第10話(4)
「別に。何だよ、その、変な遠慮」
何も気にしていないような上原の笑顔が少し癪で、そっけなく答えると、上原は「へっへー」とからかうような笑顔を俺に向けた。
「だーかーら。帰りましたー。えへへ。如月さん、ギター持ってるとかっこいいのになあ」
限定をするなよだから。
「褒めるかけなすかどっちかにしろ」
「ライブ、凄く良かった。ホントに」
「……今度からは当日に聞かせてくれ」
「うん。言えたらね……」
ぱたぱたと足を動かしながら、上原が微かに顔を俯かせる。
「誰に聞いたの、ライブ」
「思音さん」
「ああそう。北条と連絡なんて取ってるんだ」
そう言えばスキーの時も、妙に懐いている風ではあったよな。
「ごはんに連れてってくれた」
「……ふうん」
吸っていた煙草を灰皿に放り込み、空になったパッケージを潰してポケットにねじ込むと、俺は自動販売機の方へ足を向けた。ふと思い立って、こっちを見送っている上原を振り返る。
「何か飲むか」
「ううん。もうすぐ小早川さんが迎えに来ると思うの」
ああ。それでこんなところでぼけっとしていたのか。
また、ビジュアル系の仕事だろうか。
今度……広田さんに、それとなく聞いてみようか。――Opheriaをどうするつもりなのか。
「あ、そう」
「ありがとう」
煙草の自販機に金を突っ込みながらそんなことを考えていると、こちらをじっと見ていた上原がまた口を開いた。
「紫乃ちゃん、デビューするんだってね」
「え? ……ああ。らしいな」
「……おめでとう」
購入した煙草を取り出しながら、その言葉に、なぜか胸に鋭い痛みが走る。顔を上げて無言で上原を見ると、上原は何かを言いたそうに、けれど何も言わずに顔を伏せた。
上原の言葉の意味が、わからない。
「……何で、俺に言うの」
「え、だって。如月さんだって嬉しいでしょ? 紫乃ちゃんだったらきっと、心配ないもんね」
どうして。
そう、思い、そしてそれを自分で否定する。
どうしてじゃない。……上原が俺と広瀬をどう見ているのかは、俺だってわかっている。そう思わせたままで放っているのは俺なんだから、そう言われたところで仕方がないだろう。
仕方がないけれど……。
「俺は、広瀬よりお前の方が心配だ」
「え?」
「広瀬がいなくなって、Opheriaは大丈夫なのか」
このままOpheriaが潰れていくんじゃないかと思うと、俺が不安になる。上原を引きずり込んだことが、心に重く圧し掛かる。上原が、傷つくことになるんじゃないかと思うと何かしてやりたいと思うのに、実際には何をしてやれるわけじゃない。
煙草のパッケージを剥いて上原の座るソファの方まで戻った俺に、上原が何か答えかけたところで事務所のドアが開いた。生温い空気が入り込んできて、Opheriaのマネージャーの女性が入ってくる。
「ああ、飛鳥ちゃん。お待たせ。如月さん、おはようございます」
「おはようございます」
「それじゃあ飛鳥ちゃん、行こう」
「あ、はい……」
彼女の言葉に立ち上がった上原は、なぜか少し複雑そうな顔をして俺を見上げた。その間にマネージャーが慌しく再び外に出て行って、上原が俺を笑顔で見上げた。
「じゃあね。如月さん」
俺のすぐそばを通り過ぎていく。上原の中の、誤解を解くことが出来ないまま。
そうしてまた、きっとしばらく会うことがなくなる。
「上原」
そう思ったら、口を開いていた。ドアの方へ歩き出しかけていた上原が、俺を振り返る。
「何?」
「お前さ」
「うん」
きょとんとあどけない顔で俺を見る上原に、伝える言葉に迷った。
「広瀬……」
言いかけて、言葉に詰まる。
何て言うんだ? 俺と広瀬は別に何でもないって唐突に言うのも、ひどく妙じゃないか。上原にとっては俺と広瀬がどうだろうが関係ないわけで、別に聞いてないって話だろう。
それに何より、広瀬を傷つけることになりはしないか。……なるだろう。広瀬の耳に実際に入るとか入らないとかって言う問題じゃない。曖昧な態度を繰り返してきて、ここで上原に対して否定だけをするのは、卑怯じゃないか。広瀬に、失礼だ。
そう思ってしまえば、それ以上言葉が出なかった。上原が訝しげに俺を見ている。
「……何でもない」
結局、飲み込む俺に、上原は首を傾げた。伝えられない言葉を問い返されることを避けて、俺は笑みを作り上げると片手を振った。
「何でもない。……仕事、頑張って」
「あ、うん、ありがとう」
どこか不審な顔をして上原が出て行くと、事務所の中は、遠く蝉の声だけが聞こえる静寂になった。すとん、とソファに座り込んで、額を片手で覆う。
もう、これでまたしばらく、会えないんだろう。
その間に、池田との関係も、何か進展があるかもしれない。
(だからって、関係あるわけじゃないだろ……)
そう思うのに、なぜか苦い。
……自分で、自分の気持ちが、わからない。
◆ ◇ ◆
「遠野、お前どーすんの」
ホテルの窓から外を覗きながら尋ねると、ベッドで布団に埋もれていた遠野がくぐもった声を出した。
「……寝かして」
8月に入って、Blowin'はレコーディングの為にロンドンへ来ていた。海外レコーディングは初めてで、気分が変わるのはもちろんだし、テンションも何だか変わる。
