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楠先輩の不思議な園芸部  作者: ひょうたんふくろう
楠先輩の不思議な園芸部
52/129

51 園島西高校サバイバルキャンプ・14


 こっこっこ、とどこか遠くで可愛らしい鳴き声が聞こえた。華苗はぼうっとした頭でそれを認識し、ごろりと寝返りを打つ。だが、寝袋に包まれたその貧相な体では満足に動くことはできなかった。


「……」


 もぞもぞともがき、ムクリと起き上がる。ジンとひざが痺れていた。


 よっちゃんが寝ているのは当然として、今日は清水もぐっすりと寝こけている。いつもの赤い髪留めをつけていない清水の顔はどこか新鮮で、寝ぼけた頭のまま華苗は無意識のうちに清水の頬をつつく。


「……かなえ、ちゃん?」


「おはよ」


 ちょっとぷにっとやっただけだというのに、清水はすぐに目を覚ました。よっちゃんもこれくらい簡単に起きてくれればいいのにな、と華苗はぼんやりと思う。


「私、昨日寝オチした?」


「うん。私と先輩以外はみんな途中で寝ちゃった」


 先輩方も昨日はだいぶ疲れたのか、まだ眠っているのが半分近くもいる。すー、すーと軽い寝息に華苗はわずかばかりの羨望を覚えた。一体どうやったらあんな可愛く寝息を立てられるのだろう。いびきをかかない秘訣でもあるのだろうか。


「シャリィちゃん、今日も早起きなんだね」


「そうみたい」


 華苗の隣に小さな可愛らしいスペースがある。すでに寝袋や毛布がきちんとたたまれていて、そこに寝ていた人物がいかに几帳面──いや、真面目だったかを示していた。


 華苗があれくらいの年のころは、休みのときは起こされるまでずっと寝ていた気がする。パジャマも布団もぐしゃぐしゃのまま直そうともしなかったはずだ。


「先輩たちは起こさなくていいかなぁ?」


「いいんじゃない? 疲れてるだろうし、もっとあとでも大丈夫だって。それより外行こうよ。最終日なんだし、寝て過ごすのはもったいないよ」


 清水の言葉にうなずき、華苗はいそいそと身支度を整えた。パジャマを脱ぐと暑さで蒸れた体がいくらか冷えて気持ちいい。


 夏だということもあるが、寝袋はすっごく蒸れるのだ。この森の朝晩はいくらか涼しくなるからまだましだが、コンクリートジャングルのど真ん中でこれをやったらめでたく華苗の蒸し焼きができていたことだろう。味はきっと最悪に違いない。


「上は──あった。下は──ああ、もうちょっと持ってきたほうがよかったかなぁ。なんか女子高生らしくないチョイスな気がする」


「下なんてそんなもんじゃない? キャンプなんだし。私だって昨日履いてたジーパンそのまま履きまわすよ?」


「史香ちゃん。それジーパンだから許されることだから」


 男子の中にはキャンプ中ずっと同じジーパンをはいていたり、一枚のハンカチを使い倒している人間が少なくないことを華苗たちは知らない。もし彼女たちが男子テントに入ったのだとしたら、その形容しがたい男くささに悶絶したことだろう。


「うぉ、今日もまぶし──!?」


 バサッと入り口を開けた清水が口をつぐんだ。たしかにまぶしいが、それだけのはずなのに。


 いぶかしんだ華苗はその脇からひょっこりと首を出し、そして見てしまった。




 でっかい熊とイノシシが、広場中央に横たわっていた。




「せっかくだから成果をみせておこうと思ってねェ。こういうの、なかなか見る機会はないだろう?」


 おじいちゃんがぴたぴたと熊の頬を撫でながら言った。


 昨日はあまり気にしなかったが、熊の体長はゆうに三メートルを超えるほど大きく、その大きくて丸くて黒い目は生気を失ってなおギラリと輝いている。口の中の牙をまじまじと見ると先のほうが細かくギザギザしていて、おまけに口全体から油っぽいような、汚い鶏小屋のような匂いがした。俗に言う獣くさいというやつだろう。


