宮廷の見習い文官
――ガシャン!
「……」
掃除中に手元が狂い、私には価値が分からないが見た目からして金にものを言わせたような金ピカの相当な値打ちものらしき像が床に倒れた。開いた口をガクガク震わせていられるのも時間の問題なので、いそいそとそれを元の位置に戻す。
太照国の王都である広陽。
大王やその妻、子供達が暮らす王宮では日夜千を超える人間が働いていた。
かくいう私もその中の一人であった。
大王の華たちがいる後宮以外はほぼ男でしか構成されていない職場だが、去年私はそこへ見事に入職した。十二歳で入ったこともあり見習い文官というものにはなるが、立派なお務め。他にも年下で十の子が入っている。
実力主義である太照国は身分に関係なく、頭が良い者で適性があれば試験を受け文官になることができ、武力に自信のある者ならばその実力を測り示すことで兵士、または武官となることが出来た。
上族でもなくもちろん王族でもない私は貧困層の生まれで、元は孤児であり弟もいた。
口減らしのために道端へ捨てられていた私達だったが、ある日親以上に年が離れている老人の占い師が私達二人を拾ってくれて、その人がいなければ私はここに入れていないどころか弟共々のたれ死んでいただろうと、ときどきあの頃のことを思い出しては何とも言えない寂しさが襲った。
そんな私でも今ではこうして弟やじい様というかけがえのない家族のために、お給金が高いとされている王宮で働けていることに我ながら感動している。
「ねぇ推、今日は私を占ってくれる?」
「ああズルい! 今日は私よ!」
ヒラヒラと長い袖を揺らした女の子達が橋の向こう側から手を振り歩いてくる。
去年入ったばかりの私は文官と言っても見習いである底辺の位置にいるため、雑用が多い。
書巻を扱うことは許されず、服も文官用のものは着れずじまいでいつも灰色の汚れても良いような衣服を支給されていた。
それに男ばかりの所帯で女がいるというのはちやほやされるものでもなく、むしろ疎まれているため扱いは本当に悪い。女のくせにと陰口を叩かれることもある。
私はまだ十三歳の子どもで女性とはお世辞にも言い難い年頃なのだが、ここで働く男たちにとってはそんなことは関係ないのだろうと達観した。
そんなものなので私以外にも入官し働いている女性はいたけれど、三ヵ月経つ頃には全く見なくなっていた。皆辞めてしまったらしい。
女には風当たりの厳しいところだと命の恩人であるじい様からは聞いてはいたがこれ程までにとは思わなく、腹が立つというよりも、落胆という気持ちの方が大きかった。
今日は螺旋の館の掃除のあとに後宮近くの橋の掃除をと上官に命令されていたので向かえば、この半年で顔見知りになった下女達が我先にと私の周りに集まってきてしまったので今から落ち着いて掃除はできそうにない。
「でも今道具持ってないし」
「軽く見てくれるだけでいいから~、ね?」
そう押しきって私の周りを囲む彼女達にため息をつくと、そんな顔をしていたら幸せが逃げちゃうわよ、と両手でグイッと口角を上げられる。
そんな顔をするも何も今は仕事中である。
なんて言っても聞かないのは分かっているので、口から手を離してもらった私は下女である一人をじっと見つめて全体を眺める。
「香蘭は、良い人に会うかもしれない」
「本当?!」
香蘭という二つ縛りの下女に笑いかける。
キリッとした目つきとは裏腹に、ほわほわとした桃色の湯気のようなものが背中のあたりからあふれていた。
こういう現象が見られるときは大抵恋をしているか、本人との相性が良い(結婚相手とか)誰かと近々会うことになるであろう予兆でもある。
かもしれない、とあやふやに言うのは占い師の性なので許してほしい。
