第10話(5)
「オススメのお店があるよ。ローストビーフとても美味しい」
「……」
正直言って、ロンドンに来て何に辟易したって、食事だ。粗食に慣れている俺にしてさえ……。
……。
……ま、いーんだが。
「日本の人連れて来てあげると喜ぶよ」
その言葉に期待することにしよう。
メインストリートを逸れ、細い路地に入る。少し歩いたところでジョンがふと足を止めた。『CROSS ROAD』という看板がかかっている。ドアのところに『CLOSE』の札が出ていた。
「休みか……」
ジョンが呟いて再び歩き出す。遠野が首を傾げた。
「休みだったの? その店」
「今のはヴェニューね」
首を横に振りながら答える。……ヴェニュー?
「プロの人もアマチュアの人も演奏する。お客さんはみんなビール飲んだりしながら聴くよ。あまり大きくない会場」
つまりライブハウスだ。こちらではヴェニューと言うらしい。
「さっきの『CROSS ROAD』は、その……ヴェニューなわけ? 行くつもりだったの?」
重ねた遠野の問いにジョンは笑顔で否定する。
「ノー。『CROSS ROAD』ボクのお気に入りのヴェニュー。時々行く。音が良いし、良いバンドが出る。だからここ通るとチェックするのが癖」
なるほど。俺は今来た道を振り返った。『CROSS ROAD』の看板がまだ微かに見える。前に向き直りながら、思った。……瀬名が働いているのも、ああいうヴェニューなのだろうか。
気がつけば、瀬名のことを思い出すことがめっきりと減っていた。自分の中でどんな変化があったのかは、良くわからない。
ただ、さすがにロンドンに来てからは、何度か瀬名のことが頭を過ぎる。気持ちに整理がついたんだろうとは言え、あれほど好きだった彼女がいるはずの街に来て思い出さないほど、淡泊じゃない。
詳しい情報があるわけではないから、具体的にどこにいるのかまでは知らないし、もしかするともうPAをやめている可能性だってないわけじゃない。日本に戻ったのかもしれない。けれど、俺の中の瀬名はいつでも一生懸命夢に向かって突っ走っていて、あきらめた姿が想像出来ない。
偶然にでも会ってみたい気がするのが人情だろう。
「瀬名ちゃんもああいうトコでやってんのかね」
同じことを思ったらしい遠野が、俺を振り返って小さく笑った。微笑んで応えながら、空を仰ぐ。
蓮池や千夏と同様に……元気にやっていてくれるなら、それで良い。
いつか、会えることもきっと、あるだろう。「元気か?」とお互いに笑い合えれば、それがお互いにとってベストなのだと思う。
「彗介。店あったってよー」
いつの間にか先に進んでしまっていた2人を追って、俺は走り出した。
◆ ◇ ◆
「ねえ。忘れらんない人がいるの?」
イギリス滞在の2週間はあっと言う間に終わり、あちらでのレコーディングの出来はかなり満足のいくものだった。今後、デヴィッドにその気さえあれば、コンスタントにお願いしようかなどと言う話も出ている。
もちろん他の曲もレコーディングしなきゃならないわけだけれど、とりあえず日本に帰ってきて昨日今日と2日間のオフがあった。
帰ってきてその日、時差ボケに苦しみ明け方にようやく眠りについたと思ったら昼過ぎに暇をもてあました遠野の来襲を受けた俺は、遠野を放り出してひたすら眠り続けた。
おかげで今は、荷物の整理でもしようかという気になっている。俺と同じスケジュールのはずの遠野は何であんなに元気なのか、不思議で仕方がない。
(懐かしい夢、見たよな……)
俺を襲撃した遠野は勝手に部屋の中をあさり、アルバムに整理されずに紙袋に突っ込まれたままの写真を発掘した。
その中に、たった1枚だけ俺の手元に残った瀬名の写真が入っていたのだ。ライブハウスでミキシングコンソールに向かう瀬名の写真。今も、遠野が出したままテレビボードの上に置いてある。
その写真のせいか、ひどく懐かしい夢を見た。あの頃――俺と瀬名が付き合っていた頃の夢だ。ロンドンに行って、度々瀬名のことを思い返していたせいもあるだろう。
……懐かしく思い返せるほどに、過去になったんだろうか、と言う気がする。
「そのネタはどこから仕入れたの」
どこから住所を入手したやら、木村が俺の部屋を襲撃しておもむろに言った言葉に答えながら、俺はスーツケースの中身を床にばらまいていた。
「別に……どこだっていーじゃん」
いいけどさ……。
「……そんなことないよ」
「本当に?」
「お前に嘘ついて俺にメリットあんの」
シンプルに言うと、木村は不貞腐れたような顔をした。
「……あたし、彗介のお嫁さんになりたいなあ」
また滅茶苦茶なことを。
木村は多分、俺と言う人間を余り良く知らないんじゃないかと思うんだが。
「パス」
「悩めよ」
ばすっと頭を殴られながら俺は立ち上がった。寝室へ行く。
「いやーん。そんないきなり」
何の話だ。
「あのね。俺、イギリス帰りでとっても疲れてんの。用がないなら帰って良いよ」
寝室のクローゼットに洗濯済みの着替えを収納しながら言うと、木村が怒ったような声を出した。
「迷惑なわけ」
ああ、やっぱりわかるだろうか。
「……で? 何で?」
「何が」
今度は未洗濯分を抱えて風呂場へ移動する。洗濯カゴに放り込んでリビングへ戻った。
「忘れられないって」
「別に……そういう話聞いたからじゃん」
「だからどこから仕入れるんだよ。大体何でそんな話してんの」
俺をネタにすんなとか思ったりする。
「また聞きだけど」
「うん」
「ある大御所タレントがそう言ってたって。彼女作らないのは忘れられない人がいるからだって。何か今海外にいるとか」
……すげーリアル。
「誰それ。大御所タレント」
木村が挙げたのは俺も昔からテレビで見かけたタレントだ。ちなみに会ったことはない。
「何で俺が会ったこともない人が俺を噂すんだよ」
「人気者じゃん」
そういう問題なのか?