「これ、もう死んでるんですよね?」


「そりゃあもちろん。中身も取ってるからこれはガワだけさ」


 信じがたいことだが、今日の朝早くにおじいちゃんと組合の人で昨日の現場に行き、いろいろと処理をしたうえでここまでこれを引っ張ってきたそうだ。


 もとよりほったらかしにしておくと別の獣が出る可能性もあったため、それならばと、こうして剥製もどき(?)にすることに決めたらしい。


「なぁ、そんなにこれが珍しいのか?」


 むにっと熊の上あごを持ち上げて口の中を見やすくしてくれている茶髪の女の人──組合に所属するエリィが不思議そうにつぶやいた。


「珍しいというかなんというか……熊自体があまりなじみのあるものじゃありませんし」


「ふむ……」


 昨日初めて話したばかりの人だが、彼女は気さくで華苗でもすぐに打ち解けられた。眠ってしまったよっちゃんと清水をテントまで運んだのも彼女である。力仕事に慣れているのか、軽々とお姫様抱っこで二人を運んだのは今でも華苗の記憶に鮮やかに残っていた。


 鎧のようなものを着込んだり、護身用の剣にしても──いや、そもそも剣だとしても明らかにサイズのおかしい鉄板みたいのを、涼しい顔して担いでいたりするなどどこか感覚がズレているが、自分を主人公にしたまるでファンタジーのような作り話をおもしろおかしく話してくれたりする優しい人だ。


 そのあまりの出来のよさとリアリティ、そして突飛とも言える想像力に、華苗は猟師よりも絵本作家でもやっていたほうがいいんじゃないかと思ったほどである。


「私は熊より、あっちのほうが気になるけどな」


「はは……」


 つっと流れたエリィの視線の先には、華苗たちが初日に作った畑がある。今日も朝露とまぶしい朝日を全身に受けて、作物がキラキラと輝いている。


「昨日、全部採ってなかったか?」


「まごころこめましたから」


 そう言うほかない。納得できないかもしれないが、事実だからだ。


 不思議そうな顔をしながらも、エリィは黙ってうなずき、そしてくぁっと大きくあくびをした。涙の溜まる目をこしこしとこすっている。よくよく見ると、目の下にはうっすらとクマがあった。


「寝てないんですか?」


「夜番だったからな」


「どうせ今日は遠出もしないし、眠かったら寝ててもかまわんさね。なんなら女子テントで寝てもいい。大きめのだからスペースはあるさね」


「……一晩中起きてた人がピンピンしてるのを見て、一人で眠れるわけないだろう?」


「そんなもんかね?」


「そんなもんさ。だいたい、この程度眠いうちに入らないよ」


「おじいちゃん、ずっと起きてたんですか!?」


 どうやらおじいちゃんは昨晩からずっと寝ずに番をしていたらしい。いつもどおりの表情なのでまるで気づかなかったが、それはかなり負担になったのではないだろうか。華苗の記憶が正しければ、一昨日も、その前も不寝番をやっていたはずだ。


「みんなおはよ! ……にしても大きい熊だねぇ。手も顔もこんな厳つかったっけ?」


 熊を眺めていたらのそのそとよっちゃんがやってきた。顔を洗ってきたのだろうか、ずいぶんとさっぱりした表情をしている。


「写真撮らない? こう、熊を倒した記念っぽい感じで」


「私たちなにもしてなくない? 私なんてもろに足手まといだったし」


「いいじゃん! 連帯責任的なアレで!」


「よっちゃん、それ意味違うと思う」


 とはいえ、華苗もちょっと興味がある。こんな機会そうそうないのだから、のってみることにした。


「あたし、ヘッドロックするから華苗は熊にとらわれた子供役で」


「じゃ、私はアッパーでもしよっか」


「むぅ……」


 なんだか腑に落ちないが、とりあえず言われたとおりの配置につく。熊の右手を持っていかにも襲われていますポーズをとったが、熊の手がすごくべたついてあまり気分のいいものではなかった。


「準備はいいかねェ?」


「ばっちり」


 おじいちゃんがどこからか取り出したカメラのシャッターを切った。ピピッという電子音とともに眩い閃光が網膜に走る。何事かと見守っていたエリィがびくりと体をすくませた。


