幼馴染の母
藤の神子乱心事件――。
その始まりは当時二十七の神子であった藤紫による三十二の神子の蜜柑の殺人でした。
事件発覚直後、藤紫は男神を一人引き連れて逃走。
即刻、藤紫は指名手配となり、全職員が藤紫の捜索にあたりました。
やがて当時坤区の神子管理部所属であった真珠が藤紫を発見し、自首をするよう進言しましたが、藤紫はこれを聞き入れず、あろうことか真珠に生命を徐々に奪う「死の呪い」をかけたのです。
そして、藤紫は大量の邪神を呼び寄せ、神域を襲おうとしましたが、真珠が神子にも匹敵する清らかな神力で邪神を浄化し、神域の平和は守られました。
計画を邪魔された藤紫は憤慨し自我を消失。
自ら邪神の蔓延る世界へ堕ちていったのです。
以来、藤の神子は行方不明のまま。安否も不明です……。
しかし、真珠の呪いは急激な進行を続けています。
これはつまり藤の神子が生存している可能性が高いということです。
そして、その藤の神子に密かに手を貸し、手引きをしているのが、ここにいる〈能無し〉の紅玉なのです。
七の神子より告げられた紅玉の罪状に法廷内がざわめく――。
「やっぱり藤の神子と〈能無し〉は繋がっていたんだ」
「最初から怪しいと思っていたんだ」
「〈能無し〉なんか不幸をもたらす存在他ない」
「〈能無し〉は存在そのものが罪だ」
「極刑を!」
「極刑を!!」
声が大きくなると同時にカンカンッ! と木槌の音が鳴り響く。
「静粛に。静粛に…………被告人、紅玉。今告げられたの罪状について何か意見は?」
紅玉は飛瀧を真っ直ぐ見つめきっぱりと答える。
「わたくしは無実です。そして、藤の神子こと藤紫も無実でございます」
紅玉の発言に再び法廷がざわめく。
「嘘を吐け!」
「〈能無し〉め!」
「藤の神子のせいでどれだけの人が死んだと思っているんだ!?」
「お前も同罪だ!」
「人殺し!!」
カンカンカンカンッ!! ――木槌の音が激しく鳴り響いた。
「静粛に! 静粛に! 傍聴人は静かに。被告人も余計な発言は控えるように」
飛瀧に注意され、傍聴人達は憮然としたまま口を噤み、紅玉は静かに頭を下げた。
「では原告側、冒頭陳述を」
飛瀧の指示で武千代が立ち上がった。
「まずはこの法廷にいるみなに紅玉という女のことを知って頂きましょう」
武千代は手元にある資料に目を通しながら話した。
「紅玉は普通の家庭に生まれた長女であり、みな知っているように十の神子である水晶の姉です。そして、彼女は幼き頃よりともに育った友人達がおりました。その友人達もまた神子でありました。前十の神子の海、前四十六の神子の葉月、前三十五の神子の清佳、前三十二の神子の蜜柑、そして藤の神子――元二十七の神子である藤紫。彼女達は神子として名を馳せただけでなく、かつて現世でも類い希なる才能の持ち主でもありました。女性ながら武道の達人であった海、常に首席の成績を誇っていた葉月、美しき舞姫として有名であった清佳、歌留多界の次期女王としてその実力が認められていた蜜柑、将棋と囲碁という異なる世界を渡り歩く異端児の藤紫。このように紅玉の周りには幼い頃から優れた者達が集ったせいで、紅玉はこう思ったに違いありません……羨ましい……恨めしいと」
武千代の言葉に誰もがハッとなる。
「紅玉は彼女達幼馴染達に親愛の念を抱きながら、内心は嫉妬していたのです。そして、神域へやって来た時にその感情は爆発してしまった。何故ならば紅玉は〈能無し〉だから。〈神に愛される者〉ではなく〈神に見捨てられし者〉だったから。それを踏まえ思い出して頂きたい。紅玉の幼馴染の神子達が死した日を。全員、紅玉が神域へやって来て一年足らずで命を落とすか行方不明となっています。これはただの偶然ではありません。紅玉が仕組んだ凶悪な殺人だったのです!」
