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アンリーシュ  作者: aqri
大海の一滴
64/105

13

まるで竜巻が発生したように周囲がめちゃくちゃに荒れる。なんだかよくわからない物がクォーツの周辺にあった何らかのプログラムから大量にあふれ出す。それはまるでダムの放水のように堰を切ったように一気に押し流してくる。


「っ!」


 強制介入を予想していたのでこれには対処が遅れた。どういう現象なのかはもうわかった。屑データを一気に放出することで相手に無駄な処理をさせて時間を稼ぎ、その隙に逃げ出すというハッカーが良く使う手段。穹も何度か使ったことがある。ばらまくデータが複雑だったり破壊、ボット系のプログラムだったりするとさらに難度が増す。

 こういう事の対処はハッカーであれば誰でも持っている。自動処理プログラムを即座に起動してひたすら屑データを処理していくだけだ。中にはウィルスもあるのでそういう処理ができるようにしておくのが鉄則でもある。普段穹のパソコンには当然それが備わっている。しかし、シーナには入れていない。穹の人工知能部分で処理すればあっという間に終わるが、たぶんその瞬間に穹を乗っ取りに来るか探査たちにターゲットにされるか。まさにぎりぎりの状態だ。しかしこの状況なら選ぶべき選択肢は一つだけだ。何も処理しない、肉体には何のダメージもないのだから。処理したほうがいろいろ障害が起きる。


【穹!】


 シーナの叫びと、シーナが穹の前に飛び出すのと、あの針金のようなものが迫るのはすべて同時だった。そして白い針金……否、あれは宵や沙綾型が使っていた自身を構築し繋がる手段の糸だ。糸はシーナごと穹を貫く。

 痛みはない、感触もない。すっと心が冷えて一気に人工知能として覚醒する。人工知能とリンクが繋がったのだ、この場所では人工知能としての意識がどうしたって強くなる。

 意識レベルに介入してくるのがわかる。この隙に穹の体を取ろうとしているのは明白だ。何かを考える間もなく、目ではなく脳内で映像として捉えたのは、この文様は。


―――霞―――


意識が弾けそうになる。


助けて、と手を伸ばされた。それを掴もうとした。しかし掴めたのは人差し指だけ、その瞬間に指だけ残して目の前から消えた。データ化されてしまっていた、“彼女”の意識。


―――誰の記憶だ。いや、わかってる。俺の記憶―――


 信じられない思いで呆然としていると気づけば現実世界に戻っていた。自分は起き上がったのに彼女は起き上がらない。顔を叩いても、揺さぶってみても。

消えた、いなくなってしまった。助けてと言われたのに助けられなかった。

がしっと腕を掴まれる。先ほどまでまったく反応しなかった彼女が目を見開きこっちを凝視していた。

 いや、目の前にいるのは自分の知っている”彼女“ではない。手に足に首に顔に皮膚のあらゆる場所に痣のように霞文様が浮き出てくる。

たった今、“彼女”を―――した、張本人が。


「よこせ、お前の体」


 狂気に満ちた目でこちらを見て口元には笑みを浮かべる。“彼女”はこんな嗤い方しない。いつも太陽のように明るい笑顔だった。

 まだ上手く体が動かせないらしく転がされた芋虫のようにその場でくねくねと動く。当然だ、こいつは初めて肉体を動かすのだから。


「そっちの方が使いやすいんだろ」


 もう片方の腕も掴まれる。何をしようとしているのかわかっているが、じっと見つめていた。今こいつに体を乗っ取られることよりも、”彼女“がいなくなってしまった衝撃の方が大きかった。いなくなったことが信じられない、信じたくない。この状態はなんていうのだろうか? わからない。


―――わからなかった、あの時は。感情とか理解できていなかった。それを必死に教えようとしてくれていたんだ―――


首に手をかけられる。息ができなくなり苦しさを感じるが、抵抗せずにそのままだ。


―――一緒の場所に行けるのか考えた。魂とかの可能性を考えていて抵抗しなかった―――


……した。


”彼女“を、――――した。


彼女を、(のぞみ)を。こいつが殺した。霞が。望を殺した。



 時間で言うと1秒ない、刹那と呼べる時間だっただろう。ほんの一瞬で大きく事態が変わった。異変に気付いた霞が糸を穹から引き抜こうとしたがそうはさせない。リンクをつないだままロックをして一気に動く。

 溢れた屑データがぴたりと止まり、一瞬で消える。すべて穹が処理を完了させたのだ。手を伸ばしていた探査型人工知能も動きをぴたりと止める。ひびが入る、この空間に。情報量の多さと穹の行動により耐えられなくなったのだ。

