狙われた朔月隊
走る。走る。ひたすら走る。
追手から逃れるためにひたすら。
「雛菊、もっと速く走りなよ」
「んなムチャぶり……!」
やがて見えてきた勤務先――茶屋よもぎの前にその人が立っていた。
店主のおばあちゃんこと、よもぎが。
その隣には団子の仕入れをしている職員二名もいた。
「え? おばあちゃん?」
「ほら、言われた通り準備しておいたよ」
「ありがとう、おばあちゃん」
文は迷わずそれらを受け取った。
やや大きめの鞄二つ。
「そんなわけでしばらく休み取るからよろしく。おまけで雛菊も」
「え?」
「はいよ。こっちのことは気にせんで、ゆぅっくりしておいで」
「えっ?」
「よもぎさんのことは任せてくれ」
「私達が必ずお守りするから」
「うん、よろしく。じゃ」
「ちょ、ちょ、ちょっ!」
話の見えていない雛菊を引っ張って、文は再び走り出す。
手を振って見送ってくれたよもぎ達はあっという間に見えなくなっていく。
「文、これからどこ行くって言うのよ!」
「詳しい話は後回し。とりあえずここから脱出するよ」
すると、突然目の前に降り立ったのは一匹の黒い獣。
「地獄の番犬……!」
それは間違いなく幽吾からの手助けだと思い、文は迷わず番犬に近づく。
「雛菊、乗りな」
「え、えっと、あ、あたし、黒い犬は少しトラウマがあって……」
思い出すのは就職試験の時に現れた巨大で真っ黒い獣が大暴れする姿。
「いいから【乗れ】」
「いやああああっ!!」
言霊によって身体が勝手に動き、地獄の番犬に跨がってしまう。
文も雛菊の前に跨がれば、地獄の番犬は跳躍し神域をあっという間に駆けていく。
あまりもの速さに雛菊は目を回しそうになる。
すると突然、目の前にその者は現れた。
『ピチチッ! 姫!』
「へっ!? みたらしさん!」
小鳥の姿をした神獣であり、神獣連絡網の要である存在。
そして、雛菊の仕事の相棒でもあるみたらしが。
『皇族神子達がワタクシの分身の回収を始めました』
「ええっ!?」
『どうやら我々という連絡手段を十の神子の姉から奪う為のようです』
「そんな……っ」
『あと十の神子の姉だけでなく、そこの小僧やその仲間も捕まえようと動いている模様です』
「えっ!?」
『それだけでなく、十の神子の姉と親しい関係者も皇族神子の監視下に置かれ、十の神子の姉を更に追い詰めるようです』
伝えられた内容はあまりにも衝撃的すぎて雛菊は頭が追い付かない。
一方の文は表情を崩さず冷静に聞いていた。
『姫、お力になれず申し訳ありません。ワタクシも間もなく囚われの身となります。しばしの別れです。どうぞお気をつけて』
「みたらしさん!」
雛菊は咄嗟に手を伸ばすが、みたらしはあっという間に姿を消してしまった。
「ど、うして……!」
どうしてこんなことになってしまったのか――じわりと涙が溢れてくる。
「泣かないでくれる? 面倒だから」
「だっ、だって……!」
「そんなの全部想定内だから」
「……へっ!?」
その言葉は涙が引っ込むほど衝撃的で――。
「ど、どうゆうこと……?」
「……俺達は俺達のやるべきことをやるだけ」
「だ、だから、どうゆうこと!?」
「……今ここでは言えない」
「な、なんで?」
「どこで聞かれているか分からないから」
文の言っていることがますます分からない。
混乱する雛菊に文は眉を顰めて言う。
「…………巻き込んで、ごめん」
「え……?」
やがて地獄の番犬はある場所へ降り立った。
そして、そこにいたのは――……。
*****
時はほんの数分前に遡る。
幽吾の元に一羽の伝令役の小鳥が現れた。
それは文専用の小鳥だった。
小鳥から受け取った手紙を読んだ幽吾は直ぐ様動く。
「【地獄門召喚】」
門から地獄の番犬を呼び出し、幽吾は指示を出す。
そして、地獄の番犬達はあっという間に発っていく。
その直後だった。
幽吾の部屋の扉が乱暴に開かれたのは。
「中央本部人事課、幽吾! 及び『朔月隊』! 貴様の身柄を拘束する!」
現れた大人数の宮区警備部を見て、幽吾はにんまりと笑う。
「どうやら本当に、余裕がないみたいだね~」
*****
時を同じくしてその頃、轟と天海もまた文から手紙を受け取っていた。
そして、二人も同じく直ぐ様動く。
「諷花!」
「え? 轟君?」
間もなく就業開始だというのに事務室に入り込んできた夫に諷花は目を丸くさせてしまう。
「どうした――きゃあっ!?」
「事務長、わりぃけどしばらく諷花は休みだ。療養させる」
