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源道秀4

 二年に進級した生徒は、二年目の9月から厩舎実習に出る。

 厩舎はトレーニングセンター内にあり、学校の行事以外の一年間、実習先の厩舎で朝起きてから寝るまでを過ごす。

 その12か月で競馬に関わる様々な業務を体験するのだが、ある意味源道は風越みるめが気がかりだった。

 進級した二年生はそれぞれ別の厩舎に配属されて働くのだけれど、普通の生徒はその厩舎に馴染めるか、馬の世話で失敗して迷惑をかけないかという心配しかしない。

 大抵厩舎に居る人間は少なからず生徒たちと似たような経験をしてきているため、多少の失敗くらいでは自身も通ってきた道なので、そこまで厳しくせず注意を受ける程度で済む。

 しかし、一年時の風越みるめは拗ねた教官への不満点を指摘したり、先輩との揉め事も少し我慢すれば実習に出て居なくなると口にするような生徒だ。

 もしや他の生徒では起こり得ない何かをするのでは? と不安になるのは仕方ないことだった。

 どんなに正論でも、自分より下に注意されて怒る人は普通に居る。

 叱るくらいなら良いが、感情のまま怒る人間だった場合は厄介だ。

 自分自身だって社会に出てすぐは、無知だったりなめた態度を取ってしまうことがあっただろうに、寛容な心で注意してくれたら良いが、皆が皆そんな大人ばかりではない。

 指導に当たる調教師からは騎乗技術、調教方法、飼養管理など多くを学ぶ。

 実習期間中、毎日の日誌の提出が義務づけられている。

 その報告で教官は生徒の一日を把握出来るため、予兆があれば見逃さず指導するしかないという心構えを持つことにした。

 生徒は実習中もトレセン内の独身寮などに泊まり、学校には行事や用事のない限り帰らず、寮監が居て競馬学校の寄宿舎に近い生活を送る。

 寮のルールは基本大差ないので、覚えられなくて困るということはないし、人間関係を除けばトラブルになることはまず無いだろう。

 それとは別に学校の寮では管理された食事が出されていたのに対し、自分自身での調達になるので食べ過ぎたり、自己管理がなってないと体重がオーバーしてしまう生徒が出ないかも同じく心配だ。

 とりあえず口うるさく言って送り出すので、大抵の生徒は緊張を持って守るが、環境の変化でストレスから体重が増加してしまう生徒も出てくる。

 ストレスを解消する息抜きや遊びなり、そんな時間を捻出するのが難しいくらい忙しいからこそ、食が一番手の伸ばしやすいストレス解消法になってしまう。

 教え子を心配しても、結局教官には何も出来ない。

 馬の世話は学校でしていることと大差ないはずなので、あとは細かな厩舎ごとの決まりを覚えるだけで済む。

 勉学も週一で競馬学校からトレセンに教官が出向き、座学の授業を行って宿題や課題を出して戻る。

 それに伴いトレーニング指導と自主トレーニングのメニューも組み、二ヶ月に一度履修状況をチェックのためにも訪れる必要があった。

 赴いた際には指導に当たっている調教師からも、学生の様子を聞き取るようにしている。

 なので素行の乱れや厩舎に迷惑をかけている点が無いか、何よりも生徒に悩みや困りごとなどにも注意をはらう。

 受け入れてもらっている厩舎には言えないものだったり、内に溜め込んで一人で考えることほど良くないものはない。

 そのため、出来る限り近況を聞く中で探る必要があった。

 人に話せば絡まっていた不安も少しは整理される。

 実習中は周りの人間は厩舎の人ばかりで、孤独感に陥る可能性もゼロじゃない。

 教官はカウンセラーではないので、出来ることなど顔を合わせて話をするくらい。

 厩舎の人間と不思議なくらい距離を縮める生徒も居るが、基本初めましてが自分自身だけになるので、孤独は感じやすい場所ではあった。

 自分が一人だと思い込んでしまうと、どうしても悪い方に考えてしまいがちになってしまう。

「逆に家族みたいに溶け込んで、そのまま卒業後は実習先の厩舎に所属することもあるしな」

 独り言を口にしながら、人懐っこい未帆が頭を過る。

 二年生は厩舎実習が主になり、教官と顔を合わす機会が少ない。

 なので寄宿舎生活もほぼ変わらないと言っても、規則が緩くなった生活で分かりやすいのがやはり体重だ。

 体重の管理は疎かにすると、すぐに数字に出る。

 そんな生徒もこれまで見てきた。

 もし指定された体重を二キロ越えてしまうと退学処分になってしまう。

 二キロ以上にならなくても、指定体重を越えてしまえば罰則があった。

 毎日、朝昼晩と体重を計り維持できているか、重くなっていないかを寮監の付き添いのもと記録を付けるため、逆に体調を崩すと軽くなるので記録を付けるのには重さだけでない意味がある。