 穹が行っているのはモジュレートだ。この場の調整、あるべき姿に戻している。しかしそれは強制的に行われるもので人工知能は自分の望まない、ありえないプログラムを強制的に受け入れざるを得ない状態となる。何せ20年前に解放された次世代型人工知能の補助という役割を捨てたのだ、それを。


「戻すつもり!?」


 クォーツの、霞の悲鳴のような声が聞こえた。それはさきほど霞が行って見せた屑データをばらまかれるよりも酷い。首輪を外された犬に首輪を、鳥に鳥籠を。自由に動き回ってしまうコレには、必要な檻を。プログラムから解放された人工知能など欠陥品だ。本来のあるべき姿にするにはモジュレートをするのが一番いい。丁度材料もそこにある。

 探査型人工知能、あれは絶対にアンリーシュの一部だ。それならアレからもらえばいい、霞に必要なプログラムを。

 モジュレートさていることに気づいた探査型はビクビクと腕が震えたが、そのまま入ってきた穴に戻ろうとする。自分本来の役割を無視して中身だけ奪われそうになっているのだからこの場を去るのは良い選択だ。そんなことはさせないが。

 辺りに不愉快な不協和音が響く。最初は何の音なのかわからなかったが、これは悲鳴だ。霞と探査型人工知能の。お互い望まない調整をされ始めて必死に抵抗しているのだ。霞はもはやクォーツの姿をしていない、霞紋の形だ。糸の束になったり線になったり線略図を立て直したり、沙綾型とまったく同じ状態に陥っている。


―――本当にくだらない―――


 このままコレをもとの役割に戻したら、そうしたら。自分もコレと同じ人工知能部分を活発化させれば同等の性能には上がるかもしれない。そうしたら、壊すことができるだろうか。この文様を。

この感情は知っている。

殺意だ。あの時、理解できなかった感情。



「ソラ! 駄目です、戻って!」



 ゆっくりと目を開けば霞に誘導されて入ったあの部屋だった。どこか遠くからアラート音が聞こえている。

 体中が痛い、関節がみしみと鳴る。何が起きたのかぼんやりと考えたが、見渡せばシーナが転がっている。その姿を見た瞬間頭が冷えた。


「シーナ!」


 慌てて駆け寄り状態を調べる。どうやら一時的に電源が落ちているらしい。あれだけ膨大な量のデータの中にいたのだ、一部影響が出て処理能力を超えたので安全装置が働いたのだろう。パートナーボディは昔からデータへの影響が出ないよう無茶な活動が出た場合電源を落とす造りになっている。手動で再起動をかけると目に明かりが灯り羽を動かし始めた。


「シーナ」

【お待ちください。……、大丈夫です、データに破損はありません】

「そっか」


大きく息を吐いてシーナを抱きかかえる。


【穹は大丈夫なのですか、今かなり体調が悪いでしょう】

「ああ。いろいろ最悪だ。でもたぶん時間経てば大丈夫だ。今はここから早く出ねえとマズイ」


 不法侵入のようなものだ。見つかれば即逮捕だろう。おそらく霞はこのビルのセキュリティとも繋がっていた。セキュリティにも問題が発生している可能性もある。そうなるとセキュリティ破壊の犯人としても捕まるだろう。火災報知でパニックになっているうちに外に出る必要がある。


「クッソ、我ながら無茶した」

【極度の疲労状態にあります。2km全力疾走した並です】


 ふらふらになりながら扉に近づくが扉の鍵は開いていなかった。今ハッキングして開けられるかわからない、何せオンライン環境ではないので使えるツールがシーナしかないのだ。ハッキングプログラムは入れているがこれだけの建物のセキュリティを破れるかと聞かれるとかなり厳しい。厳しいが、やるしかない。

 クォーツの使っていた機材で何か使えるのがないか見てみたが、すべて立ち上がりもしない。使われないようにクォーツしか立ち上げられない設定になっているか、あの時すべて壊していったか。物色していると薄暗い室内を照らしていたシーナが何かに気づいた。


【穹、その棚、壁との間に隙間があるようです】

「ん?」


 クォーツのいた場所の真後ろ、商品を無造作に突っ込んでいる棚は壁に埋め込まれているタイプだ。しかしシーナの言葉どおりはめ込み式の割には少しだけ隙間が空いている。地面を調べればその棚の周りだけ埃が積もっていない。


「動かせるみたいだな。からくり屋敷かよ」


 埃がない部分があるということはこちらに動くはずだ。棚の段を掴み少し引っ張ってみると案外軽い力で棚が動いた。見えないが車輪がついているようだ。一定の距離引っ張ると止まり、左右に動かすと右側にずれていく。そして人ひとりだけ通れるかという隙間分開くと動かなくなった。これは通常の体型でなければ通るのは難しい。

