ルイン
「ぐぅっ……ブレイク……」
人でありながら、人を捨て、魔王になる道を選んだブレイク。
ルインは今になって分かる。
ブレイクが悲しい道に進んでしまったのだと。
人であり続ける道というのは、どうしてこうも難しいのか。
ルインは強さに憧れ、しかし、その強さを求める道を一度は断念した。
断念した上で、どうすればいいか分からないまま、無為な時間を過ごしていた。
街の案内人という仕事が嫌だった訳ではない。
ただ、どこか空虚なモノを抱え続けていたのも事実だ。
ブレイクも同じだ。強さに憧れ、上を目指し、それを右腕と共に捨てるしかなかった。
助けたのがルインでなければ、また違っていたのかもしれない。
ブレイクが右腕を失くし、それでも強くあろうと命を賭けて想いを遂げようとした時、よりにもよって、強くなる道を降りたルインが助けてしまった。
悔しかったのだろう。
道を降りたルインに助けられる屈辱。
馬鹿にしていたルインと同じ位置に落ちた自分が許せなかったのかもしれない。
戦えないと自分を見限った時点で、ブレイクは何かを間違えた。
しかし、間違えたこと自体をルインは責めることができない。
自分も二年以上、迷い続けたのだ。
負荷に耐えきれず、記憶を失ったからこそ、踏み外さなかっただけだ。
───ルイン……あたしらのことは、気に病むな……。
いつもの自由なお前で……いろ、よ……───
その中で、そっと背中を押す言葉を思い出せた。
その言葉がなければ、今も迷い続けたはずだ。
ここに立ってすらいなかった。
だが、ここに来て、ルインはまた岐路に立たされている。
ブレイクの悲しみは理解できた。
問題は自分自身にあった。
恐怖したのは、自分自身の内に潜む獣だった。
仲間殺し。
人ですらなかった。
自身の『想い』は、ただの模倣品で、それが本物だったのかどうかも分からない。
では、今まで生きてきた自分とは何だったのだろう。
アジ・ダハーカの封印を成し遂げた、龍牙者、唯一の生き残り。
英雄でありながら、全てを捨てた金器の冒険者。
街の案内人。
思い出さなければ良かった。
思い出さなければならなかった。
ふたつの相反する想いがぶつかり合い、ルインの心は千切れそうだった。
ブレイクがプレイヤーたちを蹂躙する。
そこに魔物がいようとお構いなしだ。
その巨体から繰り出される一撃は、重く激しく、まるで癇癪を起こした子供のようだった。
そんな中、プレイヤーの一団が魔物に追われつつ抜け出した。
たったの三人。
キマイラキラーズと呼ばれる、カービン、ザビー、ハイロの三人だ。
ザビーが追い縋る魔物たちへ槍を振るう。
「先生のピンチに、お前らの相手をしている場合じゃねえんだよ! 【剛旋風】!」
「よし、集団を抜けた。あと少しだ!」
カービンが先頭を走って、道を切り開いていく。
「師匠! 不死鳥の血です!」
ハイロが、龍牙館でルインが渡した究極とも言える回復アイテム『不死鳥の血』をかざす。
『不死鳥の血』は死を目前にした者ですら救える魔法の回復薬だ。
しかし、実際のところ、ルインの『海人』としての記憶が戻った以上、肉体的な回復アイテムは現状、必要ではなかった。
動けずにいるのは、心のせいだ。
ハイロがルインの傍に跪いて、『不死鳥の血』をルインに振りかけようとするのを、ルインは思わず、手で止めた。
「違う……ソレは俺には相応しくないものだ……」
「は?」
ハイロが目を丸くする。
「俺は……仲間殺しだった……人ですらない……もう立つ理由が分からないんだ……」
「ハイロ、早くしろ!」
カービンが魔物の攻撃を防ぎながら叫ぶ。
「師匠?」
「俺は海人だ。仲間を殺したんだ……」
急に弱音を吐露するルインに、ハイロは目を丸くする。
「し、師匠? ええと、良く分かりませんが、とにかくピンチです。師匠に死なれると困るんで、一回、この不死鳥の血を……」
「……寄越せ!」
そこに這って現れたのは、紅玉だ。
紅玉はハイロが手にする『不死鳥の血』を見た目からは考えられないほどの力で奪うと、赤い液体を自身に振りかけた。
紅玉の身体が燃える。燃えると同時に身体の傷が一瞬で消えていく。
「まさか、お前が海人だったとはな。
どっちだ? 敵対する奴か? それとも人に擦り寄るタイプか?」
紅玉は復調しながら、問い掛ける。
「俺は……」
ルインは言い淀む。
だが、紅玉は待たずに続ける。
「邪魔しなけりゃどっちでもいい。
邪魔したら殺す。
おい、神兵!
そいつが海人なら人じゃない。
それでも助けたけりゃ、おぶって逃げとけ!」
「いや、回復アイテム奪っておいて……」
ハイロが抗議しようとするのを聞かず、紅玉は魔王ブレイクに向けて走っていった。
「ああ、もう!
師匠、行きますよ!」
結局、紅玉の言うようにハイロはルインを無理矢理抱えると、封印の間に続く階段に向かって駆け出した。
「カービン、ザビー、フォローして!」
「ああっ? くそっ! どうなってんだよ!」
「先生、大丈夫か?」
三人で階段へと滑り込む。
封印の力が効いているのか、何故か階段には魔物たちが入り込むことはなく、一種の安全地帯になっている。
引き摺られるように階段に避難したルインは、力なく項垂れていた。
「結局、何がどうなってんだ?」
カービンが聞く。
「なんか、師匠が海人で、仲間を殺したとかなんとか……」
ハイロも聞こえた言葉を繰り返すしかできない。
「仲間殺し? それって先生が龍牙者として前回アジ・ダハーカに挑んだ時の話か?」
「え、でも、師匠は死んだ仲間が大切だったから、龍牙館の中の物を残してたんでしょ?」
「……なんかバックボーンがあって、それを俺らが取り逃したのは分かった。
問題は、この先だ」
カービンが冷静に考えていた。
ハイロとザビー、二人と違って、カービンはあくまでゲーム的にこのことを考えていた。
「あれ?
