2-6 その檻は甘くも冷たくも
アルヴィンとヤドクはその塔を見上げていた。
新たな結界が完成し、ここ数日の慌ただしさが収まりつつある魔術塔。
研究塔とも呼ばれるこの高い塔の入口では、許可なき者は中へ入れないと告げられ、二人は足を止めた。
王族であろうと、許可のない者は通さない――
それが、新たな結界の条件だった。
「借りたものを返しに来ただけだから、かまわない」
アルヴィンはそう言って、たまたま入口付近にいたベリオンに声をかけた。
アルヴィンは視線が合った瞬間、ほんのわずかな間があったが、すぐにいつもの穏やかな笑みを作り、ノートの入った木箱を差し出す。
「リゼリアに頼んで借りてもらったものだ」
「事情は分かりました。書庫へ戻しておきましょう」
そう言いながらも、
彼の視線は一度、ヤドクへと滑った。
露骨でも、疑うでもない。
ただ、目に留めるという行為だけ。
ヤドクはその視線に気づいたが、何も言わず、愛想よく立っていた。
城の客人として教え込まれた所作を、過不足なくなぞる。
別れ際、ベリオンはもう一度だけ、ヤドクを見る。
「……珍しいお客様だ」
独白に近い声音だった。
怪しい、とは言わない。
判断も、まだしない。
ただ、記憶に留めた。
アルヴィンは一瞬だけ眉を動かしたが、何も言わず、ヤドクを促してその場を離れる。
二人の背が遠ざかっていくのを、
ベリオンは見送った。
——書庫へ向かう足は、動かなかった。
木箱を抱えたまま、
彼の視線は、城の中へと消えていった“客人”の残像を追っている。
一方上階の研究室の空気は、妙な静けさを帯びていた。
修理の終わった装置は、すでに稼働待ちの状態にある。
魔力供給ラインも安定し、数値も問題ない。
アステル自身が何度も点検している。
(ベリオンの修理に不備があるわけはない、それはわかっているが)
実験再開に必要な条件は、すべて揃っていた。
それでも、再開の指示は出ていない。
――止めているのは、自分だけだ。
「安全確認がまだだ」
「精度に納得がいかない」
「もう一度、計測をやり直す」
アステルは同じ言葉を、違う相手に、違うタイミングで繰り返していた。
周囲の研究者たちは修理の出来に納得している。
本来ならば何も問題はないのだ。
だが、アステルの中には拭えない違和感があった。
あの夜、確かに何かがあった。
ミオリが限界を越える魔力を流して【想造】を行ったことは、もはや否定できない。
何を【想造】したのかは、問題ではなかった。
問題は――なぜ、だ。
【想造】は、想い造る力。
望んだものを、この世界に再現する。
だが、ミオリは覚えていない。
自分が何を思い、何を願ったのかを。
理由が分からなければ、同じことが繰り返される。
そして次は、取り返しがつかない事が起きるかもしれない。
その恐怖に近い危惧が実験の再開を拒んでいた。
しかしそれをいつまでも引っ張ることはできない。
【想造士】の力は国のもの。
それを研究し有効に使うことが自分たちの役割。
ふとアステルが顔を上げると、近くにいた研究者と目が合い、相手はばつが悪そうに笑った。
「すみません、室長。未だにこの部屋では、窓から時計台を見て時間を確認してしまうんですよ」
時計台。城の敷地内にあるものだが今は動きを止めている。
アステルは自分の後方に窓があったことを思い出し納得すると、懐中時計を取り出して時間を告げる。
蓋を閉じる音が、静かな研究室に小さく響いた。
その音と同時に、
時の止まったような部屋にいる彼女の姿が、脳裏をよぎる。
そこで、管理者からの言伝を頼まれたものから通路へ呼び出される。
内容は【想造士】への実験再開。
「装置、結界、【想造士】、全て復帰しているのなら速やかに再開するように、との言伝です」
「彼女は私が管理している」
アステルの思考は冷静だった。
「状態を把握しているのも私だ。他の者が口を出す必要はない。
再開が可能と判断したらこちらから知らせる」
理由も、研究者としては合理的だ。
だが、主語はすべて――「私」。
「ミオリは――」
その名を呼びかけたところで、言葉が止まる。
一瞬だけ、呼吸が乱れた。
「……必要な存在だ」
そう続けて、アステルは視線を伏せた。
伝令のものは一礼して去っていく。
必要。
だが、それが研究のためなのか。
国のためなのか。
それとも――自分のためなのか。
結論は、言えなかった。
言葉にしてしまえば、何かが壊れる気がした。
気づけば、手の中で懐中時計を強く握りしめている。
その冷たい感触が、現実をつなぎ止めるようだった。
与えられた役職ではあるが、
彼は守っている。
彼女を、確かに。
だが同時に、
彼女を“自分の管轄”に閉じ込めてもいる。
善意だけで形作られた、歪んだ独占。
そのことに、アステル自身だけが、まだ名前を付けられずにいた。




