【番外編】轟の結婚
※時間軸※
蘇芳が十の御社帰還後かつ紅玉が倒れる前の話
葉月八日――夏の暑さ真っ盛りで、天気は快晴。
気温もぐんぐん上昇しているが、この十の御社の敷地内は涼しい風を吹かせているので、大分過ごしやすくなっていた。
この真夏の日に、善き日を迎える事になったのは……。
「ちょっと轟君! 襟緩めちゃダメ! ほらネクタイも! こら! ベストのボタンも留める!」
「だああああっ! 世流、うるせぇっ! めんどくせぇっ! きついっ! 双子もベタベタ髪の毛触るなぁ!」
「いけません、轟様。本日の主役なのですから」
「きちんとしてくださいませ、轟様。諷花様の為です」
「ぐぬぬぬ……っ!」
世流と右京と左京に着飾られているのは、鬼の先祖返りこと轟。
脱色して毛先が跳ねまくっている髪は、きっちり整髪料で整えられ、その身に纏うのは神域警備部として動きやすい服装ではなく、真っ白な礼服だ。
「いやぁ、まさか朔月隊で一番に既婚者になるのが轟君とはねぇ~。あの暴走列車で猪突猛進の轟君とはねぇ~。感慨深いよ」
「おい、幽吾。喧嘩売ってんなら買うぞ」
「はいはい、式が終わるまでは大人しくしていてねぇ~」
「くっそ……覚えてろよ」
そう、本日は轟と諷花の結婚式が執り行われる日であった。
もうすでに書類上では婚姻関係となった轟と諷花だったが、式はまだ挙げていなかったのだ。
理由は諸々あったが、一番の問題は諷花の体調だ。
諷花が神域に来たばかりの水無月の半ば頃、一命を取り留めたとはいえ、諷花は自らの足で歩く事すら困難だった。
神域で治療と回復に専念した諷花は徐々に歩けるようになったものの、つい先日やっと一人で歩けるようになったばかりだ。
とはいえ、その回復ぶりには主治医も驚きではあった。
そんなわけで、体調が落ち着いた今、式を上げる事になったのである。
「でも、わざわざこんな真夏の暑い日に、式を開かなくてもよかったんじゃない?」
文が団扇で轟を扇ぎながら、ぶすっとした顔で言った。
いくら神術で涼しい十の御社内とはいえ、日差しが強い事には変わりはない。
そして、諷花は身体が非常に弱いのだ。
心配になってしまうのも無理はないだろう。
「……いいんだよ」
「何で?」
「うっせぇな! 別にいいだろ!」
轟が怒ったように叫ぶが、その頬は赤く染まっていた。
その様子に文が首を傾げていると――。
「……姉さんが、どうしても葉月の八日が良いって」
「天海! てめっ!」
轟の代わりに天海がそう言った。
「どういうこと?」
「今日は、轟の誕生日でもあるから。自分にとっても、轟にとっても特別な日にしたいからって」
「あぁ……」
それだけ聞いて、文は納得した。
元々、この結婚式は花嫁に憧れていた諷花が望んだものだ。
轟にとっては、結婚式など気恥かしいものだが、諷花が望んだ事なら反対は一切しなかった。
だけど、諷花は轟にとっても特別な日にしたかったのだろう。
「その為に、姉さん、リハビリも一生懸命頑張っていたから」
「いやんもうっ! 愛されているわねんっ! 轟君!」
「ラブラブだねぇ~、轟君」
「お前ら……頼むからもう黙ってくれ……」
顔を腕で覆って俯く轟の首や耳は、真っ赤に染まっていた。
そんな轟の様子に、朔月隊の仲間達はニヤニヤとしてしまう。
すると、扉が開き、蘇芳が入ってきた。
「轟殿、諷花殿の準備が整ったそうだ。式の準備を」
「お、おうっ!」
いよいよ式が始まると聞いて、轟は緊張に顔を強張らせる。
一方、蘇芳は轟の姿を見て、柔らかく微笑んだ。
「……なんだよ」
「轟殿、本日は誠におめでとうございます。十の御社一同、心よりお祝い申し上げます」
「きゅ、急に改まってどうしたんだよ」
「自分は嬉しいのです。こうして、貴方を祝福できる事が」
