皇族神子達の会議
全御社の強制立ち入り捜査から数時間経ち、神域は普段の静けさを取り戻していた。
その神域の夕焼け空を二羽の烏が飛ぶ。
内一羽のその背には何故か空色の蜥蜴が乗っていた。
やがて二羽の烏はある御社の敷地内にある木の枝に止まる。
そして、じっと部屋の中を蜥蜴とともに見つめた。
そこにいたのは大和皇国を代表する七人の神子だった――。
その部屋――七の神子の執務室に咲武良の怒鳴り声が響き渡る。
「何故〈能無し〉が見つからない!? 全御社だぞ!? 全御社をくまなく捜索したというのになぜ見つからんのだ!?」
苛々としながら咲武良は拳を机に叩き付けた。
「挙げ句、神術を使った痕跡もないとは……一体どうやって身を隠している……っ!?」
「………やはり一番怪しいのは十の御社か………」
忌々しげに武千代が呟く。
「しかし……武千代様……十の御社捜索担当はあなた様だったはず……何も見つからなかったのでは?」
「……ええ、そうですね……それが何か?」
武千代の纏う空気が一気に冷たくなったので、指摘した六の神子である菜種姫は思わず息を呑んで追及を止めた。
「武千代お兄様、もう一度十の御社を捜索しましょう! 今度は私も参ります!」
「……桜、止めなさい。あの御社は侮らない方がいい」
武千代は身を以って知ったばかりだ。
十の神子を守る存在は神子護衛役や神子補佐役だけではないことを……。
「真珠の命がかかっているのです! 多少の抵抗は力で捩じ伏せてみますわ!」
「――止めなさい、桜」
そう言ったのは、武千代でも咲武良でもなかった。
「力で捩じ伏せるなど言語道断。そなたは姫である。そのような発言、決して赦されることではない」
それは怒りを隠し切れていない冷たい声だった。一の神子である月城の。
「……月城お兄様、今やお兄様の言葉など恐るるに足りませんわ。何故ならばあなた様は朔月隊の総司令官……今や私達の敵。裏切り者ですわ」
「…………」
桜姫の堂々とした振る舞いと同時に武千代、咲武良、菜種姫からの冷たい視線が突き刺さり、月城は何も言えない。
その月城はというと、今は神力で作られた檻に閉じ込められていた。
「裏切り者は皇太子殿下だけではありませんよ。露姫様と暁様も同罪です。何せあなた方はかつて〈能無し〉に肩入れをしたのですから」
武千代の言葉に顔を上げたのは、二の神子である露姫と三の神子である暁だ。
その二人もまた月城と同様に神力の檻に閉じ込められていた。
「……たった一回だろ。俺は朔月隊とは何の関係もねえ」
「……その言葉遣い、後で十分に指導したいところですが……今は暁に同意することを優先しましょう」
「そのたった一回が問題なのだ!」
自分は関係ないといった態度を崩さない暁と露姫に咲武良が怒鳴り寄る。
「夏の宴、貴様らが〈能無し〉に肩入れをしたそのたった一回で――」
「――『俺のかわいいかわいい桜姫ちゃんが恥かいただろうが』って言いたいんだろ?」
「暁ぃっ! 貴様ぁっ!!」
咲武良の怒りを買っても、暁はニヤリとほくそ笑むだけだ。
「……怒りを鎮めなさい、咲武良。暁様と正面から張り合っても時間の無駄です」
「……暁、お止めなさい。咲武良が五月蝿くなるだけです」
武千代と露姫、それぞれに窘められ、二人はそっぽを向いてしまう。
しかし、これで話を進められそうだ。
武千代は月城の前へ進み出る。
「……一の神子、月城……あなた様に問います。あなた様の命で朔月隊は何を追っていたのですか? 包み隠さず全てを話してください」
「…………」
「…………これは命令です。最早あなたは我々に逆らうことなどできない立場です」
「…………」
神力の檻から放たれる、突き刺すような強制の力に月城は歯向かうことなどできない。
やがてゆっくりと語り出す。
「……卯月の半ば、ある職員が邪神に襲われ、殉職した報告を覚えているか?」
「……確か、生活管理部の女性職員だったかと……」
知らせを聞いた時は武千代も驚いたことをよく覚えていた。
殉職など久しぶりの事だったのだから……。
「実はその職員……禁術と式の術を扱えたらしい」
「……は?」
