第11話(1)
ヘッドフォンを外して肩を回すと、アシスタントエンジニアの宮本さんがトークバックで言った。
「じゃあ流します」
その声が途切れてすぐ、俺がたった今弾いていたギターのソロが流れ始める。それを聴いて俺は、眉を顰めた。うーん、どうなんだろう……さっき録った方が良いんだろうか……。
只今アルバムのレコーディング中である。通算にして13曲収めるアルバムの内、これで10曲目だった。
通常のギターパートは既に録音済みであり、今やっているのはオーバーダビングでギターソロパートである。アドリブで何パターンか録ってみて、最も流れにそぐう良いソロを選定しましょうと言うわけだが、主観と客観では意見が違うことも間々、ないではない。
「……どうでした」
音が止まり、俺はコントロールルーム内にいる長谷川さんに問い掛けた。スタジオに長谷川さんの声が流れる。
「僕としては2テイク目がイチオシかなあ……亮くん、どう思う?」
長谷川さんの後ろに座っている遠野が何か言っているが、声が遠くてあまり良く聞こえない。
「……だって」
長谷川さんの声が戻ってくる。……いや、だから俺には聞こえてないんだってば。
「何です?」
「あ、ごめん。聞こえてなかった? 亮くんもテイク2だそうだよ」
うーん。テイク2か……俺的にアルペジオが何か綺麗にいかなかったような気がするんだけどな……でも遠野が良いって言ってんだし、そうなのかな……どうなのかな……。
俺が逡巡しているのが伝わったらしく、長谷川さんが小さく笑った。
「もうワンテイクいってみる? ちょっと休憩挟むか」
「……はい」
「じゃ、こっちおいで」
ギターをスタンドに戻してコントロールルームへ戻ると、なぜかそこに広田さんがいたので驚いた。
「あれ? おはようございます。いらしたんですか」
「おはよ。テイク2の途中から見させてもらってたよ」
嫌だな。
遠野が俺に缶コーヒーを放ってくれたので受け取りながら、俺はあいている椅子に腰を下ろした。
「調子良いみたいだね、Blowin’は」
昨年末の騒ぎなど忘れたように、悠長な顔で広田さんが言った。長谷川さんが、ディレクターズチェアをぐるっと回して、コンソールの上の煙草に手を伸ばす。
「そうですね。頭のイギリスも良い音とれましたよ」
「腕も上がってるみたいだし」
広田さんと長谷川さんが話すのを何となく聞きながら俺が煙草を抜き出して指先で玩んでいると、遠野がキャスター付きの椅子でずるーっとこっちへ移動してきた。
「テイク2、気に入らん?」
「うーん……真ん中ら辺のアルペジオ、微妙じゃない?」
「んなことないよ。綺麗だよ」
「そうかなあ……。テイク2って抑え目な感じのような気がして……何かもっとバトる風のがかっこ良くない? スピード感ある方がいいかも……」
「俺と?」
「そう」
そんなことをごちゃごちゃと小声で話していると、広田さんが腕時計を覗き込んで立ち上がった。
「じゃあ亮くん、例の件よろしくね。こっちで適当に引っ張ってくるから。ライブ情報とかあったら教えてもらえればそれで勝手にやるんで」
「あ、はい。わかりました」
新人アーティストでも発掘するんだろうか。遠野の友達か誰かなのかな。
広田さんが出て行って、俺はもうワンテイク録ってはみたが、遠野と長谷川さんの奨励により結局テイク2が使われることになった。
その後、他にいくつかオーバーダビングを済ませ、7時過ぎに俺は伸びをしながらレコーディングスタジオを出た。
これから遠野のギターのオーバーダビングが始まるので、一応見ているつもりはあるんだが、ずっと籠もりっ放しだったから外の空気を吸いがてら、なくなり始めた煙草の補充だ。なぜかレコーディングをしていると必要以上に煙草の本数が増えて、あらゆる意味で健康上宜しくないような気がする。
(小銭って持ってたっけ……)
何だか体が固まってしまったような気がして、軽く肩を回しながら階段に足を向けながらそんなことを考えていると、視界の隅で人の気配を感じた。何気なく足を止めて振り返ると、階段の脇にあるトイレからちょうど出て来た上原が目を丸くして俺を見ていた。
「上原……」
「……如月さん」
この事務所は1階、2階と階段のすぐ脇に男女それぞれのトイレがついているのだが、3階だけはない。
元々3階だけにはなく、1、2階のトイレがある場所には以前は会議室があった。現在はリハーサルスタジオになっている。よって3階で作業している人間は概ね2階のトイレを利用することになる。
あまりに思いがけず久しぶりの遭遇に、俺と上原はお互い凍りついた。……何なんだ、このぎこちない空気は。
「久しぶりだな。……この前ほどじゃないけど」
「うん」
にこっと微笑む。が、その笑顔がどこか、寂しげな表情に見えて俺は首を傾げた。
「……どうしたの?」
「何が?」
「何か」
「……それじゃわかんない」
もっともだ。
「元気だったか」
