23 約束(レオンハルト)
婚約者を無事に追い返したと報告すると、4つ歳下の主は大仰な溜息を吐いた。
「もうあいつの顔を見るのも嫌だ。絶対に婚約を解消してやる」
普段は王太子として大人びた振る舞いをしているものの、こういう時は年相応に見えた。何と言っても、クレメンス殿下はまだ11歳の子どもだった。
「それはわかりましたから、私に対応を押しつけないでいただけませんか」
「下手にメイドか誰かをやったら、八つ当たりであいつに何かされるかもしれないだろ。だが、さすがにおまえ相手では何もできないはずだ」
「ご自分できっぱり仰ればよろしいでしょう」
「代わりにコルネリアに会いに行く時間を増やしてやっただろう」
「別に頼んでおりません」
「だったら、今後は会うの禁止な」
「承知いたしました」
少々イラっとしたものの、顔に出したつもりはなかった。だが、クレメンス殿下は眉を寄せた。
「そんな殺しそうな顔で睨むなよ。冗談に決まってるだろ。コルネリアが楽しみにしている時間を奪うつもりはない。ほら、さっさと行ってこい」
クレメンス殿下が追い払うように手を振った。
彼女は本当に私に会う時間を楽しみにしているのだろうか。私にはまだよくわからないが、彼女の弟がそう言うのなら信じてもいいのかもしれない。
クレメンス殿下が姉を大切に思っていることは間違いない。
母が呼ばないからと代わりに姉を「コルネリア」と呼び、姉の話をする時は柔らかい目をする。
婚約者を毛嫌いするのも、彼女が姉に対してほんの一瞬蔑むような視線を向けたことに気づいたから。
クレメンス殿下に礼をしてコルネリアのもとに向かいかけた時、ふいに「レオンハルト」と呼ばれて振り返った。クレメンス殿下は真剣な表情で私を見つめていた。
「私はおまえを信じているからな。おまえになら姉上を任せられる。だから、早くこの狭い王宮から連れ出して、ずっと側にいて守ってくれ。頼んだぞ」
なぜクレメンス殿下は私にあんなことを言ったのだろうか。
後から思えば、まるで遺言のようだった。ご自分がもうすぐ死ぬことなんて、知るはずもなかったのに。
コルネリアとフロリアン殿下、さらに数十人分の足音が遠ざかっていくのを聞いている間、執務室に残った10人の似非騎士は私たちに剣を向けたままだった。
体はそこそこ鍛えた様子だが、あまり剣の扱いに慣れている感じはない。それでも、私は動かずじっと待った。
合図は、外から勢いよく開いた扉だった。
そこから抜き身の剣を手に飛び込んできた騎士は3人。同時に私は自分に剣を向けていた男の手首を捻ってそれを奪い、すぐにもう1人の剣を叩き落した。
執務室を取り戻すのに要した時間は思いのほか短く済んだ。流血さえほぼない。
10人の似非騎士たちはそれぞれ2人1組で後ろ手に縛りあげた。
「フロリアン殿下は重臣方を謁見の間に集めています。王太子殿下もそちらに連れて行かれたようです」
騎士の報告に、私は頷いた。
「私たちもすぐに向かおう」
奪った剣をそのまま持って行くことにして鞘も拝借して腰に差すと、執務室から駆け出した。
王宮内はそろそろ明かりが灯される頃合で、陛下が未だ帰還なさらないのが気になっていた。
陛下は一度はこちらの提案を呑んでくださった。だが、あの後で考えを翻し、やはりコルネリアを排除してフロリアン殿下を王太子に就けようと画策なさっていないとも限らない。
もちろん、そうなる可能性は以前から検討していた。場合によっては、フロリアン殿下だけでなく陛下に対しても強行手段を選ぶことになる。
謁見の間に飛び込むと、すでに多くの文官たちが集まっており、その周りを騎士と似非騎士が囲んでいた。
コルネリアの姿は見えないが、おそらくは玉座の近くにいるのだろう。
私も人々の間を縫ってそちらに向かい進んでいった。
その時、謁見の間に凛とした声が響いた。
