2話 希望
アリエッタがネマイラに戻ってきた次の日の朝、アリエッタは目を真っ赤に充血させてリフィミィとデューンの前に現れた。ほぼ寝てないため目の下には隈が浮き、目の周りは腫れぼったく、一晩中泣きはらしていたのがデューンにはすぐにわかった。無理もなかった。親友であり姉妹のようでもあり、時に周囲に恋人かと思わせるほど仲の良かった相手が何の前触れもなく突然いなくなったのだ。いつもは飄々としているデューンですら声をかけるが憚れるほどだった。
アリエッタの体は疲労を訴え、睡眠を欲していた。明け方には限界が来て一度は眠りについたものの、夢にあの青い炎が出てきて弾かれたように目を覚ましてしまった。その後も眠気はあるものの眠れる気がしなかった。
寝て起きたらあの出来事は悪い夢だったのではないか、そんな淡い希望を抱くが目を覚ませばエメラが傍にいないのは紛れもない事実で、夢などではなく現実の出来事だったのだと再認識させられてしまう。
「ア、アリエッタちゃん、おはよう」
「…おはよう」
さすがのデューンもかける声がぎこちない。アリエッタとしても本当はまだ一人にして欲しい。しかし、半年以上ぶりに帰ってきたネマイラで何の説明もなく引き篭もってしまっていては、周囲に必要以上に心配を掛け、気遣いをさせてしまうだろう。アリエッタは一晩経つことでその程度までは周りが見えるくらいに落ち着きを取り戻していた。
「知り合いに一通り挨拶と説明はするから…」
聞かれてもいない事を唐突に話すアリエッタだったが、デューンとしてもどう声を掛けていいものか迷っていたこともあり、アリエッタの口からどうするつもりなのか聞けたのは渡りに船だった。
「それなら、ボクも付いてくよ」
「…わかった。お願い」
少し考える素振りを見せたアリエッタだったが、少し間をおくと肯定の言葉をデューンに返した。いつものように冷たく返される事も想定していたデューンは、あっさり素直な返答に盛大に驚いたが、態度には出さない。
「任せてよ。でも少し食べた方がいいよ」
「…いらない。食べたくない」
リフィミィとデューンの心配そうな表情を見ると、アリエッタとしても心配をかけてしまっているという小さな罪悪感を感じるものの、アリエッタ自身が人の気持ちを察して行動ができるような精神状況ではなかった。もう少し気持ちの整理がついていれば、二人を安心させるために気持ち程度食事を取ったかもしれないが、今はとてもそんな気分にはなれなかった。
一通り身支度を済ませてアリエッタたちがまず向かったのはジム夫妻の家だった。
半年かそこらで変わるものでもなく、アリエッタの記憶の中にあるそれと何一つ変わらない形で存在する邸宅の扉をノックした。
すると、アリエッタの記憶にあるのと同じように女性の声が聞こえ、少しの間待つとノックした扉が開かれ妙齢の女性、ジェシカが顔を出した。
ジェシカはアリエッタの顔を見ると何も言わずにアリエッタの体を抱きしめた。ジェシカがアリエッタの温もりを確かめるように抱きしめていたのは少しの時間だった。ジェシカは体を離すとやっと口を開いた。
「アリエッタちゃん、おかえりなさい。無事でよかったわ」
ジェシカの温かい声色と言葉に、アリエッタの収まっていた涙が再び溢れてくる。
「とにかく、中に入ってゆっくりしてちょうだい。後ろのお二人もどうぞ」
ジェシカはそう言うと、涙でぐずぐずになったアリエッタの肩を抱いて中に入っていった。その場で立ち尽くしているわけにはいかず、デューンもリフィミィを伴ってジェシカの後に続いていった。
三人が通されたのは以前はいつもジム夫妻と話す時に使われた客間だ。その頃にはアリエッタも会話をするのには支障がない程度には落ち着きを取り戻していた。
リフィミィこそ出されたお菓子にさっそく手を付け始めたものの、その他の四人はなかなか口を開こうとしなかったが、意外にも一番最初に言葉を発したのはアリエッタだった。
