第5話(2)
照れながらも幸せそうに、藤谷が頭を掻いた。秋という女性と付き合いだしてから藤谷はすこぶる幸せそうで、見ていて羨ましくなると言うか、むしろ微笑ましくなる。メンバーが幸せそうなのを見るのは悪くない。
「へえ。旅行ね……」
「あんまり人のいないところとかだったら……2人で歩いたりしてても、ゆったり出来そうじゃないですか」
さすがにこのところ、俺や藤谷、北条の顔なんかもちらほら売れてしまったので、そうそう気軽なことが出来なくなっている。そういうことを言っているのだろう。
「なるほどね……」
妙に感慨深げに遠野が呟いたところで、スタッフが入ってきた。Blowin’が遅刻魔だということは既にスタッフ側も熟知しているので、集合時間よりほぼ30分ずれて他の人たちも集まる習慣がついてしまっている。
「おはよーございます」
「おはよー」
「おはよーございますー」
集まってきたスタッフに、俺は背筋を伸ばした。会議が始まる。
絶対に、成功させたいライブだ。
配られた資料に目を通しながら俺は心の中で小さく呟いた。
(絶対、一生忘れられない日になる……)
◆ ◇ ◆
会議が終わり、自分でラジオ番組を持つことになった遠野が収録の為ラジオ局へ移動してしまい、他のメンバーは解散になった。会議室を出て、俺は伸びをしながらロビーのソファに座り込んだ。
「お疲れっすー」
「お疲れー」
今日はこの後、昔のバイト仲間と飲みに行く約束をしていて、まだ少し時間がある。どこかへ行くには短く、もう出るには早いと言うハンパな時間なので、俺はここで時間をつぶすことにした。
挨拶をしながらスタッフやメンバーがいなくなると、急に辺りが静かになる。暇なので、俺は誰かが置き忘れたらしい雑誌を取り上げた。読者層の広い男性向け週刊漫画雑誌だ。俺はあまり漫画は読まないので馴染みがない。
ほとんどなくなりかけている缶コーヒーを口に運びながら、パラパラと内容が全く理解不能なそのページを繰っていると、事務所の外で複数の女性のざわめき声が聞こえた。近付いてくる。顔を上げると、Opheriaが入ってきたところだった。フルメンバーでいるのは多分初めて見るんじゃないだろうか。
上原と並んで入ってきたのは、この前のすらりとした女の子だ。ソファでぽかんとそちらを見つめている俺に気がつき、ぺこりと頭を下げた。他のメンバーもつられたように頭を下げる。
「おはよーございますー」
「お疲れ様ですー」
「……お疲れ様」
何かこう……女子校にでも紛れ込んだ気分。
上原は少しだけじっと俺を見ていたが、他のメンバーと同じようにぺこんと頭を下げて通り過ぎようとした。このところどうしているのかを聞けるかと思ったので、少し、焦る。
おいおい。この前からこの態度はなんなんだ?
「上原」
雑誌をテーブルに放り出して声をかける。通り過ぎて階段に向かいかけていた上原が、足を止めた。他のメンバーは構わず、階段を上っていく。
「はい」
はいって……。
「……久しぶり」
表情が硬い。何だろう。ひどく不自然な空気感だ。
「久しぶり……」
「どうしたの? 何かこの前から様子が変な感じなんだけど」
「別に、そういうわけじゃないけど……」
もごもごと口の中で言うと、上原はちらりと俺を上目遣いで見た。
「何でもないなら別に……いいんだけど」
「……うん」
何でもないんだろうか。……いや、でも大して話したりしているわけじゃないから、怒らせるようなことをした心当たりも確かにないと言えばない。
でも……。
(元気、ないよな?)