 競馬は一部のスポーツにありがちな、自分を律し続けなければいけない競技だ。

 実技は競馬学校を離れていても、コースを指定されたタイムで馬を走らせたり、馬の負担の少ないフォームを乗っている間保てているか、スタートゲートの練習など騎手としての訓練も引き続き変わらず行われる。

 より実践的な生活を日々送るのだけれど、さすがに茶道の授業は厩舎実習中は受けられない。

 そのため厩舎実習から帰校した三年を久しぶりに請け負う茶道の先生は、実習前の二年生の頃よりも成長していると驚かされるそう。

 時間経過もあるけれど、毎年より自信をつけて大人に近づいた雰囲気が皆からするのだとか。

「帰って来た三年生は最後に見た二年の頃より、動作が落ち着いて余裕が生まれて見えるんですよ。雰囲気が硬い感じで声にトゲがあった女の子も、実習中に社会に触れて茶道での作法が役に立った感じがするって言ってもらえて。嬉しかったんですけど、助かったってお礼も言われて感動しちゃいました」

 経過観察で顔を合わせていると変化に気づけないが、久しぶりに会うと変化に気づく親戚の感覚に似ているのだろう。

「そうですか。それは良かった。やはり一度学校を離れると変わりますね。学校以外の大人と長期に渡って関わるので心が成長して、態度や顔つきが変わることもあるんで」

 担当ではない生徒を見ると分かりやすい。

 そして、また茶道の先生経由で生徒たちの寮での様子を教えてもらうことに。


 それは風越みるめたちの厩舎実習が始まる前、学校の食堂で夕食を終えて消灯までの自由時間に起こった出来事。

 ある後輩が実習室と化している共用スペースで一年生に謝罪されていた。

「ごめんなさい!」

「構わないよ。私もそういう頃はあったし、怒ることじゃないって」

 ひらひらと身体の前で手を振る未帆。

 肩を縮めて立つ相手に、人懐っこい笑顔を返した。

「ありがとうございます! 先輩は優しいんですね」

「そんなことーーあるだろ! ふふん、私の時は突っかかってくる怒りっぽい先輩が居たからね。後輩には寛容で居たいっていう反面教師だよ」

 鼻から息を吐き、胸を張る彼女。

 端から見ると何ともカッコ悪い言葉に、鋭い声が飛ぶ。

「ちょっと待ちなさいよ! ワタシのこと言ってるんじゃないわよね!」

 強い口調と共にテーブルに手をついて人影が立ち上がる。

 椅子の足を引きずる音も響いたことで、容易に周りから発言者が特定される。

 そんなことが無くても、人懐っこい二年生の未帆に絡んで行く三年生は、この競馬学校には一人しか存在しない。

「嫌だな~、違いますよ。三年生になって卒業と騎手免許がかかってるんですから、私の言葉をいちいち気にしてないで勉強に集中して下さい。先輩が受からなかったら、私が原因だったかもって気に病んじゃうかもしれないじゃないですか!」

 彼女が向き合うのは、三年生になり厩舎実習から帰校していた大姥先輩。

「原因だったかもじゃなくて、現に邪魔してくれて気が散ってるわよ! あなた一年の頃は素直というか真っ直ぐだったのに、ずいぶん小賢しい言い回しをするようになったのね! そのクドさ、お友達のせいかしら?」

