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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第五章
262/346

裏切りと縁切り




『俺は……貴女を裏切る。俺の事は忘れてくれ』


 全身が凍り付く。

 驚きのあまり言葉が出てこない。


「……どう、して……?」


 ようやっと絞り出せたのは震えた声だった。


『貴女には、本当に感謝している……俺を……俺なんかを愛してくれてありがとう……!』


 まるで別れを告げるような言葉に紅玉は戸惑う。


「蘇芳様! 待って! どうして!?」

『……貴女の幸せを、俺は……願っている』

「蘇芳様っ!」

『さようなら……紅』


 伝令はそれで途絶えてしまった。


 打ちのめされる現実に紅玉は身体が震える。

 立つことができず、その場に崩れ落ちた。

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 心臓が嫌な音を立てていく。







 信じられない。

 信じたくない。


 胸が苦しい……痛い……。


 何か理由があるはず。

 嘘だと思いたい。

 でも、嘘ではないのかもしれない。


 心臓の鼓動が速くなる……苦しい……。


 これが現実?

 真実?


 息が吸えない……吐けない……苦しい……。


 いなくなってしまう。

 もう二度と会えなくなってしまう。


 苦しい……痛い……辛い……。


 愛しているのに。

 愛しているのに。


 目の前が真っ暗になる……。


 何で?

 どうして?

 どうして!?







 また大切な人がいなくなってしまう!!







「お姉ちゃん」

「っ!?」


 はっとして顔を上げれば、いつの間にか水晶が自分の頬に手を添えて、真っ直ぐ見つめていた。


「しょ、う……ちゃ……」

「お姉ちゃんは今の言葉を信じるの?」

「え……」


 水晶に頬を拭われて、紅玉は初めて泣いていた事に気づく。


「お姉ちゃんはどうしたいの?」

「わた、くし……は……」

「いいんだよ。もっと自分のわがままを言ってもいいんだよ。だって、泣く程に大好きなんでしょ?」

「……っ!」


 妹の前だというのに、溢れる涙を止めることなんてできなかった。

 身体を震わせ、今まで必死に耐えてきたものがボロボロと零れていく。


「嫌なの……っ! 蘇芳様の隣に他の女性が立っている事が赦せないの……っ!」

「うん」

「奪われたくないの……っ! 愛しているの……っ! 蘇芳様を……っ! だから……っ!」

「うん、うん」


 紅玉の身体の震えが止まった。

 そして、顔を上げた紅玉の漆黒の瞳は涙を溢れさせながらも強い意志を宿していて、水晶は思わず見惚れてしまう。


「行かせてくださいまし、十の神子。どうかわたくしと縁を切ってくださいまし」


 はっきりとした言葉に息を呑んだのは狛秋。

 ざわめき出すのは、いつの間にか辺りに集まっていた十の御社の神々。


 水晶はじっと紅玉を見つめると言った。


「私と縁を切って、その後どうするの?」

「七の神子様から蘇芳様を拐ってきます」


 紅玉の強い意志に、水晶はにっと笑う。

 そして、紅玉の頭に手を置いた。


「いってらっしゃい。ちゃんとすーさん拐ってくるんだよ」

「感謝します、十の神子」


 紅玉は立ち上がった。


「紅玉!」


 叫ぶ声に振り返れば、狛秋が戸惑いの表情で見つめていた。


「紅玉……本当に行くのか?」

「狛秋様、無責任なわたくしを御赦しください。十の神子様のことをよろしくお願いします」

「相手は皇族神子だぞ!?」

「…………わかっています」


 これから自分のする事は下手をすれば神子反逆どころか国家反逆に近いだろう。

 だか、それでも――。


「……蘇芳様がどこにいようとも、健やかで穏やかで笑顔でお幸せでいらっしゃるのでしたら、十の御社に縛られる必要はないと思います。ですが……もし蘇芳様が望んでもいないのに無理矢理縛り付けられているのだとしたら……救いにゆきます。例えお相手がどんな方であろうと」

