楠が言うかどうかというところで彼らが一斉にリヤカーへと突っ込んでくる。さすがは足が自慢の部活というべきか、砂埃を引き起こして向かってくるさまはまさしく圧巻だ。武士の突撃を彷彿とさせるような、獲物に群がるハイエナのような──この場合、後者のほうが適切だろう。


 どどどど、と文字通りの音と共に突っ込んできた彼らはリヤカーの前でぴたりと足を止め、そして逃げ道を防ぐようにリヤカーをぐるりと取り囲む。


 その数、およそ六十人はいるだろうか。荷台の上からその光景をみる華苗にとっては自分が狙われているようでひどくおっかない。


「今日は何だ!?」


「はやくはやく!」


「スイカじゃねーか!」


「わぁい! 大好物!」


「もったいぶるなよな!」


「いつもあざーっす!」


「ほんと、ありがとね!」


「一年ども! 挨拶はどうした!」


「そうだぞこら! 挨拶の一つくらい言われる前にやれっ!」


「「あ、ありがとうございます!!」」


 なんだか知らぬ間に楠は上級生や同級生に肩や背中をぱんぱんと叩かれ、そして肩を組んで青春っぽい空気のまっただた中にいる。泥臭い青春少年の笑顔に混じっているそれは、着ているものがオーバーオールでなくユニフォームだったら、甲子園の優勝を祝うさまに見えなくもないだろう。


「ちょー大好きっ!」


「マジ愛している!」


「きゃはは、渚と詩織にぶっ飛ばされるからよしなって!」


 しかも、女の先輩や同級生からもちやほやされている。華苗にはよくわからないが、男子的にはこれってすごく眼福なのではないだろうか。露出の多めな陸上部の健康肌の女子にちやほやされる──たぶん、シチュエーション的にはものすごいことなのだろう。華苗にはにわかには信じがたい光景であった。


「いやぁ、本当にありがとな!」


「去年も世話になったし、本当に頭が上がらないよ」


「…いえ、喜んでもらえて何よりです」


 そんな中、すっと前に出てきたのは二人。陸上部長の杉下と野球部長の飯田だ。


 杉下も飯田も汗だくであり、ちょっと汗臭い……というか男臭い。飯田に至っては野球の帽子をかぶっていたからか、頭が若干蒸れているようなかんじもした。


 ついでに、二人とも日に焼けて顔が真っ赤になっている。あとできっとつらい思いをするだろう。


「……おまえら! ちゃんと並べ!」


 飯田の一言に群がっていた生徒はみな背筋をただし、ぶつぶつ言いながらも三列になってリヤカーの前に並んだ。なぜだか陸上部の面々までそれに倣っている。


「先輩、これって……」


 華苗の問いに答えたのは飯田だった。


「そっか、君──華苗ちゃんは初めてか。こいつさ、夏になると暑いだろうからって差し入れ持ってきてくれるんだよ」


 それもほとんど毎日だ、と飯田は嬉しそうに付け加える。


 たしかに、この暑い中にスイカの差し入れがあったら誰でも喜ぶだろう。しかも、ハードな部活の最中に、園芸部の大ぶりなスイカなのだ。喉も潤うし気力も満ちるにきまっている。


「これほどまでにこいつとダチでよかったって思ったことはないぜ!」


「…現金な奴だな」


 杉下はにかっと笑いながら楠の背中をたたく。若干鬱陶しそうにするものの、楠は手を払わずに麦わら帽子を深くかぶり直す。たぶん照れているのだろうと華苗はあたりをつけた。


