【第19話 錆びた声に応えて】
風のない早朝だった。
霧のように淡く揺れる靄が、草の根を薄く覆い、まだ目を覚ましきれぬ森を包んでいた。
ここは、学院の敷地からやや離れた、かつての観測所跡地。
古い石組みの残骸と、苔むした測定柱が、かろうじてこの場所が“何か”のためにあったことを物語っている。
アマネとシオンは、エラの先導のもと、今その場に立っていた。
「測定用の陣跡は……あった。これは、魔力断層の境界を計るためのものだね」
エラが足元の円文をなぞりながら言う。
その周囲に、いくつかの石片が転がっていた。宝石とは言えない、魔力を通す性質だけを持った“準宝石”。一部は砕け、焼け焦げていた。
「この辺りでは、魔力の“系譜”が不安定に交錯している。二十七の系譜のうち、複数の属性が接触してしまうと、精霊も応答を拒む。普通はね」
アマネはその言葉を聞きながら、ポケットの中に手を差し入れた。
布に包まれた小さな金属片。もう何度も触れ、何度も“感じよう”としてきたもの。
「エラ先生。……少しだけ、時間をもらえますか?」
「ふむ。構わないけど……何をするつもりだい?」
「確かめたいんです。──僕の魔法が、本当にどこまで届くのかを」
そう言うと、アマネはゆっくりと跪き、地面に掌を置く。
金属片を取り出し、魔力を通す構えを取った。
※
それは、はじめてこの世界で「声」を感じた日と同じだった。
宝石ではない、名もなき金属に、呼びかけるようにして魔力を流したとき、かすかに応じる“何か”が確かにあった。
そして、今。
──それは応じた。
最初は、ざらりとした“質感”だった。
手に持った金属が震え、ぴりりとした違和感が指先を走る。
次に、薄い、くぐもった“響き”が脳裏をかすめた。
《……う、るさいな》
え、とアマネは眉を寄せた。
《まだ寝てたのに……またか、お前か。いつもいつも、同じとこをこすって……もうちょい静かにできんのか?》
言葉だった。
音ではなく、意識に直接届く、曇った声。
錆びた金属の擦れるような響きが混じっていた。
「……聞こえる、んだ……」
《当たり前だろ。前から聞こえてたけど、無視してただけだ。だって、お前、ろくにこっちの言葉わかってなかったじゃん》
「……ごめん」
《はぁ? いや、別に謝られても……あー、もう。目ぇ覚めちまったもんはしょうがねえ。契約すりゃいいんだろ?》
「いいの?」
《うるさくしなけりゃな。……ん、じゃあ“それ”に、名前、彫れ。……俺の“鍵”はもう、こっちから渡してやるよ》
金属片の表面がふっと光を帯びた。
それは紋章ではなく、痕跡。刻みつけるように浮かんだ一つの印。
契約は、成立していた。
◆
「終わった?」
後ろから声をかけられ、アマネはふと顔を上げた。エラが、驚いたような顔をしている。
「……その石、じゃないよね。宝石じゃない。──金属だ。鉄……いや、合金?」
「……捨てられてた金属片です。ずっと、反応を感じてて……確かめたかったんです」
エラの眼が細められる。
「君、何を……いや、あとで聞く。今日は戻ろう」
「……はい」
ポケットに収めた金属片は、微かに熱を帯びていた。
◆
帰路、シオンがぽつりとつぶやいた。
「“契約”の形式が、標準とは違っていました」
「うん。でも……きっと、これが僕のやり方なんだと思う」
アマネは、そう答えながら──胸の内に広がっていた言い知れぬ感覚に、しっかりと名前をつけた。
それは、恐れではなかった。
“見つけられた”という感覚。
“応えてくれた”という確信。
名もなき金属に宿る、声。
その名を、彼は心の中で、はっきりと呼んだ。
──《サビリ》と。
第1章「路傍に眠るもの」完結。
幕間の話を経て、第2章「選択の代償」に続きます。