脳裏を過ぎるのは、大切な仲間を失って、心を壊して廃人のようになった轟の姿。
「鬼火」の異能で、心を取り戻したかのように見えて、薄い硝子のような心神状態だった轟……そして、その後、再び心を壊す事になってしまった。
「貴方が幸せになる事を、きっと彼らも喜んでいるでしょう」
「……っ……!」
彼らと聞いて、轟は誰の事を言っているのか、すぐに分かった。
瞳が潤みそうになるのを隠す為、蘇芳から視線を逸らす。
「あの三人なら、今頃この辺に降りてきそうだよね~」
「ワタシもそう思うわ! 『轟の馬子にも衣装を見てやんぞ~!』って」
「ははは、あり得るな」
幽吾と世流と蘇芳の会話を聞きながら、轟もそう思ってしまう。
あの愉快な三人の事だ。
自分の晴れ姿を見て、存分に笑って、からかって、精一杯祝福してくれるだろうと。
「……轟殿」
「っ!」
「どうぞお幸せに」
祝福してくれる友人達の優しい微笑みを見て、轟も照れたように笑う。
そして、晴れた空を見上げる。
(なあ、和一、雄仁、剣三……俺、結婚するよ。今度は、絶対守ってみせるから……見守ってくれよな)
**********
十の御社の庭園に向かえば、たくさんの人や神々が整列して出迎えてくれた。
十の御社の関係者だけでなく、鈴太郎率いる二十二の御社の関係者や遊戯街の職員達もいる。
この日の為に、幽吾が諸々の手続きをしてくれて、自分達の家族も招く事ができた。
そして、朔月隊の仲間達も参列者席へと並ぶ。
自分達の晴れの日に、こんなに多くの人達が集まってくれた事に感謝しかない……。
そんな想いを噛み締めながら、祭壇の前に立てば、そこにいたのは八の神子である金剛だった。
「轟、おめでとうさん」
「おう」
「今更なんだけど……こんな大役、おいたんがやってもいいのかね? ぶっちゃけ、おいたん、君に酷い事したよ?」
「……だからだよ」
かつて、轟に冷酷な現実を突き付けた張本人……あまり良い思い出が無い相手だ。
だが……。
「……アンタも、もう気にすんな」
「!」
「俺は、もう大丈夫だからよ」
「…………そっか」
轟の照れた表情を見て、金剛も長年の重荷が下りたような気がした。
そして、金剛は柔らかく笑うと、告げる。
「新婦、入場」
振り返れば、純白の花嫁衣装を身に纏った諷花が、父親とともに歩いてくる。
ゆっくり、ゆっくり、一歩、一歩……。
その身に纏う花嫁衣装は、十の御社の女神達の手製で、非常に見事な仕上がりであった。
日の光に反射して、純白が更に輝いて見える。
手に持つ花束も瑞々しく、色鮮やかで、純白に映えてより美しい。
だが、何よりも美しいのは、それらを全て纏った諷花自身だ。
まさに、今、世界一幸せな花嫁であった。
やがて、轟の前に諷花が辿り着くと、父親の手から離れ、轟へと引き継がれる。
細い手を取れば、諷花はより一層嬉しそうに微笑んだ。
「……諷花……その、きれい、だ」
「轟君も、かっこいいよ」
照れたように微笑み合って、二人揃って祭壇の金剛と向き合う。
「……新郎、轟殿。新婦、諷花殿。神の前において、誓いの言葉を」
「私、轟は、妻、諷花を生涯愛し、大切にし、守り抜くと誓います」
「私、諷花は、夫、轟を生涯愛し、大切にし、支えると誓います」
「……八の神子、金剛、その宣誓の証人となりましょう……それでは指輪の交換を」
金剛が差し出したのは、互いの指輪が乗った台座だ。
まずは轟が諷花の指に指輪をはめ、次に諷花が轟の指に指輪をはめる。
諷花を見つめれば、ふわりと嬉しそうに笑った。
それだけで、胸がいっぱいになる。
「新郎は新婦のヴェールを上げて」
金剛に言われ、轟は諷花の顔を覆っていた薄い布を上げた。
現れた諷花は、本当に美しかった。
目尻に涙が浮かんでいたが、それすらも美しいと轟は思う。
