16話 アリエラの告白
鬱蒼と木々や植物の茂った森の中、青い髪の少女が目を覚まして上半身を起こした。その情景に少しデジャヴを感じつつも周囲を見渡すが、その時と違ってベッドの上でなければ、そもそも屋内ですらない。動物の気配は無く、見渡す限り青々とした植物しか見当たらない。なぜこんな場所で寝ていたのかまったく心当たりもなく、途方に暮れる。
青い髪の少女、アリエッタはそのままでいても埒が明かないと判断して立ち上がり、少し危険な気もしたが周囲を探るため移動しようとした時だった。
「こっちよ」
アリエッタの後方から聞こえてきた声には聞き覚えがあった。何度と無く生命の危機に晒された時に現れて助けてくれた声。体が女に変わってしまった後の自分のものに酷似した声。
アリエッタが振り返ると、そこには自身と瓜二つな容姿をした一人の女性が立っていた。しかし、髪の色がグレーがかった銀髪である事と、纏った雰囲気がアリエッタに比べて遥かに大人びたものある事から見た目以上に二人を別人と認識させていた。
「アリエラ…さん?」
「そうよ。はじめまして…はおかしいかしらね」
銀髪の女性、アリエラは勝気な顔を笑顔に変えて初対面の挨拶をする。
「どうして…」
「ん?あぁ、この場所はね、ある方が用意してくださった特別な空間で、その方の力で死んでしまった人とも話せるみたい」
そう話すアリエラも理解しきれていないのか、あまり実感は篭っていない。
「でも丁度よかった。伝えきれなかった事も多かったから」
アリエラはそう言うと淡々とこれまでアリエッタがこの世界に来て、今の体を得ることになった経緯やアリエラが憑依することになった事象などを話し始めた。
どういった理由かはアリエラも知らないようだったが、何かしらの理由でアリエッタはこの世界に来た時は実体を持たない霊体の状態だった。何かしらの力、恐らく今アリエッタがいる空間を作った張本人の力により体が組成される過程でアリエラの魂が混じりこんでしまったようだ。その結果、アリエラの魂の影響を受けて、礼としての体ではなくアリエラの体が組成されてしまったのだろう、とアリエラは予測していた。
「ってことは、元々僕は元の体でこの世界に来るはずだったってこと?」
「…そうなるわね」
アリエッタはそのアリエラの答えに脱力して、げんなりした表情を見せた。
「あ、あたしが狙ったわけじゃないからね!」
アリエラはあわてて自分に非が無い事を主張するが、アリエッタとてわざとアリエラがアリエッタの体に憑依した等と思っているわけではない。もしかすると、アリエッタをこの世界に移して蘇生させた本人ですら予測していなかったかもしれないのだ。
「わかってる。むしろそんな事理解して狙ってたらすごいよ」
不確定要素が複雑に絡んだ結果で、結果は結果でしかなく後戻りができない以上、その話は今更ではあった。
「それで、ここからが本題。あたしはもうあんたの体から離れてる」
「それって…」
アリエッタは次の言葉を口にすることができなかった。アリエラは憑依した状態ではじめてアリエッタと、さらには体のコントロール権をもらう事でやっとその他の人とコミュニケーションを取る事ができる。つまりはそういう事なのだろう。
「あんたの想像する通りよ。まぁ、色々と制約があるのよ…」
アリエラは感情を出さずにまた淡々と説明を始めた。
基本的に一つの体に複数の魂が入る事はできない。ただ、アリエッタの場合は所有権が曖昧な時点でアリエラが混じりこんでしまったため例外が発生したのだとアリエラは結論付けていた。しかし、本来はありえない現象が起こっている時点で無理があり、反動として体の本来の持ち主ではないアリエラには様々な制約がかかっていたのだ。
一つ、体のコントロールそのものは持ち主であるアリエッタであり、アリエラは自由に表には出られない事。
一つ、アリエラが意識を保ってアリエッタとコミュニケーションが取れるのは精々が二、三分程度である事。
一つ、コントロールを強制的に切り替えられるのはアリエッタが弱っている時だけ。
