妹は兄の中(1)
妹が死んで一か月が経った。
当時の事を俺はあまり覚えていない。
なんの前触れもなく知らされた俺はあの時どんな気持ちで過ごしていたのだろうか。
親父……は人前でわんわんするようなことはなかったが言葉に詰まる場面は何度かあったしお袋はまさに涙をぽろぽろとこぼしていた。
その他にも妹の死を悼んだ多くの人が悲しみ、時には涙を流していた。
俺は妹とはそれなりに仲は良かったと言える、妹と一緒にゲームをしたことだってあるし、お互いに持っている漫画や本を交換しあったりしたこともあった。
漫画ならともかく読書を趣味にしている友人は俺にはいなかったので俺が面白いと思った本に付いて熱弁したりするのはもっぱら妹だった。
妹もそんな俺の事を無下にしたりせずにそれなりに真面目に俺の話を聞いて「じゃあ私にも貸してよ」と言ってくれた。
自分の好きな物を共有できる妹が俺は好きだった、それは断言できる。
それなのにあの時の俺は全く涙が出てこなかった。
あの時の俺は一体――――。
そこで成瀬結城は目を覚ました。
「…………」
脳裏におぼろげに残っている記憶を思い出しながら寝返りを打つ、目に入って来た景色を見て先ほどの光景が夢であった事を自覚する。
視界に映っているのは適度に片付いてはいるものの綺麗とは言えない部屋、閉められたカーテンからはうっすらと朝の陽ざしが差し込んで来るのも見える。
そんな爽やかな朝の到来を見つつ結城は思った。
――寝るか。
そう思うのも無理はない、今日は土曜日。
部活動も何もしていない結城にとって休日に早起きする理由はない、そう結論付け結城は再び目をつぶり停滞していた睡魔を迎え入れる。
すぐに心地よい感覚が身体へと流れ込んできて確実な二度寝コースへと入ろうとした。
その時。
『おっはよ~!』
底抜けに明るい声で妹が起こしにやって来た。
――いいだろ別に、休みの日ぐらい長寝させろ……。
目覚めが悪い結城には平日に叩き起こしてくれるのは悪くないのだが休日も関係なく大声で叫ばれるのは完全にストレスでしかない。
妹に対してそう言って反論する結城であったが。
『ダメ、私が暇になる』
こちらもまたいつもの様にその一言で一蹴される。
――んじゃせめてあと十分な……。
休日だから平日より遅く起きたくなるのは当然の摂理である、結城は妹へとそんな気持ちをふんだんに込めてそう告げる。
『はいはい、十分だけだからね』
結城のその言葉に妹は素直にそう言って大人しく去っていった。
妹は要望を言えばそれなりに聞いてくれる人間であることを結城は知っている。
それを知った上でその要望を出したのだ。
静かになった室内で結城は再び睡魔に身を委ねようとした。
――のだが寝起きに大声で喋られたせいで先ほどまでの眠気が飛んでしまっている。
「(……やっぱ起きるか))
ベッドから出ずに無駄にゴロゴロしているのも良いのだが寝すぎても頭痛がしてくるしそもそも十分後には妹が起こしに来てしまう。
メリットがあまりないと考えた結城は結局起きる事にした。
ベッドから上半身を起こし、両肩を回して体を動かす。
すると結城が起きたことに気が付いた妹が再び現れた。
『なんだ、やっぱ起きるじゃん』
――うっせ黙っとけ。
起きた瞬間に再び現れた妹が如何にも小馬鹿にしたような口調で言ってくるが冷静に悪態を付くだけにしておく。
無駄に機嫌を損ねて一日中ぐちぐちと言われては溜まったもんじゃない。
パジャマ姿のまま部屋を出てリビングへと向かうべく階段を下りていく、朝から妹とひと悶着あったおかけで階段を下りる足もしっかりと踏みしめることが出来ている。
そして一階へと降りた結城がリビングへと入ると既に起きていた母親が朝食を作っているのが見えた。
「おはよ」
専業主婦である母親は家事全般のプロフェッショナル状態となって我が家を取り仕切っており長期出張が続く父親に代わって子育てをしてきた実績からこの家で最も権力のある存在として君臨している。