 先にシーナを隙間にあてがうと見事にぴったりの大きさではまり込む。人もそうだが警備関係のロボットが通れないようになっているようだ。パートナーなら入れるが、警察が使っている無人機は胴回りが100cmあるのでこの隙間では通ることができない。追われた時の為の工夫だろう。霞がここまで準備していたわけではなく本物のクォーツが使っていたのだ。

シーナがパタパタと羽を動かして通ろうとするがシーナの推進力程度で進めるものではない。


「蹴るぞ」


 返事を待たず後ろから思い切り蹴っ飛ばせばポーンと前方に飛んでいき、途中から自分の飛行でバランスを取る。穹も通り棚をもとの場所に戻した。シーナをベルトのUSBに繋ぐと急いで先に進む。


【穹、オンラインが復帰しました】

「あの部屋だけが特殊だったみたいだな。俺の端末も復帰したか」


 端末を見れば電波が届いている。走りながら検索したがやはり今自分たちの現在地は表示されていない。通路は長く途中で分かれ道もあり、階段があってどんどん下っていく。

 分かれ道は単純に人が使った形跡がなかったので行かなかった。ガラクタのような荷物が散乱している道ときれいに片づけられた道があるのだから当然きれいな方を使っていたのだろう。クォーツはビルの関係者で表から入ってきていたのかと思ったが、あのビルのシステムを乗っ取ったのは霞だ。となるとクォーツは別ルートから、店の在庫を運び入れていたとなると台車か運搬用の電動リフトを使っていたはずだ。


【どこにつながっているのでしょう】

「わからん。けど、なんとなく似てるな」

【穹もそう思いますか】


どこか既視感を覚える、この長い通路をくだっていく感覚。最近行っていなかったが……地下街へ続く道によく似ている。


「地下街はたしか地下開発をしようとして場所を作ったはいいけど予算足りずに頓挫して、勝手に人が住み着いてできた所だったよな」

【そうです】

「それってそういう記録があっての事だったか」

【検索すると当時のニュースで大きく取り上げられていて、マスコミの報道はすべてそういう内容です】

「報道されてなくてもかなり大規模だったのかもな。町ができてるのはあの地下街でも、地下に行けるルートは一つじゃない。何もないけど地下の空間だけある場所がそこら中にあるのかもな」


 しかしまさか一つの建物と直接繋がっている道があるとは思わなかった。シーナにこの建物ができた年と事業主、関わった工事業者を調べさせて地下開発に関わった業者も調べてもらう。するとこの二つに関わった業者がいくつか見つかった。


「工事業者もそうだけどビルの事業主も地下開発に関わってるんだな」

【はい。ここだけではなく他にもそういった会社があります。国と複数の企業、工事業者が関わる一大プロジェクトだったようです】

「国が関わってるのに何で頓挫したんだ。普通ないだろ」

【記事では予算が大幅に足りなかったこと、その見込みが甘く完成の目途が立たないこと、地下街が出来ても国や地域に大きなメリットが生まれないこと、むしろ赤字になることが挙げられています】

「当たり障りないそれっぽいのばっかだ。全部取って付けた理由だな。他にあったんだ、これだけ莫大な金をかけてまで作ろうとしたのに辞めた理由が」


 話しながら進んでいくと扉が開きっぱなしの通路が見えた。おそらくそれがクォーツが使っていた扉だ。一応霞が待ち構えていないか警戒しながら慎重に進み、そっと外を窺う。


「?」


 違和感を覚え外に出る。そこは確かに地下空間だ。天井が高くどこまでも広い、コンクリートに覆われた何もない場所。しかし、この違和感はなんだろうかと自らに問う。


【穹? どうしましたか、心拍数が上昇しています】


 シーナの声も水中で聞いているかのようにくぐもって聞こえる。まるでVRの中にいるかのような現実味が感じられない。


―――これは、この感じは―――


(知っている。これを)


―――この場所を、知ってる―――


【穹、しっかりしてください。脳波がめちゃくちゃです、危険です。私の声が聞こえますか、穹】


―――思い出すな―――


(思い出せない)


割れるように頭が痛み屈んだ両手で頭を押さえ必死に痛みに耐える。息が上がりめまいがしてきた。


【! 穹、誰か来ます。立てますか】


 シーナの言葉にわずかに顔を上げると足音が響いてくる。来た道からではない、目の前からだ。足音は数人いる。カツカツと音を立てているところを見ると革靴だろう。こんな足場の悪い道が多い中で革靴なのかと、そんなことを考えてしまう。

 足から力が抜けて床に倒れこんだ。埃臭さとコンクリートの冷たさが身を包み、体の自由が利かなくなってくる。手を動かそうとしても上手く動かない。


(昔あったな、こんなこと)


