第二節「白き獣、黒き奴隷」
エラメンタ神国。
どんな希少な鉱石も湯水のように採れるという「奇跡の山」に建つ国と言われているが、外観は寒々しい岩山のようにしか見えない。
外観といっても、麓からは国の姿は見えていないが。
神国は岩山の頂にあるらしい。
国の入口には、先端の尖った木や石、金属などで組まれた刺刺しい柵の間に、一筋の均された道が山頂の方へ延びているのが見えるのみである。
外国人には入国そのものは許されないため、
商人は国の入口の手前に設けられた、数件の簡素な屋台が組まれた市場で
「買い手」を待つのだ。
僻地にあるとはいえ、「奇跡の山」の噂に、
豪奢に輝く国の姿を想像していた商人たちは、
いささか面食らった。
思いの外みすぼらしい。
こんなところで本当に利益が出るのか?
一杯食わされたのではないか?と商人たちは騒めいた。
「そもそも、噂の"天使"はどこだ?」
神国で奴隷を高値で買い集めている者は、"天使"と呼ばれている。
というのが、胡乱な噂の一端だった。
「騒ぐな。」
商人たちが振り向くと、二人の警備兵が立っていた。
浅黄色の装束を着て、槍を携えている。
周りを見ればこの入り口には彼らのような者が十数人巡回している。
「天使様は日が暮れるころにおいでになる」
兵はかぶりをふる。芝居がかった所作だ。
「天使様は降臨される」
「しかして我々が望むままにとはいかない」
「光を与えられない日もある」
「しかして今日は降臨なさるとの達し」
「お目通りが叶うぞ」
「お前らは運が良い」
槍の柄を地面にドンと打ちながら調子を取り、二人で交互に発声する。
慣れたように当たり前のように繰り出されるそれに商人たちは息を呑んだ。
「くれぐれも失礼のないように」
警備兵は最後にそれだけ言うと、息のあった動きで踵を返し巡回に戻った。
今ここにいることが既に失礼だと言わんばかりの目線だった。
日は既に傾いている。
商人たちは奴隷を荷車から下ろし、縄を繋いだまま立ち並ばせた。
「おい!死んだのか?」
荷車の端には老いた奴隷が蹲って動かない。
「ああ…だから捨ててこいと何度も言ったろ」
「昨日まではまあまあ生きてたろ!」
「立て!立ってろ!」
「最後の最後にくたばりやがって!恩知らずが!」
気の短い商人がすっかり動かない老奴隷を執拗に叩く。
老奴隷の体はそれに打たれて体を揺らしながらほんのかすかに息を吐いている。
「役立たずが!スバの餌にでもしてやるか!?」
雲間に西日が強く差し、灰色の山の端が浮き立つ様は壮麗でもある。
振り返れば広い広い荒野、どこへでも行けるはずだ。
しかしこの場に立ちこめる逃げ場のないような息苦しい気配は何であろうか。
商人たちを遠巻きにしている兵士や行商、目的不明の人物たち。
商人の気が立っていくのは生来の性格ばかりではない。
彼は大声を張り上げる先を見つけて、不安を拭おうとしている。
やがて余程の折檻の時にのみ使う鞭まで取り出し、荷車の中へ片足をかけた。
そのとき、
「聞き苦しい」
よく通る声が商人たちの動きを止めた。
彼らが振り返ると、灰色の景色を切り取ったように目立つ真白の服を着た男が立っていた。
先程訪れた警備兵のような姿をした兵を6人ほど連れているが、この6人の服に施された刺繍はより煌びやかだ。おそらく身分がより高いのだろう。
だが商人たちは中央の痩身の男に注目し立ち尽くした。
その中心に立つ白衣の男の姿はあまりにも異様だった。
…そもそもこの北の大陸では、真白ということは
「能無し、卑しい、脆弱、醜悪」など悪い状態を指す。
染色の無い衣などは奴隷や罪人が着せられる服でしか見ないのだ。
貧乏人ですら思い思いの方法でなんとか色のある服を着なければと、野の木の実などで染色し、虫に喰われたり病に侵される事例があるほどだ。
その中でも真白の服は"負"の象徴である。
全身白の衣服でありながら堂々と立つ者など、まず無い。
