和解④
最初の一戦目は、あっさりと魔王が勝った。
悔しいと繰り返すアリアネルに免じて、もう一戦の場が設けられた。”影”は不服そうだったが、アリアネルに説得されて、魔王側のいくつかの重要な駒を抜いて開始するという条件付きでの開戦――繰り広げられたのは、高度な戦いだった。
(何故――時折、明らかに私が優勢になるのに、気づくとひっくり返されている――)
ぎゅっと眉根を寄せて盤上を睨みつける。
一度も間違った手を打っていない。それでも、気づけば劣勢に立たされる。
「次はお前だ」
「ぐっ……」
長考することが多くなり、何とか起死回生の一手を放つも、魔王はじっと静かな視線で盤上を眺め、いつも十秒以内には駒を動かしてくる。
何度も熟考しては駒を動かすが、少ない駒でも的確に苛烈に攻め入られる内に、いつの間にか防戦一方になり――
「――参りました……」
「……ふむ。よく耐えたな」
”影”の投了に、魔王は感慨深く頷く。
「戦術もしっかりと学んでいるようだ。途中、ひやりとする場面もあった」
「お世辞はいいですよ……」
「いや、本当のことだ。勝負どころの見極めさえ誤らなければ、戦を司る正天使にも匹敵する。これを後天的に身に着けるには、経験を積むしかない。何度かこの遊戯でコツを掴めば、正天使などすぐに凌駕するだろう」
珍しく饒舌に褒める父に、”影”はくすぐったい気持ちで顔を顰める。この口ぶりは、本気でそう思っているのだと、長年の付き合いで察したからだ。
「アリアネルは――あぁ、やはり。途中で、静かになったと思っていたんです」
話題を変えるように振り返れば、アリアネルはゼルカヴィアの寝台に横になり、穏やかな寝息を立てていた。
「二回戦目の序盤から舟をこぎ始めていたぞ」
「まぁ、いつもはとっくに寝ている時間ですからね」
言いながら立ち上がり、風邪をひかないようにそっと布団をかけてやる。むにゃむにゃと寝言のような何かを口にしたが、起きる様子はなかった。
「……それで? 今日は、何の用だったのですか?」
「む……」
「まさか、遊戯に興じるためではないでしょう。寝る間も惜しんで仕事を詰め込まれていたというのに」
最近の魔王の多忙さは、側近としてよくわかっている。こんなお遊びをしている時間はないはずだ。
最初は、”影”へのプレゼントを遊戯にすると思いついたアリアネルが、家族団欒を過ごしたいと無理に魔王を誘ったのかと思った。だが、彼女の発言を聞く限り、どうやら無理にこの場に同行したいと言い出したのは魔王本人のようだった。
「一度……その姿のお前と、話をすべきだと、思っていた」
「私と、ですか?」
「あぁ。……だがお前は、俺が話をしたいと言ったところで、のらりくらりと逃げるだろう」
”影”は苦い顔で口を噤む。……自覚はあった。
「お前は、アリィのことは邪険にしない。だから、共に来訪すれば、逃げはしないと考えた」
「なるほど……それで? 話とは、何でしょうか? この姿の私と、といわれても、皆目見当がつかないのですが」
”影”は魔王を促す。魔王は、しばし言葉を選ぶ様に口ごもった。
少しだけ沈黙を挟んだ後、やがて、ゆっくりと口を開く。
「……謝罪を」
「はい……?」
「お前には、謝罪をせねばならんと思っていた」
魔王の言葉に、”影”はぽかんと口を開ける。
世界の頂点に立っていると言っても過言ではない存在が、謝罪をするという事態は、現実感がなかった。
「な……何か、ありましたか……?」
「昔のことだ。……幼いお前を、俺は、酷く傷つけた」
「――!」
”影”は驚きに目を瞬く。魔王は、姿勢を正し、真摯な声で続けた。
「お前は、無能などではない。無価値でもない。――俺にとっては、今も昔も変わらない、代替不能な、たった一人の息子だ。誰の前に出しても胸を張れる、俺の誇りだ」
「父上……」
「俺の未熟のせいで、お前を数千年、孤独に追いやり、深い心の傷を負わせた。反省している」
「そ、そんなことは――」
