28話 三十年前の真実(後編)
ルビーナの父親はかなりの魔力量の持ち主であり、そう簡単に遅れを取るとは思えない。そんな彼が捕らわれたという事は相当な手練れである可能性が高い。しかも両親を人質に取られている状況だ。場合によっては自身が命を落とす可能性も考えられた。
愛用の杖を持つと、ルビーナは街の外に向けて歩き始めた。
書置きにあった場所にルビーナは心当たりがあった。自警団が模擬戦や訓練をする時度々使われる広い場所が街の外にあり、そこではないかと当たりをつけていた。
「思ったより早かったなぁ!」
案の定、ルビーナの想定していた場所にその男はいた。男は二十代そこそこで人間族だった。
その後ろには数人の人影があり、全員横になっていた。注意してみると手足を後ろで縛られていて身動きができないようだ。捕われた全員が魔族であり、全員が一様に腕に銀色の腕輪をはめていた。
捕われの人々を見渡していくと、少なからずルビーナに関わりのある人たちばかりだった。両親から始まり、親戚にアリエラの両親までいたが、ルビーナの視線がとある人物に言ったところで驚きに目を見開いた。
「アリィ!?」
一緒に街に戻ってきて、先ほど分かれたばかりのアリエラだった。全員意識がないようだが、ルビーナとしてはアリエラが捕われていた事に二重の驚きを感じていた。一つは純粋に捕われていたという事実。そしてもう一つはアリエラ程の猛者が人間族相手に捕まったという事実だ。
「どうやって捕まえたかわからないって表情をしているな?」
男は顔をニヤつかせて勝ち誇ったかのような態度で話し始めた。
「正面からじゃ敵わないからな、これを使わせてもらったぜ」
そういった男は懐からなにやら液体の入ったガラス瓶を取り出して見せびらかした。
「…気化麻痺薬か!」
空気に触れると気化して体はおろか脳まで麻痺させる強力な薬だ。気化した後すぐに拡散するため数分もすればその場では効果がなくなるが、その前に吸い込んでしまえば一瞬で昏睡してしまうほど強烈な効き目があるのが特徴だ。空中に充満して効果を発揮するのはわずか一分足らずだが、その効果から暗殺や誘拐には多用される薬でもある。
「その小娘以外は昼寝してたからな、簡単に餌食になってくれたぜ」
「…それで、私に何をさせる気だ?」
ルビーナの言葉に男はいっそう笑みを深くして言い放った。
「小娘以外の全員の代わりにお前と小娘が人質になれ。俺たちゃ、こないだの戦で煮え湯を飲ませてくれたお前ら二人が確保できりゃそれだけでいい。なに、二人とも殺しはしない。魔族の奴隷なんて高く売れるからな」
「この腐れ外道が…!」
ルビーナはその眼力だけで相手を射殺せそうな視線で相手の男を睨み付ける。しかし絶対優位を確信している男は余裕の笑みを浮かべたままだった。
「従わねぇなら、お前以外全員殺せばいいだけだ。それだけでも十分な成果だ」
ルビーナは全身が震えるほどの怒りを覚えたが、現状手詰まりで手は出せない。かと言って相手の男の言葉に従うにしてもそうでないにしてもアリエラは助からない。なんとか助け出す手立てを考えるが思いつかず時間ばかりが経過していき、気持ちばかりが焦っていく。
そんなルビーナの態度に業を煮やした相手の男が次の行動に出る。
「おいおい、あんまり時間はねぇぜ。ある程度時間が経つごとに一人づつ殺してくか。…おい、やれ」
男がそう声をかけると、気絶したルビーナの関係者を囲っていた黒装束の男の一人がアリエラに近付いていき、その首にナイフを突きたてようとした。
「待て!!待ってくれ!わかった、従う!だから彼女は助けてくれ!!」
ルビーナが懇願するように叫ぶと、男は無言で銀の腕輪を投げてよこした。自分で付けろという意思表示なのだろう。ルビーナとてその腕輪がどういった物なのかはある程度理解していた。付けたが最後、自力で外す事はできず魔力も振るえなくなるという"魔封じの腕輪"。それをはめるという事の意味を。少し戸惑ったもののルビーナは腕輪を手に取り、ゆっくりと自らの腕にはめようとした間際だった。
「ルビィ、ダメ!!!」