「じいさん、それはなんだ?」


「デジカメだよ。どうだ、きれいなもんだろう?」


「ああ、例のやつか」


 デジカメの中を見てエリィはしきりに感心していた。それと華苗たちを何度も見比べている。


「すごいな……話には聞いていたがここまできれいなものだとは……」


 どうやらこの周囲にはまともなカメラすらないらしい。おじいちゃんが持っているのは最新式のもののようだし、日本の道具は世界に認められるほどのクオリティを持つと聞いたことがある。外国人のエリィが驚くのも無理はない。


「こんな傷まで写るのか」


「傷?」


「ああ、ここだ。この鼻面のところ──」


「…俺がスコップで打ちつけたところだな」


 びくっとまたもやエリィが震え、バッと砂煙を起こす勢いでその場から離れた。後ろには熊──よりかはマシな顔つきをしている目つきの悪い大男。見慣れた麦藁帽子をかぶって熊を見ていた。


「こいつ、気配が──!?」


「ないですよね。後ろに立たれると寿命が縮まりますよ」


 水でも汲みに行っていたのだろうか、楠は大きな容器を手に持ち、どっこいせ、と焚き火の近くの切り株に腰を下ろす。つっと流れ出た汗をいつもの汗拭きタオルでぬぐい、やたらと貫禄のあるスコップを足元に携えた。


 そんな彼の後を追うかのように、森から何人かが水を持って出てくる。昨日ゆきちゃんを助けた騎士っぽい人──セインが引率をしていたようだ。


「…改めて見ると、でかいな」


「先輩がやったんですか?」


「…一撃だけな。とどめはエリィさんがやったそうだ」


 ちなみに、昨日は熊が三匹とイノシシが一匹出たらしい。華苗たちと遭遇した熊、楠たちと遭遇した熊、そして運悪く武道部長の三人とバルダスと出会った熊がいたそうだ。


 ただ出会っただけならなんて事の無い話なのだが、肉体派の三人の部長──中林、葦沢、榊田と、同じく筋肉の塊であるバルダスは、出会った熊を素手で殴り殺してしまったそうだ。お話ではたまに聞くことではあるが、この二十一世紀に複数人掛かりでとはいえそれを成しえてしまったと聞いたときは、奇妙な感動のようなものが体を駆け巡ったのを華苗は覚えている。


 なお、彼らが倒したそれはとても人に見せられる状態じゃないという話である。


 ちなみにイノシシのほうは柳瀬と橘、そして組合の二人が仕留めたそうだ。こちらも面白いことに、組合の二人も柳瀬たちと同い年の幼馴染同士、おまけに剣と弓を使う人だったそうだ。


「…それでじいさん。今日はどうするんだ? 外にも出られないし、片付けの都合もある。…せいぜい遊べて午前中までといったところだろ?」


 楠の言葉に華苗ははっとなった。キャンプは今日でおしまいなのだ。長いようで短かった、とても濃密な三日間が頭にフラッシュバックする。


「そのとおり。だから、基本的にはここで遊んでもらうしかないねェ」


 先ほど少し聞いたが、昨日の今日ということもあって今日は外出は禁止らしい。昨日の報告会で決めたそうだ。どうしても拠点から出たいときは、必ず組合の人と一緒でということになっている。


「ま、その分組合の連中の仕事も減るから、今日は双方ともがゆっくりできるってわけさ。昨日と同じように騒いで遊ぶといい」


「一応仕事なんだが……じいさんがいいと言うのなら、こちらも全力で息抜きするぞ」


「ああ。むしろちっとくらいは楽しんでもらわんとね」


 エリィの言葉におじいちゃんはにっこりと笑った。そして、そのまま当たり前のように続ける。


「昼も私が準備しよう。──熊鍋と、牡丹鍋だ、材料はたんとあるから、みんな好きなだけ食うといい」




 熊の捌き方も基本的にはウサギと同じだ。体の中心線に沿い、ナイフを走らせて皮を剥いでいけばいいだけである。ただ、体がかなり大きいから血抜きも大変だし、ブロックごと──具体的には手足と胴でバラさないとならない。


 うまくバラすことが出来たのなら、次ははらわたを取り出す作業に入る。中身を傷つけないよう、慎重に胸から腹にかけて開いていくのだ。このときどう肋骨を処理していくかで腕のよさがわかるかもしれない。


