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ねこや、放課後。  作者:
第一章
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第2話 わたしの声、聞こえてますか?

ねこやに来るお客さんは、ちょっとだけ心に“ざらつき”を抱えている人たち。


今日、店のドアを開けたのは、静かな目をした女の子でした。


教室で、誰にも気づかれないまま、消えてしまいそうだった――

そんな彼女と向き合うのは、奏。そして、猫たち。

少し切なくて、でも心がふわっとする、そんなお話です。

──来ちゃった。


そう思いながら、私は店の前に立っていた。

昨日と同じ、木の扉。少し重たくて、ちょっとあたたかい。

まるで、誰かの背中みたいだなと思う。


「……また来たにゃ?」


扉を押し込むと、クロエの声が聞こえた。

黒猫の彼女は、昨日と同じ位置、カウンターの上に座っていて、

しっぽだけゆっくり左右に揺らしていた。


「勝手に来ちゃったけど、いい?」


「ここは、ただのカフェにゃ。来たい人が来る場所にゃ。勝手でいいにゃ」


 


空いている席に向かう途中、小さな鈴の音がした。

足元を見ると、ミルキーがころんと転がってきて、私の靴に頭をこすりつけた。

真っ白な子猫。まるで、夢からそのまま出てきたみたいな存在。


「また会えたね」

しゃがんでそう声をかけると、ミルキーは小さく「んにゃ」と鳴いた。


 


昨日座った奥のカウンター席に腰を下ろすと、視線が上にいった。

棚にぶら下がったティースプーン。どれも少しずつ形が違っている。

星型、鈴、そして……猫のしっぽ。


「これ、なんで吊るしてるの?」


「売り物にゃ」

クロエが、スプーンを1本とって見せてくれた。


「しゃらんって鳴る音で、誰かの気持ちが動くことがあるにゃ。

 気に入った音があったら買っていいにゃよ。」


意味はよくわからないけれど、私はうなずいた。


 


そのとき、扉の鈴がかすかに鳴った。

背筋がすっと伸びる。誰かが入ってきたのだとわかったから。


ぱた、ぱた、ぱた。

軽い足音が、私のすぐ横を通っていく。

ふわっとしたベージュのセーター、制服のスカート。


彼女は私から2席ほど離れた、カウンターの端に座った。

手に持っていたトートバッグを、そっと床に置く。

その一連の動作すべてが、静かだった。

まるで、自分の存在を薄めることに慣れているみたいに。


 


「ひとり、ですかにゃ?」


クロエの問いかけに、彼女は小さくうなずいた。

その声は聞こえなかったけれど、確かに動いた頬とまつげが、答えになっていた。


「今日は、こっそりクッキーとカフェオレにゃ」


クロエは、焦がしキャラメルの香りを漂わせながら、

カップとお皿を彼女の前に置いた。

そして、猫しっぽ型のチャームがついたティースプーンも。


その音が、“しゃらん”と、ほんのかすかに響いた。


 


彼女はスプーンのチャームを指でつまんで、そっと揺らしていた。

目の前のクッキーにはまだ手をつけていない。

そして、口をひらいた。


「……教室、で」


その声が小さくて、でも真っ直ぐで、私はついそちらを見た。


「……いないみたいにされるのって、こんなに痛いんだって思って」


カフェオレを見つめながら、彼女は続けた。


「毎日、席に座って、授業を受けて、

 何もしてないのに、誰にも名前を呼ばれなくて、

 声を出すタイミングさえ見つからない」


私は息をのんだ。

わかる。わかりすぎて、胸の奥がぎゅっとなる。


 


「私も……おなじ」


気づいたら、声が出ていた。


彼女が、初めて私を見た。目が合った。


「“いたはずの人”って、扱いされて。

 いるのに、見えてないってことにされて。

 なんでかって理由もわからないまま、笑えなくなった」


彼女の目に、じわりと光るものが浮かぶ。


 


「私ね……朝がこわいの。

 目が覚めて、制服に袖を通した瞬間、心がどこか遠くに行く感じ。

 授業中に黒板を見てるふりして、ずっと“存在”のことを考えてた」


「“存在”?」


「……どうしたら、わたしって“ここにいる”って認められるのかなって。

 どうして誰も、目を合わせてくれないのかなって」


その言葉に、私は涙をこらえきれなかった。


 


ミルキーが、いつの間にか私の膝に飛び乗ってきた。

白い毛並みがあたたかくて、すり寄る動きが、胸に沁みる。


「“ここにいる”って、ちゃんと感じられる場所があれば、違うのにね」


「ここは……そんな感じが、する」


彼女がようやく、焦がしキャラメルのカフェオレに口をつけた。

そして、小さなクッキーをひとかけら食べた瞬間──

チャームのスプーンが、私のスプーンとふれて、しゃらん、と音を鳴らした。


まるで、それが合図だったみたいに。


 


「昔も、ここで泣いた子がいたにゃ」


クロエが、カウンターの上からぽつりとつぶやいた。


「名前を呼ばれなかった子。

 声を出しても、誰にも届かなかった子。

 でも……クッキーと、猫と、誰かの言葉で、涙が出て、

 “わたし、いたんだ”って気づいたにゃ」


「……その子、いまは?」


「もう、たぶん立派な人間にゃよ。

 聞こえなくても、声は消えないって知ったからにゃ」


 


私たちは無言でカフェオレを飲み干した。

甘さの中にある、ちょっとした苦みと塩気が、

教室にはない優しさのように思えた。


 


「……また来ていいですか?」


彼女が立ち上がりながら聞いた。


「もちろんにゃ。また、こっそりクッキー焼いておくにゃ」

クロエがしっぽで軽く返す。


 


帰り際、彼女はティースプーンをひとつ購入していった。


「じゃあ……また」


「また」


彼女が帰っていったあと、ミルキーが椅子の背もたれに飛び乗って、私の肩に顔を押しつけてきた。


「……ありがと、ミルキー」


私は言葉をこぼして、目を閉じた。


そのとき、不意に浮かんだのは──


「“わたしの声”は、ちゃんと、聞こえてる?」


あの子に、あたしの言葉が届いていたなら。


 


クロエが、ミルキーの背中をなでながら言った。


「声は、空気の中で響くにゃ。

 でも、心の中ではもっと遠くまで届くにゃ。

 だから、きっと届いてるにゃよ」


私はもう一度、うなずいた。

そのまま席を立ち、扉の前で一度ふり返る。


棚にぶら下がったチャーム付きのスプーンたちが、

しゃらん、しゃらんと、まるで“またおいで”と手を振るように鳴っていた。


今日のメニュー

 •焦がしキャラメルのカフェオレ

 •こっそりソルトバタークッキー

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。


教室での“無視”や“孤独”は、言葉にできない痛みを残します。

でも、誰かがちゃんと見ていてくれるだけで、

少しだけ、心がほぐれることってありますよね。


奏も、来店者の女の子も、まだ不器用なまま。

でも「わたしの声、聞こえてますか?」という問いかけに、

そっと耳を傾けてくれる存在がいるなら、きっと大丈夫。


よろしければ、ご感想やお気に入り登録などいただけると励みになります。

また次の放課後、お会いしましょう。

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