「なっ!? 禁術と式の術!?」
咲武良が叫び出すほど驚くのも無理はなかった。
禁術は危険極まりない禁じられた神術だ。
術式研究所によって作られた禁術は、三年前に全て目の前にいるこの月城が封印したはずであり、この世に存在すること自体おかしいのだ。
また式の術は特殊な紋章で発動する特別な神術であり、それを使える人間は限られている。
そう、今ここにいる皇族や四大華族といった大和皇国の歴史の深い一族にしか伝えられていないのだ。
その術を何故一介の職員が扱えるのか甚だ理解しがたい。
「……当然、私は朔月隊に命令をした。殉職した職員に禁術と式の術を教えた人物を見つけ出し確保せよ、と」
皇太子の命令は当然の事だと誰もが思う。
「そして、その捜査の過程で朔月隊は、聖女である真珠と同じ呪いを扱う存在を追っていた」
「真珠に呪いをかけたのは史上最悪の神子の藤紫ですわ!」
声を荒らげる桜姫に月城は静かに頷く。
「……ああ、その通りだ。だがしかし、朔月隊はある仮説を立てていた。呪いを扱える存在は他にもおり、そしてそれは人ではないかもしれないと」
「っ!? おい……それって……!」
思わず口を挟んでしまう程、暁は動揺した。
人ではない――それ即ち……。
「朔月隊は『神』を疑っていたのですか?」
露姫の言葉に誰もが凍りつく。
大和皇国において、国を守り反映に導いてくれる神は崇めるべき尊い存在である。
その大切な神を忌むべき存在として疑うなど、言語道断。
むしろその疑う心こそが忌むべきものであり、否定すべきものだ。
「神への冒涜ですわ! なんて悍しい! なんて愚か! 神を愚弄するなど決して赦されませんわ!」
桜姫が怒りを露にして声を張り上げた。
「やはりなんとしてでも朔月隊の一味である〈能無し〉を捕らえなくては。このままでは国の危機です」
「ああ、その通りだ! 即刻引っ捕らえて罰を下さねばこの国が厄災に見舞われてしまう!」
「……やっぱり……〈能無し〉は不幸を招く存在なんだわ……なんて恐ろしい……っ」
武千代と咲武良も桜姫同様怒りを露にし、菜種姫は恐ろしさに身体を震わせる。
それほどまでに〈能無し〉の存在に危機感を覚えていた。
すると、扉が叩く音が響き渡る。
「どうぞ」
桜姫がそう声をかければ扉が開かれ、入ってきたのは――。
「真珠!」
聖女こと真珠。女性職員に支えられながらもその足取りはふらついており、その顔は蒼白い。
「姫神子様、私の為にご迷惑をおかけしております……」
「真珠! ダメじゃない! 寝ていなければ! あなたは今誰よりも辛いはずよ!」
「真珠さん、どうぞこちらへ。とにかくお掛けなさい」
桜姫だけでなく、武千代も心配そうな顔をして駆け寄り、真珠を支えた。
桜姫と武千代の支えでようやっと腰掛けた真珠は大きく息を吐く。
「ありがとうございます、お二方様……」
蒼白い顔で柔らかく微笑む真珠の健気さに桜姫と武千代は目が潤みそうになる。
「……おい、聖女サマ、今は皇族神子同士の大事でメンドクセェ会議中だ。いきなり入ってくんな」
「暁お兄様っ!」
桜姫だけでなく、武千代や咲武良も暁を睨み付ける。
暁もまたフンと睨み返していた。
「良いのですよ、姫神子様。暁様が正しいですわ。私は皇族神子様とは無関係ですもの」
「そんなこと言わないで、真珠! あなたは私にとって尊敬する大切な人よ!」
「まあ、光栄ですわ、姫神子様」
手を取り合う桜姫と真珠は仲の良い姉妹のようで微笑ましく、武千代は目を細めて見守った。
「……んで何の用だよ」
「暁お兄様っ!」
暁は相変わらず不機嫌な態度だったが。
「……呪いが、少し疼きまして……」
「まあ! 呪いが!? 大丈夫なの!?」
「はい……倒れた時の激痛に比べたらこの程度」
「無理はダメよ?」
「はい」
真珠はふぅと息を吐くとはっきりと言った。
「……もしかしたら……今、核心に迫りつつあるのかもしれないと思いまして」
「核心……?」
「呪いの疼き……それ即ち、姫神子様達が真実に迫りつつあり、術者が焦っているのかもしれないと思いまして……」
真珠の言葉に桜姫達はハッとする。