ただし白衣もただ白いだけではなかった。
染色こそされていないが上等な布地に、
白糸の透かし編みや白金赤の繊細な刺繍、凝った作りの意匠が見える。
白い以外は権威のある人間であることが窺える。
しかして…、商人たちが見つめているのはその衣装でもなかった。
帽子と口布が当てられて鼻筋と眼しかうかがい知れないが、
その狭間に商人たちは釘付けになっていた。
目を引く冴えた白皮に、
白い睫毛に囲まれた大きい眼、
その中心には血を思わせる紅い瞳がこちらを貫いている。
白髪白皮の人間。
キュプレム神話でいう「無知の獣」だった。
もはや存在し得ないと思われていた忘れ去りたい人間の元来の姿。
しかし目の前にしてみれば、醜く無様な獣ではなく、目を惹きつけてやまない魔性の美しさがある。
商人たちは魅了される気持ちと、根深い忌避の気持ちがない混ぜになり、絶句した。
白い男は目線を商人たちからずっと背けると、外に並ばされている奴隷を眺め始めた。
兵の一人が短槍を地面にドンと一度打ち付け、言う。
視線に晒されるのも含めていつもの流れであると知らしめるように。
「"天使"様の降臨である」
商人たちは我に帰る。
目の前にいるのが"天使"なのだ。
自分たちは彼、もしくは彼らに、
最後の奴隷商売の清算をしてもらうために
遠路はるばるやってきたのだ。
目の前にいるのが獣でも、機嫌を損ねてはいけない。
「これはこれは私どもの商ーーー」
「静かにしていろ」
白皮の彼の声は若い青年のように聞こえるが、
金属を叩き合わせたかのように鋭く通り、商人たちを黙らせる。
天使は奴隷たちを眺め…嘆息した。
「要らぬ」
商人たちは当惑する。
この国であれば、どんな奴隷も売れると聞いて遠路、
資金を叩いて来たのだ。
「待ってください!」
商人は先程まで虐げていた老人を踏み越えて、
荷車の後ろで控えさせていた別の奴隷を引き出した。
黒髪黒目の大男、黒民奴隷だ。
目玉商品として、体を拭わせ服を替えさせ、
日に照って疲弊することのないよう下げさせていたのだ。
その巨躯が荷車から頭を出すと、
兵たちはどよめき、天使は先程までつまらなそうに伏せていた目を見開いた。
「黒銅の、民…」
商人たちはその言葉の意味は解さなかったが、
食いついたと判断し天使ににじり寄る。
「そうです、知高く強く美しい、
世にも稀な黒民奴隷の男です」
巨躯の男は商人に手で合図を受けると丁寧な仕草で礼をした。
ただでさえ灰色の髪しかいないこの場で目立つ黒髪に、
天使付きの兵より一回りも二回りも大きいその体は何をしてもひときわ目立つ。
体を折る礼一つで、遠目にしている者の視線さえ奪った。
「確認をさせてもらおう」
天使は一言そういうと、身軽に黒民奴隷のそばへ詰めた。
黒民奴隷の男は慣れた様子で膝をつく。
髪と目が染色やごまかしではないか確認をされるのは珍しいことではなかった。
天使はまず肩まで伸びた豊かな黒髪をひとすくいすると、
指先でこすり染料が落ちないかと痛めた感触がないかを確かめる。
小さく息を吐くのが聞こえる。
こちらは合格のようだ。
次は天使の腕の二倍はある太い腕の袖をたくし上げ、
浅黒い肌を手のひらで強く押し擦った。
こちらも色が褪せることはない。
最後に鼻元まで覆う前髪を分け入る。
ふと天使の手が止まる。
耳からかかる大きな鼻傷が現れたからだ。
「そ、その者は傷こそありますが、
黒民奴隷としては申し分ない教育を…」
商人たちは慌てて価値を下げまいと声を上げるが、
天使はそんな声など意に介さない。
一度止まった手はまた何ごともないように動き出した。
分け入る手は額を出だし、
黒く太い眉と豊かなまつ毛に縁取られた黒く大きな瞳は天使を見つめた。
天使は満足げに長い息を吐く。
そして男に問うた。
「素晴らしい。何か申してみよ」
「…」
黒民奴隷は一瞬戸惑ったが、厚い唇を開く。