 そう毒づいて先輩が風越みるめを睨む。

 やはり見る人から見れば、年齢不相応の達観した考え方をする風越みるめは、ずる賢いとか性格が悪く映るようだった。

「嫌だなー、小賢しさは先輩の影響じゃないですか。ことある毎に事実無根なのに絡まれて鍛えられたんですよ」

「事実しかなかったじゃない! どの口が言うのよ。よく本人の前で適当言えるわね」

「適当でもないじゃないですか。そんなこんながあったからこそ、今こうして先輩と仲良くなれたんじゃないですか」

「仲良くなった覚えはないわ! あなたが誰彼構わずグイグイ来てるだけでしょ。ワタシの気を散らすような邪魔しないで!」

 身体を丸めて開いた問題集に覆いかぶさるように訴える大姥先輩。

「別に邪魔したわけじゃなく、先輩が勝手に会話に入って来たんじゃないですか。もしかして一年生に私が取られた気がして寂しいんです?」

 余談みたいな言葉なんて無視すれば良いものを気に障ったらしく、大姥先輩が勢いよく顔を上げて叫んだ。

「誰よ! 元から陽キャだった彼女を余計にウザくさせたのは!」

「だ~か~ら~、先輩だって言ってるじゃないですか」

「無いわよ! 誰が好き好んで嫌いな後輩を助長させるもんですか!」

「そうそう、その感じがクセになって私は寂しかったですよ。先輩が居なくて」

 二人のやり取りが共用スペースの隅々まで響き渡る中、風越みるめに同期の男子が声をかける。

「良いのかあれ? 久しぶり過ぎて悪ノリが過ぎる気するが?」

 丸原は首裏を手でかきながら、喧しくなった方を見やった。

「ああやって息抜きしてるだけだよ。試験に落ちるも受かるも二人次第でしょ? 私には未帆も先輩も生き生きしてるように見えるけどな」

 視界の端では一年女子が取り残され、困惑しているが大丈夫だろう。

「生き生き……というか、生きがいいのだけじゃ。先輩爆発しないか?」

「どうかな? それより、私たちは私たちの課題を済ませましょう」

 返事を聞いた丸原は、ため息混じりに言葉を零す。

「やっぱりドライなのか。ーー友達だろ?」

「甘やかしてばかりもダメでしょ? ちゃんと怒られることをしたら怒られないと。それが私じゃないだけ。さっきも言ったけど二人が良ければ止めないからさ」

「BGMにしてはうるさくないか?」

「勉強は周りがシンとしてるより、ちょっとくらいにぎやかな方が私ははかどるかな」

「賑やか……か」

 それに同じ空間に居るブレイン先輩が口を挟まないのは、同じ考えで見守っているからに違いない。

 そうかと丸原は言葉を切り、何か話したそうにしながらも口を開かず佇む。

 またしても大姥先輩の叫びが響き、そちらに耳を傾けた。

「そもそも何でまだ二年生のあなたが居るのよ! もう厩舎実習の時期じゃない。揃いもそろって同期全員テストに落ちて実習に行けないわけじゃないでしょうね?!」

「え、心配してくれるんですか? やっぱり先輩私のこと好きじゃないですか!」

「そんなわけないでしょ! 普通実習に出る時期なのにまだ二年生が居たら、誰だって気になるわよ! うぬぼれないで」

 多少ウザい絡み方をされても、態度が一貫して変わらない大姥先輩。

 未帆を前にすると普通はほだされるか、嫌な顔をしつつ許してしまうかなのだが、相変わらず彼女を甘やかさない希少な一人だ。

 それだから大姥先輩は他の人たちより、未帆にはちょっと特別な存在なのかもしれない。

「ちょっと! ダイエット中なのにチョコとか嫌がらせ!」

 側に寄ってきた未帆の伸ばす手を避けるように、身を逸らす大姥先輩。