「やはり藤の神子は生きているのですね!?」
「それは、確証はありませんが……恐らく、は……」
すると、しばらく思案していた武千代は真珠に告げる。
「実は……〈能無し〉が所属していた朔月隊が呪いを扱えるのは藤の神子だけではなく、神も疑っていたという情報が挙がりました」
「まあ……! なんて悍しい……!」
真珠の反応もまた武千代達と同様のものであった――しかし。
「……ですが、あの方ならばその可能性があるのかもしれません……」
「っ! 真珠、心当たりがあるのですか?」
「…………はい」
真珠は胸に巣くう呪いにそっと触れるように手を置くと、はっきりと告げた。
「覚えていらっしゃいますか? 藤の神子は逃亡の際、一人ではなかったと」
「あ……!」
その言葉に誰もが思い出す。
藤の神子が前三十二の神子殺害後、逃亡を図った際、手助けをした男神がいたことを。
「まさか……!」
「はい……姫神子様のご想像の通りです。恐らく呪いを扱える神とは藤の神子に使えていた男神のことでしょう。私が呪いをかけられた時もあの方は藤の神子と一緒におりましたから……今にして思えば、あの方はもうあの時すでに狂っていたのかもしれません……藤の神子の悍しい思想に浸蝕されて」
真珠の言葉に桜姫は恐ろしさに震えた。
もし、その考えがあっていたとするなら、本当に核心に迫りつつあるのなら、即ち……。
「やはり……生きているのですね。藤の神子は」
桜姫の言葉に真珠は俯いてしまう。
そして、ズキズキと疼く呪いをぎゅっと押さえ付けていた。
真珠の儚げな姿を見て、桜姫は決意する。
「聞きましたか、お兄様達。私達は確実に藤の神子を追い詰めているのです」
桜姫の言葉に咲武良は頷く。
「藤の神子には協力者います。それは間違いなく彼女の幼馴染であり、〈能無し〉であり、今まさに私達が追っている人物である紅玉なのです!」
その核心を得た推理に菜種姫は思わず震えた。
「真珠を救う為にも、この世から悍しき術を根絶する為にも、私達は必ず〈能無し〉を捕らえ、裁かなければなりません!」
真珠を救う為に――その言葉に真っ先に動いたのは武千代だった。
「神域裁判を行いましょう」
武千代の言葉に月城がピクリと反応する。
「……そなたにその権限はないはずだ」
「今のあなたにこそ発言権はありませんよ、一の神子」
武千代は月城を真っ直ぐ見つめ返すと言った。
「一の神子……あなたは飛瀧に言われていたはずだ……〈能無し〉と初代盾の再来を引き離すべきだと」
「…………」
「お兄様……それ、ほんと、なの?」
狼狽えたのは桜姫の方だった。
月城は真っ直ぐ武千代を見つめたまま何も言わない。
「……結果、飛瀧は正しかった。初代盾の再来は愚かにも藤の神子に与する〈能無し〉に奪われてしまっているのだから」
「…………」
それでも月城は何も答えなかった。
何も言い返さない月城に苛立ちを覚えつつも、武千代は宣言する。
「神域裁判を開きます! 被告人は〈能無し〉こと紅玉! 罪状は『聖女殺害未遂』! 各自、証拠集めを行いつつ、引き続き〈能無し〉の捜索を! なんとしてでも〈能無し〉を見つけ、必ず罪を暴きましょう!」
「はいっ!」
話がまとまったと同時に真珠は椅子の上でぐったりとしてしまう。
即座に桜姫が駆け寄る。
「真珠っ!」
「……申し訳、ありません、姫神子様……少し気分が悪く……」
「無理しないで!」
「早く休める場所へ連れていきましょう。誰か! 手を貸してください!」
武千代がいち早く動き、外に待機していた御社職員達を呼び寄せる。
そうして真珠は職員達に支えられ部屋を後にした。
「私……っ、少し真珠の様子を見に行きますわ!」
「桜、僕も参ります」
「では我々は先に捜索へ出るとしよう」
「はい、各職員へ申し送りをしなくては」
桜姫と武千代は真珠の後を追い、咲武良と菜種姫は早速捜査へ出掛けていく。
部屋に残ったのは檻に閉じ込められている月城と露姫と暁だけとなった。
桜姫がいなくなった部屋で月城は思わず呟いていた。
「……引き離すべき理由については、今回の件と関係ないのだがな……」
「……皇太子、何かおっしゃいましたか?」