完全無欠の存在が、己の非を認め謝罪するのを慌てて制すが、魔王は言葉を続ける。
「親子らしい交流など何一つしてこなかった、父親失格の俺だが――未来は変えて行ける。お前は、ただ守られるだけの存在から、強く賢く逞しく成長した。誰かに守られなければならない存在ではなく――リアの代替でもない」
「!」
ハッ……と”影”が息を呑む音がする。
その反応に、魔王は己が植え付けたトラウマの根深さを感じ取ったようだった。過去の行いを反省するように苦し気に目を眇め、呻くように口を開く。
「お前の相貌が、母親に似ているのは、事実だ。今の姿のお前を見れば、リアは確かにこんな顔だったと思い返すこともあるだろう。……だがそこに、過去を懐かしむ以上の感情があるわけではない。お前はお前で、リアはリアだ。重ねる意図はない」
「それは――」
「もう、造物主に与えられた”制約”はない。リアの仇は、この手で討ち取った。今、俺の中にあるのは、リアとお前と過ごした穏やかな日々の思い出だけだ。――最愛の女と同じ造形の顔には、可能な限りずっと、穏やかに笑っていてほしいと思う」
真摯に心根を吐露し、噛みしめるように続ける。
雑談も苦手な魔王が紡ぐ拙い言葉の底には、我が子の幸せを願う、まぎれもない親としての心があった。
「部屋に引き籠り、孤独に怯える必要などない。城の魔族には、俺から話を通す。新月の夜も、いつも通り、当たり前に暮らせばいい。――二度と、お前に、生き辛さを感じさせたくはない」
「父上……」
それは、不器用な魔王なりの、精一杯の言葉だった。
魔王に遠慮して、忖度して、視界に入らないように必死に逃げ続けた幼い日々――それを、毎月、疑似的に繰り返すようなことはさせたくないというのが、魔王の本音だろう。
父なりの愛情を受け止めて、”影”はどう反応して良いかわからず、視線を落とす。
そこには、二人の会話など露知らず、あどけない寝顔を晒すアリアネルがいた。
”影”は、思わず吐息だけで笑う。
「お言葉はありがたいですが――今は、貴方が言うほど、思い悩んではいませんよ」
「む……?」
言いながら、アリアネルの頭を優しく撫でる。
”お兄ちゃん”が自分を害すことなどあるわけがないと全幅の信頼を寄せているのか、全く起きる気配はない。
「アリアネルに何を言われたか知りませんが――王都決戦の前に、父上とのわだかまりは解消したつもりです。もちろん、親子として過ごした時代から、約一万年のブランクがありますから、何もかも昔通りという訳にはいきませんが――この姿の時も、昔ほど、貴方に対して苦手意識はありません」
「……うむ……」
昔ほどはない、というだけで、少しはあるということなのだろう。魔王は複雑な顔で唸る。
「部屋の外に出られないことも、特に不便はありません。昔を知る古参魔族はともかく、新参者の魔族たちは、いくら父上が説明しようと、頭では理解しても混乱する者も多いでしょう。こちらも気を遣いますし、今の状況を変えたいとは思いません」
そう思えるのは、アリアネルがいたからだ。――この姿の自分を、「大好きな家族」と言ってくれた、少女がいたから。
「ですが、まぁ、どうしてもというなら――たまに、新月の夜には、アリアネルと一緒に遊びに来てください。私一人ではできない遊戯も、沢山含まれているようなので」
クスっと笑って告げると、魔王はしっかりと頷いた。
”影”は初めて魔王を正面から見据える。
綺麗な蒼い瞳に見据えられても、もう、震えが起きることはない。
「いつか、父上を負かし、子が親を超えるところを見せて差し上げますよ」
「フッ……それは楽しみなことだ」
正面から見据えた父は、酷く穏やかな顔で笑っていた。
『父の日』記念のお話でした。短編集とか言って始めた矢先に4話も投稿してすみません…「和解」はこの4話で終了です!
また何かの記念などで更新するかもしれませんので、お楽しみに!
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