「だが……っ!」

「それに――」


 紅玉はふわりと微笑むと言った。


「わたくしは神子管理部です。神子様の過ちを指摘し、止め、正すのが、わたくしのお仕事ですから」


 真っ直ぐで美しい姿勢でしっかりと立ち、曇りも迷いもない澄んだ眼差しで見つめる紅玉を狛秋は目を見開いて見た。




 そして、思い出す。

 紅玉と同じ神子補佐役である聖女に言われた言葉を…………。




「狛秋、あなたは心配しなくても結構ですのよ」

「え」

「だってあなたはもう七の御社とは無関係の人間。あなたは十の御社の〈能無し〉を見張り続けていればよいのです」

「っ!? ま、待ってください! 約束が違います! 任務が終われば自分は七の御社に戻れると――!」

「……狛秋、理解なさい。これは全て、姫神子様の御意思なのですから」


 雷に撃たれたかのような感覚に陥り、その場から動けなくなってしまう。

 去りゆく聖女の背をただ黙って見送ることしかできなかった……。




 思えば最初から全て仕組まれていたのかもしれない。

 全て、桜姫の思うままになるように……。

 だがしかし、一つの歯車が狂い出してしまったことで、桜姫もまた狂ってしまったのかもしれない。


 今ならはっきりと言える。

 桜姫は……己の命の恩人であり、崇拝していた七の神子は……。




「紅玉……頼む……姫神子様を止めてくれ」


 絞り出すような狛秋の声に紅玉はハッとする。


「あの方は間違っている……! どうか、止めてくれ……!」


 深々と頭を下げる狛秋に紅玉は胸に手を当てはっきりと言う。


「はい、仰せのままに」


 そして、紅玉は水晶と神々に向かって叫ぶ。


「皆様、今まで大変お世話になりました!」


 一礼をすると、紅玉は向きを変えて駆け出した。

 あっという間に去ってしまった姉の背を見送りながら、水晶は呟く。


「ついに……すーさんに負けたな……」


 嬉しいような、寂しいような……。

 しかし、その顔は実に晴れやかな笑みを浮かべていた。


「お父さん!」

「ソウセキさん!」


 空と鞠の真剣な顔を見て、蒼石は柔らかく笑う。


「行ってこい。存分に力を貸してやれ」

「おっす!」

「Thank You!」


 そして、空と鞠も紅玉の後を追って飛び出していった。


 水晶はそんな空と鞠が羨ましくて仕方がない。

 本当は自分も姉の傍にいて、力になってあげたい……だが、神子で身体の弱い自分にはできないから……。


「神子、どうするんじゃ?」

「決まっているわ」


 水晶は立ち上がった。


「私は私のやり方で二人を助ける。みんな手伝って」

「「「「「おぉっ!」」」」」


 神子と神々が一斉に動き出すのを狛秋は驚きながら見つめる。


「さて、僕らはみんなのフォローに回るよ」


 ハッとして振り返ればそこには紫がいた。


「フォローって一体何を……?」

「きっとたくさん神術を使うだろうからね」


 そう言いながら紫が差し出したのは「紫特製蜂蜜檸檬水」だ。


「精一杯働いてもらうからね。狛秋くん」

「……わかった」


 そして、紫と狛秋も歩き出す。

 祈りの舞台へ――。




**********




「ひより」


 紅玉が名前を呼べば、ひゅっと風を巻き起こし、ひよりがやってくる。


「ごめんなさい……私、これから貴女にいけないことを頼んでしまうの」


 本当は神獣の分身であり、可愛がっている小鳥を巻き込みたくなかった……だが、それでは間に合わないかもしれない。

 紅玉は小さな紙を差し出した。


「神罰でもどんな罰でも受けるつもりでいるわ。これを七の御社にいる蘇芳様に届けて」

『ぴよっ』


 ひよりは躊躇うことなく手紙を咥えると風を巻き起こし、姿を消した。


 ひよりが飛び立ったのを見送ると、紅玉は再び駆け出す――。


