第11話(4)
「Blowin’も初めは売れないバンドでした」
「知っている。けれど売り方が悪かったんだと僕は知っていた」
「Opheriaが、売り方が悪くないと言い切れるんですか」
「……ほう」
広田さんが、面白そうな声を出す。コンソールに肘をつき、軽く握ったその手を頬に当てた。軽く寄りかかるように体を傾ける。
「Opheriaが売れないのは売り方が悪いからだと」
「……」
「仮にそうだとしよう。ではどうすれば良いか教えてもらえるか?」
そんなこと、売り戦略を練ったことのない俺がわかるわけがない。
わかるわけがないけれど、俺でさえわかることがある。
Opheriaには、最初の時点で過ちがあったんじゃないのか。
「……そもそも、演奏も出来ない人間を集めてバンドを作ろうと言うのが間違っていたんじゃないのか」
「その通りだよ。わかってるんじゃないか」
「なら……」
「それを今更どうしたら売れると言うんだ?」
俺の言葉を遮るように、広田さんが畳み掛けた。
「これ以上未来に可能性がないとわかったものを、売り続けるほどバブルじゃない」
「だったらッ」
思わず、怒鳴った。
試しにやってみる、けれどやっぱり駄目だったで切り捨てようと言うその姿勢は許されていいのか?――人は、バンドは、物じゃない!!
『製品』を試作してみて駄目だったらその『製品』を捨て、試作を土台に新しく物を作ることは出来るだろう。けれど、バンドは物じゃないんだ。失敗したら、それで人生が滅茶苦茶になる人間が出て来る。……そう。近藤美月のように。
「やってみたのはそもそもあなたじゃないか!! 自分で始めた間違いなら、その間違いが間違いじゃなくなるまで責任を負うのがあんたの仕事じゃないのか!?」
俺の言葉に、広田さんは面白そうに微かな笑みを浮かべた。頬を乗せ掛けた手を外し、腕を組む。
「一理あるな。そう。確かに失敗したのは僕だし、些細な遊び心から始まった企画ではあった。けれど、軌道修正している余裕はない。……Opheriaは売れないよ」
「……」
「もう、手遅れだ」
俺のジャケットを握る上原の手に、力がこもる。俯いていくのが感じられた。広田さんは、視界に上原を収めていないように続ける。
「他のアーティストの才能や努力で稼いだ資金を、無駄に食い潰していくアーティストを置いてはおけない。現実だ。……間違いに気がついたら、早めの段階で手直しをしなければ、共倒れになる」
「……ふざけるなッ」
俺の言っていることは、綺麗事か?
ビジネス上の理論を言えば、広田さんの言っていることは間違っていないのかもしれない。マイナスを排出し続ける部分があれば、企業はそれを切り落とす。プラスに貢献する部分があれば、そこに力を入れる。そうしなければ、企業と言うバケモノが肥え太っていくことは、出来ない。
けれど……。
そうして切り捨てられるのは、『人間』だと言うことがわかってるのか? あんたたちからすれば『商品』に過ぎなくても、そのひとつひとつが、ひとりひとりの『人間』なんだってことがわかってるのか!?
そんなやり方でやってきたのだと言うのなら……やって、いくと言うのなら。
俺は、ついていけない……ッ。
これ以上、俺自身も、そして上原のことも、ここに任せてなんておけない。
「人間を商品としか見なしていないような考え方なら、俺にはついていけない。人は物じゃない。そういう考え方でやっているのなら、俺はッ……」
「あたしッ……」
咄嗟に上原が俺の言葉を奪い取るように叫んだ。
「あたしッ……良いですッ、やめても……。だって、売れないの、確かだし。が、頑張っても駄目なら、あたし……Blowin’とか他のバンドさんとか、迷惑……かけ、らんないし……」
泣くのをこらえているのが、わかる声だった。けれど、精一杯の自分の意志を伝えようと言うように、ただただ必死な気配だけは伝わってきた。
上原の言葉に、広田さんがゆっくりと立ち上がる。ジャケットのポケットに両手を突っ込んで、息をついた。
「まったく」
そして困ったように頭を掻いた。
「……これじゃあ僕はひどく悪者だな」
悪者以外の何だと言うんだ。
俺の刺すような視線を物ともせずに、広田さんは目を軽く伏せて、小さく微笑んだ。
「誤解している、と最初に言っただろう」
「誤解って、どこがッ……」
「聞きなさい。……Opheriaを潰す、とは言った。それは確かだ。君たちが聞いているとも知らずに誤解を招くような言い方をしたのは悪かったと思うよ。けれど、君たちはその先を聞いていない」
その先?