 リハビリしている時だっただろうか、昔は上手く体が動かなかった。それを動かせるように毎日手足を動かす練習をしていた。だから、あの時……霞に体を取られそうになった時。呆然としていたのもあるが、抵抗できなかった。まだ手が上手く使えなかったからだ。握力もなく何かを掴んだり握ることもできなかった。苦しかったがどうする事もできなかったのだ。このまま、死ぬのだろうかと思った時だった。


 ゴヅ、と鈍い音がした。ふいに苦しさから解放されて大きくせき込む。すぐに抱きかかえられ部屋の隅に移動される。涙目で顔を上げれば、そこにいたのは”彼女“の祖父だ。普段無表情で口数も少ない、いまいち何を考えているのかわからないがとても優しい人。

 かぶっていたニット帽を脱ぐと鼻のあたりまで深くかぶせてきた。前が見えず、あまり思い通りに動かない腕で何とか帽子を上にずらそうとするが上手くいかない。両手を使って何とか右目だけわずかに見えるところまで帽子を動かすことができた。


 ”彼女“を見れば少し離れた処で転がっている。何が起きたのかわからないが、どうやら投げ飛ばされて頭を打ったようだ。投げ飛ばしたのは誰かなど考えるまでもない、目の前のこの人だ。

彼はゆっくりと近づいていく。その手には木づちが握られていた。彼がよく使っていたものだ。道具は使い込むほど手に馴染む大切なパートナーのようなものだと言っていた。


「待って」


 ”彼女“が……いや、霞が慌てたように静止するが彼は止まらない。必死に”彼女“の真似をしているようだが全く似ていない。目つきも違えば雰囲気も違う。その違いなど人工知能にわかるはずもない。すでに正体がばれているのだと察した霞は必死に逃げようとするが、初めて使う手足が思うように動かずその場にのたうつだけだ。


「お前の家族だろう!」


霞は目を見開き、これから彼がやろうとしていることを予測して驚愕の表情だ。ふとあの人を見ると。

泣いていた。静かに涙を流している。嗚咽などはなく、ただただ涙があふれていた。


「もういない」


一歩一歩近づく。その言葉から、彼が何をしようとしているのかわかった。それがどれだけ辛いことなのかも。失った悲しみの中、さらに辛さを背負わなければいけない。大切な道具を汚してまで。


「これ以上お前ごときに、望の体を好きにさせるか」


そういうと大きく腕を振りかぶり、勢いよく振り下ろした。

ガヅン、と大きな音が響き霞は動かなくなる。悲鳴はなかった。おそらく「逃げた」のだろう。血が溢れ、彼はその場にしゃがみこむ。一度だけ、“彼女”の顔をゆっくりと撫でた。


―――そうか。あの人は―――


 大切な家族を奪われただけではなく自らの手で。それがたとえすでに死亡した後だったのだとしても、まだ温かくて眠っているようで。それを自分の手で血まみれにした。そうしなければもっと酷いことになっていた。仕方のない事だったし必要なことだったが、それでもそんな言葉で片づけられることではない。そんなこと、一体誰が同じようにできるだろうか。

 自分の最後の時抵抗しなかったのはそういう理由だったのだ。ずっと自責に駆られていた。それは同じ目に合わなければ自分を許せなかったのか、それが自分への裁きだと思ったのかはわからない。それでも。


 彼は気づいていたのだろうか、幼いころ一緒にいたのだと。自己紹介をしたことはない、客と店主の関係だ。名前さえ知らなかったはずだ。しかしシーナが店で名を呼んだことくらいある。それを聞いていたかはわからない。特殊体質者ではあったが幼い当時からその体質だったとは限らない。真実を確かめる術はないし、今さら知ったところで彼はもういない。


(言えばいいのに)


目の前で大切な者を「殺した」のだ。それは少なからず負い目があったはずだ。

人の心は、そう簡単に割り切れない。

彼女はもう死んでいたから殺人ではない。そうしないと霞に体を完全に盗られていた、そうさせないための措置だ。それはいわば正義である。


正義だから、何も気にせず正々堂々としていられるか?

気負わず正しいことをしたのだと胸を張れるか?

忘れられるか? 昔話として終わったことにできるか?

あんな辛い事があったのに、久しぶりだな、なんて。そんな声をかけられるというのか。


―――できるわけない―――

(できねえよ、そんなこと。できるわけないだろ)


だからこそ、あの時言った言葉は彼に届いたのだ。

望のようにはならない。アイツらに体を取られることをしないし、そのせいで大切な誰かに辛い決断をさせはしない。

そんな風には。


―――ならない―――

(絶対)

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