「先輩っ!!」

「!」


 しかし、その手を空に掴まれてできなかった。

 見れば、空と鞠が真剣な顔で見つめていた。


「先輩! 俺達も一緒に行くっす!」

「いけません。帰りなさい。空さん、鞠ちゃん」

「俺達も蘇芳さんを助けにいきたいっす! それに、相手は皇族神子様っす……先輩一人だなんて無謀過ぎるっす!!」

「……それでも、貴方達を巻き込むわけにはいきません」


 頑として譲らない紅玉の前に鞠が立ちはだかる。


「一人でなんか絶対に行かせないわ」

「鞠ちゃん……」


 いつもの口調を消して本来の言葉遣いで話す鞠に、紅玉は二人の本気を察した。


「私達は大好きなあなたを守る為に強くなろうとした! 大好きな人達を守りたいから強くなれた! 私達も大切な誰かを失うのは嫌なの! お願い、連れてって!」

「……っ……」


 可愛い弟と妹の真剣なお願いに紅玉はたじろいでしまう……。


 その時、ひゅっと風を巻き起こし現れたのは――。


「え……南高様……!?」


 蘇芳専用の伝令鳥は告げる。


『ユウゴからのデンレイです――もしもし、紅ちゃん? 今どこ?』


 南高から響く声は朔月隊の仲間である幽吾の声だ。


「……ごめんなさい、幽吾さん……わたくしと縁を切ってくださいまし。わたくし、これから……七の御社から蘇芳様を拐いにゆきます」


 紅玉の言葉に幽吾は何も言わない。


「間違いなく朔月隊にも迷惑をかけることになるでしょう……先に謝ります。ごめんなさい」

『…………許さないよ』


 ようやっと返ってきた言葉は強いその一言だった。


「ええ……許してくれとは言いません……でも……」

『一人で行くだなんて許さないよ』

「っ!」


 その時、目の前に現れたのは一匹の烏。

 黒い羽を撒き散らし、中から現れたのは九人の人影――幽吾をはじめとする朔月隊全員がそこにいた。


「皆さん……っ!」

「南高君が教えてくれたんだ~。蘇芳さんの一大事だってね」


 にっこり笑って幽吾は言う。


「おめぇが一人で無茶しようとしてるなんざ、俺様達にはお見通しなんだよ!」

「だ・か・ら! 皆で七の御社に殴り込めば怖くないでしょっ!」


 ニヤリと笑って轟が、片目をパチリと瞑りながら世流がそう言った。

 紅玉は驚きと戸惑いが隠せない。


「皆さん、わかっているのですか!? 相手は皇族神子ですのよ!?」

「それ、紅ちゃんの言える台詞とちゃうわ」


 美月は苦笑いを浮かべて言った。


「紅玉先輩、私達に力を貸させてください」

「俺達はあなたに、蘇芳先輩に、たくさん恩があるんです。だから、力になりたいんです」


 前へ進み出てはっきりと焔と天海が言う。


「紅玉様一人で無茶をさせるなど、僕らが許すとお思いですか?」

「当然僕らもお付き合い致しますよ」

「ついでに俺も付き合ってあげる。あなたの弟に責められるのは真っ平ごめんだからね」


 右京と左京、文もまたついてくる気満々であった。


 誰よりも巻き込みたくない、大切な人達……。

 でも、誰一人、紅玉を一人で行かせる気なんてない。

 その事が嬉しくて、申し訳なくて……紅玉の瞳にジワリと涙が浮かぶ。


「先輩」

「ベニちゃん」


 そっと両手を空と鞠が握った。


「一緒に蘇芳さんを助けに行くっす!」

「ケンカジョートーデース!」

「はいっ!」


 紅玉の瞳から堪え切れなかった涙が零れ落ちた。


「朔月隊! 集合!」


 幽吾の一声で烏の羽が舞い散り、全員を包み込んでいく。


「さあ、七の御社に殴り込みだよ」


 そうして、朔月隊を飲み込んだ羽は一羽の烏となり、宮区を目指して飛んで行った――……。




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