弟妹達の決意
紅玉が倒れた翌朝、前髪の一部が紫色に染まるさらさらの髪と艶やかな紫水晶の如く煌めきを放つ切れ長の瞳を持つ美男こと十の御社の台所番の紫は非常に手際よく一人で朝食の準備をしていた。
否、一人ではなかった。
紫の隣で、天に広がる空と同じ色の髪と青と蒼が混じる美しい色合いの瞳を持つ少年の空が味噌汁をくるりとかき混ぜていた。
「紫さん、お味噌溶いたっすよ」
「ありがとう。そしたら、少しだけ煮詰めるから、沸騰しないように見ていて~」
「おっす!」
空が元気の良い返事をすれば、星屑のように煌めく編み込みまとめられた金色の髪と花緑青の瞳を持つ妖精の如く美しい少女の鞠が台所に入ってきた。
「ユカリさーん、ツギ、どれハコべばイイデースカ?」
「じゃあ、ご飯運んでもらえるかな?」
「Yeah!」
てきぱきと働く空と鞠に紫は思わずほっとしていた。
「いや~、二人とも手伝ってくれてホント助かるよ~!」
「これくらい、お安い御用っすよ」
「マリもガンバりマース!」
「それにしても、紅ちゃん大丈夫かな……目は覚ましたんでしょ?」
紫のその言葉に空と鞠は思わず手が止まる。
「やっぱり働きすぎなんだよ、紅ちゃん。いくら社畜だからって過労で倒れるまで働かなくても……」
「…………っすよ」
「え?」
ボソリと呟いた空の言葉を紫は聞き取ることができなかった。
「空くん、今なんか――」
「ベニちゃん!!」
鞠の声に振り向けば、そこへ現れたのは紅玉だった。
蘇芳にぴったりと寄り添われてゆったりとした足取りでやって来たところだ。
「紅ちゃん! もう動いて大丈夫なの?」
「紫様、多大なご迷惑とご心配をおかけしていますわ」
「そんなの気にしないで……!」
紅玉の顔を見れば、まだ青白く、全快とは言いにくいのが一目瞭然だった。
「先輩、座って休んでてくださいっす!」
「デスデース! オヤスミシマショー!」
「あ……」
空と鞠にやや強引に手を引かれ、紅玉は蘇芳から引き剥がされる。
そして、二人の誘導で食堂の椅子に座った。
すると、そこへ現れたのは――。
「お姉ちゃん」
「晶ちゃん……!」
ふわりと波打ち輝く清廉な神力を纏った白縹の髪と大きな穢れ無き水色の瞳と透き通るような白い肌を持つ美少女。
紅玉の妹であり十の神子の水晶だ。
美少女でありながら、酷いずぼらで未だに寝坊が癖の。
「貴女、一人で起きられ――!?」
「うみゅ、今はそんなこと言っている場合じゃないわ」
驚く紅玉を余所に、水晶はすこぶる不機嫌な顔をした。
「……顔色は……まだ悪いね」
「ごめんなさい。まだ本調子でなくて……でも、大丈夫です。書類仕事くらいならでき――」
「させないからね?」
「させないっすよ?」
「Non nonデース」
「う……」
弟妹三人組の圧に紅玉は逆らえなかった。
「うみゅ、ゆかりん、お腹空いた~。ご飯~」
「そうだね。今すぐ用意するよ」
「俺、お味噌汁よそってくるっす!」
「スオーさん、Helpしてくだサーイ!」
「ああ、分かった」
他の職員達がバタバタと動き出す中、一人座ったままの紅玉は居たたまれなくなってしまう。
「働きたい……」
「うみゅ、この根っからの社畜め。ちょっとは休め」
水晶がそう言いながら隣に座り、じっと見つめてくる。
「……晶ちゃん、どうなさったの?」
「…………」
何も答えない水晶の透き通った水色の瞳を見て、紅玉は首を傾げた。
「……晶ちゃん?」
「お姉ちゃん……いつもありがと……ごめんね」
わずかに悲しい色合いを見せた水色の瞳に、紅玉は驚く。
「あらまあ……どうしたのです? 随分としおらしいですこと」
「うみゅ、たまには素直で可愛い妹もいいじゃろ?」
「ふふふっ。では是非ともこれからも我が儘を言わず、素直にお仕事してくださいまし」
「ソレはソレ。コレはコレ」
「まったく……貴女って子は」
すると、水晶の水色の瞳に凛とした色に輝き、紅玉は思わず息を呑む。
「お姉ちゃん、私に……私達に何かできることはない?」
「…………」
じっと真剣に見つめてくる水晶に、紅玉はふわりと微笑む。
「大丈夫ですわ。貴女は何も心配しなくて。お姉ちゃんのことはお気になさらず、貴女は貴女の仕事に励んでくださいまし」
「…………そう」
水晶はすっと視線を外すと寂しげに呟く。
「分かった」
水晶の声に違和感を覚えた紅玉だったが――。
「はい、お待たせ~。本日の朝食は魚の塩焼き定食だよ~!」
朝食を持ってきた紫の声が割り込んできて有耶無耶になってしまった。
「うみゅ、晶ちゃん、魚の小骨が嫌い~。お姉ちゃん、小骨取って~」
「まったく……それくらい自分で取れるように……」