 詳しいことはスプラッタな表現になるので省くが、体が大きい分取り出さねばならないそれらも大きくなる。うっかりそれら──特に胆嚢と膀胱だ──を傷つけると中身が肉に漏れ出てとてもひどい有様になってしまう。自信がないのなら、周りの肉ごと取り除いたほうがいいかもしれない。


 また、強靭な肉体を持つため生半可な刃物ではまともに捌くことはできない。少しでも綺麗に捌きたいのなら、切れ味の良い用途別のサイズの鋸やナイフをいくつか用意したほうがいいだろう。なんだったらカッターナイフやチェーンソーを準備しても構わない。不適切な刃物で捌くのは危険な上に、解体現場が想像以上にスプラッタなことになるからだ。


 なお、当然のこととして刃に脂がこびり付いて切れ味が悪くなるため、脂を落とすための何かしらの工夫をしておきたいところである。熱湯を準備したり洗剤で落とすのも効果的だが、いっそ刃を使い捨てにしてしまうのも一つの選択肢ではある。


 イノシシを捌くのも熊とほとんど同じだ。こちらも皮を剥いで内臓を傷つけないように取り出すだけ。ポイントとして、皮を剥ぐ際にどれだけ脂肪や肉を残せるかが重要になってくる。オイシイところもごっそり取り除いてしまうのはあまりにももったいない。


「ここの熊もイノシシも、骨の上に毛皮をかぶせたものなんだよねェ」


「少し手伝ったが、ずいぶんと見事な腕だったぞ。内臓を傷つけることもなく、肉もまるまる使えるように捌いてた。毛皮なんて傷一つないから、けっこういい値段で引き取ってもらえるだろうさ」


 今朝カミヤさんがもってきたらしい大鍋におじいちゃんが肉の塊をぽいぽいと放り込んでいく。それは芸術的な美しさなどかけらもなく、野生的で原始的な、迸る本能のようなものを刺激させた。


「成体は臭みがちょいとあるからねェ。味噌やネギ、トウガラシなんかをいれるとちょうどいい具合になるのさ」


 普通のネギはなかったのでおじいちゃんはタマネギを手に取った。いかにも和風な包丁を用いて流れるようにタマネギを切っていく。切り方が上手いのか、近くにいるというのに目がしみない。トウガラシは小さく刻んで多めに鍋に入れていた。


「おじいちゃん、お味噌は?」


「こないだの大豆で作った秘伝の味噌を持ってきた」


「……これが、みそ? なんだかあまり見た目がよくないような……」


「発酵食品だからねェ。それに、見た目が悪いものほど旨いって言うじゃないか」


 ろくに分量も見ず、ぼとぼとと豪快にそれを鍋に投入する。熟成されたなんともいえない香りがその場に広がり、誰かのお腹がきゅうと鳴った。幸いなことに、それは焚き火と風の音に掻き消えて誰の耳にも入らなかった。


「肉が硬めだから、酒を入れて柔らかく仕上げる。これでばっちりだ」


「じいちゃん、あとは?」


「煮込んで終わりさね。たまにはワイルドなのもいいだろう?」


 とぽとぽ、と透明な液体が鍋に注がれていく。


 思えばキャンプが始まってからピザ、ブロシェット、燻製、魚、カレーライスなどいろいろな物を食べてきたが、熊鍋ほどワイルドなものは食べていない。一つ一つの製作過程や調理風景は非常に野生的だったが、こうして考えてみるとそこそこキャンプっぽいものを食べている。


 これも全て食事風景をよくしようと努力してきた青梅や双葉、佐藤の功績だろう。この三人がいなければ、下手すれば火を通しただけのおよそ料理とはいえないものを毎日食べる羽目になっていたに違いない。


「…イノシシは?」


「そっちも同じさ。適当に野菜なんかと一緒に煮込めばいい」


 本当は熊にしろイノシシにしろちゃんと調理することは出来るのだが、片付けや時間のことを考えるとそれが一番楽なのだ。五十人プラスαもの量が必要であるし、鍋形式が一番わいわい楽しくいただける。


 なにより、自主的に手伝う華苗たちにできるのはそれくらいしかなかったのだ。青梅ならばもっといろんなことが出来たのだろうが、いくらちゃんと使えるように捌かれた肉といえど、一女子高生が獣肉をきちんと調理できるはずもない。昔ながらのやり方が精一杯だったのだ。