「いや、何でもない」
月城は窓の外を眺めた。
そこにすでに気配はなかった……。
二羽の烏は飛ぶ。
空色の蜥蜴を背に乗せて、夕焼け空を真っ直ぐに飛ぶ。
やがて背に何も乗せていない方の一羽は急降下を始めた。
そして、地面へぶつかる直前、まるで沼に飲み込まれるように闇へ消えていった。
もう一羽の背に乗っていた空色の蜥蜴は光を放ちながら変化する。
美しい空色の細長い子竜となった元蜥蜴は、するすると天高く昇っていく。
そして、あっという間にその姿は見えなくなってしまった。
残った烏は夕焼け空を飛ぶ。
どこまでも、どこまでも飛ぶ。
やがて神域を出て、飛ぶのは現世の空。
人が営む街の上を、電車の上を、行き交う人々の上を、どこまでも、どこまでも飛ぶ。
やがてたどり着いたのは一軒のとある屋敷。
その屋敷の開いている窓から中に入り、「ガアッ!」と一鳴きする。
「はいはい、今行きますって」
不機嫌そうに烏に答えたのは美しい声を持つ男性だった。
烏が「カァカァ」と鳴くと、男性は不機嫌そうに顔を歪め呟く。
「……ふぅん……神域裁判ねぇ……」
一方、天高く昇っていった子竜が辿り着いたのは地上とは全く異なる世界。
どこもかしこも美しく清らかな神力で満ち溢れている。
「あっ、おかえりっす! こっちっすよ!」
溌剌な声が子竜を呼んだ。
子竜はシュルシュルと少年の腕に巻き付き「キュウキュウ」と鳴く。
すると、少年は驚いた顔をする。
「神域裁判! それは大変っす! 急いで捜査しないとっす!」
少年はバタバタと駆け出した。
そして、闇に消えた烏が辿り着いたのは暗く淀んだ世界。
あちらこちらから叫びや嘆きが響き渡っている。
「やあ、おかえり。情報収集、ご苦労様」
烏を手の上へ導いたのは鉛色の髪を持つ男性だ。
烏が「ガァガァ」と鳴けば、男性はふむふむと頷く。
「なるほどなるほど、神域裁判ねぇ~。こりゃ、あっちも本気ってことだねぇ~」
黒い空へ烏を放つと、男性はニヤリと笑った。
「それじゃあ、そろそろこちらも大詰めといきますか~」
男性は叫喚の響き渡る闇の空間へゆっくりと進んでいった。
皇族神子達が知らない場所で彼らはすでに動き出していた――。
そして、彼女もまた――……。
パラリ、パラリ――頁を捲る音だけが響く部屋に入ってきたのは身体の大きな大男だ。
「こら! 寝ていないと駄目だろう!」
そう怒鳴りながら部屋に入ってきた大男に彼女は苦笑いを浮かべる。
「すみません……今の内に気になるところは調べておきたくて……」
「ああもう顔がまだ白い! また無茶をして!」
大男は彼女が持っていた資料を取り上げると、彼女の頬や頭を撫で、身体を抱き寄せた。
あまりに甘い労りに彼女はクスクスと微笑み、大男の胸に頭を預けてしまう。
どうやら思った以上に身体は疲弊していたらしい。
思わずほっと溜め息を吐いていた。
そんな彼女の様子を心配しながら、大男は残酷な報告をしなければならなかった。
「……神域裁判が開催されることになった」
「神域裁判……?」
初めて聞く単語に首を傾げる。
一方で大男は眉を顰めていた。
それだけでその裁判がいかに大変なものなのかを悟った。
「……皇族神子は聖女を救う為に、何がなんでも貴女を引きずり出し、裁きたいようだ」
「……そう、ですか……」
そう呟きながら、彼女はこの先の運命を悟る。
「……もう、逃げることは許されないのですね……」
「……ああ。戦いの火蓋はもう切って落とされたんだ」
「…………はい」
頷きながら彼女は思う。
戦いの火蓋は切って落とされたのではない。
きっと、もう、とっくの昔から……と。
見つめるのは、先程まで目を通していた「十の神子焼死事件」に関する事件の報告書だ。
ふと、さらに強い力で抱き寄せられ、彼女ははっとして大男を見上げた。
「安心してくれ。貴女の事は俺が……仲間が、守る」
優しい金色の瞳に彼女は見惚れる。
「はいっ」
柔らかく微笑んだ彼女を見て、大男もふっと笑う。
胸に募るのは愛おしいという想い。
そして、大男は彼女を強く優しく抱き締めて、しばらく腕の中へと閉じ込めていた。