息を呑んだのは果たして誰だったのか――。
「そして、紅玉が次に狙っているのは聖女と誉れ高い真珠です。藤紫を騙して真珠を襲わせ、そして今も真珠の尊い命を奪おうと虎視眈々と狙い続けているに違いありません!」
「異議あり! 憶測に過ぎません。証拠がありませんよ」
しかし、燕の異議に武千代は怯まなかった。
「……裁判長、ここで現世からの証人の召喚許可を願います」
「許可します」
「では証人、入りなさい」
武千代の声に法廷内に足を踏み入れたのは女性だった。
髪の毛先と瞳を黒に近い深緑に染まっているものの、一目見て紅玉はその人が誰であるか分かった。
思い出すのは約三年前、清佳がこの世からいなくなったことを彼女に告げた時の事――。
視界が激しく揺れたと同時に頬に衝撃が走った。
「あなたのせいよっ!!」
叫びと共に両肩を強く掴まれ揺さぶられる。
「あなたのせいでっ! 千花がっ!!」
蘇芳が間に入って止めようとしたが、彼女の力はあまりにも強かった。
それでもなんとか彼女の夫とともに紅玉から引き剥がしたが、彼女は暴れ狂いながら激しく泣き叫ぶ。
「人殺しぃっ!! 返してっ!! 千花を返してぇっ!! 私の娘を返しなさいよぉっ!!」
「証人、仮名と身分を」
「小代美と申します。前三十五の神子、清佳の母でございます」
かつて憎しみの言葉を言い放った清佳の母の登場に紅玉は驚きが隠せないでいる。
法廷内もざわめく。
そのざわめきの中で武千代が声を上げた。
「みな知っているように前三十五の神子は紅玉の幼馴染である。そして、この証人は前三十五の神子の母であり、紅玉の事も幼い頃より知っています。では、証言して頂こうか。学生時代の紅玉がどのような人物だったのかを」
「かしこまりました」
小代美は深々と腰を折ってみせると、飛瀧の方を真っ直ぐ向き、語り出した。
「被告人は私の娘の幼馴染です。被告人は大変優秀な幼馴染達に囲まれておりましたが、その一方で被告人はこれと言って特別秀でた能力も、容姿も持たない、至って普通の女の子でした。故に周囲やクラスメイト達からは『ただの残念な子』『大したことがない子』『能がない子』と言われておりました」
法廷内はざわめく――。
小代美の証言はまさに今の紅玉と全く同じであったからだ。
神力がない〈能無し〉と言われている紅玉と……。
「被告人は幼馴染が大切で守りたいと言っておきながら、自分が評価されないことを憎く思っていたはずです。幼馴染達を……私の娘が羨ましくて、憎かったに違いありません。そして、彼女は結果幼馴染を一人も守れなかった。いえ! 守ろうとしなかった! きっと最初から殺すつもりだったんです! 私の娘を!!」
「異議あり! 証言ではなく憶測になっています!」
「……異議を認めます」
燕の異議によって発言が止められても尚、小代美は鋭い視線で紅玉を睨み付ける。
その目に宿るのはまさに憎しみと怒りそのもの。
未だに紅玉を赦さないという強い思いが込められた……。
武千代は小代美に頷きかけると前へ歩み出る。
「しかしながら、紅玉が幼い頃より幼馴染達と比較されその評価が低かったことは事実。そんな状況下に置かれ、彼女の自尊心は傷つかなかったというのでしょうか? 幼馴染達を憎たらしいと思いもしなかったのでしょうか?」
法廷内は更にざわめく――。
「そりゃ……羨ましいって思ったに違いないよな……」
「一緒にいればいる程惨めな思いになるわよね……」
「女同士の友情って意外と裏ではドロドロしているっていうし……」
「やっぱり幼馴染のこと恨んでいたんじゃ……」
聞こえてくる声に燕は内心舌打ちをした。
(上手く意見を誘導されてしまった……!)