「ああ、蓋はしないようにね。しないほうが臭みが抜けて美味いんだ」


 あとはゆっくりお昼まで煮込めば完成だ。おじいちゃんは気持ちよさそうに伸びをして切り株に腰をかける。準備といっても本当にあっという間だったから、まだまだ遊ぶ時間はありそうだった。


「おっす、おはよ」


「寝坊しちゃったね」


 と、ここで男子テントから田所と柊が這い出てきた。二人とも眠そうに目をこすり、頭に寝癖がついている。田所はそんな目立ったものでもなかったが、柊は側頭部にそれはもう見事な寝癖がついてた。


「…起きたか」


「アンタ、寝癖くらい直しなさいよ」


「鏡なくね? そのうち直るから別にいいだろ」


「アンタがよくても私はよくない。直しちゃるからこっちこい」


 なんだかんだで華苗たちの中では一番活躍したのがこの男子二人だ。いろいろと疲れも溜まっていたのだろう。学校があったら間違いなく一限は絶望的な時間だった。


「おれ昨日の記憶ねえんだけど、誰が運んでくれたんだ?」


 清水に頭を弄繰り回されながら田所がつぶやいた。抵抗しないところを見ると、もはやいろいろあきらめてしまっているのだろう。


「…俺だ。みんな寝てたし起こすのも忍びなかったんでな」


「あざっす」


「あれ、そういえばあたしは?」


「私が運んだよ。パジャマはシャリィちゃんが着替えさせてたな」


「うわ、全然気づかなかったぁ……。ありがとうございます、エリィさん」


 言われてみると、柊と田所は昨日の格好のままなのに、清水とよっちゃんはパジャマ姿で毛布をかけられていた。きっと華苗が寝たあとにシャリィが気を利かせて着替えさせたのだろう。夏着だったから脱がすのも楽だったに違いない。


「あの、八島さん」


 柊が挙動不審に声をかけてくる。ドキ、と華苗の心臓が跳ねた。


「昨日の僕、やっぱ途中で寝ちゃってた?」


「…喋らなくなったと思ったら、いつのまにか寝てたな」


 バクバクと華苗の心臓が暴れだした。


「そういや華苗、昨日の夜あんなこといってたっけ。いひひ、どうなったん?」


「華苗ちゃん……。ああ、なんで私寝ちゃったんだろう!? 見逃した!」


 華苗の顔は真っ赤になった。もうまともに前なんて見ることが出来ない。


「なんかあったのか?」


「田所、わからないならわからなくていい」


 柊が同じく頬を赤らめて田所に言った。その拍子に側頭部の寝癖がくっきりと華苗の前に躍り出る。


「初々しかったなぁ……。ガッコウの連中はみんなこうなのか」


 華苗は起きたとき、足がジンと痺れていたのを思い出した。


 ──昨日の自分はテンションがおかしかったのだ。なんであんなことを言えたのかわからない。そう思うほかない。


「…柊、一つだけいいことを教えてやろう」


 いつもよりちょっと重々しく楠が口を開いた。その場の華苗を除く全員がいっせいに注目し、次につむがれる言葉を聞き逃すまいと耳を大きくする。


 穴があったら入りたいと、華苗はそう思った。


「…俺がおまえを運ぶまで、八島は立ち上がれなかった」


「か、顔洗ってきまーっす!」


 耳の先まで茹蛸のようにした柊が川へと全力疾走していく。もう十分に体を休めることが出来たらしい。


 きっとさぞかし気持ちのよい枕で眠ることが出来たのだろう。絶対そうに決まっている。むしろそうとしか考えられない。華苗はその理由を誰よりもよく理解していた。


「…本当に気持ちよさそうに寝てて、起こすのが忍びなかったんだ」


「やだぁ、華苗ってば……だ・い・た・ん♪」


「やっぱ夏はこうじゃなきゃね! いい土産話ができたわ!」


「なに、いい思い出の一つになっただろう。見ていたこちらもほんわかするようだったぞ」


 あやめさんとひぎりさんがこっこっこ、と地面をつついている。セインとゆきちゃんが笑いながらなにか話していた。バルダスと中林たちが組み手を行い、銀髪の綺麗な人とシャリィが桜井のオカリナの伴奏をバックに妖しげな歌を歌っている。敦美さんと樫野、竹井がもこもこの毛皮をまとったお姉さんと一緒に猟犬と戯れている。草津とアルが地面にいろんな模様を描いて遊んでいた。