「…ネマイラを出てから今までの事…聞いてもらえますか?」
「もちろんだ。だが、無理に今話さなくてもいいのだぞ?」
「いえ…今聞いてほしいんです」
アリエッタはそう言うと、少しづつネマイラを出発してからの事を話し始めた。
セヴィーグにいる間にリフィミィを保護した事、ジャングルでエレアを、竜の里ではガリオルを、フィルブトではデューンを旅の仲間として加えた事、旅の果てにルビーナを見つけた事、そのルビーナは普通ではなかった事、そしてそのルビーナによってエメラとガリオルが恐らく命を落としたであろうという事。もちろんすべての出来事を網羅して話せたわけではないが、旅の大筋は話せたと言える。
話し終えたアリエッタは乾いた口を潤そうと冷えたお茶を口に運ぶが、それに続いて発言する者はなかなか現れない。ジェシカに至っては涙を流しており、話すどころではなさそうな様子だ。
「ふむ、凡そはわかった。だが、一つ腑に落ちないことがある」
沈黙に全員が耐え切れなくなりそうな頃になってジムが漸く口を開いた。
「腑に落ちない…ですか…」
アリエッタとしては、主観ではあるもののその場で起きた事をそのまま話しただけに過ぎない。そして、話の中にそんなにおかしな点があっただろうかと考えるも思い当たる事がない。色々な事が重なって起こって冷静とは程遠い思考と、ただでさえ疲労と睡眠不足の祟った頭では普段通りの考えが及ばないのだろう。ジムはその点を簡単に見破っていた。
「一瞬でエメラのいた場所が燃えていたと言ったが、燃えていたのは本当にエメラだったのか?」
ジムのその問いにアリエッタもデューンもハッとした。あの場では、他にエメラらしきものが見当たらなかったし、その後もそれらしき姿を認める事が出来なかった事から燃えていたのがエメラだと結論付けた。しかし、エメラほどの魔力の持ち主が、如何にルビーナが強大な魔力で攻撃したとしてもあの短時間で形が分からないほど炎上してしまうのは些か不自然であった。
「もし本当にルビアスにそれだけの芸当ができる力があったなら、竜人族の男も足止めすらできなかったんじゃないか?」
実際にガリオルが分単位で時間を稼いでいたのは、アリエッタたちが逃げ出した後の戦闘音からも明らかだ。単純にルビーナに余裕がありすぎて、しばらく本気で戦わなかったという可能性もなくはない。しかし、あの時のルビーナの様子を見るに、そんな精神的な余裕があったとも思えない。
「まぁ、状況を聞く限りでは万が一があったとして厳しいだろうが、絶望するのは早いんじゃないかって事だ」
あの状況で仮にエメラが生きていたとしたら、既に瞬間移動のスクロールでネマイラに帰ってきていてもおかしくはない。そう考えればジムの言い分は希望的観測に過ぎない。それでもあの場所から何らかの方法で飛ばされて、持っていたスクロールを紛失してしまっていたら…そう思わずにはいられなかった。
希望を持つ事は諸刃の剣だ。希望が大きければ大きいほど裏切られた時の失望感も大きい。ここで下手に希望をもって、エメラの死を突き付けられた時にアリエッタはその事実に耐えられるのか、そんな思いも過ぎる。それでも一度は諦めた事ではあっても、エメラが生きているかもしれない、もう一度そう信じたかった。
「そうですね…。もう少し彼女の事、信じてみます」
そう言ったアリエッタの目には、少し輝きが戻っていた。
しかし、アリエッタにはもう一つ大事な事をジム夫妻に話さなければならなかった。その話をするのもアリエッタとしてはちょっとした決心が必要で、再び冷めたお茶に口をつけて唇を潤すと少しの間心を落ち着ける。アリエッタは心の整理がついた所ではっきりとした口調で切り出した。
「もう一つ、報告しておかなければいけないことがあります」