とは言え、本人がそう言うものをそれ以上突っ込むのもどうかとは思うだろう。
「シングル聴いたよ」
迷って、とりあえず無難な話を口にする。俺の言葉に上原は顔を跳ね上げて、大きな声を上げた。
「え!? ど、どうだった?」
「上原の歌、良かった。耳に残る感じで」
「ホント?」
ようやくにっこりと微笑んでくれる。俺が何か悪いことをしたのかと少し気になったので、ほっとした。笑顔が見れたことに、安堵をする。
「うん。楽曲は……もっと良いのもらえれば良かったのにって感じだけど」
「そう言わないでよー」
「だって、上原の歌を楽曲が落としてるよ。……そのうちもっと良いのもらえればいいな」
「うん……」
唇を薄く尖らせる。そんな上原を見て、俺は思わず何気なく言った。
「……そのうち、俺が曲提供しようか」
「え!?」
いや、本当に思いつきで言ってるだけなんだけど。
「歌詞、上原がつければいいじゃん。やってたんだから、出来るだろ」
「え、でもあたし、如月さんの曲に歌詞つけられる自信ないよッ」
「何で」
「如月さんの曲、かっこいいもん。何か、歌詞だけださいとかなっても……」
整えられた眉毛を寄せて、視線を床に落としながら上原がもじもじする。
「困ったら一緒に考えればいいさ」
「え!? い、一緒に?」
「……つっても、俺、歌詞ってつけたことないけど」
「あ、でも凄いやりたい、それ!!一緒に曲作りたい!!」
両手の拳をぎゅっと握り締めて、上原が力いっぱい言った。何だかその様子が可愛くて、小さく笑う。
「ま、いつかな。勝手にこんなこと言ってると、著作権とかそういうの……面倒くさくなりそうだから、そのうち誰かにちゃんと話通してみよう」
「ホント!? 約束ね!!」
「うん」
本当に嬉しそうな顔をするので、何だか俺も嬉しくなった。上原は本当に感情表現が素直だよな……。かと言って、喜怒哀楽が激しいというタイプでもないので、人を安心させるんだろう。
「演奏はまあまあ良かったけど……みんなゴーストなんだっけ」
「はは、そう。でもみんな女の人なんだよ」
「へえ……」
そうか。広瀬も女性だし……って、あのシングルは広瀬じゃなくて、その前のサポートだった人だろうか。
「ファーストシングルのあの曲の時は、広瀬じゃないんだ?」
「え?」
何気なく言うと、上原の顔から笑顔が仕舞いこまれるように消えた。……?
「ああ、うん。まだ、佐久間さん……前のキーボードの人がいて……あれはまだ、違って……」
「ふうん」
「……如月さん」
「え?」
何か真面目な響きがあったので、上原の顔に視線を戻す。上原は何か窺うような表情で俺を見ていた。
「如月さんって、紫乃ちゃんと……そのう……仲良いの?」
「……」
仲が良いの?っていうのも微妙な質問だよな……。
「別に。CD貸し借りしてるくらいだけど」
そう言えば、さっき広瀬いなかったな。
「今日は広瀬は? いなかったけど」
「Opheriaの撮影だったから……紫乃ちゃん、正式メンバーじゃないからそういう時はいないよ。何か千晶ちゃんのバックの件で会議あるとか言ってたから……」
答えかけた時、2階でドアの開く音がして複数の人間の足音と話し声が聞こえた。2階のどこかで会議が終わったんだろう。
「あ、あたし煙草買うから先行く」
聞き覚えのある声が響いた。広瀬だ。
上原が、微かに強張ったような表情で階段に目を向けた。その視線の先を、パタパタと軽快に広瀬が降りてくるのが見える。
「飛鳥ちゃん、おはよッ」
「おはよ」
「あ!! 如月さん!!」
上原に挨拶をした広瀬は、ソファの上に俺の姿を見つけて意気込んで駆け下りてきた。何だ何だ。
「お疲れ」
とりあえず声をかけると、駆け寄ってきた広瀬とは逆に上原がすっと俺のそばを離れる。
「じゃあ……あたし……」
「え? あ……うん」
引き止める理由もないので、頷く。広瀬と入れ違いに上原は階段に足をかけた。
「SPINA FARM、来日するって知ってたですかッ」
え!?