 昨日あれだけ目だった佐藤とアミルは見当たらない。二人で川辺でも散歩しているのだろう。


 ああ、今日も空が青くて雲が白い。とても平和だ。


「ふ」


「ふ?」


「ふしゅぅぅ……」


「ありゃま。華苗の乙女回路がショートした」


 真っ赤になって目を回した華苗は、結局熊鍋が出来るまでまともに喋ることすら出来なかった。




 日が高くなるにつれ、鍋からは食欲を激しくそそる香りが漂いはじめた。遊んでいた生徒や組合の人たちも自然と手を止め、物ほしそうな目で中央へと集まってくる。ぐつぐつ、ぽこぽこという音が耳からそのおいしさを訴えていた。


 誰もが何かが始まる予兆を感じ、緊迫した空気の中でごくりと喉を鳴らす。


 ──熊鍋が始まろうとしていた。


「じっちゃん、まだか!?」


「もういい具合だろうねェ。どのみち、待ちきれないんだろう?」


 大きなおわんにお玉で一掬い。黄金色とも茜色ともいえない透明感の欠片もないそれは、人間の原初的な欲望をむき出しにさせた。ごろっと大振りな肉といくらかの野菜が見え、強い味噌の香りがその場の全員の鼻腔をくすぐる。


「ほい、《熊鍋》の完成だ」


 うおぉぉぉぉ!


 歓声が上がった。


 こらえきれなくなった男子生徒から鍋に群がり、一人ずつおじいちゃんからおわんを受け取っていく。熱そうにしながらもそれを手で包み、ふうふうと息を吹いて口をつけた。


「うっめぇぇぇ!」


「すげえ肉! 超肉! ブリリアントに肉っ!!」


「肉やわらかっ! 全然臭くねえし食べ応え半端ねえな!」


「マジでこれがあの熊なのかよ……! あれらがこんなに美味くなるなんて……!」


 男子生徒に混じってレイクもいた。熊鍋のそのあまりのおいしさに目を飛び出さんばかりに開いている。というか、あまりに自然すぎて一瞬本当の生徒だと華苗が思ってしまったほどだ。


 はふはふ、がつがつと幸せの音が当たりに木霊していた。


「ほい、お手伝いご苦労様。……ついでだ、卵ももってっちゃいな」


 待ちに待ってようやく華苗に順番が回ってくると、おじいちゃんはおわんになみなみと熊汁を注いでくれた。心なし具も他の人よりも多い気がする。そして、他の人たちからは見えないようにこっそり卵もつけてくれた。華苗はお盆の上に乗ったおわんの真ん中に卵を載せて転がらないようにする。


「おかわりはたんとあるから、ほしかったらまた並ぶといい」


「ありがとうございます」


 ととっと走ってみんなのちかくに腰を下ろす。一呼吸の間も置かないくらいすぐに、おぼんの上の宝物に四方から手が伸びてきた。


 一番早かったのはよっちゃんの手。次に伸びてきたのは清水の手。清水はおわんを二つとり、隣にいた田所に渡した。楠は無言で一番端にあったのを手に取る。


 華苗は残った二つのうちの一つをとろうとして、誰かの手に触れてしまった。


「……」


「……」


「……柊くん」


「な、なんでしょう」


「お互い、浮かれてたってことで。夏の思い出だったってことで」


「そ、そうだね。高校生なんだし、あれくらいは普通だよね」


 にこっと笑って華苗は具がたくさん入っているほうのおわんを柊に渡した。盆の上の卵がごろりと転がり、ふちにあたって止まる。


 落ち着いて考えてみれば、別にあれくらいは普通なような気もするのだ。赤の他人ならばともかく、相手はこの三日間行動をともにした柊だ。ちょっと仲良くなった、そう、それだけのことなのだ。


 柊もなにかを悟ったのか、笑いながらおわんを受け取った。


「「いただきます!」」


 ぱくりと一口。肉のえもいわれぬうまみが口の中いっぱいに広がった。


 獣肉は臭いというのをどこかで聞いたが、全然そんなことはない。肉に味噌がしっかりしみこんでいて肉の臭みを完全に消している。肉のうまみと味噌の風味、そしてタマネギのわずかな甘みが完璧に調和していた。