本当に?! という彼女の反応からするに恋をしてはいなさそうなので後者なのだと判断する。それを伝えれば興奮しながら「お料理頑張らなきゃ!」とさっそく花嫁修業でも始めるのか膝を高くして飛びながら去って行った。元気な下女である。
ここの下女は皆びっくりするほど明るいのが特徴的だ。
文官の女性達は皆暗い、というか元気がなかったので余計にそう思うのかもしれない。
私は昔から人の色というものが見えた。
物心ついた時から、もっと言えば本当の親と暮らしていた時からそれは見えていた。生まれつきというものである。
何が原因でそんなものが見える体質になったのかは不明だが、それがどういう物なのかも色が何を表しているのかも当然分からずじまいで、じい様、命の恩人である彼に出会えるまでそれが色香と呼ばれるものだとは知らなかった。
親に色のことを言えば不気味だと気味悪がられていたので、もしかしたらそういうのが原因で捨てられたのかもしれないと今なら思う。
「推!」
しゃがれた男の声に背筋が伸びる。
しまった、上官の声だ。
「ごめんなさい! 遊んでないで掃除します!」
周りにいた下女達は寄ってきたのが嘘のようにちりぢりになって離れていく。
まったく現金な女達である。
「馬鹿者、そうではない! 至急これに着替えて広間へ行くのだ!」
「広間の掃除ですか?」
着替えを見て瞬きを繰り返す。
掃除用の服装にしてはやけに綺麗な衣服だ。蚕の糸を縫い合わせたような青く滑らかで柔らかな布地。
こんな物を着ていたら汚れがついてしまうばかりか、気になって掃除になんて集中できそうにない。
「丞相がお前を呼べと仰られたのだ」
「丞相様が、ですか?」
丞相と言えばこの国で二番目に権力を持つ人物だ。
外朝で試験を受けたときに一度だけ見たことがある。
「モタモタせずにいいからはよう行け!」
色々と考えている時間もなくそう急かされたのですぐに用具室で着替えたが、広間に続く通路に出ると護衛官が二人おり私の両肩を掴んでまるで連行される犯罪者のように誘導された。
連れていかれた場所は私が踏み入ったことのない領域で、ここから先は位の高い人しか入れないところだった。
このまま行くと人づてでしか聞いたことのない、違う広間に着いてしまう。
だんだん近づいて行く場所が見えて私の身体は硬直していく。
「わっ」
護衛官の人に付き添われて部屋の扉の前まで来た私は、何も言われずその背中をポンと押されて中へと入らされる。良いと言われるまで顔を絶対に上へ向けるなと忠告だけ受けていたので、一人放り出された私は床をただ眺めてお声が掛かるまで動きを止めていた。
広間と言うので私達下級の者達が行き来する方の部屋だと思っていたが、まさか皇帝の玉座が置かれている「大向廷(バカでかい政務室)」に行けなどと言われようとは思わない。
それからどのくらい時間が経ったのだろう。
面を上げよ、と言われたのでゆっくりと頭を上げる。
「そなた。これに見覚えはあるか?」
頭に金色の被り物を付けた男性が、皇帝のみに座ることを許されている椅子に座り私を見下ろしていた。
髭をたくわえた、猛獣のような鋭い瞳をもつ男だった。目を細めると、背後には黄金の輝きが見える。
この人が皇帝――――初めて見た。
天上人だと思っていた。
平民がその姿を見ることは生涯ないと言われるくらい、雲の上の上の人である。
その皇帝が私に見せたのは、侍従が運んできた金ぴかの置き物だった。女の人が丸い円盤を持ち、中心にはいくつもの穴が開いている何が良いのか分からないあの高価な置き物だ。その女の人の手が不自然な方向に曲がっている。
冷や汗が流れ唇がブルブルと震える。
「掃除をしていたらしいな?」
皇帝陛下の真っ直ぐで威圧感のある視線が突き刺さる。
あ、でも皇帝陛下って結構なおじさんだったんだ。
そんなことを頭の隅で不躾にも思いながら、私は両手を上げて床に額を擦りつけた。
自分の人生ばかりは占えなかった。