がらにもなく、少し、どきどきしていた。何だろう。どこか、緊張しているような気がする。心臓が高鳴っていて、うまく笑えない。……何だよ。そんな必要、どこにもないじゃないか。
なのに、見下ろした上原の儚い笑顔に、胸が痛いような気がした。上原が、そんな俺の心情には気付く様子もなく、頷く。
「如月さんは、どうしてた?」
「俺も別に……適当に。今何してんの?」
「今? 今って今?」
「……どっちでも良いけど」
俺のいい加減な答えに、上原は額を人差し指でかきながら、ええとね……と一生懸命な表情になった。
「Opheriaはね、シングルのレコーディングの練習とかずっとやってて……年末に、いくつかライブもやろうって言ってて」
「へえ。良かったじゃん」
自分たちで演奏は出来るようになったんだろうか。
「それで、ホントの今の今あたしが何してるかって言うとね、あのね、笑わないで欲しいんだけど」
「うん」
上原は、俺を上目遣いに見上げた。
「ギターのね、練習を上でひとりでやってて」
「……はい?」
上原が複雑な顔をして俺を仰いだ。……何だか、また綺麗になったような気がする。上原はどんどん綺麗になるな……どうしてなんだろうか。
『EXIT』で働いていた頃の、どこにでもいる普通の女の子だった上原は、大人になるにつれて少しずつ綺麗で華やいだ空気を匂わせるようになっていっているように見える。それは少し、遠くなっていっているような寂しい気持ちを湧き上がらせた。
「馬鹿にしてる?」
「馬鹿にしてるんじゃなくて、素朴に何でそんなことしてるんだろうって思ってる」
「あのね、亮さんみたいに、歌いながら時々ギター持ったりとかすることになるかもしれなくて」
……また、広田さんの思い付きだろうか。その前に、他のメンバーの演奏力をどうにかしたらどうなんだと言いたい。
「ふうん……。で、ひとりで練習してるの」
「そう」
「……」
俺は片手をポケットに突っ込み、空いている片方の手で顎を撫でた。自分のスケジュールを少し、考える。
「何時までやってんの」
「とりあえず今日は、10時くらいまでは頑張ろうかと思ってる」
「……付き合ってやろうか」
「え!?」
俯きがちだった顔を、上原は驚いたようにぱっと跳ね上げた。
「ででも……悪いよ」
「別に空いてる時間なら……。ま、今すぐは無理だけど」
「そんな。大丈夫だよ、無理しなくても。悪いよそんなの」
「……どうしても俺がいると邪魔だとか役に立たないとかだったらやめるけど」
「……だから誰もそんなこと言ってないじゃんよ」
あきれたように言った上原の顔は、先ほどまで漂わせていたどこか寂しい色を払拭した、何だか見慣れた感じでほっとした。零れるような笑顔が好きだとは思うけれど、案外こんな表情も結構好きだったりする。
「でも、本当に良いの? 今レコーディングで忙しいんじゃないの?」
「まあ、でも俺今自分のオーバーダブ終わったし。今日はこれ以上録りないから。今遠野がギター録ってるから絡み上それはやっぱ見とかないとなんないけど、それ終わったらそっち行くよ」
「……良いの?」
俺は頷いて微笑みかけた。
「いいよ。これでも仮にもギタリストだから少しは足しになるかもよ」
「そんなッ……あたし、如月さんのギターは大好きだもん」
「……ギターって限定しなくても良いけど」
「……あたしがこの会話の流れで突然『如月さん大好き』とか言ったら、やっぱりどうしたのかと思うでしょ」
思わず顔を見合わせる。どちらからともなく小さく吹き出した。俺より一瞬先に、上原が体を翻して階段に足を掛ける。俺を振り返って、笑顔を見せた。
「じゃあ如月さん、待ってるねッ」
「うん」
答えてひらりと手を振る。上原の笑顔が、素直に嬉しかった。
◆ ◇ ◆
遠野のギターのオーバーダビングが終わって、休憩を挟んでから次はヴォーカル録りということになったので、俺は8時半過ぎには2階のレコーディングスタジオを抜けて3階へ上がった。
そう言えば、どこのスタジオにいるのか聞いてなかったな。と言うほどいくつもスタジオがあるわけじゃないから、いーんだが。
今更だけど、2階の通称『Blowin’の巣』のリハスタはAst、その隣、今俺たちが使用しているレコーディングスタジオは1stという名前がある。3階に上がって2階と同じ位置にあるレコーディングスタジオは2st、隣のリハスタがBstで、その向かい……他のフロアではトイレにあたる、階段を上ってすぐの場所にあるリハスタはCstという。
とりあえず、2階の要領で何となく俺は真っ直ぐBstに行った。灯りがついているのが見える。
が、窓から中を覗いてみると、中にいるのはMEDIA DRIVEだった。西村が俺に気付き頭を下げる。俺も頭を下げ、BstとCstの間の通路で反対側を振り返った。
Bstとは少しずらした位置にある窓から中を見ると、こちらに背を向けるような形で上原が椅子に座りギターを弾いている姿が見えた。