「あ、ご心配なく。神子ちゃんの為にちゃんとピンセットで小骨全部取っておいたから!」
「うみゅ~、流石ゆかり~ん」
「甘やかさないでくださいまし」
「ひぃっ!」
思わず絶対零度の怒りが漏れ出てしまう。
「まったく紫様……こちらに勤めてもう何年になりますの?」
「いやぁ、あはは……でも、せっかくなら美味しく残さず食べて欲しいから……」
「だからと言って、ピンセットで全部取る必要はありません!」
「ひぃっ! すみません!」
紫に気を取られ、紅玉は気づくことができなかった。
水晶と空と鞠が、意味深に視線を交わしていたことに……。
*****
その違和感に真っ先に気づき始めたのは蘇芳だった。
(おかしい……)
穏やかな朝食が終わっても尚、その違和感は拭えず、むしろどんどん増していくばかりだ。
「蘇芳さん、あっちのテーブルの食器運んでくださいっす」
「あ、ああ……」
空にそう指示されて動かないわけにもいかず、蘇芳は素直に従う。
運び終えて再び足を動かそうとしたところで――。
「スオーさん! コレ、Washしてくだサーイ!」
「……っ、わかった」
鞠にほぼ押し付けられる形で大量の皿を渡され、また台所へ戻らなければならくなる。
先程からずっとこんな状況が続いていた。
(紅のところに行けない)
頭を過るのはそればかり。
未だ体調の優れない紅玉の傍に一秒でも多くいてやりたいと言うのに、先程から後輩達がそれを許してくれない。
(……むしろ、阻止されている……?)
いやまさか……と思いつつ、空と鞠は蘇芳を紅玉の傍へ一切近寄らせない。
しかも打ち合わせたかのような見事な連携である。
やがてようやっと食器を洗い終えたところで、蘇芳は素早く足を進め紅玉に近づく。
しかし――。
「止まりなさい、蘇芳」
凛としたその声が響いた瞬間、蘇芳は足を止めるしかなかった。
その声の主は自分が仕える神子であるのだから。
「姉には近づけさせないわ」
「っ!?」
「しょ、晶ちゃん……?」
水晶から言われた言葉に蘇芳だけでなく、紅玉も目を剥いてしまう。
すると、蘇芳の前に空と鞠が立ちはだかった。
その目はあまりにも真剣で、そして鋭い。
伝わる敵意に蘇芳は杞憂などではなかったと悟った。
(……本当に、大きくなったな……)
蘇芳にとっても可愛い後輩である二人の成長を感慨深く思いながら、蘇芳もまた真剣な目で向かい合い、二人の言葉を待つ。
「蘇芳さん、話してもらいたいことがあるっす」
「……何だ?」
「蘇芳さんは何から先輩を救おうとしているっすか?」
「…………」
昨夜の会話を聞かれてしまったのだろう、と蘇芳は冷静に思う。
「紅ちゃんの秘密って何のこと?」
「…………」
そこまで聞かれてしまったとは……油断したな、と蘇芳は内心焦る。
「俺達に何を隠しているっすか!?」
「私達に何を隠しているの!?」
空と鞠に同時に叫ばれても、蘇芳の決意は揺るがない。
「……紅」
「っ!」
「……おいで」
蘇芳の差し出した手を紅玉は迷わず手を伸ばそうとした――しかし。
身体を強い力で押さえ込まれ、紅玉はそれが叶わなかった。
「行かせないから」
「晶ちゃん……!」
着物や袴を握り締めてくる水晶を振り払うことなど紅玉にはできないだろう。
蘇芳は差し出した手をそっと下ろした。
「洗いざらい話してもらうまで絶対ここを退かないし、先輩を渡さないっすよ!」
「教えて蘇芳さん! 私達に隠していることを!」
なんとまあ、無邪気でありながら狡猾な作戦だろうか。
空と鞠の成長に蘇芳の顔には思わず笑みが零れてしまう。
しかし、だからこそ蘇芳はこの事を話すわけにはいかなかった。
「拒否する」
「話してくださいっす!」
「できない」
「話して!」
「無駄だ」
蘇芳の意思は決して揺るがない。
しかし、空と鞠の意思も揺るがない。
三人の睨み合いに紅玉はハラハラとしてしまう。
やがて長い睨み合いの末、先に口を開いたのは空だった。
「わかったっす。だったら正々堂々と勝負っす」
空の言葉に蘇芳は眉を顰め、紅玉は息を呑んでしまう。
「……本気なのか?」
蘇芳は神域最強と呼ばれる程の屈強な戦士だ。
いくら幼い頃から鍛練しているとはいえ、空と鞠が敵うはずもない。
「臨むところっす!」
「そのかわり、私達が勝ったら隠していること全部話して!」
尊敬する紅玉の為に戦おうとする空と鞠の姿に、蘇芳の胸が温かくなる。
だが、だからと言ってこの件に関して蘇芳は手加減するつもりもなかった。
「ならば、俺も本気を出させてもらおう」
蘇芳から放たれる真っ赤な覇気に空と鞠は一瞬怯みそうになるが、踏み止まる。
「負けないっす!」
「絶対に!」
睨み合う三人の姿を紅玉はただ青褪めた顔で見ていることしかできなかった。