一つ、それぞれの制約を破る事は不可能ではないが、それは徐々に体と魂を分離する事に繋がる。
アリエラがルビアスと手合わせしていたのは約十五分。そしてアリエッタの意識レベルが強い時に強制的に体のコントロールを切り替えた。その結果、制約を大幅に破ったアリエラはアリエッタの体から完全に弾き出されたのだ。そうなれば例外的に同一の体に二つの魂が入ってはいたが、一度出てしまえはもう理を崩す事はできず、アリエラは戻れなくなったというわけだ。
「もうルビィと手合わせする前からあたしはあんたからは剥がれかけてた。だから最後はちょっと強引だったけど、あんな手を使ってでも最後にルビィと触れ合いたかったの」
アリエラは口ではそう言っているが、アリエッタにはまだ含みがあるように思えて仕方なかった。考えてみれば、あの試合だけでアリエッタの戦闘能力はアリエラに届いたとは言わないまでも、かなり近いレベルまで引き上げられたといって良い。それもアリエッタの意識レベルが高いうちにアリエラが体のコントロールを強制的に切り替えたおかげだ。アリエラがアリエッタへの技術継承も含めての行動だったと考えるのはアリエッタの考えすぎだろうか。
「ホントにそれだけ?」
「…それだけよ。それに魂からあたしの意識そのものもかなり薄れてきてるから、どっちにしたって限界だったの」
「そっか」
「うん」
アリエラの表情に後悔の色はなく、すっきりした顔をしていた。それを見たアリエッタはそれ以上は野暮だと考え、もう詮索するのをやめた。
そこで会話は途切れ、お互い無言になる。沈黙の気まずさや焦りはなく、約一年同じ存在として生きた二人には心地良い雰囲気だった。
やがて爽やかな一陣の風が二人の間を駆け抜けると、アリエラの姿が心なしか薄くなっていた。そしてその現象は緩やかに、しかし確実に進行していく。
「ふふ、そろそろ本当にお別れみたい」
アリエラは笑顔を浮かべつつも、その笑顔はどこか寂しげな色を宿していた。アリエッタとしても、一時期はそのよくわからない存在に恐れを抱いたり思い悩んだりしたが、真実がわかってしまえば名残惜しさを感じてしまうのだから不思議だ。
「もっと僕の中にいてくれてもよかったのに」
アリエッタの偽らざる本当の気持ちだった。ゆっくり話せたのはこの機会が初めてだというのに、もう何年も一緒にいたような気がしていた。そして、そんな存在がいなくなる事に寂しさを感じているのも事実だ。
「あんた鈍くさいけど優しいよね。ネマイラのお爺様とお婆様にもよろしくね。あんたがあたしの代わりやってくれてもいいのよ?」
「さすがにそれは勘弁してほしいかな。でも善処します」
アリエラの冗談めかした言葉にアリエッタは苦笑いながら答える。ジム夫妻にも会わせてあげたかったという想いはアリエッタにもあるし、アリエラも一声掛けたかったという想いが透けて見える。
その間にも確実にアリエラの姿は薄くなっていき、もう全貌を見る事すら難しくなったところで再びアリエラが口を開いた。
「ルビィに気を付けて。彼もう普通じゃなくなってるから」
それだけを言い残してアリエラの姿は風に溶けるように完全に消え去った。それを見届けたアリエッタの頬を意図せず一筋の滴が流れ落ちた。次の瞬間にはアリエッタを眩いばかりの光が包み込み、目が開けていられなくなったのとほぼ時を同じくしてアリエッタの意識も一瞬にして刈り取られていった。
アリエッタが次に気がつくと、オーヴィレンの宿のベッドの上だった。カーテンの隙間から僅かに光が差し込み、その光の強さから朝か夕方だと判断できる。アリエッタの寝ているベッドにはアリエッタの看病をしていたのか、アリエッタの横たわる傍らに突っ伏してエメラが静かな寝息を立てていた。
アリエッタの目尻からこめかみの辺りまで少し湿っていた。
先ほどまでの場面は夢か現実か。アリエッタが今まで感じていた心の奥底で感じた温もりが消えてしまったと感じるのは気のせいなのか、事実なのか。今は確認のしようがなかった。
 