「えっ? えっ?」
突然抱え上げられたというのにさらに衝撃的な言葉が続き、諷花は全く訳が分からない。
挙げ句、轟が窓から外へ飛び出したものだから、驚きを通り越して心配になってしまう。
「轟君、一体どうしたの?」
「…………」
轟は何も言わない。何も言ってくれない。
それでも轟は素早く跳躍し、どんどん先へと進む。
風を受けて走る轟の横顔を見つめながら、諷花は予感していた。
やがてたどり着いたのは遊戯街だった。
そこでようやっと諷花を地に下ろすと、轟は目の前の店の扉を力強く開けた。
「凪沙!」
「ちょっと轟君っ、そんな乱暴に扉を開けないでっ」
「時間がねぇんだ!」
「はいはい、わかってますっ。世流ちゃんと右京君と左京君ももう出発したわっ」
「そうか」
凪沙の言葉に轟はほっとしたような表情を見せた。
「おめぇらも気を付けろよ」
「大丈夫よっ。だって私達は神域管理庁の弱味ですものっ。遊戯街でヤツらの好きにさせないわっ」
「……諷花を、頼んだ」
そう言って轟は向きを変えた。
「轟君」
「っ!」
その轟を諷花が引き止めていた。
不安げに瞳を揺らして顔色をすっかり悪くさせて。
「連れてって。お願い。もうっ……離れないで……っ」
今にも倒れそうな妻の姿に、轟は心を揺さぶられる――だが。
「…………悪い」
轟はそう言って諷花を抱き締める。
「必ず、お前のところに帰るから……!」
そして、諷花から手を離すと轟は振り返らず走り去っていった。
瞬間、諷花は崩れ落ちた。
涙が止まらない。止められない。
「轟君のっ、ばかああああああああっ!!」
わんわんと泣き崩れるしかない諷花を凪沙がそっと寄り添い、肩を撫で宥める。
「うん、うん。思いっきり泣いて罵倒していいよっ。あの人達はいつだって自分達だけで抱え込んで私達には背負わせてくれないんだものっ」
凪沙の脳裏に過るのは美しすぎる男性の姿。
今も昔も身体を張って守り続けてきてくれた同期で、同志で、友人で。
凪沙達に決して危険が及ばないようにしっかり根回しをしてから出ていってしまった世流の後ろ姿――。
「ほんとっ……ずるいっ……」
いつしか凪沙の瞳からも涙が零れ落ちていた。
轟は跳ぶ。
少しでも妻から離れるために木々の隙間を縫って跳ぶ。
「轟!」
その轟に追い付いたのは天狗の先祖返りである天海。
「……姉さんは……」
「安心しろ。確実に安全なところに託してきた」
「…………ごめん」
「何でおめぇが謝るんだよ。悪いのは…………人の表面しか見てねぇアホな宮区のヤツらだよ」
遠くから怒鳴り声が聞こえる。
自分達の名を叫び追ってくる宮区の関係者達の――。
「とにかく、逃げ切って幽吾達と落ち合うぞ!」
「ああ」
轟はさらに脚に力を込めて跳び、天海も翼に力を入れて飛ぶ。
(……美月、逃げ切ってくれ……!)
空を裂きながら、天海はもう一人の幼馴染を思っていた。
*****
その美月が勤める乗合馬車課にも宮区の職員達が押し寄せていた。
「生活管理部部乗合馬車課、及び『朔月隊』の隊員美月! 貴様の身柄を――」
「はいはい邪魔邪魔どいたどいた」
「はいはーい、道を開けてくださーい」
口上を言い終える前に宮区職員は出迎えた男性職員二名に押し出されてしまった。
「貴様ら! 邪魔をするのか!? これは皇族神子様の――」
「うるせぇ。あんたらの為に言ってるんだからな」
「はい、通りまーす」
瞬間、物凄い速度で宮区職員達の目の前を巨大な馬車馬達と馬車が次々と通っていく。
一台、二台、三台、四台――続々と。
「こっちとら仕事開始時間なんだよ。ダイヤ乱れたら誰が困ると思ってんだよ。邪魔だよ、邪魔!」
「まあま紀康、宮区の職員様がこんな下々の課の仕事事情を知っているわけないよ。あのまま突っ立っていたら馬車馬達に轢かれていたってことだって理解してないよ。いっそ轢いて頭の作りを作り替えるのもありだったかもね」
その言葉には温情があるようで無い。
毒の刺だらけだ。
「しっ、しかし、これは緊急事態で……!」
「せめて馬車馬達の配置終えてから来いよ! てめぇらの都合で物事を考えんな!」
「まあ猛スピードの馬車馬達の前に飛び出してでも止めるって言うなら俺達は止めませんけど」
「いや、それは……」
それは死も同然の愚かな行為である。
「だったら大人しく待っていやがれ!」
「いやしかし……!」
「一分の遅れで生じる百のクレームにそちらが対応してくれるって言うならいいですけど」
「…………はい、すみませんでした」