「ごはん欲しいぃ……!」


「…たしかに、米と一緒に食いたいな」


 やわらかく煮込まれた肉は、かみ締めるたびに肉そのものの旨みと、味噌の思わずつばが沸いてくるような深い味を提供してくれる。少し後味がピリッとするのはトウガラシの影響だろう。ちょっと濃い目の味付けだが、それが逆に食欲をそそり、ご飯があれば何杯も進むのは誰の眼にも明らかだった。


「まさか本当に熊鍋することになるなんてな」


「同感。一生食べることなんてないと思っていたよ」


 熊肉にはやわらかいのと少し硬いのがあった。硬いといっても噛み切れないとか言うわけではなく、程よい噛み応えが合って肉を食べている、という実感を強く突きつけてくる。筋肉質な熊だったからか、さっぱりあっさりしていて癖になるかんじだ。


 逆にやわらかいところは脂がいっぱい乗っていて、肉特有の甘みがとろりと舌の上で溶け広がっていく。よくよく注意してみると、スープの旨味の大本はこの柔らかい肉であることがわかる。


「卵、どうやって使うのかなぁ?」


「すき焼きみたいに溶けばいいんじゃない?」


 よっちゃんがおわんの蓋に卵を割りいれ、お箸でぐるぐるとかき回す。そこにさっと肉色の宝石を通し金のヴェールを被せた。


「ん! おいしっ!」


 にっこりと笑うよっちゃんを見て、手を止められる人間がいるはずもない。華苗もおわんから肉を捜し、さっと卵にくぐらせた。とろりとした金のそれが、私を食べてと身をくねらせる。


「すっごいまろやか!」


 肉汁と卵が絡み合い、口当たりがやわらかくなっている。味噌のしょっぱさとスープのわずかな辛さ、そして卵の甘さに肉の旨味。四位一体となって黄金の奇跡を作り出していた。


 正直なところ、華苗はこれ以上の鍋を食べたことがない。一心不乱に、それこそ周りのことなど気にせずにがっついていく。


 この場では、それこそが正しいマナーなのだから。できることなら、あの大きな鍋をまるまる平らげてしまいたかった。


「よし、イノシシも行こうぜ」


「牡丹肉か。あれも食べたことないんだよね」


「…喰われる前に喰いにいくぞ」


「あたしもっと熊肉がっつり食べたい!」


「熊は三匹分もあるんでしょ? 先にイノシシ食べたほうがよくない?」


「手分けしていこう。華苗、かっちゃんで熊確保! あたしたちはイノシシを!」


 勝手によっちゃんがそう宣言し、華苗と柊だけがその場に残された。思わず二人で顔を見合わせ、なんだかおかしくなって笑いあう。理由はわからないけれど、とっても楽しい気分だったのだ。


「じゃ、僕たちも行こうか」


「うん。あっちの鍋とかどうだろう? さっき別のお酒とかトマトとか入れてたみたいなんだよね」


「あの鍋全部、味が違うのかぁ」


 生徒も教師も組合の人も、まるで数十年付き合ってきた友人かのように食べ、飲み、騒いでいる。ほかほかの熊汁が皆の心まで温め、きらりと青春の汗を流させた。


 あるものはわき目も振らず肉をがっつき、あるものは残っていた魚の燻製をがっつき、あるものは注目の薄くなった残り物のお菓子やデザートをがっついた。


 うろちょろと歩き回るあやめさんとひぎりさんが緑の毛並みを持つ猟犬と戯れ、その様子を写真撮影するものがいる。今朝の華苗たちのように横たわったイノシシや熊の元でポーズを決めるものがいる。ただわいわいがやがやとしているところをビデオで撮っているものもいた。


 そのうち気分がよくなってきたのか、誰かが歌を歌い始めるとそれに追従するようにへたっぴな歌声と透き通った歌声が加わる。ポー、ポーというオカリナの演奏と誰かの草笛の演奏も空気に溶け込んだ。