「そういえば、運動部は楠先輩に頭が上がらないっていうのは……」


「ああ、こいつ、夏は全部の運動部に差し入れしてるからな」


「しっかも普段は食べられない高級な果物もあるんだぜ!? 感謝しないわけないだろ? しかもタダ! 食べ放題!」


「…俺も、麦の時みたいに手伝ってもらうことがあるからな」


 実は楠、夏場は午後の暑い時間を狙って各運動部に果物を差し入れて回っている。もともとはいろいろと世話になった秋山に差し入れをしただけであったのだが、それを見たほかの部活の面々があまりにも羨ましがった他、たまに大掛かりな作業をするときに手伝ってもらうのもあって、それ以来サッカー部以外にも差し入れをするようになったのである。どうせいくらでも収穫できるし、楠自身もうれしそうに食べてもらうのは好きなのだ。


「秋山はともかく、俺たちなんかはたまにしか手伝わないからな。律儀に差し入れしてくれる楠には頭が上がらないってわけだ」


「ちなみに、たまたま都合が悪くなったりして食いっぱぐれると、わが陸上部の大半の奴は記録ががくっと落ち込む」


 さて、そんなこんなと話しているとやがて恨みがましい視線が三人の部長を貫き、楠は無言でリヤカーの中にある鉈もどきを手に取った。華苗もその意図を察し、一番近くにあったスイカをよいしょと持ち上げ楠に手渡す。


「…そこ、まな板あるだろ?」


「え、これ?」


 まな板というにはいくらかみすぼらしい……というか普通に木の板だ。


「…どうせ汚れるしな」


「野球部はそんなもん気にしないんだ。手を洗わずに握り飯を頬張るのが普通だからな」


「陸上も砂で口ん中じゃりじゃりになるし、ぶっちゃけ気にする男子高校生はいないと思うぜ?」


 楠はリヤカーの荷台に器用にまな板をのせ、スイカを片手で軽く押さえた。鉈もどきをとんとんと垂直にあて、力を込めて振り下ろす。


「わぁっ!」


 歓声が上がる。


 赤ともきついピンクともとれる果肉が目に鮮やかに飛び込む。みっしりとしていて穴なんかあいているはずもなく、まるで芸術品のようだ。


 同時にいっそむせ返るような、甘ったるいともとれる空気があたりに広がり、その場の全員をうっとりとした気分にさせた。


 断面には黒い種がぽつぽつとあるものの、実はぎゅっと詰まっており、極上のものであることは疑いようがない。じわりと果汁が滴り、リヤカーの荷台を少しだけ汚して地面に落ちた。


 華苗には、その滴からも甘い香りが香ってきているように思えた。


 楠は手早く両断されたそれをさらに二つに切り、もう一度鉈を入れる。球体を縦、横、奥と三回切った形になり、何人かの手に三角錐型のスイカが渡る。華苗の家はこの斬り方ではなかったが、これもなかなか新鮮だ。


「うっめぇぇぇぇぇ!」


「さいっこぉぉぉ!」


「あっま! 超あっま!」


 貰った面々は早速勢いよく齧りつき、そのおいしさに身を震わせている。甘い香りがよりいっそう強くなり、高校球児の笑顔はさらに深くなった。


 豪快というべきか、汁を顎からしたたらせ、口元をべしょべしょにしている。外でだからこそできる、スイカを最高においしく食べるやり方だ。


「ありがと!」


「あはっ、おっきーぃ!」


「やっぱ店売りと違うよなぁ!」


 しゃく、しゃくという音がどんどん大きくなり、ふざけた男子は外の茂みに向かって種飛ばし競争をしたりしている。地面は甘い汁で色を変えており、もし巨大なカブトムシがそれに誘われてどこからともなく飛んできたとしても、華苗は全く驚かないことだろう。


「…ふぅ」


「悪いな、最後まで」


 八つほどのスイカを切り終え、とうとう華苗たちの番が回ってくる。楠の少しべしょべしょとした手からスイカを受け取った華苗と部長は、タイミングを計ったようにその赤い結晶に齧りついた。