その小さな背中に、なぜかふと胸が痛む。
彼女をこの世界に引きずり込んだのは、間違いなく俺だ。
けれど、少なくとも現段階でOpheriaは、誰も知らないと言うほどではないけれど、鳴かず飛ばずという感がある。
初っ端で、ちょっと異様なくらいメディアに露出していた分、地味に続けているMEDIA DRIVEなんかと比べれば知名度はあるかもしれないが、しっかりとファンを掴んでいるかと言う意味で言えばMEDIA DRIVEの方が確かだろう。
……このままでは、Opheriaは遠からず潰れるんじゃないか。そんな気がする。
出会った頃、上原はまだ未来に悩んでいた。
まだ、高校生だった。
俺と出会わなければ、上原は果たして今頃何をしていたんだろうか。
もしかすると、大学行ったり専門学校に行ったりアルバイトしたり……わからないけれど、そんな普通の生活をしていた方が幸せだったのかもしれない。
ぼんやりと、近藤美月の末路を思い出した。
高校生くらいから芸能界に入り、音楽をやり、潰れ、それでもこの世界にしがみ付いていた彼女は、自分が女であると言うことを使わざるを得なくなっていった。挙句追い詰められ、世間に叩かれ、唯一の拠り所だったはずの恋愛をも失い、自殺を考えた。
この世界にいなければ、それほど追い詰められるようなことにはならなかったはずだ。元々綺麗な人なのだから、周囲から守られ愛されて生きていくことだって可能だったろう。けれど、あの結末だ。
一歩間違えれば、上原がそうならないとは限らない――そんな世界に、俺は彼女を引きずり込んだ。
望むと望まざるとに関わらず、俺と出会ってしまったことが上原の運命に大きく影響したことは間違いないだろう。
それは、果たして良かったのだろうか。今の段階ではまだ、わからないとしか言えないのだけれど。
そして今、上原はその背中にOpheriaというグループの責任のほとんどを、背負うような形になりつつあるように見える。上原の歌だけが、Opheriaの存在を支えている。俺からは、広田さんがその流れを徹底的に利用しようとしているように思えてならない。
俺は、遠野の一件から広田さんに対する信頼が薄くなっていた。
仕事は出来るのだろうとは思うし、音楽に対する造詣も多分、並大抵の人間よりあるんだろう。
けれどその……人に対する、人との間に築くものが。
……俺がそう感じる『広田さんの何か』が、上原を傷つけなければ良いのだけれど。
そんなことを考えてぼんやりと突っ立っていた俺の視界の中で、上原がゆっくりと振り返った。窓越しに俺の姿を見つけて目を見開く。そのまま口をぱくぱくと動かした。
防音なのでもちろん声が聞こえるはずもないが、察するに「如月さん、来てたの?」とか「何してるの?」とかそんなところだろう。確かにこんなところからぼーっと中を覗いていたんじゃ……ただ怪しい。
俺はバツが悪くなり、無意味に髪をかき上げながら入り口へ回った。防音扉を押し開ける。
「何してたの?」
予想通りそんなふうに問われて、俺は返答に詰まった。
「見学」
「何を見て学んだの」
「上原の生態」
「……そう簡単に学ばれちゃうほど浅くないと思いたい、あたしの20年間の軌跡」
あれ? 20年……そうか。
扉を閉めて上原に近付くと、ストラップをつけたまま剥き出しで持ってきたギターを近くのスタンドに立て掛けた。
「誕生日……5月だったんだっけ」
じとりとした視線が俺に向けられる。
「……如月さんがいかにアスカに関心がないか、よぉくわかった」
なぬ?
待て待て。それは誤解だろう。
これだけ常日頃気にかけているのに、これで関心がないと言うことになると……その他の人々は俺の視界にさえ入っていないことにならないか?
そうは思ったが、そうも言えず……結果として俺はぼそりと「そんなことないけど……」と言うのが精一杯だった。
仕方ないじゃないか。誕生日なんて覚えるようなタチではないんだから。そんなものを覚えている相手と言えば、同級生で俺と誕生日が3日しか違わない最初の彼女くらいのものだ。
「あーあ、あたし如月さんから『おめでとう』の一言が欲しかったなあー。あーあ、ハタチだったんだけどな」
「……お前だって別に俺の誕生日なんか覚えてないだろ」
分が悪いような気がしてぼそぼそとチューニングしながら言うと、上原は座ったままびしっと俺に向けて指を突き出した。
「9月3日」
え、何で知ってるんだよ。俺、言った覚えないぞ。
「あのねえ、自分の職業わかってるの、如月さんて」
何も言わず無言で上原を見つめていると、上原があきれたように言った。
……自分の職業。
一応ミュージシャン、と言うことになってはいると思うんだが。正式には何だろうか。自由業? それとも事務所に所属して給料をもらう態勢である以上は会社員ということになるんだろうか。