 熊もイノシシも肉はまだまだありそうで、当分この宴は終わらないだろう。先生と組合の大人の人には、おじいちゃんがお酒を用意してあげていた。公式の場でもないし、ちょっとくらい目を瞑ってあげるのが生徒の優しさというものだろう。


 あまり目立たない端っこのほうでは、ほのかに顔を赤らめていちゃついているペアがいた。ほほえましいものを見るような気持ちになり、華苗もそっとしておくことにする。不思議なことに、その情景には以前ほどの憧れは抱かなかった。


 笑い声と歌声が煙に混じって天に溶け込んでいく。


 夏と、汗と、煙と、思い出。


 ここ数日の思い出が走馬灯のように華苗の頭の中を駆け巡り、そしてなんだかとてもステキな気分にさせてくれた。これこそが、青春というものなのだろう。




「みなさん、お疲れ様でした。これより園島西高校に向かって出発します」


『高校生っていいですねぇ! ひと夏のステキな思い出は作れましたか? まだまだ夏休みも始まったばかりですし、もっとたくさん思い出を作りましょう!』


 熊鍋を堪能し、片付けも終え、組合の人と涙を惜しまんばかりに別れを告げたと思ったら、華苗たちはいつのまにかバスに戻っていた。みんな頭が浮かれすぎてまるで夢の中にいるかのような状態だ。遠足バスのシートの独特のにおいが、ここが現実だと教えてくれる。


『お疲れでしょうし、眠かったら寝ちゃってもいいですよ! カーテンも閉めましょうか。まぶしいですもんね!』


「ノンストップでいきますし、そのほうが楽かもしれませんねぇ」


 運転手の神屋さんが手元のボタンをいじくると窓にスモークが入り、自動でカーテンが閉じる。無駄に高性能なバスである。久しぶりに見る文明の気配に、華苗はぼんやりとした頭でキャンプが終わったことを実感する。


「出発進行!」


『いざゆかん懐かしき故郷へ!』


 エンジン音が静かに響き、バスの振動が強くなる。ハンドルがくるりと回るたびにゆっくりと体が傾き、いつのまにかみんなは思い思いに寝やすいポジションを探して身じろぎをしていた。


「楽しかったね……」


 誰かはわからないが、ともかく誰かがつぶやいた。きっとこの場にいる誰もがそう思ったことだろう。


 車の振動がまるでゆりかごのように華苗の体を揺らし、エンジンの低い音が子守唄のように華苗の体に響いた。


「……ん」


 気づけば、かなりの人数が寝入ってしまったらしい。あちこちからかすかな寝息と盛大ないびき、そしてちょっぴりの歯軋りが聞こえる。華苗も朦朧としながら隣を見ると、よっちゃんが口をあけてぐうすか寝ていた。


「楽しかったね……」


 華苗がポツリとつぶやいた。その声は誰の耳にも入ることなく掻き消えていく。


 たん、と神屋が缶コーヒーを置く音がした。その音を最後に華苗の意識は途絶える。


 寝息と、寝言と、いびきと、ちょっぴりの歯ぎしり……そしてステキな思い出。後に残ったのはそれだけで、バスの中には穏やかな空気で満ちていた。結局、目的地に着くまで全ての人間が静かに微笑みながら寝こけてたという。




 こうして園島西高校サバイバルキャンプは終わりを告げた。これも間違いなく、華苗の一生の思い出として心に強く刻み込まれただろう。


 無論、このような『一生の思い出』はこの後何度も作られることになる。華苗自身も少し気づきつつあるが、今のこの生活は華苗が心より望んでいた“マンガのような高校生活”よりもさらにすばらしいものであるのだ。


 もちろん、そのマンガはいささか突拍子もないものであるし、これから紡がれる華苗の学園生活はそれ以上に突拍子もないものとなるのだが。

20161231 文法、形式を含めた改稿


キャンプ編おわり!

次回からは普通の園芸Ver.夏休みに入ります。


なんだかんだで食べてばかりだったね。

キャンプ知識はちゃんと伝えられただろうか。

遠き日の思い出を少しでも思い出してもらえただろうか。


ほんの少しでも木と煙の匂いと、あの日の旧い友人たちの影を思い出してもらえれば、これほどうれしいことはありません。


あと、今日の活動報告に園島西高校のモデルを載せたから興味あったらどうぞ。


あ、あとストックつきました!

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