「おいしいっ!」


「これだよ、これ!」


「体に染みるぜ……!」


 途端に広がる甘さ。スイカ特有の少々甘ったるい感じがここちよく、一口齧っただけでじゅわっとその汁気が大氾濫を起こす。


 実はしっかりと詰まっていて、齧りごたえがなかなかにあり食べ応えもある。香や味も市販品のそれとは二回り以上も強い。杉下じゃないが、本当に一口食べるだけで体全体にそのスイカの生命の雫が染みわたっていく感じがするのだ。


 塩なんか振らなくても十分すぎるほどに甘く、ウリ特有の青臭さもない。スプーンなんて野暮ったいものを使ってはいけないと感じてしまうほどに、それは原始的な魅力にあふれている。


 華苗は小さく、されど大きく口を開け、その可愛らしい犬歯をぶすりと赤い果肉に突き刺す。


 こいつは、絶対に丸かじりでないといけない食べ物だ。大きく大きく口を開け、でっかくでっかく齧りつかないといけない食べ物なのだ。


 舌に触れるちょっとざらついた感触がまた何ともいい感じ。耳元に聞こえるしゃくっとした音もまさにスイカ。これほどまでにスイカらしいスイカを華苗は食べたことがない。


 種も比較的大粒なものだからそこまで気になるほどでもない。少なめでもあるし、指でちょちょいとやれば簡単に取れる。


 意外なことに少しだけ冷えており、その水分も相まってすうっと体が冷えていく。たまらず何度も華苗は齧りつき、気づけば他の生徒と同じく手も口もべしょべしょにしてしまっていた。