内心複雑になりながら、噂にもなるらしい『俺が忘れられない人』とやらを浮かべた。瀬名……なんだろうな。つーか、どこから漏れるんだよ。
そりゃあ確かに同じ音楽業界、彼女も現役で働いているのなら誰かとどこかでニアミスがあったっておかしくはないんだろうし、誰かと親しいスタッフとの接点ならもっと増えるかもしれないが……だからってなあ。
「心当たりあんの?」
「何が」
「忘れられない人」
「……別に」
「んでさあ」
木村がずいっと膝を進める。
「広瀬紫乃と付き合ってんの?」
今自分で、俺が誰とも付き合わない理由とやらを俺に説明してなかったか?
「……別に」
面倒臭くて先ほどと同じ答えを簡潔に繰り返す俺に、木村は頬を膨らませた。
「それじゃわかんない」
いいよ、わかんなくて。
思いながら、ふと広瀬の顔を思い出した。自分から上原の現状に触れた広瀬の少し寂しそうな顔。
……俺は、彼女に悪いことをしているんだろうか。
広瀬に、いい加減にしているつもりはない。けれど彼女から見れば俺はどっちつかずだろう、多分。
そう思ってから、上原が脳裏を過ぎる。
雪の中の上原の笑顔。あの笑顔が、未だ胸に焼き付いて、忘れられない。
荷物を片付ける手を休めて、ぼんやりとテレビボードの上に置いてある、上原がくれたチョコレートのバスケットを見つめた。
……上原の笑顔が見たいな。あいつ、元気にやってるだろうか。
「あーッ」
ぼんやりしていると、木村が唐突に大声を上げた。一瞬意識が飛んでいたので、びくりと体を震わせる。
「な、何だよ……変な声出すなよ」
「これ誰ッ」
木村が手に取ったのは、案の定、テレビボードの瀬名だった。
「どっかのライブハウス?」
「……」
「誰?」
一体どうして俺は彼女でも何でもない木村に、こうも問い詰められなければならないのだろう。疲労も手伝って、さすがにいらいらしてくる。
「あのなあ。誰でもいいだろ。それより俺、ホント疲れてんだ。これ終わったら俺もう寝るし、帰って欲しいんだけど」
「……うー」
さすがに俺が本音で言っているのがわかったらしく、木村は上目遣いに俺を睨み上げたが溜め息をついて立ち上がった。
「わかった。帰るね」
「うん。悪いな」
「またね。お邪魔しました」
木村が出て行くと、俺は木村がテーブルに放り出していった瀬名の写真をしみじみと見た。
胸にこみ上げるのは、懐かしさ。多分、それ以上でも以下でもない。
会いたいとは思うが、昔の友人に会いたいと思うのと……きっと、差は、ない。
(……本当に、終わったんだな)
俺の、中でも。いつの間にか。
長いこと、忘れられなかったけど。
忘れられるか不安だったけど。
それでも、こうして確実に終わっていくものなんだな。痛みを乗り越えた時、人は新しい誰かの居場所を、心の中に用意する。
……新しい誰か?
瀬名が綺麗に過去になったのは、経過する時間が自然に淘汰してくれたものなんだろうか。
それとも……俺の中に、新しい誰かの存在がいるからなのか?いるんだとしたら、誰なんだろう。
広瀬? ――好きになれそうだとは思った。けれど、これだけ一緒にいるのに何かが違う。
(……上原?)
浮かんだ考えを、俺はまた、自分で押し出した。
(あんまり、考えない方が良い……)
考えたく、ない。
何故だろう。上原のことを思うと、いつもそうだ。いつも自分で否定をする。受け入れることを拒絶する。
(俺……)
なぜかを考えて、俺はそっと目を見開いた。
――受けた傷から必要以上に目を逸らすことも、多分しちゃいけないんだと思いますしね
俺は……。
……自分から、誰かを好きになることを、怖がっているのかもしれない……。