何でそういう流れになったのかと言えば、例の楽曲にブラスだの何だのを入れようと言う話が次第に大掛かりになり、気がつけば「オーケストラ入れたらいんじゃない?」にまで育ったその提案を、以前お世話になったイギリスのサックス奏者ジョン・ウィリアムスとその友人のイギリス人レコーディングエンジニアのデヴィッド・ジョーンズが「オーケストラ紹介するから、こっちで録りなよ」などと具体化してくれてしまい。
結果としてBlowin'はロンドンの著名なオーケストラにご協力なぞ頂き、数々のイギリスロックバンドを手懸けるエンジニアにレコーディングしてもらうことになっていた。元々イギリスロック好きな俺としては、感無量だ。
全曲こっちでやるわけではなく、ロンドンで録るのは3曲である。
期間にしてこちらには2週間ほどの滞在予定となっており、今日はちょうど1週間が過ぎたところ――中休みという形になっている。
藤谷はとっくに長谷川さんとつるんでどこかへ行ってしまったようだし、北条は、一応あれでも女性なので部屋にずかずか入るわけにもいかず、何をしているかは知らない。俺は出かけるつもりで一応遠野の部屋に寄ってみたんだけれど。
「……あ、そう。了解」
肩を竦めて部屋を出ると、俺はホテルから出て伸びをした。朝、俺が起きた時は雨が降っていたのだが、今は嘘のように晴れている。デヴィッドに聞いた話では、こういう天気は珍しくないらしい。
俺はホテルからすぐの大きな通りを、駅に向かって歩き出した。
どこに行きたいという目的があるわけではないのだが、俺たちがいるこのホテルはロンドンの南部にあるフィンスバリーという場所で中心部にほど近い。あちこちあてもなく歩いても楽しいかもしれない。俺は適当に辺りを歩いてみることにした。
学生時代、成績が底辺をさまよっていた俺はもちろん英会話など出来ない。遠野なんかも成績は似たり寄ったりだったが、器用貧乏と言うか器用富豪と言うか、ロンドンに来るにあたって勉強してみたなどと言って多少話せるようになっているあたり……俺とはやはり根本的に違う。まったく出来るやつは何をやらせてもこなしてしまうものだ。
とりあえずどうしたものかと思って駅で悩んでいると、ぽんと肩を叩かれた。振り返るとジョンが笑顔で立っていた。
「ジョン……」
「ハイ。ケイスケ。何してる?」
ジョンは日本語が話せる。俺は思わずほっと息をついた。見知らぬ土地、しかも言葉も通じない国で知った顔に会うと安心する。
「どこか行ってみようかと思ったんだけど……どうしようかと思って」
「カンコウ?」
「ま、そんなところ」
「アキラは?」
「寝てる」
俺の答えにジョンは、顔を顰めて首を振った。
「起こそう」
「は!?」
起こそうって……。
「せっかくオフ。ケイスケ外国にひとり、寂しい。ボクが案内する。アキラも一緒に行く方が楽しい」
……寂しくないです、別に。
思わず苦笑する。遠野と同じくらいの身長のジョンの顔は俺より高い位置にあり、俺はその彫りの深い顔を見上げた。
「俺、ひとりで平気だよ」
「駄目。みんなで一緒に遊ぼう。カズヒロとコトネ何してる? 寝てる?」
すたすたとホテルの方へ歩き出しながらジョンが言った。
「いや、藤谷は出掛けたみたい。北条は知らないけど」
ホテルに戻り、俺は先程と同じように遠野の部屋をノックした。……と言うよりはドアを殴りつけたと言う方が正しい。ノックしたくらいで起きるわけがないのだ、あの男が。
しばらくガンガン叩いていると、やがて中でごそごそと音がして、内側からガチャンとロックを外す音がした。ぼさぼさ頭の寝呆けた顔をした遠野が顔を出す。
「何〜……? あれ。ジョン。モーニン」
それだけ言うと、ひらりと手を振って踵を返す。のそのそとベッドへ潜り込んでいった。……おい、こら。
「ノー、アキラ」
ジョンが足早に近づいて布団をはがす。布団の中でまるまっていた遠野は、布団をはがされてますます縮こまった。
「やーめーてー」
「今からケイスケ連れてカンコウ行く。アキラも来た方が楽しい」
「おーれーはー!! 寝てる方が楽しい!!」
「楽しくない。起きて」
約10分ほどもそんな攻防戦が繰り広げられ、俺が飽きてホテルのパンフレットを眺め始めた頃、ようやく観念した遠野が外出の準備を始めた。洗顔し、しゃこしゃこと歯を磨きながら、恨めしげに俺を見る。
「何でジョンを連れて戻って来たんだよ」
「別に連れて戻って来たわけじゃない。俺がジョンに引っ張って来られたんだ」
パンフレットに目を落としたまま答え、ふと目を上げる。
「そう言えば北条は」
「……今まで幸せに夢の世界をさまよっていた俺が知ると思うの」
それもそうか。
「内線かけてみれば」
洗面所へ姿を消しながら遠野がくれた助言に従って、受話器を取り上げる。1度、2度とコール音が続くが一向に取り上げられる気配がない。どうやらいないらしい。どうだ、と言うように俺に視線を向けるジョンに肩を竦めて応じ、受話器を戻す。
「いない?」
「いないみたいだな」
遠野が準備を終えるのを待って外へ出た。俺も遠野もロンドンは初めてなので、ビッグ・ベンとか典型的なロンドンの観光場所を案内してもらい、すっかり旅行気分を堪能して最後にハイバリー・イスリントンと言うところに連れて来られた頃には、もう辺りは暗かった。