先ほどまで気絶していたはずのアリエラができる限りの声を振り絞っていた。それを見てアリエラの首筋にナイフを突き付けていた黒装束の男がナイフを持つ手に力を入れるが、アリエラには傷一つついていなかった。腕輪で抑えられる魔力量を超えていたのか、普段のアリエラからは想像もつかないほど薄い、魔族からすれば皮膚の薄皮のような頼りない障壁が展開されていた。
「こいつら、捕まえられるだけ捕まえて全員殺すつもりよ!だから…」
何か言おうとしたアリエラの口を黒装束の男が塞ぎ、ルビーナはアリエラが何を言おうとしたのか聞けなくなってしまった。
「ちっ、ばれちまったら仕方ねぇ。…おい、やれ」
男が合図するのと同時に黒装束の男たちが次々に気絶していた人質に刃を突き立てていった。ルビーナの叔父母が、従兄妹が、そしてアリエラとルビーナの両親が次々に小さな呻き声をあげるだけで絶命していく。
この時、ルビーナが冷静に損得勘定で動くことができたなら、アリエラだけは助けられただろう。しかし彼女にはそんな余裕もなく、ただ親しい人たちが人間族の凶刃に命を散らすのを呆然と見ていることしかできなかった。
「もうあたしの事は諦めて!」
アリエラにもその刃を振り下ろそうと黒装束の男が手を離した隙にアリエラが叫ぶ。
「だから……だから、最後はせめてあなたの手で終わらせて!」
アリエラのその言葉で我に返ったルビーナは、正しくアリエラの意図を理解した。黒装束の男のナイフが脆弱なアリエラの障壁を破ってその首に到達するのは、もはや時間の問題だった。即座に助けに入っても、もう間違いなく間に合わない。そう判断したルビーナの反応は早かった。
(人間族なんかにアリィに手をかけさせない)
そんなルビーナの内心に呼応するかのように、周囲の温度が急激に上昇した。塵や少ないガスが発火し空中に炎がチラチラと浮かび始めた。
そんな様子にあわて始めたのは、それまで余裕の笑みを浮かべ続けていた男だった。半ばパニックに陥っているのか腰に提げた剣を炎に向って振り回すが、当然そんなもので炎は消えない。逃げ出そうとルビーナに背中を見せたところで、周囲の炎が集まり魔族の人質も巻き込む形で人間族の侵入者たちを包みこんでいった。
一縷の望みにかけてルビーナは炎の中に飛び込むと、中でアリエラはまだ生きていた。急いで炎の外に出るが、アリエラの状態は酷いものだった。背中の半ばまであった綺麗な銀髪は焼けてしまって黒ずんでおり、銀の腕輪は熱で溶けかけていた。今まで生きていられたのは腕輪が溶けたからだったのだろうが、全身が焼け爛れてアリエラの命の灯火が燃え尽きるのも時間の問題だった。
「ごめん…ね。辛い役…押し付け…」
「すぐ治療を!」
ルビーナの言葉にアリエラは小さく首を横を振った。
「もう…ムダ……よ」
この場に優秀な聖魔術師がいれば助かっただろう。しかし、それがいない今、そこに連れて行くまでもたない。それはアリエラだけではなくルビーナも薄々感づいていたことだ。
「さい…ご…に…抱きしめ…て?」
喉も炎にやられていて、綺麗だったアリエラの声は掠れていた。それでも意思の篭った言葉は弱々しくも力強かった。
ルビーナの姿は精悍で整った青年の姿から、いつの間にか本来のものである可憐な少女のものへ変わっていたが、そんな事も気にせずルビーナは優しくアリエラの体を抱きしめた。
「やっぱり…思った通り…暖かい…。死ぬまで…隠しておこうと…思っ…たけど、ルビィ…愛してる…」
「アリィ…私は…」
アリエラの気持ちに気付いていても受け取れなかったルビーナだったが、神の元に旅立とうとする者に事実を告げる事などできようはずもない。ただただ黙って聞くことしかできなかった。
「あたしの…想い…届かない…のは…わかってた。ルビィ…綺麗…なんだろう…なぁ」
そこまで言うと、アリエラの全身から力が抜けた。
「アリィ…?」
ルビーナが声をかけるがアリエラは反応しない。その顔は、最期に不遇の扱いを受けながらも、どこか安心したような穏やかなものだった。そんなアリエラの表情とは裏腹にルビーナは叫びとも嗚咽とも取れるような声を出して感情を爆発させた。そんな少女の様子を未だ燃え続ける炎が他人事のように見守るのだった。
 