などと大事のように説明を行ったが、別に元ヤンキーとかいう物でもなく立派な母親として息子である俺をここまで育ててくれた偉大な人という意味である。
「おはよう結城」
返す返事もいつも通りの様子である、ふさぎ込んでいた時期も少しだけあったが最近になって受け入れたのか以前のような雰囲気を取り戻しつつある。
日中は家に一人となってしまう母親に結城としては父親に傍にいてやって欲しいなんてことを思っていたりもするのだが家族を支えてくれる仕事に養ってもらっている立場からそんな事を言えるわけもない。
ちなみに父親は一か月に家に戻ってきて事がひと段落してからは再び家を空けている。
「今日はコーヒーだっけ?」
リビングのテーブルに腰かけた結城に向かって母親がシステムキッチンの向こうから声を掛けてくる。
「おう」
それに対して結城がノータイムで答える、すると。
『えぇ~……』
妹が心底嫌そうな声を上げた、妹はコーヒーが苦手なのだ。
だがそれに対して引きさがる結城ではない。
――交互だって決めただろ。
『なんでコーヒーなんて飲むのさ……』
――世の中にはコーヒー好きだっているんだっつの。
朝っぱらの騒ぎからひと段落下かと思えば再びそんな言い争いをし始めた兄と妹であったがそんな言い争いも他所にテーブルにはコーヒーの入ったカップが一つ運ばれてくる。
結城はそのカップを手に取ると口元へと持って行って香りを楽しむ、やはり朝はコーヒーに限る。
結城がそんな感想を抱いている中、妹の悪態は留まることを知らない。
『あ~やだやだ……なんで泥水なんて飲まなきゃなんないの……』
――おい、今のは流石に聞き捨てならないぞ。
多少の悪口ならば聞き流す結城だが流石にその全国のコーヒー好きに喧嘩を売る発言にはいちコーヒー好きの人間として当然黙ってはいられない。
ついでに日頃から文句たらたらの妹に不満も溜まって来たころである、結城はこの辺りで一矢報いてやってもバチは当たるまいと考え行動を開始した。
――おしおき開始だ。
でも一応忠告はしておく。
『えっ』
結城の言葉に妹の疑問の声を漏らす、それとほぼ同時に結城は淹れたてのコーヒーカップを手に取り口に近づける。
と同時に妹は切羽詰まった声を上げ始める。
『ちょ! タンマタンマ! 分かった謝るから! ブラックは止めて!』
妹は全力で拒否しているがその声を一切無視して、結城はコーヒーを口へと含んだ。
「おっ、うまい」
「でしょ? 新しいブレンドにしてみたの」
『う……げぇ……』
称賛する結城と母親の言葉の裏で何か聞こえたような気もするが無視する。
結城がコーヒー好きになったのは母親の影響である。
始まりは中二病のこじらせみたいな部分もあったが今となってはそれなりに味の違いは分かるような感じにもなる程度にはコーヒーを嗜む様になっている。
『……なんで苦みと酸味を同時にしちゃうかなぁ、うぇ、気持ち悪……』
一方の妹はコーヒーは全く飲むことが出来ない、妹曰く紅茶派の人間らしい。
別に結城もコーヒーが一番手で紅茶は二番手などと言った事を言うつもりは全くない、だが妹の言葉には賛同できなかった。
妹の紅茶は単なる紅茶ではないのだ。
妹は紅茶が好きと言っておきながら紅茶をストレートで飲むことが出来ないよって砂糖とミルクを入れた甘いミルクティーというのが妹のいう所の「紅茶」であるらしい。
紅茶が好きというわりにそうしないと飲めないとか言い始めるあたりは結城にはよくわからない理論としか言いようがない。
元々甘いものが好きな妹はケーキなどももちろん好きでありそれを食べる時とかもその「紅茶」とやらを飲んでいる物だから結城には甘味×甘味で凄まじい事になっているようにしか見えない。
「はい、朝ごはん」
そんな甘党の妹に朝からブラックコーヒーをぶちかまし、テンションをダダ下げにしたところで母親が焼いたトーストやらスクランブルエッグやらがテーブルに置かれていく。
「頂きます」
メニューがそろった所で俺は手を合わせて食べ始めようとする。
――悪かったって、食べ方は選ばせてやっから、何がいいんだ?