「それでは、誓いの口付けを」
一瞬……ほんの一瞬戸惑ってしまう……恥ずかしくて。
でも、諷花が目を閉じて、待っているから……轟はそっと顔を近付けて、その唇にそっと触れる。
すぐに離して、諷花を見れば、嬉しそうに笑っていた。
轟も照れながらも、つられて笑った。
「ここに、二人が夫婦となったと証明されました! あなた方に永久の幸があらんことを!」
金剛が天へ神力を放てば、光の雨と花弁の雨が降り注ぐ。
その幻想的な光景に、轟と諷花は思わず見惚れてしまう。
それと同時に、参列者から大きな拍手が沸き起こった。
「轟君! 諷花さん! おめでとう!」
「お幸せに!」
「おめでとう!」
たくさんの祝福が降り注ぐ中、轟と諷花は互いに顔を見合わせて、そして満面の笑みを浮かべて、参列者全員に感謝をしたのだった。
**********
披露宴は、そのまま十の御社の庭園で開催された。
神々が轟と諷花の為に、祝福の舞や曲を奏でるという、非常に縁起の良いものとなり、両家――特に諷花の一家は涙して喜んだ。
何せ、諷花は一時期、結婚どころか、命も危うかったのだから。
「ほんっとに、ほんっとにっ……! もうなんてお礼を言ったらいいのか……っ!」
「うちの娘の為に、ここまでしてくれて、本当にありがとう……っ!」
諷花の両親に涙ながらにお礼を言われた時に、紅玉はついこう思ってしまった。
(流石、天海さんのご両親……涙脆いところがよく似ていらっしゃいます)
見た目は、思わず同い年かと思ってしまう程、若々しく、しかも麗しいというのに、涙脆さは天海にも負けず劣らずであった。
しかし、こうして喜んでくれる事は、結婚式の準備を手伝った甲斐があるというもので。
(本当に、良かったです)
幸せそうに笑う諷花と轟を見て、紅玉は心の底から思った。
「……諷花さん、体調は問題ございませんか?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう、紅ちゃん」
紅玉はこの日、諷花の介添人としての役目を担っていた。
諷花の体調管理は勿論、移動時の手伝いや、衣装や髪型の確認も行ない、諷花が過ごしやすいように率先して補佐した。
勿論、紅玉だけでなく、他の朔月隊も轟達の結婚式の手伝いを行なっている。
世流は轟の介添人、披露宴の給仕にはその他の隊員が行なっていた。
そして、幽吾は、というと……。
「はーい! ではここで、ウェディングケーキの登場でーす!」
なんと、披露宴の司会を担っていた。
そして、幽吾の声掛けとともに登場したのは鬼の形を巨大洋菓子であった。
ちなみに制作者は紫と文。運ぶのは蘇芳だ。
「では、この鬼さんウェディングケーキを夫婦初めての共同作業で切ってもらいましょう!」
「おい! 幽吾! 鬼の先祖帰りの俺様に対して、鬼のケーキを切れだなんて! 縁起でもねぇっ!」
「まあまあ、ここは一思いにザックリと」
「ふざけるなっ!!」
日頃よく見かけるやり取りに、あちこちから笑いが沸き起こる。
勿論、諷花も楽しそうに笑っていた。
そして、ワクワクとした表情で鬼の巨大洋菓子を見つめている。
「轟さん、諷花さんはケーキ入刀やりたいようですよ」
「んなっ!」
「さあさあ、旦那様として、根性を見せてくださいまし」
紅玉は愕然とする轟に、洋菓子用の小刀を差し出した。
「……ったく! ほら、さっさとやるぞ、諷花」
「うんっ!」
何だかんだ奥様に甘い轟が微笑ましくて、紅玉はころころと笑ってしまう。
(轟さんは本当に素敵な旦那様になりますわ)
そう思った紅玉の目の前で、夫婦初めての共同作業が行なわれ、鬼は見事に真っ二つになったのだった。
「はい! 夫婦初めての共同作業『鬼退治』でした~! 拍手~!」
「『ケーキ入刀』だよっ!!」