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第一節「前夜・奴隷バ車にて」

奴隷(どれい)を乗せた車と商人たちの野営が、

広い荒野の真ん中、星空の下わずかに灯っている。


木囲いの荷バ車。

焚き火の火花が静かに割れる音が小さな格子窓の外から聴こえる。

冬季の気配がしてきた肌寒い夜。

十数人の裸足の奴隷たちの身を寄せ合う衣擦(きぬず)れと吐息の音。

その群れから一人離れて(うずくま)る男。


灰色の髪の揺れる車内で、一人異質な黒い髪。


額から覗く烙印(らくいん)から奴隷であることは間違いないが、毛布が与えられ、(まと)っている衣や肌艶(はだつや)から、他の奴隷とは一線を画した扱いを受けていることがわかる。

そうでなくても、厚みのある筋肉質な体躯(たいく)に浅黒い肌、肩までの黒髪と蓄えられた髭、そして左耳から鼻まで伸びる引き裂いたような傷のある大男だ。

筋肉質ではあっても痩身(そうしん)気味で白い肌の他の奴隷とは明らかに異質な存在だった。


「その毛布を貸してくれんカね」

 

灰色の髪の群れの中で一人が動いた。


いや、群れにいるというより群れに寄り添うようにいた一人だ。

灰色というには色の抜けたざんばらな頭の老翁(ろうや)は、黒髪の男とは違う意味であぶれ者らしい。


黒髪の男は(うつむ)いていた顔を上げる。

扱いの身に似合わぬ静かで(くら)い目を開き、声を上げた老人を一瞥した。

男は黙したままだが、身に(まと)っていた毛布を掴む手を緩める。

 

「ああ、()がんでエエ…」

 

老人はしゃがれた声でそう言うと、細い膝を震わせながら男に近づいた。

そのまま毛布の端に脚を入れ膝に抱えた。

 

「これがアタシの最期の夜さ。

 アンタと話してみたいンだ」


老人の声はかすれてこそいるが、不思議と耳に届く力を宿している。


「アンタは信じられないかもしれないが……

 アタシァ黒民(こくみん)だったんだ」

 

静かに老人を見つめていた大男の目が僅かに開かれる。

たるんだ皮で目元の隠れた老人が、指でまぶたを引き上げると、

やや白濁(はくだく)してはいるものの、確かに黒い瞳が現れた。

肌の色は日焼けのように見えたが、白髪に透けた頭皮とは差がない。

 

「色の抜けた黒民(こくみん)奴隷がどうなるか、わかるカ?

 近頃は若い者を見ないから、アンタがめづらしくてヨ」

 

老人は後ろの壁にもたれると、今日に至る人生をとうとうと語り始めた。


黒民(こくみん)奴隷として生まれ両親の元に育ったが、

物心ついたころに商品として引き離されたこと。


富豪が客に見せびらかすために礼儀作法を叩き込まれ重宝されたこと。

少年期に吃音(きつおん)が酷くなり、安値で売り出されたこと。

吃音でなくても、顔や性能が特別良いわけではなかったこと。

そのせいで家に箔をつけるよりも長く

黒民(こくみん)支配の憂さ晴らしに使われていたこと。


青年期に黒民(こくみん)奴隷の繁殖(はんしょく)をしている奴隷商に買われ、

同じ奴隷の女性に恋をしたこと。

その女性と子供をもうけたこと。


自分たちと同じ道を辿らないよう、

抜け出して赤ん坊を貴族の車に置いてきたこと。

そのことがバレて罰として引き離され、

後は女性の消息も知らないこと。


やがて老いて捨てられる前に今の商人にタダ同然で譲られたこと。


「今は、あの夜置いてきた子が…

 幸せになっているかどうかだけがアタシの希望ヨ」

 

老人は話の最後にそれを言うと、膝を温めていた毛布に顔を埋めて沈黙した。

 

「最期というのは?」

 

呟くように大男が言葉を発する。

老人は小さく感嘆し、大男に振り向いた。

 

「喋れるんか?」

「…はい」

 

大男はその姿に相応しい低く夜に溶けるような声で控えめに言葉を発した。


老人は初めて正面から男の顔を見た。

やや幅の広い鷲鼻(わしばな)に厚い唇、太く整った眉に大きい瞳。

家に(はく)をつけるために置くにはお(あつらえ)向きの

理想的な黒民(こくみん)の特徴を全て持っていることに驚く。

 

「…アンタほどの人でもこんなとこに行き着くんだなァ

 …ああ、でも傷ガな…」

 

老人の目は左頬の引きつれた皮膚に止まる。

髭によって見分けにくいものの、端正な顔の中では目立つ大きな傷だ。

 

「勿体無いなァ…いつからの傷だ?」

 

大男の瞳が揺れ、小さく言葉にならない言葉を二、三吐き、答える。

 

「…わかりません」

「わからないってこたないだろォ、こンだけのものは…」


「…私には、子供の頃の記憶がありません」


「え?」

「気づいた時にはあった傷で、どう付いたかは…」

「ああ、そうだったンか、悪いことを聞いたナ」

 

老人はそれ以上は聞かなかった。


奴隷にも生涯を安穏(あんのん)と過ごすものもいれば、

暴行紛いの調教などで障害を負うものもいる。

記憶が飛び飛びになる奴隷も取り立てて珍しいことではなかった。


耳のほぼ半分を削り頬を引き裂く大きな傷から、

記憶を失うほどの何かが男に起こっていても不思議ではない。


「それで…」

「ン?」

「今夜が最期と言いましたが」

「ああ…」

 

老人は最初にそんな質問をされたということをぼんやり思い出す。

 

「商人たちが言ってたろ、明日が最後だ」

 

明日は、エラメンタ神国に着く日取りだ。


北西に離れ、かつてはキュプレム王国とのみ親交があったとされる謎多き国、エラメンタ神国。


老若男女を問わずに大金で奴隷を集めている、と言う噂は長くあったが、

旅費や旅程を考えるとわざわざ噂に賭ける者は多くなかった。


しかしキュプレム王国崩壊後、

異国連合に支配された元キュプレム王国内では、

奴隷商の仕事は厳しく規制され、

奴隷の無償での開放を求められるようになってきた。


生活の(かて)を失う奴隷商は最後の商売をかけに、

こぞってエラメンタ神国に向かっているのだ。


この車も例外ではない。

 

「アタシはもういい………」

 

老人は今まで見せていた明るさを沈め、心底疲れたと言うように息を吐いた。

 

「明日売られまいが売れまいが、

 アタシはすぐに死ぬことになるだろうよ。

 もう随分なトシだ…」


「だけンド、いつ死んでもいいと思ってる内には不思議と死ねねんだ…

 アンタもきっと同じ川だナ」

 

小さくなってゆく老人の言葉を、大男は静かに拾い上げた。

「川」は運命を表す。

 

「アタシはあの娘が幸せに生きているナら…」

 

微睡(まどろ)み始めた老人は、

静かに指を組んで額に付け、祈りの姿勢をした。


「エラメンタね…アタシも噂でしか知らないが…

 本物の神がいるそうダよ…」

1章、本編の開始です。

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