武千代は更に高らかに告げる。
「やはり〈能無し〉は優秀な幼馴染達に嫉妬に狂い凶行に及んだのです!!」
その次の瞬間だった。
「ちょっと待ちなさいよぉっ!!」
法廷内に怒号が響き渡った。
全員驚いて振り返れば、そこに立っていたのは――。
「あんたねぇっ! さっきから黙って聞いてりゃ、さんっざん紅の悪口言った挙げ句、紅が嫉妬に狂って凶行に及んだとか! ふっざけんじゃないわよっ!! 紅はそんな子じゃないわよっ!! 馬鹿皇子!!」
金糸雀色の髪を揺らし、目を吊り上げてそう叫んでいたのは神獣連絡部の雛菊。
数日前、宮区警備部の妨害をし、現世へ逃れ行方不明となっていたはずの。
驚くべきは皇族である武千代に対する暴言を堂々と叫んでいることか、普段の雛菊とはかけ離れた強い物言いか、それとも瞳の色が透き通った青に染まっていることか――。
その瞳の色に紅玉は目を見開いてしまう……その色に見覚えがあったから。
すると、雛菊の瞳の色が萌黄色に変わった。
「落ち着きなさい。あなたが怒鳴ると余計にややこしいことになるわ」
「うっさい! ここで文句言わずにいつ言うのよ!?」
「だから一旦黙りなさいって!」
雛菊が一人で叫んでいる。
瞳の色は青色に変わったり、萌黄色に変わったりと、忙しい。
挙げ句、口調も大きく変わっているという。
雛菊の変貌に武千代も傍聴人も混乱気味だ。
一方で紅玉は気付きつつあった。
そして、その事実に気付いた瞬間、堪えていた涙が溢れてくる。
蘇芳が肩を抱いて優しく宥めてくれるが、一度溢れた涙を止めることなどできなかった。
紅玉の様子に気付いた雛菊がハッとする。
その瞳の色は蜜柑色だ。
「紅ちゃん、泣かないで! もう大丈夫だよ……! こんな時に傍にいられなくて、ごめんねっ……ごめんね……っ!」
弱々しい口調になった雛菊がボロボロと涙を零す。
先程とは全く異なる雛菊の雰囲気に法廷内は理解できず混乱するばかりだ……。
「あー……もう、変なタイミングで異能発動させないでよね……段取りがめちゃくちゃじゃん」
ぶっきらぼうな口調の綺麗な声が響き渡り、その人物が雛菊の隣へと立つ。
雛菊と同じく、宮区警備部の妨害をして現世へ逃れ行方不明となっていた文が。
指名手配されていた朔月隊の隊員の――。
武千代と咲武良がハッとする。
「朔月隊!!」
「警備部!! 捕らえよ!!」
「――【全員着席】」
瞬間、法廷内の人間は全員椅子に糊付けされたように立てなくなった。
当然、まさに今、文を捕らえようとして動いていた宮区警備部も床の上に座り込んでいた。
「うっ、動けない……っ!」
「おのれ……っ、言霊遣い……っ!」
ついでに雛菊も。
ちなみに瞳の色はいつもの橙色だ。
「……あの~、文? 何であたしまで床の上に体育座りしてんの?」
「アンタは邪魔だからそこに座って、口塞いでて」
文は一人法廷内へと足を踏み入れていく。
そして、文は真っ直ぐ飛瀧を見つめると頭を下げた。
「朔月隊が一人、文と申します。弁護側から紅玉の過去を知る人物を召喚したく許可願います」
「……少々行動が強引な気は致しますが……許可しましょう」
「寛大な判断に感謝します」
そして、文はくるりと振り返り、告げる。
「入れ」
法廷内に入ってきたのは髪の一部を青緑に染めた見知らぬ男性だった。
背はスラリと高く、気さくな人柄が滲み出ている整った顔をしているが、今は緊張のせいか表情が硬い。
よくよくその顔を見て、紅玉と蘇芳は気付く。その男性に見覚えがあると。
「証人、仮名と身分を」
「えっと……寿々白と申します……べに……紅玉の幼稚園からの同級生です」
かつて里帰りの時に束の間の再会を果たした同級生がそこにいた。