 まさにシーズン真っ盛りのよくできたスイカだ。やっぱりハズレなんて一つもなかったのである。


「…うむ」


「こんな甘いスイカ、ここでしか食えないんだよなぁ……」


 ちなみに、スイカは収穫後に追熟できる。およそ二、三日が目安だろうか。


 追熟とは──早い話、放っておくことで甘みを増やす方法だ。もっとも、市販品の場合は収穫後いくらか経っていることもあるので、必ずしもこれができるわけではない。


「おかわり!」


「俺も!」


 リヤカーに積まれたスイカはまだまだある。さすがに全部食べるわけではないだろうが、それでもおかわりくらいは楽勝だ。


 楠はささっと自分のスイカを食べ終えると、再び鉈をもって斬っていく。ずいぶんと手慣れたもので、まさに職人技のような速さだ。


「スイカどこまで食べられるか競争しようぜ!」


「白いとこはカウントに入れるのか?」


「もちろん! 皮一枚になるまで食うに決まってんだろ?」


「どーでもいいけどきれいに食べてよね──うわわっ!?」


「ちょっと男子ィ! 汁こっちに飛んだんですけど!」


「しょうがねえだろ! スイカってのはそういう食い物なんだよ! 豪快に食わなきゃいけない食い物なんだよ! おちょぼ口で喰うとかスイカに失礼だろ!?」


「上品に食べてるだけだもん!」


「ハッ! 普段でっけえ口してスナック貪ってるやつが何言ってやがる!」


「なっ……その喧嘩買うぞ! スイカの代わりにカチ割ってあげる!」


「暑いんだから騒がないのー……あ、このスイカ種一個もなかった」


「えー、ラッキーじゃん!」


「なぁ、お前、種って飲み込む派? 噛み砕く派?」


「食う前に取り除く派」


「なんか虫が寄ってきた!?」


「まさか、カブトムシかッ!?」


「いや、ちっこい羽虫」


 野球部の薄汚れたユニフォームがピンクにぽつぽつと染まっている。陸上部の手はぐしょぐしょで、散ったスイカの汁が太ももにかかっている。


 華苗は首の汗拭きタオルでそっと口元を拭った。


「…本当は冷やしたものを持ってきたいんだがな」


「このクソ暑い中、スイカ食えるだけありがてえよ」


 杉下はスイカをむさぼり、ごくんと喉仏を動かす。水分が取れたからだろうか、さっきからみんなが尋常じゃない汗を吹きだしていた。


「…おい杉下。種はどうした?」


「飲み込んだけど?」


 楠の問いに杉下は当たり前のように答えた。どうやら彼は種を飲み込む人種らしい。逆にこの場にいるほとんどの人間は、こっそり茂みのほうに種を吐き出している、


「…危ないぞ」


「消化されないってか? このくらいへーきだろ」


「俺も飲み込む派。スイカって種さえ気にしなけりゃ最強だよな。しかしおまえ、案外心配性なんだな」


 どうやら飯田も種は出さない人らしい。べたべたの口元で誇らしそうににかっと笑う。日に焼けたその表情はまさに青春ど真ん中の高校球児だ。


「…そうじゃなくてですね」


「あ、ヘソから芽が出るってやつか? 懐かしいなぁ、俺もばーちゃんによく言われたよ」


「そういやうちの母さんもそんなこといってたな。あんなの信じるの子供だけだろ?」


「…だといいがな」


「「……えっ?」」


 二人の動きがとまる。ついでに、飲み込んでいただろう、もしくは飲み込んでしまったのであろう何人かの動きも止まった。


 陸上部はちらりとユニフォームをめくっておへそを押さえる。野球部はベルトを緩めて腹をさすった。


「…うちのスイカ、活きがいいからなぁ」


「いっつもすごい勢いで成長しますもんねぇ……」




「「いやぁぁぁぁぁっ!?」」


 部長二人の絶叫が夏の空に木霊した。




 顔を真っ青にする人たちを置いて、華苗と楠は再び畑に戻ろうとリヤカーを引く。


 この後再びスイカを収穫し、サッカーグラウンド、ハンドボールコート、体育館、武道場へとスイカを届けねばならない。その後、中庭で文化部にも集合をかけ、最後におじいちゃんのところへ持っていく。改めて考えると、かなりの重労働である。


「…まぁ、ああやって喜んでもらえるとうれしいだろ?」


「ですね」


 スイカを運びながら華苗は相槌を打つ。確かに自分も、暑い中頑張っているところにスイカを差し入れされたら、ずきゅーんと心を撃ち抜かれてしまうかもしれない。


「……あ」


 部活の練習中の差し入れ。青春スポーツものだとかでよく見かける光景だ。ちょっと古臭いかもしれないが、華苗はそのシチュエーション、結構好きである。


 もちろん、女の華苗はされる側ではなくする側である。そして、華苗の手元には威力の高い砲弾(スイカ)があり、最近気づいてしまった撃ち抜きたい標的(ターゲット)もいる。


「……次、武道場でしたっけ?」


「…ああ」


 スイカの甘さのせいか、それとも暑さのせいか。華苗の頭はくらくらし、そしてちょっとだけ気恥ずかしくなった。


 すんすんと鼻を鳴らして腕を嗅ぐ。


 スイカの匂いしかしない。


「……よし!」


 華苗はほっと息をついた。これならセーフだ。


「…どうした?」


「先輩にはわからないことです」


 一瞬脳裏に浮かんだ顔。彼も蒸し暑い場所で、汗だくになって頑張っているのだろう。


 このスイカを差し入れすればきっと喜んでくれるにちがいない。それはもう、最高の笑顔を見せてくれるはずだ。


 積極的な行動は今の華苗にはできない。でも、毎年恒例の差し入れだとしたら全然不自然じゃない。


 華苗は自然と、ほんにゃりと笑ってしまった。


「先輩、はやくいきましょう!」


「…そう思うなら降りて手伝え」




 リヤカーを引く楠が知る由もない。華苗の顔がスイカのように真っ赤になっていることに。




 ──夏はまだ、はじまったばかりだ。

20140823 誤字修正

20140914 誤字修正

20170624 文法、形式を含めた改稿。


スイカの斬り方って各家庭でわりと違うと思う。


物理的に考えて、五キロを超えるスイカを五十個も載せたリヤカーを男子高校生がひっぱることってできるのだろうか?

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