第7話 疑念と落下
放課後の校舎は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
エリザベートは少しだけ歩調を速めながら階段を上る。胸の奥に、どうしても拭えない違和感が残っていた。
(……ベルンシュタインの、テオドール……)
あの時、路地裏で見た光景。
そして、街や学園での悪い噂。
さらには、ブルーノから聞かされる武勇伝。
どれもが、頭の中で噛み合わずに残っている。
だから、確かめたかった。
屋上の扉の前で、エリザベートは一度だけ深呼吸をしてから、ノブに手をかけた。
「来てくれたんですね」
そこには、先に来ていたテオが立っていた。
「呼び出したのは、君の方だろ。ローゼンベルク」
いつも通りの、少し素っ気ない声。
それが、逆に余計な緊張を生む。
なお、この時テオはガチガチに緊張していた。美少女といって過言ではないエリザベートに呼び出され、コミュ障のテオが緊張しないはずがないのだ。
素っ気ないというのは、どう対応してよいのかわからないので、フレンドリーになり過ぎないようにしようとした結果である。
それがエリザベートに誤解を与えたのだが。
「……少し、聞きたいことがあって」
エリザベートは、視線を逸らしながら切り出した。
「あなた……あの時、街で……何をしたんですか」
「街で?」
「不良に絡まれている女の人を助けたでしょう」
エリザベートに言われてテオの心臓は高鳴る。
(まずい、女体化したのを見られたか?)
「……困っている人がいた。だから助けた。それだけだ」
短い答え。
ひとまずそう答えて相手の出方を伺う。
「それと……」
エリザベートは、意を決したように続ける。
「……あなた、本当に……その……」
言葉に詰まる。
何を、どう聞けばいいのか、自分でも分からなかった。
その時だった。
屋上の扉が、乱暴に開かれた。
「デュフフ……面白いところにいるじゃないか」
現れたのは、グスタフだった。
重たい足音と、粘つくような視線。
「……何の用ですか」
エリザベートの声が、自然と冷える。
「何って? 婚約者として、様子を見に来ただけだよ」
グスタフは、いやらしく笑った。
「それにしても……ベルンシュタインの次男と、二人きりで屋上とはなあ。なにか後ろめたいことを掴まれて脅されているのかな?デュフフ」
「誤解です!」
エリザベートは強く否定した。
そして、この状況で安堵した人物がいる。
テオであった。
(ローゼンベルクさんは何か言おうとしていたんだよな。ひょっとしたら体の変化についてだったかもしれない。ここはグスタフに絡んでうやむやにしてしまおう)
そう考えたテオは、グスタフを指さす。
「婚約の条件だった資金援助が出来ないなら、婚約が破棄になるはずだろ」
ベルンシュタイン家への上納金をねん出するため、クレーテ侯爵はローゼンベルク家への資金援助を打ち切った。その話はテオも聞いていた。
しかし、それを指摘されても、グスタフは顔色を変えない。蛙の面に小便というやつである。
「破棄?」
肩をすくめるグスタフ。
「デュフフ、僕らの真実の愛の前には金など不要さ」
「そんなこと……!」
否定しかけたエリザベートの言葉を、グスタフは荒っぽく遮った。
「うるさい!」
苛立ちを隠さず、一歩、前に出る。
「身の程を知れよ。ローゼンベルク家は、うちの支援がなきゃ立っていけないんだろ?」
その言葉に、エリザベートは思わず息を詰めた。
「その支援が無くなると、貴方のお父様が通告してきたのでしょう!」
「ぐっ!」
グスタフの顔が歪む。
「うるさい!お前は俺の婚約者だ。余計な真似をするな」
そう言って、エリザベートの肩に手をかけた。
「やめろ」
低い声で、テオが言った。
「何だ?」
グスタフは、睨み返す。
「関係ない奴は、黙ってろ」
次の瞬間、乱暴に突き飛ばされたのは、エリザベートの方だった。
「――っ!」
バランスを崩し、後ろへよろめく。
背中に、手すりの感触。
(しまっ――)
足元が、空を切った。
視界が、反転する。
「エリザベート!」
叫びと同時に、テオは駆け出していた。
考えるより先に、体が動いた。
手すりを越え、彼女の後を追って跳ぶ。
風が強く頬を打つ。
(間に合え――!)
落下の途中で、テオは必死に体勢を整え、エリザベートを抱き寄せた。
地面が、急速に近づく。
衝撃に備え、魔力を全身に巡らせる。
エリザベートは恐怖から、目を強くつぶった。そのせいで、テオの体の変化を見ることは出来なかった。
次の瞬間――
強い衝撃が、テオの全身を叩いた。
だが、エリザベートは思ったほどの痛みは来なかった。
代わりに、腕の中の温もりが、確かに伝わってくる。
それと、むにゅっとした感覚。テオの胸板に顔をうずめていたのだが、それがクッションになって、エアバッグのように衝撃を吸収してくれたのである。
(…………?)
エリザベートの思考は、困惑していた。
落下による過度な興奮が、思考に靄をかけることで、困惑がさらに深まる。
理解が追い付かない。
「大丈夫?」
テオは、そう言いながら、エリザベートを抱えていた腕の拘束を解く。。
エリザベートはそのまま、力が抜けるように意識を失っていった。
「……っ」
テオは、彼女を抱えたまま、ゆっくりと息を吐いた。
(気絶しただけかな?外傷はないように見えるけど)
屋上の上から、誰かの叫ぶ声が聞こえる。
だが、今はそれどころではなかった。
腕の中の彼女の無事を確かめながら、テオは、ただ静かに、もう一度だけ深呼吸をした。