「もう! 先輩は好意を素直に受け取ったらどうですか? 心配してもらったり、久しぶりに先輩成分浴びて嬉しいから、お礼にチョコをあげるに決まってるじゃないですか!」

「先輩をおもちゃにして喜んでるんじゃないわよ!? 気持ち悪いわね。ワタシ、すぐカロリー消費されるあなたとは違うんだから止めて!」

「だ~か~ら~、素直に先輩とお喋り出来て嬉しいからですって。食べなくて良いんでもらって下さい」

「女の子が手元にお菓子があって、食べないわけないでしょ。ずっと遠ざけてたのに! 悪魔!」

「なんで純愛なこの気持ちが届かないかな? 擦れ違ってばっかりで」

「邪魔しに絡んでくるのが純愛であるわけないじゃない! もうチョコあげるからあっち行きなさいよ。お願いだから。教えてもらってることも頭に入らないわ」

「私があげたチョコじゃないですか」

 全く交わらないが、取り返しの付かないケンカに発展もしない二人。


 最終的に未帆が『食べなくても! 黙って! 受け取って下さい!』と無理やり押し付けたそう。

 相当大姥は嫌な顔をしたそうだが、静かになるならと受け取ったらしい。

 こういう話を聞くと厩舎実習に出て成長しても、同じ年代と一緒に居ると年相応の顔をし、学生を楽しんでいると源道は安心する。

 競馬学校という普通の学校とは異なる生活習慣やリズムでも、青春は送れるのだと証明しているようで嬉しかった。

 教官なんて強い騎手になってもらうため、良い人間に成長してもらうために叱ることばかりだから。


 結局、実習中風越みるめが問題を起こすことはなかった。

 心配したのは完全に源道秀の取り越し苦労に終わる。

 むしろ別厩舎で馬が人の手を離れてしまう放馬(ほうば)が起こった際、風越みるめが偶然近くに現れたその馬を捕まえたことで褒められた。

 放馬は動物を扱っている以上起こってしまう事件。

 調教のために出して調教師を振り落としたり、掃除などの時に馬房から逃げ出したり、厩務員が散歩させるために連れている時に突如驚いて暴れるなど、人の手を離れて馬が自由になってしまうことが起こりえる。

 実際、競馬学校の練習馬も放馬はあった。

 施設の敷地内ならまだ良いが、最悪敷地外に出てしまわないとも限らない。

 トレーニングセンター内だとしても他の馬や人に衝突したり、興奮状態だと木や物に当たって馬自身がケガもするため、危ない状況でもあった。

 だから馬の所属する厩舎の人間は、放馬が起こると総出で捕獲に出ることもある。

 レースで何着でも良いから、ケガ無く無事に戻って来て欲しいと心配する気持ちと同じだ。

 馬主から預かって調教している責任もあるが、何より毎日愛情を込めてお世話をしているから、愛着がひとしおというのもある。

 それだから余計、何ごともなく連れ帰れるとホッとした。

『放馬の連絡があって気にはしてましたけど、まさかってところで正面から来ていて。興奮はしていなかった様で餌で引き付けようと手に取ったんですが、彼女に先を越されてしまいましてね。気づいた時には馬を撫でていて、所属の厩務員が来るまで相手してもらいましたよ。馬も撫でられるのが心地良いのか、手のひらに額を押し付けて、彼女とは初めてのはずなのに離れませんでしたから』

 そう風越みるめが実習でお世話になった厩舎の人に言われた。

 何でも放馬した馬は正面から近づく彼女を前に、一度警戒から足を止めた様だけれど、風越みるめが連絡で聞いた名前を口にして呼ぶと、ゆっくり馬の方から近寄ったとのことだった。