「嘘。まじで?」
思わずソファから立ち上がる。広瀬は目をきらきらさせながら、うんうんと勢い良く頷いた。
「ちっちゃいコヤで、インディーズレーベルが招聘してやるらしくって、あんまし宣伝打ってないですけど。実はチケットが手に入って!! で……」
勢い良くしゃべっていた広瀬が、そこでいったん口を閉ざした。その視線が、僅かに階段の方へそれる。ほんの、僅か。
「あ……その、良かったら、あげます」
……はい?
その一瞬の後、作ったような笑顔でそう言われて、少し面食らう。今の勢いで「一緒に行こう」とか言われるならともかく、広瀬も好きなのに俺がもらっちゃうわけには……いかんでしょう……。
「何で? 広瀬行かないの?」
「あ、いや、ほら……如月さん有名人だし、不特定の女といたらまずいわとか……」
「……別に、そもそも俺、特定がいないし」
どうしてそんなカミングアウトをしなきゃなんないんだろう……。。
「都合悪くないなら一緒に……」
言いかけて、ふと思った。逆に、広瀬って彼氏とかいたりするんだろうか。だとすると……俺は良くても広瀬が良くないよな。
「広瀬、彼氏とかいんの」
「え? あ、あたしは……」
階段を降りてくる足音。広瀬が言葉に詰まった。
「紫乃、何して……お疲れ様です」
降りてきたのは、どっちかって言うと小柄な、結構キツそうな顔立ちの若者だ。俺は誰なのか知らない。
「……行ってるぞ」
ぶっきらぼうに言って早足でいなくなる。彼が通り過ぎるまで言葉を失っていた広瀬は、何だか微妙な微笑みを浮かべて俺を見上げていた。
「ええとー……ヒロセ、いないです」
「あ、ああ、そう……?」
何だったんだろう、今の微妙な間は……。
「したら、一緒に行こうよ。都合悪くなければ」
「あ、全然……けど、その、いいですか?」
「だって、広瀬も行きたいだろうに、俺がもらっちゃうの悪いし」
「そんなこと……」
「俺も気が引けるし……。仕事の都合がつけばだけど」
俺の言葉に広瀬は、最初の勢いとも急減速したのとも違う顔つきで、どこか照れ臭そうにへへへ……と笑った。
「迷惑じゃなければ、ご一緒させて下さい」
◆ ◇ ◆
9月の半ばにあったSPINA FARMのライブはとても良かった。
俺も広瀬も仕事はもちろんあったのだが、何とか周囲に頼み込む形で時間を空けた。会場はキャパ300人くらいのライブハウスで、オールスタンディングなので気兼ねすることもなく楽しむことが出来た。他人のライブに行くのが久しぶりというのもある。
このテのライブに来るような人種は、俺のようなメジャーアーティストのファンと言うのはあまりいないと思うのだが、面倒なのも嫌なので客電が完全につく前に俺と広瀬はライブハウスを抜け出し、車へ戻った。しばらく2人とも沈黙のまま、自分の世界に沈み込んでしまう。
SPINA FARMというバンドは、海外のインディーズという極めてマニアックな存在なので、そうそう来日することはない。俺の記憶によると、俺が中学生くらいの時に1度来たくらいである。もちろん、目の前でライブを見るのは初めてだった。俺の音のルーツとも言えるバンドが目の前にいるというのは……凄い。
「……どう、でしたか」
しばらくして助手席の広瀬が尋ねた。ハンドルに突っ伏すようにしたまま、顔だけ微かに広瀬のほうへ向ける。
「……言葉にならない」
「はは」
「広瀬は? どうだった?」
「同じ、です。何か……凄いって思う音があって、あの人が――その音の先に誰かの姿が、見えて。それがあの人なんだって言うか、そこにいるのが、信じられない感じで。その……存在が。この世にいることが。……うまく、言えないけど」
しどろもどろな感じで、けれど一生懸命広瀬が言った。小さく微笑む。
「うん。わかる。俺も、そういう感じ」
「あ、でも……」
広瀬は急いで顔を上げた。
「あの、如月さんもそういう感じ、あるです」
……はい〜?
「俺が?」
「はい。何か、そこにいるのが、不思議な感じで」