「Opheriaを潰したとしても、Opheriaのメンバーを放り出すとは言っていない」
「……じゃあ……」
「組み直しだ。それぞれの、それぞれに合った売り方を考える。全てウチで引き取るかどうかはわからないけれどね。例えばアイドルとしてやり直すのなら、双方の希望が合えば余所のプロダクションに移籍させるかもしれないが。その辺は追い追いじっくり考えていくさ。何も今すぐにと言う話でもない」
「……上原は」
広田さんの視線が上原に向く。
「飛鳥ちゃんは、ウチに残って欲しいとは思っているよ。僕は」
「……けど……」
弱い声を上原が出した。
「飛鳥ちゃんは、バンドじゃない。アイドルでもなく、ソロシンガーとして出せれば良いと思ってる。飛鳥ちゃんさえ良ければ、その辺についてはまた改めて、じっくり打ち合わせをしていこうと思っているんだが、それじゃあ駄目かな」
広田さんの言葉に、俺は目を見開いて顔を上げた。
(そういう、ことだったのか)
Opheriaの売り方はもう考えられないけれど、Opheriaのメンバー個人の売り方を考えると……そう言う、話……。
「あ……俺……」
『踏み台』と言う言葉にかっとして先走ってしまったことに気づき、俺は右手で口元を覆いながら俯いた。後先考えていなかったことに恥じ入る。
「……すみません。俺……失礼なこと……」
「別に構わないさ。本音だろう」
そうだけど。
「本音を言える方が良い」
無言の俺に苦笑を浮かべた広田さんは、気まずいままの空気を払拭するように殊更明るく、さらりと言った。
「ああ、そうだ。彗介くん。亮くんに、ライブの日にち待ってるよと伝えてくれるかな。そう言えばわかるから」
「……Grand Cross」
「知ってたのか」
「さっき。……わかりました」
「うん、よろしく。飛鳥ちゃんのギターの指導も引き続き頼むよ」
言って広田さんは、ディレクターズチェアに再び腰を下ろしてくるりとこちらに背を向けた。……知ってたのか。
「……失礼します」
レコスタを出て、きっちり扉を閉めると、目元を片手で覆ってため息をついた。
広田さんを、いつの間にか色眼鏡で見ていたんだろうか。遠野の一件から、そういうフィルターで見るようになったのは間違いない。
「ごめんな。上原」
「え?」
「少し、先走ったみたいだ、俺」
「そんな。あんな言い方されたら誰だって……」
失礼だったな、俺。
でも、そう……それ以上に、何より。
「如月さん……」
ずっと俺のジャケットを掴んだままだった上原が、ようやく手を離して心配そうに俺を見上げる。
何より……上原を傷つけるようなことになりそうだったのが、嫌だったんだ。
「上原、さっき、俺が言おうとしたこと、気がついただろ」
上原を促してCstへ足を向ける。スタジオに入り、ため息をついた。
「……だから、遮ったんだろ」
「だ、だって……駄目だと思ったの。Blowin’は、やめちゃ駄目だと思ったの」
懸命に言いながら、上原が防音扉を閉めた。それを背中に感じながら、苦笑いが漏れる。
馬鹿だな、俺。
Blowin'のことも考えずに「これ以上ここにいられない」なんて、口走るところだった。
その意味を良く考えもせずに口走ろうとするほど、許せなかった。
……何で、なんて、決まってる。
(俺……)
上原のことが、好きなんだ……。
もう、自覚しないわけには、いかないだろう……。認めないわけに、いかない。
「さんきゅ。助かった。頭に血が上ってた。……Blowin’に迷惑をかけるところだった」
今頃気づくなんて、本当に、馬鹿だな、俺。
「き、如月さん」
自嘲交じりに前髪に片手を突っ込んでため息をついている俺に、上原がどこか迷うように口を開いた。
その声に、振り返る。
「え?」
「あのー……」
「……何だよ」
「どうしよう? 抱きついちゃいたいような気がする」
……。
「は!?」
そ、そんな赤い顔でそんなことをカミングアウトされた俺はどうすれば良いんだ? この場合。
