2話 国境
帝都フィルブトを発ってから約一月半、帝国と王国を分断する国境となるトライランス川の手前まで来ていた。川幅は百メートルほどあり、流れはさほどではないが幼いリフィミィを連れて歩いて渡るのはなかなか難しい。雨季である今の時期は尚更で、いつもより水量も多く流れも今の時期は歩いて渡るなど自殺行為以外の何者でもない。
トライランス川に架かる橋はすべて両国の国境管理の対象となっており、入国管理も橋の両端で行われていた。一部橋のない場所から密入国する事は可能ではあるが、定期的に双方の国境警備兵が巡回をしており、不法入国が発見され次第その場で処分される。帝国と王国は対立状態ではあるが、厳しいチェックを課されるものの人の往来は認められている。間諜が紛れ込む可能性はあるが、結局人の往来を禁止したところでそういった類の者達はどうやっても入ってきてしまう。それであれば人の往来だけは許可して、せめて経済の動きだけでも止めない方が利が大きいと双方判断しての事だ。
「聖女様とそのご一行ですね?お話は伺ってます。どうかお気をつけて!」
橋の手前端に立つ帝国側の国境警備兵はそう言って姿勢を正す。どういったわけか帝国のすべての検問所で話が通っていて、顔を見るだけで特にチェックもなく簡単にアリエッタたちを通してくれるのだ。恐らく帝国上層部が先立って検問所に人相書きを含めた情報を前もって通達していたのだろうが、アリエッタとしてはありがたくも思う反面、少し申し訳ない気持ちになる。
「どうも…お疲れ様です」
何か期待するような眼差しの警備兵にアリエッタが軽く声をかけると、満面の笑顔で見送ってくれた。実のところ、帝国全領域に通達は出ているのだが、"蒼の聖女"出現の噂話はそれ以上の早さで伝わっていて、帝国内で密かにアリエッタ人気が急騰していたりする。ただ、人々の想像、妄想といった偶像が先行しているような状況であり、ある地域では小さな少女として語られ、また別の地域では二十台半ばの大人の女性として語られたりしていた。そんな中、"蒼の聖女"を一目見たい、そんな願望を持つ者は多く、この警備兵もその一人だった。
「なんか、こういう反応はくすぐったいよ…」
「帝国人のボクとしてはアリエッタちゃん見たいって気持ちは痛いほどわかるよ」
「でもこの先は、少し細工しないとダメね」
この先はサーフィト帝国ではなくエルガラン王国となる。魔族に対する扱いも変わり、エメラの言う通り魔族だとわかりきった姿で検問を通るわけにはいかないだろう。
「幻術でちょちょっと誤魔化すよ」
エメラはそう言うと、自分とアリエッタにそれぞれ魔法をかけた。すると二人の耳は人間族のそれと見分けがつかなくなり、髪の色が黄金色に変わった。
「あとガリオルとリフィもね」
さらにガリオルとリフィミィにも魔法をかけると、体の大きな人間族の男性と三歳そこそこの少女にしか見えなくなった。これで人間族四人と妖精一人という構成に見えるようになった。
「エレア、悪いんだけど検問通るまであたしかアリエッタの胸元に隠れててくれる?」
「うん!わかったー」
エメラの言葉にエレアは迷うことなくアリエッタの胸元に飛び込んだ。
「相変わらずアリィ大好きなのね」
エメラはそう言って苦笑いを浮かべた。
一見するとガリオルを父親とした片親の一家といった様相だ。ただ、実際にはガリオルに誰一人として似てない事から、すぐに家族でないことは想像がついてしまうレベルであり、家族という設定にするのは少しばかり苦しい。結局ガリオルとリフィミィを親子にして、アリエッタとエメラは同行する姉妹という設定に落ち着いていた。
トライランス川に架かる橋は頑丈で道幅も大きかった。馬やアリエッタたちの乗るオオトカゲでも問題なく通れるほどの強度と幅があるだけでなく、二方向通行が可能なほど広い。見慣れないオオトカゲにすれ違う人々はかなり驚いているようではあったが、人に飼い慣らされているのを感じ取ったのか、特にそれ以上は気にせず通り過ぎていった。
やがて橋を渡り終わると、今度は王国側の検問が始まる。