 逃げ出した馬を後ろから追うのは良くない行為で、まして慌てて走り追うのは悪手だ。

 放馬直後の馬はだいたい興奮した状態なので落ち着くまで待ち、出来るだけ馬の正面から脅かさないように、最低でも視界に映る方向から捕まえに行く。

『たまに居ますよね。妙に馬たちに懐かれやすい人って。こっちは毎日お世話をして気を許してくれたってのに、数時間触れ合っただけで懐く人。もう嫉妬しかないですよ』

 そう厩舎の人が笑いながら話してくれた。

 風越みるめは実家で馬に乗っていたこともあり、担当の練習馬などの世話もそつなくこなしていた生徒だったので、そのためだろう。

 けれど競馬の乗り方であるモンキー姿勢に苦労していたし、それに加えて馬にムチを打つことに抵抗を見せている。

 やはり逆に実家で世話をしていたからか、馬に優しすぎてムチを入れるのに戸惑いがあるらしい。

 レースをしている以上、ここぞという時にはムチが必要不可欠だ。

 指導した時に本人もそれは頭では理解しているが、どうしても抵抗感があり、実習を終えても迷いがあるのは変わらなかった。

 結局それでも真面目に騎手を目指し、ムチを打つのが苦手なだけで、辞める選択はしていない。

 それ以上に馬の気持ちを読み取るのが上手いのか、レースの訓練ではそれなりの速さを見せている。

 勝手な個人的解釈だけれど、レース中周囲の馬と人間の呼吸を感覚だけで捉えているのではと思っている。

 言わばただの勘だけれど、それでムチを打つ回数が減り、馬共々ストレスがかからないならそれも良いだろう。

 あとはムチを使わなくても有り余る勝負強ささえ身につけていればーーと願ってしまうが、それで勝てるほど甘い世界でもない。

 普段学校や実習中の厩舎に出向いた際は、授業や訓練に関する学業のことの他、近況報告などのみで、プライベートな話はしない。

 そのため一年時のキャンプの引率時、偶然にも雑談する暇が生まれた際、一度だけ聞いた。

『前騎手に成りたい理由は聞いたが、きっかけは何だったんだ? そして、どうしてジョッキーだったんだ?』

 風越みるめを知らない人にとって、彼女が騎手を目指すのは以外に思えるだろう。

 源道自身その一人だった。

 容姿的に騎手を目指すようには見えないし、実家の巫女姿の方が容易に想像がつく。

 しかもメイクをすれば、都会の街に居そうな雰囲気まである。

 風越みるめは素直な生徒なため、教官のその質問を拒否することなく答えた。

『実家の神馬にだけ乗っていた頃は意識してなかったんですけど、草競馬で他の馬に乗った時に初めて乗り心地に違和感を覚えたんです』

 これじゃないーーかも、と風越みるめは当時を振り返り、そう語り始めた。

『草競馬中ずっとモヤモヤというか……気になって。それで帰ってすぐに神馬の子に乗ってみました。すると今まで感じて来なかった物足りなさというか、しっくり感というかが気になり始めたんです。後でモヤモヤが何か分かるんですけど、この子たちじゃないって……』

 何か足りなさを滲ませた呟きだった。

『しばらくして自分がしっくり来る馬を求めているのかもと、気持ちに気づいて、よりもっと多くの馬に会って乗ってみたいって。求めている馬が何か分からないけど見つけたいって決めたんです』

 それだったら騎手でなくても厩務員を始め、馬に携わる仕事をしたいなら、動物園の飼育員などいくらでも選択肢はある。

 彼女もそこは思ったらしいが、直感が働いたと語った。

『何となくなんですけど……馬に携わる他のお仕事よりも、理由は言葉に出来ないんですけど騎手に惹かれました。一度意識すると他の選択肢を考えられなくなったんです。コレしかないって。当然、今も騎手の道を選んで後悔は無いし、目指すのも迷いはありません』