「お会いできて光栄です、ご主人様」
低くも発音のいい声で黒民奴隷は挨拶をした。
商人たちが叫んだ「教育」はたしかに成されているのだろう。
一言だけで品性を感じられ、声だけ聞けば誰であっても、
商人たちと彼のどちらが身分が高いか取り違えることだろう。
「なるほど」
天使は満足げな息を漏らすと、また踵を返す。
兵の中心へ戻ると、一人の兵士に合図し呼びつける。
購入の意思は決まったようだった。
しかし商人はまだ退がるわけにはいかなかった。
「ただでは売れませぬ」
「何?」
「この者だけでは渡せませぬ。
他の者も買い取っていただかねば。
そのために来たのです」
天使は僅かに眉根をひくつかせる。
「判断はこの黒銅の民に任せよう」
その一言で、場の視線が一気に黒民奴隷に注がれる。
黒民奴隷は美しい礼をし、一言答えた。
「今はこの身は商人様のもの。
生かすにしても殺すにしてもその判断に委ねます」
つまり、商人の言う通りにせよということだ。
天使はまた軽やかに黒民奴隷に近寄ると、
蠱惑的に頬を撫でながら小声で囁いた。
「お前の意思は?」
その異様な赤い瞳が、真っ直ぐに肌を焦がしても、
黒民奴隷の表情が崩れることはない。
彼は顔を上げ、車に残された老人を一瞥する。
老人は車の板床へうつぶせてはいるが、ほんのかすかに、肩を上下させている。
天使も黒民の視線の方向を確認し、また向き直った。
「慈悲を」
天使は息を呑んだ。
厚い睫毛の間から覗く黒く大きな瞳は、
夜闇の水底のように深く深く澄み、天使を映している。
…呑み込まれそうだ。
──この男だ、間違いない──
「左様であれば仕方がない」
かくして取引は成立し、商人たちの奴隷は大粒の紅玉と交換された。
またこの地に留まらずに去ることを要求され、彼らは去っていった。
多くの奴隷は一絡げに繋がれ、兵によって誘引されていくが、
一部の者は市の端に寄せられ、放置される。
主に身体の一部が不自由な者だが、その中にあの老人も残された。
「案ずるな。あの者たちはいずれ自ずから去る。」
それは見殺しを指す言葉であっただろう。
彼らの行方を静かに見つめていた黒民奴隷は、
天使とその一団に一人残された。
手には拘束具が巻かれているが、
彼に天使は慈しみを込めた声で語りかける。
「貴殿の名は?」
「名…決まったものはありません」
「あるだろう」
黒民奴隷の男は口を開くが、
少しためらい、わずかに弱々しい声色で告げる。
「私には…少年期より以前の記憶がありません」
「ほう…!」
天使は驚きの声を漏らすが、そこに落胆の色はなく、
然もありなん、といった期待のこもった声色だ。
「そうか…そのことについては、明朝また詳しく話を聞こう。
ひとまずは当面の呼び名だ。」
「随意に。
今まではその都度に『黒』や『黒民』と呼ばれました。」
「なるほど、では今は…」
天使は顎をとんとんと指先で打ちながら考える仕草を見せたが、
ふと気付いたような息遣いをして呟いた。
「コッパー」
そのとき男は頭の中で何かが蠢くのを感じた。
「…コッパー…」
「良い名だ、なあ?」
「光栄です」
兵の一人が天使に、スバ車の準備ができたと伝えた。
「行こう、コッパー。神の御許へ」
その時、コッパーは昨夜の老人の一言を思い出した。
────「エラメンタね…アタシも噂でしか知らないが…本物の神がいるそうダよ…」
「神は…本当にいるのですか」
コッパーはふと漏らし、すぐに失言に気付き口を引き結ぶ。
天使は聞き逃しはしなかった。
しかし咎めることなく、憐憫のような眼差しで応えた。
「いるとも」
天使は両手を口元を覆うように当てて一時目を閉じた。
「信じ給え」
朝焼けの中、鳥が飛ぶ。
岩の上に裸足で座る少女が、
岩間を飛び去る鳥を見送った。
板窓の窓辺にて総髪の青年が、
太陽に向かって下る鳥を眺めた。
また朝が来る。
今度は滅びの足音を携えて。