検問兵が鋭い目つきでアリエッタたちを見据えて声をかける。
「その大きなトカゲのような生き物は何だ?」
「これはスカウパっていうトカゲの一種で、馬の代わりです」
「見たことないが、ソイツは危険じゃないのか?」
「大丈夫ですよ。ほら」
エメラはそう言って自分のオオトカゲのランドの頬辺りを撫でると、ランドもエメラの手に頭を摺り寄せるような仕草を見せる。
「ふむ、そんなトカゲどこで手に入れた?」
「帝国東部の町で知り合いに譲ってもらったんですよ」
当然のように人間族が使役しないような生き物を連れていれば警戒される。それを予測していたエメラは必要以上の情報は与えず、最低限の受け答えだけに徹する。
その後も淡々と検問兵からの聞き取りが続いていく。
「どこから来た?」
「フィルブトから」
「何の目的で王国に来たんだ?」
「王国北部の古代遺跡を観光しようと思いまして」
「お前たちはどういう関係だ?」
「こっちの若い子はあたしの妹で、向こうのおじさんと小さな女の子は知り合いの親子です」
「ふむ…」
矢継ぎ早に事務的な応酬が続き、一通りテンプレート的な質問が一段落着いたのか検問兵は黙り込んで少しの間アリエッタたちの様子を伺うような素振りを見せるが、次の瞬間には別件の話を始めた。
「特に問題はないな。それでは荷物を確認する」
検問兵はそれだけ言うと、アリエッタたちの同意の返事を待たずに荷物を漁り始めた。特に見られて困るようなものは持っていないが、アリエッタとエメラからすれば衣類、特に下着の類を見られるのだけはさすがに恥ずかしかった。それでも戦時中の国同士で越境できる事を考えれば、これでもまだ緩いくらいだと言える。場合によっては着ている物もすべて脱がされての確認行為があってもおかしくはない。基本的に地球の先進国、特に民主主義国家のように人権に対する考えが発展しているわけではない。国からすれば平民など、その辺の家畜と扱いにそう変わりはない。
「問題なかろう。通っていいぞ」
荷物を一通り確認し終えた検問兵は乱した荷物を整える事もなく、むしろ邪魔だから早く退けといった横柄な態度だ。そんな検問兵にアリエッタは一瞬ムッとするが入国時に騒ぎを起こすわけにはいかず、顔には出さない。荒らされた荷物を纏めて一行はその場を離れる。
「なんなのアレ!?」
検問所から離れるとアリエッタは不満をぶちまけた。しかし、実際に彼らの職務として不審人物や敵国からの間諜や工作員を通すわけにはいかない。となればそれなりの緊張感を保たなければならず、相手の心情などを察する余裕もないのだろう。
「まぁまぁ。あの人たちも悪気があってやってるわけじゃないから」
実際帝国に入った時も同じように横柄な検問兵だった事を考えれば、入国審査をするという業務そのものがあのような態度を取れる者でなければ務まらないのかもしれなかった。
「そうそう。無事に王国入りできたんだしさ、気楽にいこうよアリエッタちゃん」
あくまで行き先が同じだけで、同行しているつもりはないとのアリエッタの意向で一人だけ寂しく検問を受けていたデューンが近付いてきた。いい加減に同行を認めてやればいいのに、とエメラとガリオルは思うが、変な所でアリエッタが頑固さを発揮していて、未だに「勝手に後ろからついてくる」という体を保っていた。
「はぁ…。そうだね」
アリエッタは大きな溜息をつくと、脱力したようにデューンに同意の意を示す。無事に王国入りできたのは事実であったし、商売人でない者の対応にいちいち腹を立てていたら身が持たないと思い直したのだ。
「そうそう。とりあえず当面の目的地は王国の玄関口オーヴィレンね」
実は国境があるからといってその場所に街があるわけではなく、検問兵の宿泊施設があるだけだ。もうしばらくアリエッタたちの野宿の旅は続くため、無事に検問を抜けた一行は足早にその場を後にした。
今更ですが、更新時間を12時から17時に変更してみました。
戻すかもしれませんが、とりあえず様子見したいと思ってます。