だがそこでフォローせずにほっぽっておくほど手ひどい兄ではない結城は食べる前に妹に食べ方を聞いていく。
『……ジャム』
するとテンションが下がったままでありながら妹は即答した。
「母さん、ジャムくれ」
妹の希望を聞いた結城は母親そう言って冷蔵庫に入っているイチゴジャムを取ってもらう。
「今日はジャムの日なの?」
結城の注文を聞いた母親は少しだけ不思議そうな顔をしながらイチゴジャムを結城に手渡し受け取った結城はイチゴジャムの瓶取って適当な量をトーストに塗る。
まぁこんなもんだろと結城が思い、食べ始めようとした時。
『待った、もっと』
結城がトーストにかぶりつこうとした直前で妹がそれを静止する。
『もっとつけて』
どうやらもっとジャムを塗れという事らしい、だがすでにそえなり量のジャムはトーストに乗っており結城としてはこの量で充分であると感じていた。
『コーヒーの味を消すの!』
疑問を抱きつつ妹の返事を待っているとやや怒声交じりの口調で言われる。
ああそう言う事、そこでようやく理解した結城はジャムの瓶を再び開封し始める。
どうやら鼻の奥の方で残っているコーヒーの香りを妹は消したいらしい、まぁしょうがないか。
後で掘り返されても面倒なので妹の希望に従ってジャムをさらにトーストに乗っけていく、こんなに乗っけねえぞ普通。
『そのぐらいで良いよ』
と妹は言うが正直この量は流石に多すぎだろと結城は思わざるを得ない。
仕方なく食べるがもちろん感想としては甘ったるいとしか言いようがない。
ジャムの液体部分がパンにめっちゃ沁みこんでる上に果肉部分まで乗ってるせいでパンらしさが全然入ってこない。
パンの香ばしさ的なのが完全になくなってるじゃん、そんな事も言いたくはなった結城だが。
『ん、おいし』
――そりゃ、良かったな。
妹は心底美味しそうな声を上げており満足そうだったので言うのはやめておいた。
その後、目玉焼きの白身と黄身がどうだの、コーヒーを最後に飲むのかどうだのでひと悶着あった物の取りあえず騒がしい朝食は終了した。
――で、今日はどうすんだ?
朝食が終了し適度な満腹感を感じる中、結城は妹に尋ねる。
『映画行こう! こないだの新作見たい!』
――はいはい。
妹の言葉を聞いて結城はそそくさと席を立った、そして朝食の後片付けをしている母親に声を掛ける。
「ちょっと映画館行ってくる」
「は~い、一人?」
母親はそれを聞いて社交辞令のようにその質問をする。
それに対して結城はこう答えた。
「もちろん一人だ、俺友人なんていないし」
そんな自虐的な返答をする息子に母親は軽く笑いながら気を付けてね、と返事をした。
――さて、んじゃ着替えていくか。
『うん!』
リビングから出た結城は妹にそう言って自室へと向かって行く。
そして自室。
「えっと……ズボンはどこやったかな……」
パジャマを脱ぎ捨て、下着姿のまま俺は室内で服探しに没頭していた。
『まだ?』
――分かってるっつの、すぐに見つけっから、ああ、あったあった
妹に文句を言われながらようやく服を見つけた結城は次の文句を言われる前にさっさと着替えることにする。
だがあせる気持ちが出てしまったのか、失態を犯してしてしまう。
「えっと上着上着っと……」
ズボンをはき終わった結城がベッドに掛けておいた上着を取るべく手を伸ばした時、勢いよく伸ばしてしまった指がベッドの金具に不自然な形でぶつかけてしまう、要は突き指をした。
「ぐぁ!」
『いだッ!』
指をぶつけたと同時に結城と妹の声が同時に叫ぶ。
だが室内には結城の悶える声だけしか響いておらず、妹の声は一切聞こえて来ることはない。
『何やってんの……痛……』
――す、すまん指ぶつけた……。
『今の私はお兄ちゃんと感覚が一緒なんだから、気を付けてよ……』
――すまん……
改めてその事実を言われた結城は素直に妹に謝罪を行った。
男子高校生、成瀬結城の妹である成瀬結華は一か月前に亡くなってしまっている。
だが何故か死んだはずの妹は兄と一心同体となって現世に戻ってきているのであった。




