第8話 屋上事件
中庭の芝生の上。
テオは気絶したエリザベートを抱えたまま、完全に固まっていた。
「……えっと……ローゼンベルク? 起きてる? いや起きてないよな? どうしようこれ……」
ぺちぺち、と軽く頬を叩く。
反応なし。
(医務室?いやその前に説明?だとすると、屋上から落ちて無事なことを説明しないか。女体化を隠す言い訳が思いつかない。いや落ち着け俺、まず状況整理だ。俺は屋上から飛び降りて――)
テオは頭が混乱して、思考がまとまらなかった。
そこへ――
「――あら?」
背後から、大人の女性の声。
テオの背筋がぴしりと伸びた。
(見られた!!)
「何してるの、テオ」
振り向けば、そこに立っていたのは家庭教師をつとめたリディアだった。
教師用のローブを羽織り、腕を組み、面白いものを見つけた顔をしている。
「せ、先生……どうしてここに?」
リディアはゆっくりと歩み寄り、テオの腕の中を覗き込む。
「この学園の教師になったのよ。まあまあ……お姫様抱っこ。青春ね」
「違います!!」
即答だった。
リディアに指摘され、テオは図らずも美少女をお姫様抱っこしていることを思い出し、恥ずかしさから顔が真っ赤になった。
「屋上から落ちて!俺が、追いかけて飛び降りて!」
「追いかけて飛び降りたのね。でも、大丈夫そうなのは力を解放したからよね。あら、まだ胸が大きいままよ」
リディアはクスリと笑うと、テオの胸を指さした。
「あっ!」
テオは慌てて魔力を使うのをやめた。
そして周囲をきょろきょろと見回す。
「まだ隠しているのね」
「当り前じゃないですか。恥ずかしいんですよ」
「あら、そう?世の中の半分は女よ。私は女であることを恥ずかしいなんて思ったことないわ」
そう言われると、テオは言い返せなかった。
そこでもう一度、何故自分が恥ずかしいと思っているのかを考え直す。
そうして出た結論は、変化した自分が異質なものであり、それを他人に見られなくないからだということであった。
だから、これが女体化ではなく、獣人に変化したとしても、誰かに見られたくない、見られたら恥ずかしいと思ったであろうと結論付ける。
リディアはそんなテオの納得した顔を待って、話を続けた。
「屋上から落ちる美少女を助けるため、自らも飛び降りるなんてロマンチックね」
「ロマンじゃないです!」
「でも、彼女はなんで屋上から落ちたの?自分から?」
「いや、クレーテ侯爵の息子、グスタフが彼女を突き飛ばしたんです。それで、手すりを越えてしまったというわけで……」
「あらやだ。学校で殺人事件なのね」
「いや、向こうも殺そうと思ったわけじゃないと思います。婚約者である彼女が、他の男、俺なんですけど、それと屋上で二人きりになっていたから誤解を受けたんです」
「やっぱりロマンチックじゃない」
テオのことをよく知っており、ベルンシュタイン家でありながら、凶悪ではないことを知っているリディアは、そういってテオを揶揄った。
これが知らぬ者であれば、ひどい目にあわされると思って、こうした会話にはならない。
そして、リディアはしゃがみ込み、エリザベートの瞼をそっと開く。
「気絶してるだけね。衝撃と恐怖。命に別状はないわ」
テオは大きく息を吐いた。
「よかった……」
その安堵の顔を見て、リディアはくすりと笑う。
「必死だったみたいね」
「そりゃ……」
「魔力、かなり使ったでしょ?」
テオの肩がびくりと揺れる。
「……そうするしかかなったので」
「そうよね」
意味ありげに微笑む。
「ところで」
にやり。
「こういう時は、どうするか知ってる?」
「医務室に運ぶ」
「違うわ」
リディアはテオに顔を近づける。
お互いの鼻がぶつかりそうなほど近くに。そして、それはお互いの息遣いもわかる。
リディア特有の匂いが、テオの鼻をくすぐる。
その仕草に、女性に対して免疫のないテオは、ドキッとして固まった。
「お姫様は、王子様のキスで目を覚ますのよ」
その追い打ちで、テオの思考が停止した。
「……は?」
「ほら。やってみなさい」
「無理です!!」
即答。
「したことないの?」
「ないです!だから、やり方なんてわかりません!!」
「分からない?」
「分かりません!」
「じゃあ――」
リディアが一歩、距離を詰める。
「先生が、教えてあげようか?」
艶っぽく、囁く。
「な、な、な、何言ってるんですか!」
「キスくらい、将来必要でしょ?」
「今必要ないです!」
「練習は大事よ?」
「いりません!」
「目、閉じて」
「閉じません!!」
その時である、
「……何を、しているのですか」
冷ややかな声が割り込んだ。
二人の動きが止まる。
ゆっくりと視線を下げると――
エリザベートが、薄く目を開けていた。
至近距離で向かい合うテオとリディア。
――数秒の沈黙。
「……そういう関係だったのですね」
「違います!!」
テオの絶叫が中庭に響いた。
「誤解よ、ローゼンベルクさん。私たちはただの教師と生徒の関係」
「ただの教師と生徒が、あの距離で……?」
そう訊かれると、リディアは少しだけ考え込む。
「教えようとしていただけ」
「何をですか」
「キスの仕方」
「先生!!」
テオは大声をあげた。
「け、汚らわしい!」
エリザベートはテオの腕を振り払って、自力で起き上がろうとするが、足元がふらつく。
「大丈夫か?」
テオが真剣な顔で支える。
エリザベートは一瞬視線を揺らし、やがて静かに言った。
「触らないで!医務室に行くから!」
テオの接近を拒否した。
リディアは楽しそうに微笑み、
テオは絶望した。
(ああ、俺はなぜ異世界でこんな目に……)