なんかアワツキさんが海人についてなんとかって言ってなかったっけ?」
ザビーが閃いた。
「ああ、メモっといたよな」
カービンが『魔術書』の情報ページを呼び出す。
───曰く、海人は海から来たが、本来は天人であり、堕ちた後の姿は全身を鎧った醜悪な姿だった。
曰く、海人は半神半人であり、その性は神兵のうつし身である。
曰く、海人は半身が黒灰であり、歪みの魔法に長けるが、死し時、黒灰と塩を残す。
曰く、人を愛し、人と交わることを決めた海人をクニツ・ネフイムと呼び、天へと帰り半神の権能を持って神の座へと戻ろうとする海人をアマツ・デアモロと呼ぶ───
「……半神半人とか超高性能種族だな。
たぶん、ルインが海人なら、このレイドのキーパーソンなのは分かった」
カービンが頷く。
「先生! 立ち上がってくれよ!
先生がいなきゃ、アイツは倒せない!
神兵として、俺たちは確信してるんだ!」
ザビーがルインのやる気を呼び覚まそうと、言葉を尽くす。
普段のルインならば、神兵への好奇心のままに、どういうことだ、と返すところだ。
だが、ルインは時間と共に治っていく自身の傷を眺めながら呟く。
「……俺は、仲間を殺してしまう。
どうしたらいいか、分からないんだ……」
そう言って、顔を覆った。
「師匠。青い花、覚えてる?
あれを見た時、教わったんだ。
NPCは生きてるって……。
俺たちにとってはゲームだけど、それだけじゃないって教えてくれたのは師匠なんだよ!」
ハイロは入り込んでいるのか、泣きそうな顔で訴えた。
しかし、ルインの瞳に色が戻る様子はない。
それを見ていたカービンはしゃがみこむと、いきなりルインの胸ぐらを掴んだ。
「……ルイン。あんたの仲間って誰だよ?
俺たちじゃないのか?
少なくとも、俺たちは仲間なんだと思ってる。
だとしたら、仲間殺しなんて関係ないだろ。
俺たちはプレイヤーだ。
殺したくても死なないのが、売りだ。
なのに、なんで立ち止まる必要があるんだよ!」
カービンはイラついていた。
散々、世話になっていながら、頑なに『師匠』とも『先生』とも呼ばず、ルインをNPCとして扱ってきたカービンだったが、沈み込むルインを見て、つい熱が入ってしまったようだった。
ルインが顔を上げる。
なぜ立ち止まるのか?
そう聞かれた時、ルインは返す言葉を失った。
実際のところ、ルインが動けなくなっているのは、罪悪感からだ。
死んでしまったルインの人生を乗っ取ってしまった罪悪感。
混乱の末とはいえ、仲間を殺してしまった罪悪感。
どちらも、もう取り戻せないもので、だからこそ、消化も昇華もできないしこりとなって、動きを縛っていた。
ルインの右半身がじわじわと黒に染まっていく。
一瞬、キマイラキラーズの面々はたじろぎそうになるが、三人が三人とも、それを堪えた。
何故か見逃してはならないと思ったのだった。
ルインの左半身を透明な殻が覆っていく。
パキパキとその場で水晶が結晶化していくように表情を隠していく。
「しっかりしろよ、先生!
海人だかなんだか知らねえけど、人間辞める気か!」
その変化が良くないものだと感じたザビーが声を上げた。
ルインだった右半分の顔が恨めしそうにザビーを見上げる。
だが、その表情は次第に変化していく。
くしゃり、と崩れて泣きそうになったかと思うと、堪えて、どうにか上を見上げる。
その顔は助けを乞うようなものだった。
「言えよ! 俺らはどうしたらいい?
今の仲間は俺たちだぞ!」
カービンの言葉にルインは呟く。
「罰してくれ……俺は取り返しのつかないことをした……」
だが、その言葉に反応したのはハイロだった。
「師匠……無理だよ……その役割は俺たちじゃないから……」
ルインの表情が変わる。
それは、気づいてしまったという顔だった。
ハイロの言うのが全てだ。
死んでしまったルインと龍牙者たちにしか、裁くことはできないのだ。
他者の罰は、罰ではない。それはただの慰めに過ぎない。
ルインはルインであることを捨てようとしていた。云わば幼児退行である。
人の形を得る前の、種である自分に戻ろうとしていたのだ。
だが、ハイロに否定されて、それが間違いだと気付いた。
ゆっくりとルインはルインに戻っていく。
罪悪感で消えそうになっていた『想い』が返って来るのを、ルインは噛み締めた。
最初は『好奇心』が、それから『人になりたい願い』が、さらに『強くなりたい願い』が返って来て、最後に『言葉』が返って来る。
───ルイン……あたしらのことは、気に病むな……。
いつもの自由なお前で……いろ、よ……───
ルインは最初から許されていた。
そう信じられる言葉をフィニは残してくれていた。
ルインは三人を見回した。
「……頼んでもいいか?」
三人はルインの言葉の続きを待った。
「一緒に、戦ってくれ。仲間として……」
三人はそれぞれに頷くのだった。