「皆、すでに聞いたことと思うが、王太子クレメンスは6年前に亡くなった。それからクレメンスを名乗っていたのは私、コルネリアだ。皆を騙していたこと、心から申し訳なく思う。すまなかった」
そこでしばらく間が空いた。人々の隙間から、頭を下げるコルネリアの姿がわずかに覗けた。
コルネリアは顔を上げると、再び言葉を紡いだ。
「だが、私はクレメンスの代わりとして、真摯に王太子の役目を果たしてきたつもりだ。そして、これからも陛下のもと、皆とともにこの国と民のために尽くしていきたいと思っている」
揺るぎない声と迷いのない表情、堂々とした立ち姿。ドレスを着せて王女に戻したところで、もはや彼女から王太子としての風格も責任も取り払うことなどできないのは明らかだった。
「どうか私を、第一王女コルネリアを、王太子として認めてほしい」
集まっていた人々はしばらく静まっていたものの、やがてコルネリアを支持するという声が上がり、それが部屋中に広がっていった。
コルネリアは自分の道を決めた。彼女の前にその道を示したのは私自身なのだから喜ぶべき場面なのだが、泣きたい気分になった。
父が望むようにコルネリアをこのまま女王にまで押し上げることがこの国のためだということは、側近として一番近い場所で彼女を見てきた私が誰よりも理解している。
だがその一方で、コルネリアを国王になどしたくないと考える自分も確かに存在していた。
コルネリアの賢さも、真面目さも、純粋さも、可愛いらしさも、本来なら私だけが知るもののはずだった。
それなのに、私はこの国のすべての民と彼女を共有しなければならないのだ。
ーー全部あなたのせいですよ。
この6年で、いったい何度本来の主であるクレメンス殿下を恨んだかわからない。
クレメンス殿下さえ生きていれば、コルネリアは物静かで控えめな王女のまま、今頃は私の妻になっていただろうに。
とは言え、己の意見をはっきりと口にし、平気な顔で私に反論してくるコルネリアを否定するつもりはまったくない。
昔のままのコルネリアならありえなかったであろう、強い眼差しにまっすぐ見つめられることも、「レオンハルト」と呼ばれることも、すでに私の大切な日常だ。
だからこの先も、私はコルネリアが進む道を並んで歩くだけだ。
ーークレメンス殿下、あの約束は半分しか守れそうにありません。仕方ないでしょう。あなたの姉上は殿下や私が思っていたよりずっと強く美しい方だったのですから。
「おまえは何を勘違いしているんだ。勝手なことをするな」
特に張り上げたという様子もないのに、フロリアン殿下の声もよく通った。
「王太子になるのは俺だ。それに逆らう者は捕えよ」
似非騎士たちの手が一斉に剣の柄に伸びた。それに気づいた文官たちに緊張が走った。
同時に聞こえた太い声は騎士団長のものだった。
「畏れながら、騎士団はコルネリア王女を我らが王太子殿下と認めております。フロリアン殿下の命には従えませぬ」
「騎士団も俺に刃向かうのだな」
正騎士たちの手も剣の柄にかかった。
フロリアン殿下の意識がそちらに向いているうちに、私は人々の中から走り出て、コルネリアとフロリアン殿下の間に割り込んだ。コルネリアを背後に隠し、やはり剣の柄を握る。
「レオンハルト」
コルネリアの声に滲んだのは驚きではなく安堵だった。今度こそ、本当に信頼されていたようだ。
だが、コルネリアは続けて「すまない」と口にした。
「何の謝罪ですか?」
「こうなることは十分予測できたのだから、男装でいるべきだった。ただでさえ剣は苦手なのに、ドレスではさらに動きにくい。おまえに久しぶりに女扱いされて浮かれていた」
私は思わず笑ってしまった。
「いいから、今は黙って私に守られていてください。私はそのために剣術を学んだのです」
「……わかった」
コルネリアとやり取りする間、睨み合っていたフロリアン殿下はやけに凪いだ目をしていた。