いつの世も苦情対応は誰だって嫌なのである。
そうして馬車馬達は走る、走る。
宮区職員達の妨害を越えて走る、走る。
猫又の先祖返りを密かに乗せて走る、走る。
(真鶴先輩、紀康先輩……おおきに)
宮区職員の足止めを買って出てくれた先輩二人に感謝しながら、美月は馬車の中で身を潜める。
「九番馬車、巽区から艮区へ向かいます」
伝令の小鳥で本部と連絡を取っていると見せかけて、御者の冬真が美月に呼びかける。
美月は心の中で頷きながら、馬車の中で息を殺す。
やがて間もなく卯の門広場に差し掛かろうとしたその時だった。
遠くから爆発音が聞こえて、馬車は急停車する。
「どう! どうどうっ! なっ、何!?」
爆発音に驚いた馬達を宥めながら、冬真は爆発音がした方を見た。
美月も馬車の窓からこっそり外を覗き見て目を剥く。
見れば、卯の門広場方面から黒い煙が上っていた。
あの方角にあるのは神域医務部総合病院だと思った瞬間、美月の行動は早かった。
「冬真さん、おおきに。こっからは自分でなんとかするわ」
「美月さん……っ!」
「……先輩らにも、おおきにって伝えてな」
美月は馬車から飛び出した。
屋根の上に飛び移り、木々の間を跳んでいく。
あっという間に姿を消してしまった美月を冬真は見送ることしかできなかった。
*****
「まったく! 手段を選ばなくなってきたな!」
迫り来る追手から逃げながら焔は思わず舌打ちをした。
「逃がすな!」
「追え! 追え!」
「多少怪我させても構わない!」
「いや良くないだろう!」と心の中で叫びながら、焔は咄嗟に身を翻す。
背後ギリギリを神力弾が飛んでゆき、爆発音が響く。
神力弾が当たった木々はボッキリと折れてしまっていた。
あんなのが当たったら重症間違いなしだ。
焔は鞄につめていた薬瓶を一つ取り出し、追手に放り投げる。
瞬間、辺り一帯に紫色の煙が立ち込めた。
「ぐあっ! どっ、毒だっ!」
「くっ、煙を吸い込むな!」
「げほっ! げほっ! ね……ねむ……」
毒ではなく単なる睡眠薬である。
しかし、バタバタと倒れていく追手に説明する暇などない。
焔は再び駆け出した。
少しでも病院から離れる為に。
医務部の同僚達に迷惑をかけないように。
「「焔様!」」
響いた声にハッと顔を上げればそこにいたのは仲間の双子の青年達。
地獄の番犬に跨がっていた。
「右京君! 左京君! 無事で良かった!」
「焔様も」
「世流さんは?」
「文様の連絡を受けてすぐに出立を済ませております」
「我々も当初の予定を早めてあちらへ出立をしようかと」
「……紅玉先輩は?」
「「……わかりません」」
双子から同時に告げられた言葉に焔は俯いてしまう。
「ですが、蘇芳様が一緒でございます」
「蘇芳様なら間違いなく紅様を守り抜いてくださいます」
「……ああ、そうだな」
いつだってあの身体の大きな先輩は紅玉を愛おしげに見つめて優しく守り抜いてくれていたから。
今まで、ずっと……。
「信じよう。蘇芳先輩を」
「「はい」」
ふと、遠くから叫ぶ声が聞こえた。
また追手が迫っているらしい。
「焔様、お話はここまでのようです」
「しばしの別れとなりますが、どうぞお気をつけて」
「右京君と左京君も」
双子はにっこりと微笑むと焔を地獄の番犬へと誘う。
「彼女が焔様をあるべき場所へ導いてくださいます」
「君達はどうするんだ?」
「ご安心を。我々の待ち合わせ場所は、我々がいる場所ですから」
右京と左京は武器珠から愛用の武器を取り出すと、追手と向き合った。
「「さあ! 行ってください!」」
双子の声を合図に地獄の番犬は地を蹴って跳んだ。
あっという間に小さくなって見えなくなってしまった双子達を心配に思いながらも、焔は前を向くしかなかった。
「私は、私のなすべき事を……!」
その時だった。
「ほむちゃーーんっ!」
「美月ちゃん!」
跳躍する地獄の番犬に追い付いた美月の姿に焔はホッとする。
「良かった。無事に逃げ切っていたんだな」
「真鶴先輩らが協力してくれたんや。ほむちゃんこそ爆発あったみたいやけど、大丈夫なん?」
「……宮区の警備部達は朔月隊を捕らえるためならば最早手段を選ばないらしい。文の言う通り、一刻も早く合流し、行動すべきだ」
「せやな!」
猶予は最早無いのだと二人は思った。
「一緒に行こう! 後ろに乗ってくれ!」
「うんっ!」
美月が跨がると、地獄の番犬はさらに速度を上げて跳躍した。
明日も一話更新致します