 騎手も厩舎や馬のオーナーに営業をかけたり、レースで活躍を見せていけば騎乗依頼が入ってくる。

 厩舎によるが何頭も馬を抱えるので、厩務員でもそれなりの数の馬に巡り会えはする。

 それでも彼女は騎手になりたいのだろう。

 活躍次第では騎手は所属以外の厩舎や地方競馬から声がかかり競走馬に乗ることもあるかもしれない。

 けれどそれは活躍出来た騎手だけで、厩務員や生産牧場などの方が確実に馬に触れ合えるはずだ。

 普通に暮らすよりも馬と会えるとはいえ、他の業種と比べると騎手を選ぶのは余りにも非効率的にも思える。

 それでもモチベーションを保ち続けるなら、直感に従うのも否定出来なかった。

 どこに居るとも知れない波長の合う馬を見つけたいと言うのなら、その気持ちを持ち続けなければ出逢えないのだから。

『見つかると良いね。みるめの白馬の王子様』

 彼女が求めるのが白毛かも分からないけれど、その話の時に一緒に居た未帆がそう応援した。

『探してるのは王子というか、白馬の方だけどね』

 風越みるめは話を素直に聞いてくれた相手に微笑を返していた。

 まだ厩舎実習中でも直感を覚える馬には会えていないらしい。

 それとは別に地味に成長を感じられたことがあった。

 それは入学当初よりも、風越みるめの身体が柔らかくなっているように見受けられた。

 寮監の人伝に聞いた話では、何でも絶賛女子寮でヨガブームらしく、彼女も参加しているという。

 ヨガは精神の整え方や体感などに良いと聞くが、その一環で身体も柔軟になっているらしかった。

 詳しくないので確かなことは言えないが、ポーズで曲げてからの姿勢キープのため、柔軟性と筋力の強化に繋がっているのかもしれない。

 ヨガをしている中には、やってると女子力高そうというだけで参加する女子の姿もあるみたいだ。

 あっという間に厩舎実習を終え、三年になり帰校してからの時間は短く慌ただしい。


 四季なんて無いに等しい長い夏の気配が消え、秋の空気になった頃。

 三年生の風越みるめたちのある日。

 12月に三年生が実際の競馬場で行うレースに向け、現役騎手の卒業生を交えての何回目かの模擬レースが行われる。

 今回はダートで風はほぼないが、空気が冷えていて馬に跨がって走ると寒いだろう。

 日差しが出て地面に当たっているため、震えるまではいかないはずだ。

 今日の模擬レース開始前、皆ユニフォームに身を包み集まっていた。

 模擬レースに参加する卒業生の一人が、ヘルメットを片手に源道秀の元へやって来て挨拶する。

 そしてこちらの顔色を窺うように尋ねてきた。

「あの、本気で負かすつもりで良いんですよね?」

 周りに比べると声が小さく、控え目な口調の卒業生。

 面倒を見たのは数年前だというのに、腰が低くて頼りなさそうな雰囲気は変わらない。

「もちろんだ。自分たちの模擬レースの時に卒業生の先輩は力を抜いてたか? それと同じように全力でコテンパンにする気で行け、手加減は生徒(アイツ)らのためにならない」

