表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
想造のファルマコン  作者: 源泉
第二章ガラスの靴を踏み砕く音

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/47

2-9 ガラスの靴を履かせるために

ノートを返し終えた第一王子とその客人の姿が、塔の入口から完全に消えた後。

魔術塔の入り口付近には、静けさが戻っていた。


石床に残る足音の反響が消え、

魔力灯の低い唸りだけが、一定のリズムで空気を満たす。


ベリオン・グラズは、腕に抱えた木箱を軽く持ち直した。


第一王子の客人、ラーナという青年。

この辺りではあまり見ない顔立ち、骨格、髪の色。

それなのに何故か見覚えのあるような不思議な雰囲気。


考えが纏まらぬまま、塔の中へ戻ろうとした、その時。



「――あらベリオン。よかった、ちょうど用事があったの」



背後から声をかけられ、

ベリオンは静かに振り返った。


宮廷の花と称される、第一王子の婚約者――リゼリア・フォン・アルマード。

だが彼女は、香りで人を惑わす花ではない。


ベリオンは、ある国の蛇の話を思い出していた。


毒を持つ獲物を、そのまま喰らわない蛇。

まず地面に擦りつけ、毒を削ぎ落とし、

安全になったところで、ゆっくりと締め上げてから飲み込む。


リゼリアは、

その蛇を思わせる女だった。


危険なものを欲しがり、しかし危険なままでは手に入れない。

——従順になるまで、

息が浅くなるまで、待てる女。


この塔に、彼女が一人で現れるのは、決して初めてではなかった。



「今日はお一人ですか」



ベリオンが淡々と問いかけると、

リゼリアは肩をすくめて笑う。



「たまにはね。

大勢を連れてくると、あなたたちが嫌がるでしょう?」


「研究者は静かな環境を好みますから」



皮肉とも冗談ともつかない応答。

リゼリアは気にする様子もなく、塔の入口へと視線を向けた。



「中で話せるかしら?」



新たに張り直された結界が、淡く光を帯びている。

無許可の侵入を拒む、複層式の防御魔術だ。


ベリオンは一瞬だけ眉を動かした。



「この先は、新しい結界の内側です。

通行許可がなければ――」


「分かっているわ」



リゼリアはそう言って、

懐から一枚の紙片を取り出した。


羊皮紙に近い質感。

縁に施された金の箔。

結界を通るための魔法符だった。



「もう、もらってあるの」



彼女は軽くそれを振って見せる。



「相変わらず、手回しが早いですね」


「研究室への支援をしているもの。

これくらいの融通、何度も利かせてもらっているでしょう?」



それは事実だった。

アルマード家は、この塔の研究に多額の資金を提供している。


ベリオンは短く息を吐き、結界の術式に手をかざす。

魔法符が淡く光り、結界が一瞬だけ揺らいだ。


二人は、その内側へと足を踏み入れる。



人の少ない研究室階層。

廊下の角で足を止めたリゼリアの視線が、

ベリオンの腕に抱えられた木箱へと向けられた。



「それ、殿下の客人から返されたのでしょう?」



ベリオンは肯定も否定もせず、

ただ箱を抱えたまま答える。



「はい、リゼリア様はすでにご存じのようですが」


「殿下に口添えをしてほしいと頼まれたわ」



そう答えながら、リゼリアはベリオンへ一歩近づいた。



「ねえ、ベリオン。

あの客人について、少し調べてほしいの」



即座に、ベリオンは首を横に振る。



「リゼリア様。研究者は便利屋ではありませんよ」


「あら、分かっているわ」



リゼリアは笑ったまま続ける。



「でも、侵入者騒ぎの直後に現れた客人なんて、

少し気にならない?」


「その件については、アルヴィン殿下の申請が

一月前から出ていたと聞いていますが」



事実を並べるベリオンに、

リゼリアは軽く肩をすくめる。



「殿下のことだもの。

そのくらいの手回し、いくらでも出来るでしょう?」



一拍置いて、

彼女は声を少しだけ落とした。



「――ラーナ、と言ったかしら。

あの方、とてもきれいだったわ」



それは、政治的な言葉ではなかった。

純粋な所有欲を含んだ、率直な評価。



「もし侵入者だったなら、捕らえてほしいの。

そして――」



微笑みを深める。



「私が恩情を与えて、侍従として迎えるの。

殿下が侵入者を庇っていたとしたら、少し引け目を作れるでしょう?」



ベリオンは、わずかに目を細めた。



「相変わらず、強欲ですね」


「もちろんよ」



リゼリアは即答する。



「そうやって、アルマード家は大きくなったんだもの」

ベリオンは、リゼリアの言葉を否定しなかった。



彼女は、

侵入者かもしれないとは考えている。

だが――

それ以上の可能性までは、考えていない。


いや、正確には。

考えようとすら、していない。



想造された存在、という仮説は、

彼女の欲望には不要だった。


それは無知ではなく、

選択的な視野の狭さだった。


美しいものを手に入れるために、

都合の悪い可能性を切り捨てる。

それもまた、

彼女やその家系がこの地位まで登り詰めた理由なのだろう。


沈黙が落ちる。


ベリオンは、木箱に視線を落とした。

中に収められたノートを、今この場で開くことはない。



彼は、静かに線を引く。


捕縛はしない。

隔離もしない。

直接の接触も行わない。


――少なくとも、今は。



「調査はします」



ベリオンは淡々と告げた。



「ただし、城内での動向記録のみです。

居場所、接触相手、身体状態、魔力反応。

異常があれば、報告する。それだけです」



リゼリアは満足げに微笑んだ。



「殿下に分かる形の行動は取りません」


「ええ、それがいいわ」



彼女は踵を返す。



「結果が出たら、また教えてちょうだい」



足音が遠ざかり、

廊下に再び静けさが戻る。

リゼリアは踵を返しかけて、ふと思い出したように立ち止まった。



「あら、そうだわ」



振り返らず、独り言のように言う。



「せっかくだもの。帰りに――

アステル様のお顔も、見ていこうかしら」



その声音には、

政治的な含みも、打算もなかった。


ただ、美しいものを見逃したくないという、

純粋で、歪んだ欲求だけが滲んでいた。



ベリオンは一人、立ち尽くしたまま、

木箱を見下ろした。




ヤドクの存在は、まだアルヴィンの庇護の内側にある。

だが同時に。


彼はもう、

“判断される側”に足を踏み入れていた。



静かな研究室の奥で、

見えない秤が、

ゆっくりと動き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