つられて俺まで赤くなる。
「何言って……」
「だ、だって!! う、嬉しかったんだもんッ。あんな、凄い本気で怒ってくれて、その……Opheriaのことで……」
それは、だから、お前のことが……。
「だ、だから……」
……。
「上原」
「……」
「……おいで」
ドアを背にしたまま、俺は微かに片腕を伸ばした。
キャラじゃないほど鼓動を速く感じて、どきどきしている自分が一層、照れ臭い。
「……早くしろよ、恥ずかしいんだから」
「お、おいでって言われると行きにくい」
「じゃあ来んな」
「ひどい」
言いながら上原が俺に近付いた。そっと俺の背中に手を回す。その華奢な背中に俺もそっと腕を回した。
その温もりが、この世界中の誰よりも愛しく思える。
もっと強く抱き締めたいような気がして、けれど力を入れると壊れそうで怖くて……壊さないように、そっと。
頭ひとつ近く低い上原の頭が、俺のちょうど口元に当たり、ふわふわとしたその髪の毛が少しだけ、くすぐったい。
「ありがとう……」
「……俺、勘違いして先走っただけだし」
心臓の鼓動……上原に伝わってしまっているんだろうか。ちょうど俺の胸元に上原の頭が位置してるってことは……伝わってるんだろうな。
俺の腕の中にいるのに、俺のものじゃないことが、心のどこかに微かな痛みを感じさせる。
「嬉しかった。本当に」
「……」
「如月さん、どきどきしてる」
「……そりゃするよ……。俺、スタジオで何してんだろうって思うよ」
「誰かに見られちゃうかなあ」
「誰も、いないよ……」
しばらく、そうして上原を腕の中に抱き締めていた。上原も黙ったまま、俺の胸に顔を埋めていた。
(今、伝えたら……)
好きだと伝えたら、どうなるんだろう。
上原にとって俺って、何なんだろう。
このままずっと腕の中に閉じ込めていたくて、離したくなくて、込み上げる想いを口にしようか躊躇っていると、俺の胸に顔を埋めたままの上原が口を開いた。
「ねえ……」
「うん?」
「……何か恥ずかしくて顔合わせらんない気がして、離れるのが難しいんだけど」
「……自分から言い出したくせに、そんな相談を俺にしないで欲しいんだけど」
ヘンなオンナ。
思わず小さく吹き出すと、う〜……と腕の中で上原が唸りながらもぞもぞと動いた。ぱっと、上原の背中に回した両腕を開く。上原が顔を上げた。
「変な奴」
「なッ……何でよッ……」
「普通いないだろ、自分から、付き合ってもない男に『抱きつきたい』とか言う女」
「わ、悪いッ!?」
「セクハラと紙一重」
あちこちでこれやるんだったらタチが悪いような気もするけれど。
俺にだから、ま、いいや。
「上原らしくて良いんじゃない」
俺の胸から離れながら、上原が尚、赤い顔を上げて俺を睨む。
「セクハラと紙一重なのがあたしらしいって言うわけぇ? ……その前に、セクハラって何よ。セクシュアル・ハラスメントって嫌がらせのことじゃないのよ」
俺はそれを聞いて、今度こそ本当に、吹き出した。
こんな嫌がらせ、確かに嫌がらせにはならないだろう。
むくれたままで俺を見上げる上原の頭を、俺はまだ笑ったままで、ぽんぽんと撫ぜた。
「……あちこちで、やってくれるなよな」
◆ ◇ ◆
このところ、『12月は忙しい』と言うのが恒例になってきているような気がする。
数年前までは、年末と言ったって、自分たちでライブハウスを押さえたりしてライブをやるくらいがせいぜいだった。
やっていたバイトも、年末に向けて忙しくなる種類のものとは少し違ってたしな。……飲食店である『EXIT』に年末が無関係と言うのもいかがなものかとは思わなくもないけれど。
だいぶ話はそれたが、ここ2年ほど12月に行っていたツアーが今年はなく、正確に言えば1月に予定をしていて、つまるところはレコーディングと取材と年末特番に加えてゲネプロを行っていると言うのが今年の12月のBlowin'だ。