「は、はい。分かりました。ありがとうございます」

「後輩の前だ。もっと胸を張れ。中央で何年も闘っているんだし、十分お前はプロだよ。優勝インタビューも受けただろ?」

 肩を軽く叩いて発破をかけても、相変わらず謙虚というか、弱気で自信なさげな反応しか返ってこない。

 プロなのだから本当に誇って良いし、卒業生の彼にはそれだけの実力がある。

 こうして頼りなさげに見えても、たまにレースの彼を目にするが、本当に差しが強い。

 正確には差しの馬との相性が良く、レース運びの見極め、判断能力に長けている。

 風越みるめにとっては参考になり、自分らしい走りを掴むために、目標になりえる卒業生騎手だ。

 だから、模擬レースの後に行われる教官と卒業生による解説は、彼女にとって成長に必要なものになるだろう。

 すると懐かしいというには早すぎる声が聞こえてきた。

「あっれー? 先輩? この前は初優勝おめでとうございます」

 未帆はそう祝辞を口にするも、余計な一言が続く。

「出戻り早すぎません? それとも暇なんですか?」

「なっ、バカ言わないで! あなたたちにプロの厳しさを教えるために来たのよ」

「またまた~、私に会えて嬉しいんでしょ?」

「全く。暇ならあなたの顔なんて見ずに、トレーニングしてた方がよっぽど有意義だわ」

 いつも報告ばかりで聞いていた大姥と未帆の光景がそこにあった。

「ゲームじゃないんで、今度は負けませんよ。先輩」

「いつの話をしてるの? あなた意外と根に持つタイプだったのね。覚えているなんて」

「アレだけ絡まれてたら忘れられないですし、単に負けず嫌いなだけですよ。先輩に負けたままだったのが卒業間近の心残りだったので、偶然にもチャンス到来で嬉しいです」

「残念、またワタシが勝つに決まっているでしょ。騎手一年目だとしても、プロで揉まれた強さを見せてあげる。その悔しさ、まだ当分持ち続けなさい」

 模擬レースを始める前から闘志をぶつけ合う二人。

 すると学校でいつも見かけるように、風越みるめが大姥に絡む未帆をなだめにかかる。

 良い意味でいつも通り、無駄に肩に力が入っていなかった。


 ところどころ塗装の剥げたコースの柵から、ファンファーレも無い静かなゲートインを見守る。

「今回は上手く扱えているな」

 前回嫌がる様子の馬がおり、中々に苦労していた。

 全頭発馬機に収まった後の僅かな間。

 金属の立てる軽い音が空へ抜け、馬券を購入したファンも居ない静寂なスタートが切られた。

 ダートを踏みしめる蹄音が、重く空気を震わせる。

 力みすぎてゲート直後によれて出遅れた一頭以外、きれいにそろったスタートだった。

 早朝僅かに湿った足元だけれど、力強く踏み出される馬蹄に砂が巻き上げられる。

 観客の声援の無い中、地面を震わせる馬群の重奏音が轟き、圧を伴って目の前を駆け抜けて行った。

 身体ごと向きを変えて追いながら目に双眼鏡を当て、向こう正面に向かう一団を覘く。

「ふむ」

 卒業生男性はスタートからずっといつでも抜け出せる良い位置をキープしていた。

 学生の頃は周りの進路妨害にならないか気にし、怯えて走れないと悩んでいた彼だが、見違えるほど立派なジョッキーになっている。

 大姥は攻めで他の馬に揺さぶりをかけ、プレッシャーに感じた丸原の挙動にミスが見られた。

 マイペースを維持し続ける未帆は、逆にマイペースなせいで幾度か前に出るチャンスを逃している。

 一度出遅れた生徒を確認。

「……」

 距離を離されても諦めない姿勢は大事だ。

 風越みるめは概ね可も無く不可も無いが、ここぞという時に馬にムチを入れる他に比べ、やはり走らず伸びず順当にいけばの着順からズレてしまう。

 それでも上位に食い込むのは、馬の気性や走っている時の様子を他よりも察せられるからなのかもしれない。

 生徒達の気になる点を頭の中で組み立てていると、次々にゴール板を通過して行った。

 手にした双眼鏡を指で叩く。

 改善の余地のある生徒ほど残念なものはなく、あと何回かある模擬レースのどこかで、風越みるめにはムチの重要性を理解させたかった。

 本人も頭で理解はしているが、馬を思いすぎるため、必要な瞬間に適切に扱えるように改善させたい。

 取り急ぎ問題なのは、意外にも丸原だった。

 実技では指定した秒数で走らせたり、指定区間での速度感覚も同期生の中では優秀で、そんな性格でないはずなのに、毎回レースでは序盤から先行し過ぎて勝利を逃し続けている。

 いくら逃げの馬でも、ペース配分がなっていなければ、勝てるものも勝てない。

 彼の実力なら一度くらい卒業生を負かすこともあるはずだが、力みすぎているのか気負いすぎているのか、勝負を急ぎすぎて結局は下から数えた方が早い着順が目に余る。

 そして模擬の後は、教官や卒業生によるレース映像を交えての解説や駄目出し、ちょっとしたアドバイスなどが贈られる。

 中には体験した小話など、ここでしか聞けない情報が、役に立つか雑談かは別として傾聴出来た。

 ゲートインからゴールまで、カップ麺を作るほどの時間しか動画はないはずなのに軽く一時間弱、長い時には三時間も解説が行われる。

 それだけ卒業を間近にしても、生徒達はまだまだということ。

 競馬好きなら普段聞けない内容に、三時間くらいあっという間なのかもしれない。

 学校はあくまで学ぶ場。

 ここで失敗を沢山重ねて、勝利するための努力をして欲しい。

 負けは受け取り方によっては、勝ちよりも成長の糧になる。

 模擬レースに勝てたからと言って、プロになってしまえば自分より各上に囲まれて成長しなければならない。

 だから源道秀個人の考えとしては、ここでの勝利は意味が無い。

 負けて次はどうやって勝てるか考えて実行に移す強さを身につけるため、負けることこそ意味があり、成長に繋がると思っている。

 それが丸原はなっていない。考えている様子も、改善しようという試みも窺えず、千日手のようにずっと同じことの繰り返し。

 解散後に丸原には何を焦っているのか、らしくない走りなどを上げて聞き取りをするも、その原因について話してくれなかった。

 しかし、原因が分からないのでなく言いたくないだけなため、原因に心当たりがある彼は、次からはしっかりやると言った通り、約束を守った走りを見せてくれた。

 こうして数回模擬レースが行われ、卒業試験と騎手免許試験と例年通り執り行われた。

 一年の後半は時間が経つのが本当に早く、あっという間に彼、彼女らが競馬学校を去る時期が訪れ、所属厩舎を決めるのに少し難があったが、実習先でない厩舎に所属する生徒も居る中、風越みるめと未帆も無事卒業していった。

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